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第1章 襲った償いは秘密の結婚でした!?
7.本当に結婚、したんだ
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職場はいつもどおりすぎて、今朝のことは夢だったんじゃないかと思えてくる。
「お疲れ様でした。
お先に失礼します」
定時で仕事を上がり、店を出る。
いつもは通用口のある地下から直接駅へと向かうが、今日は地上に出た。
「あつっ」
アスファルトの上はむわっと熱気が立ちこめている。
明後日から九月に入るが、まだ太陽は働きたいらしい。
コツコツとパンプスのヒールを響かせ、指定されたホテルへと急ぐ。
「翠」
ロビーに入るとすぐに蔭木課長が私を見つけ、軽く手を上げた。
「お待たせしました」
「いや。
お疲れ」
手を引っ張られ必然、彼のいるソファーに一緒に座る。
「暑かっただろ」
さりげなく手を上げてスタッフを呼び、蔭木課長はアイスティを頼んだ。
「婚姻届は出してきた。
ほら」
目の前で卒業証書を挟んでいたのと同じフォルダーが開かれる。
賞状のようなそれには、婚姻届受理証明書と書かれてあった。
しかもしっかり、夫の欄には蔭木課長の名前が、妻の欄には私の名前が記してある。
「本当に出したんですか!?」
まだどこかで、ただの責任逃れで、本気じゃないと思っていた。
けれどこうやって公式の書類を出され、いきなり現実が迫ってくる。
「当たり前だろ」
くいっ、と蔭木課長が眼鏡を上げる。
ちょうどアイスティが運ばれてきて、彼はフォルダーを畳んで脇へとしまった。
「これで俺と翠は夫婦だ」
まるで子供のように、無邪気に蔭木課長が笑う。
だからそういう、らしくない顔は調子が狂うからやめてほしい。
アイスティのグラスにストローを刺し、中身をごくごくと喉に流し込んだ。
「……その。
翠、って」
そういえば今朝からずっと、彼は私を名前呼びしていた。
馴れ馴れしい、以前に、どうして私の下の名前を知っていたのだろう。
「ん?
あってるだろ?」
少し眉根を寄せ、不安そうに訊いてくる。
もうすでに書類で確認しているはずなのに。
「間違ってはない、です」
「うん、ならよかった」
にぱっと、本当に嬉しそうに蔭木課長が笑う。
やっぱりそういうのはらしくない。
夕食を食べようとホテルを出て、一緒に少し歩く。
連れてきてくれたのは隠れ家的な、フランス料理でも家庭的なものを出してくれるお店だった。
彼なら高級フレンチ、というイメージなので、こういう庶民的なお店は意外だ。
「ワインで……いや、翠は飲まない方がいいな」
メニューの向こうで蔭木課長が苦笑いする。
「そう、ですね」
昨日の酒の失敗でこんなことになっているだけに、当分は禁酒したい。
「アレルギーとかあるのか」
「特には……」
「青魚が苦手だったな。
白身なら大丈夫なのか」
「はい……」
なにを訊かれているのかわからないうちに、彼は店員を呼んでさっさと注文してしまった。
もしかしなくても黙って俺に着いてこいタイプで、私もそれで満足だと思われているんだろうか。
「これ」
店員がいなくなって、小箱が私の前へと滑らせられる。
「結婚指環だ」
蔭木課長の手によって開かれたそれには、大小の指環が並んでいた。
「手を出せ」
「……はい」
差し出した左手は、後悔と迷いでブルブルと震えている。
彼が私の手を取り、薬指に指環を嵌めた。
「俺にも」
出された左手の薬指に残りの指環を嵌める。
それを確認し、満足そうに蔭木課長は頷いた。
「これで翠は俺のものだし、俺は翠のものだ」
本当によかったんだろうか。
こんな、押し切られるように結婚なんてして。
第一、私は会社で伝え聞く噂でしか、蔭木課長を知らない。
「絶対に幸せにするから心配しなくていい」
その言葉を。
――私は心の底から信じることができない。
すぐに蔭木課長のワインと、私のであろうカクテルが出てくる。
「だからお酒は……」
「ノンアルコールだ、問題ない」
平然と言い放ちながら、彼は手酌でワインを注いでいる。
見た目からは判断できないが、まさか嘘をついたりとか……は、油断できないか。
昨日、あんなことがあったばかりだし。
「え、遠慮します……」
そろそろとグラスを蔭木課長の方へと押す。
「……俺が信じられないのか」
不満そうにじろっと睨まれれば、背筋がビシッと伸びた。
「い、いえ……」
今度はそろそろと自分の方へとグラスを引き戻す。
「俺たちの結婚に。
乾杯」
「か、乾杯」
上げられたグラスにあわせ、自分のグラスも少し持ち上げる。
ぐいっと一気に飲み干す彼を見ながら、おそるおそるグラスに口をつけた。
一口飲んでみたけれど、アルコールは感じない。
まだ、油断はできないけど。
そうこうしているうちにサラダが出てきた。
私よりも早くついているフォークとスプーンを取り、蔭木課長が取り分けてくれる。
「どうした?
間抜けな顔して」
くつくつと可笑しそうに肩を揺らして笑われ、途端にかっと顔が熱くなった。
「べ、別に……」
気を落ち着けるようにちびちびとカクテルを飲む。
まさか彼が、こんなことをしてくれるなんて思わなかった。
いままで行った合コンでは、無言で私がこういったことをするように期待されていたのに。
サラダを食べ終わる頃、ラタトゥイユとジャガイモのグラタンが出てきた。
「このジャガイモのグラタンが旨いんだ。
ジャガイモしか入ってないのにな。
出張でフランス行ったときは絶対に食う」
にこにこと本当に嬉しそうに笑いながら、今度も蔭木課長が取り分けてくれる。
「そうだ。
今度、翠も連れていってやろう。
贔屓の店があるんだ。
日本ではこの店が一番旨いが、やはり本場の味にはかなわない」
蔭木課長が好きだというそれは、シンプルな味付けながらジャガイモがとろとろで美味しかった。
さらに味の濃いラタトゥイユと一緒に食べるとあう。
これ、家でもできないかな。
「美味しいです」
「そうだろ!」
ぱーっと蔭木課長の顔が輝いた。
私の知らない彼に、どう反応していいのか悩む。
「お疲れ様でした。
お先に失礼します」
定時で仕事を上がり、店を出る。
いつもは通用口のある地下から直接駅へと向かうが、今日は地上に出た。
「あつっ」
アスファルトの上はむわっと熱気が立ちこめている。
明後日から九月に入るが、まだ太陽は働きたいらしい。
コツコツとパンプスのヒールを響かせ、指定されたホテルへと急ぐ。
「翠」
ロビーに入るとすぐに蔭木課長が私を見つけ、軽く手を上げた。
「お待たせしました」
「いや。
お疲れ」
手を引っ張られ必然、彼のいるソファーに一緒に座る。
「暑かっただろ」
さりげなく手を上げてスタッフを呼び、蔭木課長はアイスティを頼んだ。
「婚姻届は出してきた。
ほら」
目の前で卒業証書を挟んでいたのと同じフォルダーが開かれる。
賞状のようなそれには、婚姻届受理証明書と書かれてあった。
しかもしっかり、夫の欄には蔭木課長の名前が、妻の欄には私の名前が記してある。
「本当に出したんですか!?」
まだどこかで、ただの責任逃れで、本気じゃないと思っていた。
けれどこうやって公式の書類を出され、いきなり現実が迫ってくる。
「当たり前だろ」
くいっ、と蔭木課長が眼鏡を上げる。
ちょうどアイスティが運ばれてきて、彼はフォルダーを畳んで脇へとしまった。
「これで俺と翠は夫婦だ」
まるで子供のように、無邪気に蔭木課長が笑う。
だからそういう、らしくない顔は調子が狂うからやめてほしい。
アイスティのグラスにストローを刺し、中身をごくごくと喉に流し込んだ。
「……その。
翠、って」
そういえば今朝からずっと、彼は私を名前呼びしていた。
馴れ馴れしい、以前に、どうして私の下の名前を知っていたのだろう。
「ん?
あってるだろ?」
少し眉根を寄せ、不安そうに訊いてくる。
もうすでに書類で確認しているはずなのに。
「間違ってはない、です」
「うん、ならよかった」
にぱっと、本当に嬉しそうに蔭木課長が笑う。
やっぱりそういうのはらしくない。
夕食を食べようとホテルを出て、一緒に少し歩く。
連れてきてくれたのは隠れ家的な、フランス料理でも家庭的なものを出してくれるお店だった。
彼なら高級フレンチ、というイメージなので、こういう庶民的なお店は意外だ。
「ワインで……いや、翠は飲まない方がいいな」
メニューの向こうで蔭木課長が苦笑いする。
「そう、ですね」
昨日の酒の失敗でこんなことになっているだけに、当分は禁酒したい。
「アレルギーとかあるのか」
「特には……」
「青魚が苦手だったな。
白身なら大丈夫なのか」
「はい……」
なにを訊かれているのかわからないうちに、彼は店員を呼んでさっさと注文してしまった。
もしかしなくても黙って俺に着いてこいタイプで、私もそれで満足だと思われているんだろうか。
「これ」
店員がいなくなって、小箱が私の前へと滑らせられる。
「結婚指環だ」
蔭木課長の手によって開かれたそれには、大小の指環が並んでいた。
「手を出せ」
「……はい」
差し出した左手は、後悔と迷いでブルブルと震えている。
彼が私の手を取り、薬指に指環を嵌めた。
「俺にも」
出された左手の薬指に残りの指環を嵌める。
それを確認し、満足そうに蔭木課長は頷いた。
「これで翠は俺のものだし、俺は翠のものだ」
本当によかったんだろうか。
こんな、押し切られるように結婚なんてして。
第一、私は会社で伝え聞く噂でしか、蔭木課長を知らない。
「絶対に幸せにするから心配しなくていい」
その言葉を。
――私は心の底から信じることができない。
すぐに蔭木課長のワインと、私のであろうカクテルが出てくる。
「だからお酒は……」
「ノンアルコールだ、問題ない」
平然と言い放ちながら、彼は手酌でワインを注いでいる。
見た目からは判断できないが、まさか嘘をついたりとか……は、油断できないか。
昨日、あんなことがあったばかりだし。
「え、遠慮します……」
そろそろとグラスを蔭木課長の方へと押す。
「……俺が信じられないのか」
不満そうにじろっと睨まれれば、背筋がビシッと伸びた。
「い、いえ……」
今度はそろそろと自分の方へとグラスを引き戻す。
「俺たちの結婚に。
乾杯」
「か、乾杯」
上げられたグラスにあわせ、自分のグラスも少し持ち上げる。
ぐいっと一気に飲み干す彼を見ながら、おそるおそるグラスに口をつけた。
一口飲んでみたけれど、アルコールは感じない。
まだ、油断はできないけど。
そうこうしているうちにサラダが出てきた。
私よりも早くついているフォークとスプーンを取り、蔭木課長が取り分けてくれる。
「どうした?
間抜けな顔して」
くつくつと可笑しそうに肩を揺らして笑われ、途端にかっと顔が熱くなった。
「べ、別に……」
気を落ち着けるようにちびちびとカクテルを飲む。
まさか彼が、こんなことをしてくれるなんて思わなかった。
いままで行った合コンでは、無言で私がこういったことをするように期待されていたのに。
サラダを食べ終わる頃、ラタトゥイユとジャガイモのグラタンが出てきた。
「このジャガイモのグラタンが旨いんだ。
ジャガイモしか入ってないのにな。
出張でフランス行ったときは絶対に食う」
にこにこと本当に嬉しそうに笑いながら、今度も蔭木課長が取り分けてくれる。
「そうだ。
今度、翠も連れていってやろう。
贔屓の店があるんだ。
日本ではこの店が一番旨いが、やはり本場の味にはかなわない」
蔭木課長が好きだというそれは、シンプルな味付けながらジャガイモがとろとろで美味しかった。
さらに味の濃いラタトゥイユと一緒に食べるとあう。
これ、家でもできないかな。
「美味しいです」
「そうだろ!」
ぱーっと蔭木課長の顔が輝いた。
私の知らない彼に、どう反応していいのか悩む。
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