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第5章 みんなとor春熙と?

4.あいつは、許せない

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和やかにバーベキューは進んでいく……はずもなく。

「愛乃ちゃん、肉食べる?」

――ピクッ。

「愛乃さん、なに飲む?」

――ピクッ。

誰かが私を呼ぶたび、笑顔のまま春熙の口もとが引きつる。

「……はるくん」

ちょいちょいと私が袖を引くと、春熙は笑顔を保ったまま私を見下ろした。

「お父様と同じ香芝だからややこしいでしょ?
だからここではみんな私を、名前で呼ぶの。
私がそれでいいって思ってるんだから、問題ないよね?」

「愛乃がそれでいいならいいよ」

しょうがないね、とでもいうかのように春熙が笑う。
うん、これくらいは許してほしい。

「それに誰かみたいに、呼び捨てじゃないし」

ちらっと春熙が視線を向けた先には高鷹部長がいる。
あちらも気づいたみたいでこっちを見てきた。

「いい機会だからお義父さんの他に愛乃を呼び捨てにしていいのは僕だけだって、よく理解してもらわないとね」

なにをするのかと思ったら、ワインクーラーから一本掴んで高鷹部長の方へ歩いて行く。

「どうですか?
ブルゴーニュの白ですけど」

挑発するかのように唇だけを歪めて春熙が笑う。

「もらおうか」

高鷹部長も受けてたつと言わんばかりに右の口端だけをつり上げて笑い、本日何度目かの決戦の火蓋が切って落とされた。

「だから。
愛乃を呼び捨てにしていい権利なんて、あなたに与えてないはずですが」

「そもそもどうして愛乃自身の問題に、君から許可をもらわなければいけない?」

ふたりの間にはすでに、空き瓶が二本転がっている。
けれど彼らは全く顔色ひとつ変えず、飲み続けていた。

「愛乃は僕のものです。
すべてのことに僕からの許可を取っていただきたい」

「なにかを決めるのは愛乃の意思だ。
だいたい、愛乃はものじゃない」

話は平行線のまま、決着はつきそうにない。
それにそろそろ三本目が空きそうなんだけど……春熙は大丈夫なのかな。
だいたい私とふたりで飲むと、いつも三本目くらいで春熙はやめてしまう。

「……高鷹部長、大丈夫なんですかね」

ひそひそ声にぴくっと耳が反応する。

「……大丈夫、って?」

「えっ、あっ」

橋川くんは慌てているけれど、なにかまずいことでもあるのかな。

「高鷹部長、ほんとはお酒、全然飲めないの」

持っていたグラスをくるくる回し、中に残っていたシャンパンを椎名さんはくいっと一息に飲み干した。

「えっ、でもいま、普通に飲んでますけど……」

「人に弱みを見せるのが嫌いだから、あの人。
いつも無理して飲んで後で大変なことになるのよ」

はぁーっとため息を落とし、椎名さんはあきれたように笑った。
その笑顔に……なぜか胸がずきずきと痛む。

「そろそろ止めなきゃと思うんだけど、東藤本部長も一歩も引いてくださらないし」

春熙の手が四本目の瓶を掴む。

「ああ見えてはる……きもそろそろ限界のはずです。
引っ込みがつかなくなって誰かが止めてくれるのを待ってるのかも」

「じゃあそろそろ止めますか!
はいはーい、スイカ割りやろうと思うけど、やりたい人!」

椎名さんの声にみんなが集中する。
春熙と高鷹部長も集中が途切れたみたいで、こっちを見ていた。

「オレ、準備します!」

張り切って橋川くんが準備をはじめ、場の空気が緩んだ。

「僕はあなたを、認めたわけじゃないですからね」

「ああ、覚えておく」

春熙と高鷹部長が同時にグラスに残っていたワインを一気に飲み干し、……同時にその場に倒れ込んだ。


「うー、飲み過ぎた……」

「変な勝負するからだよ」

冷たい水で濡らしたタオルを、春熙の顔の上に置いてあげる。

「だってすぐにギブアップするかと思ったらあの人、なかなかしないんだもん……」

部屋へは岩岡課長と橋川くんが春熙を運んでくれた。
ご迷惑をおかけして大変申し訳ない。

「あー、でも、仕事の面だったら尊敬できるかなー」

ん?
少しは高鷹部長と打ち解けた?
なら高鷹部長の犠牲は無駄じゃなかったかも。

「でもやっぱり、愛乃を呼び捨てにするあいつは許せない」

あー、そうですか。
私がいいって言っているんだから、いいと思うんだけどな。

「あ、愛乃、いつ入籍する?
愛乃がうんって言ってくれたからね。
早くしたいなー。
いますぐにでもしたいけど、無理、だか、ら……」

「はるくん?」

急に静かになった春熙を不審に思い、タオルをめくってみる。
すでに彼は気持ちよさそうに寝息を立てていた。

――春熙と結婚。

少し前なら半ば諦めの気持ちと一緒に受け入れていた。
でもいまは、もうひとりの私が囁くのだ。

――本当にそれでいいのか、って。
それで本当に後悔しないのか、って。

それに私は答えることができない。

見下ろした、窓の外ではまだみんな騒いでいるようだった。

「……私もスイカ割り、したかったな」

ぽつりと呟いた自分の声が、むなしく響く。
まるで閉じ込められた籠の中に、ひとりぼっちでいるかのように。

――チロリロリン!

不意になった携帯の通知音に、過剰に反応してしまう。

「んんーっ」

続けて春熙の声が聞こえ、心臓がどっどっどとまるで走る馬の足音のように鼓動した。
そーっとベッドに横たわる彼をうかがうが、寝返りを打っただけで、ほっと息を吐き出す。

【大丈夫か】

高鷹部長から短く、それだけのメッセージ。
なにを指しての大丈夫、なのだろうか。
少し考えて、無難な返信を打ち込む。

【酔いつぶれて気持ちよさそうに眠っています。
ご心配おかけして、申し訳ありませんでした。
高鷹部長の方こそ、大丈夫ですか】

少しして、ポンと新しいメッセージが表示される。

【ならよかった。
俺は吐いたらすっきりした。
心配させて悪いな】

【少し、出てこられないか。
話がしたい】

その文字を見た途端、どくんと心臓が力強く鼓動する。
そのまま、どきどき、どきどきと落ち着かない。
ちらりと春熙を見たが、ぐっすり眠っていてしばらくは起きそうにない。
【少しだけなら】

【うん、下で待ってる】

春熙を起こさないように、そーっと部屋を出る。
エレベーターに乗ってもまだ、心臓はどきどきしていた。
きっと上司としての話だろうとわかっているのに、なんで私はこんなにときめいているのだろう。
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