網代さんを怒らせたい

霧内杳/眼鏡のさきっぽ

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第2章 市松改めイッチー

7.

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そのまま、社長にいまの出来事を報告する前に、網代さんは濡れたシャツを着替えに行った。
彼としてはすぐに乾くからと断ったが、風邪を引くから着替えてきなよと予備のシャツと一緒に社長から追い出されたらそうするしかない。

「え、網代くん、そんなこと言ったの!?」

きっとお叱りを受けると思ったのに、報告を聞いて天倉社長は大爆笑だった。

「しまったな、僕もいればよかった」

笑いすぎて出すぎた涙を、眼鏡を上げて拭いているが……そんなに?

「でも、よかったんですか」

激しく火に油を注いでしまった。
訴えてやるとか言っていたし、このままでは済みそうにない。
それに社長は面白がっているが、網代さんのあんな発言は問題にならないんだろうか。

「まあ、想定済みだよね、こういう網代くんの発言は」

「は?」

わけがわからなくてまじまじと天倉社長の顔を見てしまう。

「そういう人間だから雇ったんだし」

社長曰く、網代さんは前の会社でパワハラ上司に正論をかまし、クビになってうちにきたそうだ。
そういえば夏音さんもパワハラセクハラ上司にガツンと言ってクビになり、それを気に入られて天倉社長に雇われたのだと言っていた。
もしかして社長は、そういう人間が好みなんだろうか。

「網代くんはさ、人の選り好みが激しいの。
常識のない人間が大っ嫌いだし。
うちの人間は変人も多いけど、みんな人としては真っ当だからね。
居心地がいいとこのあいだ言ってくれたよ」

変人……はちょっと納得。
デザインも設計も、拘りすぎてオタク気質な人間がいるし。
私はそうじゃないと……思いたい。

「それに、あだ名で呼ぶほどのお気に入りもいるみたいだしね」

意味深に社長がふふっと小さく笑う。
一瞬、どういう意味かわからなかったが、すぐに自分だと気づき一気に顔が熱くなった。

「すみません、遅くなりました」

着替えを済ませた網代さんが戻ってきて、私の隣に座る。
いま、社長にあんなことを言われたからか、意識してしまう。
私が網代さんのお気に入り?
いやいや、そんなはずはない。

「その。
思ったことが全部、口に出ていました。
すみませんでした」

網代さんは神妙に天倉社長へあたまを下げたが、その内容はどうかと思う。

「いいよいいよ、気にしなくて」

笑って社長は、網代さんにあたまを上げるように促した。

「しかし」

「訴えてやる、だっけ。
大丈夫、大丈夫、うちにはそういうのに強い弁護士がついているから」

力強く社長が頷き、安心した。

「それに網代くんの言うとおり、クライアントの人間性を見抜けずに仕事を受けたのは僕の責任だ。
そのせいで和倉くんにも網代くんにも嫌な思いをさせてしまった。
本当にすまない」

社長から詫びられて慌ててしまう。

「いえ、そんな!」

あの時間は地獄のようだったが、網代さんが私のいいたいことを言ってくれたのですっきりした。
それにタイミングが悪かっただけで、天倉社長は矢面に立つと言ってくれていたのだ。
彼があやまる必要などない。

「次からはもっと、気をつけて依頼を受けるよ。
いっそ、網代くんに面談してもらおうかな?」

悪戯っぽく社長が笑い、場が和んだ。
やはり社長はいい人だ。
この会社で働けてよかったな。

天倉社長が『今日は大変だったんだから早く帰りなよ』と言ってくださったので、ありがたく定時で帰る。
しかも社長は『ふたりで美味しいものでも食べて憂さ晴らしして』とお金までくださった。
社長は神だ。
一生、ついていく。

「で、なに食べにいくよ?」

ビルのロビーで網代さんが立ち止まる。
歩きながら話せばいいんだろうが、それだと雑踏に私の声がかき消されて彼の耳まで届かないため、よくこうやって先に決めていた。

「焼き肉が食べたいです!」

ストレス発散にはやっぱり肉だよね?

「焼き肉かー。
了解、店は僕に任せてもらっていいか」

「はい」

決まったので一緒に歩きだす。
網代さんはいつも、私が急がないでいいようにゆっくり歩いてくれる。
網代さんが連れてきてくれたのは、お洒落なカジュアル焼き肉店だった。

「じゃあ、今日はお疲れ」

「お疲れ様です」

網代さんは生ビール、私は梅酒ソーダで乾杯。
私はサラダでも食べていろと、せっせと肉を焼いてくれた。

「その。
今日の網代さん、……格好よかった、です」

こういうのはなんか恥ずかしくて、もそもそとサラダを食べながら目をあわせずに言う。

「格好よくないだろ。
お茶、かけられたんだぞ」

思い出しているのか、自嘲するようにふふっと網代さんが笑う。
それにぶんぶんと勢いよく首を横に振った。

「私は相手の気持ちを逆なでしないように、当たり障りのないことしか言えませんでした。
でも自分の考えをはっきりと伝えた網代さんは格好いいです」

最初はなにを言いだしたのかと焦った。
でも言い切った彼を見て、私もこうなりたいと思ったのだ。

「まあ、イッチーに褒められるのは悪い気はしない」

ぽりぽりと照れくさそうに網代さんは人差し指で頬を掻いた。

「それにあの女には一度ガツンと言ってやりたいと思っていた。
あの女との打ち合わせのあと、いつもイッチーの目が少し赤くなっていたから」

思わず顔を上げて網代さんを見る。
毎回、あのクライアントにはきついことを言われて泣くのを我慢していたなんて、相談した天倉社長と夏音さん以外は知らないと思っていた。

「……知ってたんですね」

「ああ」

ジョッキを掴み、網代さんがグビグビと一気にビールを流し込む。
そういえばその日は必ずと言っていいほど、帰ってきたら網代さんから嘘を教えられてからかわれた。
それに怒ってお菓子で機嫌を直す頃にはつらかったのなんて忘れていた。
あれはもしかして、気遣ってくれていたんだろうか。

「網代さんは優しいです」

「なんだ、気持ち悪いな」

ジョッキを空にした彼が、酔っているのか締まらない顔でへらっと笑う。
そういうのが凄くよく感じた。

美味しいお肉をお腹いっぱい食べて店を出る。

「気をつけて帰れよ」

「はい。
じゃあ、また明日」

「じゃーなー」

駅で別れ、まもなくきた電車に乗った。
ドアに寄りかかり、流れていく光を眺める。
今日は網代さんのイメージが一気に変わった。
わかりづらいだけで彼はとてもいい人だ。
よく考えれば私に嘘は教えるが、誰にかに話すより先に嘘だったと明かしてくれる。
あれは私が恥を掻かないようにじゃないだろうか。
それに今日の網代さんは尊敬するほど格好よかった。
それに。

『イッチーじゃなくて僕でよかった』

ふわりとわらう網代さんを思い出したら、顔から火を噴いたかのように一気に熱くなる。
なんなんだろう、ほんとこれ。
あのときもなんか、そわそわと落ち着かないような、それでいて嬉しいような変な気持ちになった。
これって、いったい……?
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