子持ち愛妻家の極悪上司にアタックしてもいいですか?天国の奥様には申し訳ないですが

霧内杳/眼鏡のさきっぽ

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第4章 極悪上司と妻の想い出

5.正しく当たって砕けろ

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脇目も振らず彼女のマンションまでの道を歩ききる。

――ピンポーン。

「はい」

インターフォンを押したら、すぐに美空がドアを開けてくれた。

「どうしよう、私……」

彼女の顔を見た途端、気が緩んで一気に涙が溢れてくる。

「とりあえず、上がりなよ」

促され、部屋の中へ入った。
適当な場所に座ると、美空がペットボトルの目の前に置いた。

「これしかないけど」

「……ありがとう」

涙を拭い、それを手に取ったものの、そこで止まる。

「……放り出してきちゃった、誕生会の準備。
最高のものにしましょうね、って約束したのに」

中途半端に終わっている料理を前にしてきっと、京塚主任は途方に暮れているだろう。

「やっぱり、戻んなきゃ!」

もう、遅いのかもしれない。
それでも戻って、あやまって、それから……。

「落ち着きな、桐子」

立ち上がった私の手を、美空が引っ張る。

「とりあえず、水飲みな。
さっきから顔色がおかしいよ」

私の前に立った美空から、とん、と軽く肩を押された。
それだけで簡単に、座り込んでしまう。

「軽い熱中症、なんだと思う。
いいから水飲んで」

「……うん」

言われてみれば、僅かに頭痛がする。
口をつけたペットボトルは一気に空になった。

「あとこれで、冷やしとけ!」

「あいたっ」

ペしっ、とハンカチに包んだ保冷剤を額に叩きつけられた。
ひんやりとしたそれを、頬につけると気持ちいい。

「んで。
なにがあった?
いきなり、泣きだすし」

座り直した美空が、テーブルの上から少し、私の方へ身を乗り出す。

「その。
今日は上司の娘さんの、誕生会のお手伝いに行って……」

京塚主任の奥さんはすでに亡くなっていること、私を通じてその奥さんを彼が見ていたのが嫌だったことを話した。

「桐子はその、上司が好きなんだ?」

薄々自覚はしていたが、他人からズバリ指摘されると衝撃が大きすぎる。

「えっ、あの、好きっていうか、尊敬してるっていうか?
いまだに奥さんを愛していて指環を外さないのとか尊いなー、って」

「だから、好きなんでしょ?」

「うっ」

せっかく熱が引いた顔が、またみるみる熱くなっていく。

「とうとう、桐子が恋、かー。
相手がバツイチ子持ちなのがあれだけど、既婚ってわけじゃないから問題ないし」

「……恋じゃないもん」

いまさらそんなことを言っても無駄だとわかっていて否定した。
赤くなっている顔を見られないように、立てた膝の中に突っ込んで。

「でも好きだから、自分じゃなくて奥さんを見ている上司にムカついたんでしょ?」

「ううっ」

ますます顔を膝の中へ沈め、小さく丸くなる。
だから。
完全に自覚してしまったいま、それを言われるのは恥ずかしすぎる!

「大丈夫だって。
奥さんもう、亡くなってるんでしょう?
ガンガン攻めたところで、誰も咎めないし」

「……娘さんから嫌われてるもん」

今日だって、歓迎してくれてなかった。
喜んで迎えてほしい、とまでは思っていないけど、完全拒否はかなり傷つく。

「娘かー、それは強敵だな」

「杏里ちゃんに嫌われてるし、京塚主任にはあんなこと言っちゃったし。
もう仕事、行けない……」

冗談だ、って言ったところで絶対、信じてもらえない。
仮に信じてくれたとしても、私の方が妙に意識して元の関係に戻れそうになかった。

「もうさ、いい機会なんだから、ちゃんと桐子の気持ちを伝えてみたら?」

「……無理。
絶対、奥さんに勝ってこない……」

「ああもうっ!」

いきなり肩に手がかかり、あたまを上げさせられる。

「恋は当たって砕けてなんぼなの!
私がいままでどれだけ、砕け散ってきたと思ってんの!?」

美空の視線が私を射る。
そのおかげでいじけモードを続けられなくなった。

「……十七回?」

「はぁっ!?
勝手に増やさないでよ、十六回、よ!」

とん、と押すように手が離され、背中がベッドに当たる。

「……ごめん」

私があやまり、はぁっ、と小さくため息を吐いて美空は座り直した。

「とにかく。
もうバレバレなんだから、ちゃんと上司に気持ちを伝えなよ。
それで正しく当たって砕けて、次へ進も?」

「当たって砕けるのに、正しいとか間違ってるとかあるんだ?」

「あるに決まってるでしょ!」

にやっと美空が笑い、私も口からもふっと笑いが漏れる。

「そっか」

「そうよ」

なんだかおかしくなってきて、ふたりで顔を見合わせ、しばらく笑った。
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