6 / 7
キスマーク
しおりを挟む
何事か話していた男性社員が去り、課長席から眼光鋭く眼鏡の奥から睨まれた途端、なにかやったな、とは悟った。
「二見!」
「は、はい!」
次の瞬間、それだけで切れそうな一ノ瀬課長の声が飛ぶ。
なにかやったけ、とか考えるけど、心当たりが多すぎて特定できない。
「会議室」
くいっ、と彼の顎が部内の会議室を指す。
観念して私は、先に席を立った彼を追った。
「どうしてかわかるか」
私の前に座る一ノ瀬課長は完全に怒っている。
どれのことだかさっぱりわからないが、先にあやまってしまう方が勝ちだと口を開いた。
「コピーに失敗して紙を千枚ほど、無駄にしたことですか」
「それじゃない。
というかそんなことしたのか」
「じゃあ、シュレッダー詰まらせたうえに直そうとして、爆発させてそこら中ゴミだらけにしたことですか」
「それでさっきからお前、動くたびに紙屑が落ちてくるのな……。
が、それでもない」
はぁーっと彼が、深いため息をつく。
「それとも……」
「ちょっと待て。
いくつやらかしてるんだ!?」
「えっと……」
今日やった失敗を指折り数えていたら、またはぁーっと課長がため息をついた。
「……もー、いい」
がっくりと彼のあたまが落ちる。
「お前のそういう失敗、いちいち注意していたらそれだけで一日終わる……」
酷い言われようだとは思うが、それくらい多いのだから仕方ない。
「すみません」
けれど、呼び出されたのがこれらの失敗じゃないということは、いったいなんなんだろう?
「それでな。
……見えてるんだ、ここ」
ちょんちょん、と課長が自分の首筋をつつく。
しかしボートネックカットソーにカーディガンなんてスタイルの、私の首が見えているのは当たり前なわけで。
「だからー、……キスマークが」
途端にボッ!と顔が火を噴く。
そんなことを男性から、しかも課長に報告されていたなんて。
「あの、その、えっと、あの」
朝眠くて、ろくに鏡をチェックしなかった自分を後悔した。
こんなものを晒して仕事をしていたなんて、恥ずかしすぎる。
いったい、何人の人が気付いたんだろう。
早く指摘してくれればいいのに!
「そういうのはちゃんと確かめて隠してこい」
まるで自分は関係ない、そんな口ぶりの課長にカチンときた。
「だ、誰かさんが夜寝かせてくれないから、朝起きられないんです」
「ちゃんと俺は起こしてやっているし、最大限寝られる時間まで寝かせてやってる」
「うっ」
確かにそれは、そうなんだけど。
朝食の準備ができた状態で起こしてくれるし、なんなら、私が食べている間に髪もセットしてくれる。
しかも自分が通勤する車に乗せてくれるから、その間も寝られる。
「で、でも付けたのは一ノ瀬課長なわけで」
「俺が悪いっていうのかよ」
「うっ」
そのかけている、スクエアのブローチックなメタル眼鏡の奥から視線で射られれば、身が竦んだ。
「ちゃんと確認しないお前が悪い」
いや、そういわれればそうなんだけど。
毎回、課長にキスマーク付けられるのはわかっているわけだし。
でも、目立つところに付ける彼も悪くない?
「で、でも」
「お前が俺に逆らおうなんて百年早い」
じわじわと涙が浮いてくる。
いつもそうだ、俺様で、私の言うことなんて無視する。
なんで私、こんな人と付き合ってるんだろ。
口説いてきたのは向こうの方から。
六つ年上で上司。
気に障ったのならパワハラで訴えていい、なんて真面目な顔で言うのがおかしくてOKした。
でも付き合いはじめてから一度も、私の言うことを聞いてくれたことはない。
「……もう別れる」
ぽろっと出たのは、最後のワガママ。
「はぁっ?!ちょっと待て!」
初めて、彼が慌てた。
「なにが悪かったんだ、キスマークならこれから毎朝、俺がチェックしてやる!
夜もできるだけ一回……いや二回……三回で終わらすし、だから」
なんでさりげなく、回数増やしているんですかね?
でも私を引き留めようと必死な課長を見ていたら、ちょっとだけ機嫌は直った。
「約束、してくれますか」
「するする。
だから別れるとか言わないでくれ」
こくこくと彼が壊れた人形みたいに何度も頷く。
これでなにかトドメを刺せば、もしかして今後はもう少し、私の言うことも聞いてくれますかね?
「じゃあ約束、してくださいね……」
課長の肩に手を置き、顔を近付ける。
なにが起こっているのかわかっていない彼は、ぽけっとそのまま座っていた。
襟から出ているその首筋に歯を立てて――噛みついた。
「いてっ!
なにするんだよ!?」
「お返し、です。
さっきの私の気持ち、味わってください」
いつもの課長の笑顔を真似て、右頬だけを歪めて笑ってやる。
「あ、ああ」
眼鏡の奥から少しだけ怯えて彼が私を見ていて、――勝った。
と気分は爽快だった。
ちなみにその後、不自然な場所に貼られた肌色シップをみんなに見られ、一ノ瀬課長はキレるのを必死に我慢していた。
【終】
「二見!」
「は、はい!」
次の瞬間、それだけで切れそうな一ノ瀬課長の声が飛ぶ。
なにかやったけ、とか考えるけど、心当たりが多すぎて特定できない。
「会議室」
くいっ、と彼の顎が部内の会議室を指す。
観念して私は、先に席を立った彼を追った。
「どうしてかわかるか」
私の前に座る一ノ瀬課長は完全に怒っている。
どれのことだかさっぱりわからないが、先にあやまってしまう方が勝ちだと口を開いた。
「コピーに失敗して紙を千枚ほど、無駄にしたことですか」
「それじゃない。
というかそんなことしたのか」
「じゃあ、シュレッダー詰まらせたうえに直そうとして、爆発させてそこら中ゴミだらけにしたことですか」
「それでさっきからお前、動くたびに紙屑が落ちてくるのな……。
が、それでもない」
はぁーっと彼が、深いため息をつく。
「それとも……」
「ちょっと待て。
いくつやらかしてるんだ!?」
「えっと……」
今日やった失敗を指折り数えていたら、またはぁーっと課長がため息をついた。
「……もー、いい」
がっくりと彼のあたまが落ちる。
「お前のそういう失敗、いちいち注意していたらそれだけで一日終わる……」
酷い言われようだとは思うが、それくらい多いのだから仕方ない。
「すみません」
けれど、呼び出されたのがこれらの失敗じゃないということは、いったいなんなんだろう?
「それでな。
……見えてるんだ、ここ」
ちょんちょん、と課長が自分の首筋をつつく。
しかしボートネックカットソーにカーディガンなんてスタイルの、私の首が見えているのは当たり前なわけで。
「だからー、……キスマークが」
途端にボッ!と顔が火を噴く。
そんなことを男性から、しかも課長に報告されていたなんて。
「あの、その、えっと、あの」
朝眠くて、ろくに鏡をチェックしなかった自分を後悔した。
こんなものを晒して仕事をしていたなんて、恥ずかしすぎる。
いったい、何人の人が気付いたんだろう。
早く指摘してくれればいいのに!
「そういうのはちゃんと確かめて隠してこい」
まるで自分は関係ない、そんな口ぶりの課長にカチンときた。
「だ、誰かさんが夜寝かせてくれないから、朝起きられないんです」
「ちゃんと俺は起こしてやっているし、最大限寝られる時間まで寝かせてやってる」
「うっ」
確かにそれは、そうなんだけど。
朝食の準備ができた状態で起こしてくれるし、なんなら、私が食べている間に髪もセットしてくれる。
しかも自分が通勤する車に乗せてくれるから、その間も寝られる。
「で、でも付けたのは一ノ瀬課長なわけで」
「俺が悪いっていうのかよ」
「うっ」
そのかけている、スクエアのブローチックなメタル眼鏡の奥から視線で射られれば、身が竦んだ。
「ちゃんと確認しないお前が悪い」
いや、そういわれればそうなんだけど。
毎回、課長にキスマーク付けられるのはわかっているわけだし。
でも、目立つところに付ける彼も悪くない?
「で、でも」
「お前が俺に逆らおうなんて百年早い」
じわじわと涙が浮いてくる。
いつもそうだ、俺様で、私の言うことなんて無視する。
なんで私、こんな人と付き合ってるんだろ。
口説いてきたのは向こうの方から。
六つ年上で上司。
気に障ったのならパワハラで訴えていい、なんて真面目な顔で言うのがおかしくてOKした。
でも付き合いはじめてから一度も、私の言うことを聞いてくれたことはない。
「……もう別れる」
ぽろっと出たのは、最後のワガママ。
「はぁっ?!ちょっと待て!」
初めて、彼が慌てた。
「なにが悪かったんだ、キスマークならこれから毎朝、俺がチェックしてやる!
夜もできるだけ一回……いや二回……三回で終わらすし、だから」
なんでさりげなく、回数増やしているんですかね?
でも私を引き留めようと必死な課長を見ていたら、ちょっとだけ機嫌は直った。
「約束、してくれますか」
「するする。
だから別れるとか言わないでくれ」
こくこくと彼が壊れた人形みたいに何度も頷く。
これでなにかトドメを刺せば、もしかして今後はもう少し、私の言うことも聞いてくれますかね?
「じゃあ約束、してくださいね……」
課長の肩に手を置き、顔を近付ける。
なにが起こっているのかわかっていない彼は、ぽけっとそのまま座っていた。
襟から出ているその首筋に歯を立てて――噛みついた。
「いてっ!
なにするんだよ!?」
「お返し、です。
さっきの私の気持ち、味わってください」
いつもの課長の笑顔を真似て、右頬だけを歪めて笑ってやる。
「あ、ああ」
眼鏡の奥から少しだけ怯えて彼が私を見ていて、――勝った。
と気分は爽快だった。
ちなみにその後、不自然な場所に貼られた肌色シップをみんなに見られ、一ノ瀬課長はキレるのを必死に我慢していた。
【終】
25
あなたにおすすめの小説
○と□~丸い課長と四角い私~
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
佐々鳴海。
会社員。
職場の上司、蔵田課長とは犬猿の仲。
水と油。
まあ、そんな感じ。
けれどそんな私たちには秘密があるのです……。
******
6話完結。
毎日21時更新。
大嫌いな歯科医は変態ドS眼鏡!
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
……歯が痛い。
でも、歯医者は嫌いで痛み止めを飲んで我慢してた。
けれど虫歯は歯医者に行かなきゃ治らない。
同僚の勧めで痛みの少ない治療をすると評判の歯科医に行ったけれど……。
そこにいたのは変態ドS眼鏡の歯科医だった!?
19時、駅前~俺様上司の振り回しラブ!?~
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
【19時、駅前。片桐】
その日、机の上に貼られていた付箋に戸惑った。
片桐っていうのは隣の課の俺様課長、片桐課長のことでいいんだと思う。
でも私と片桐課長には、同じ営業部にいるってこと以外、なにも接点がない。
なのに、この呼び出しは一体、なんですか……?
笹岡花重
24歳、食品卸会社営業部勤務。
真面目で頑張り屋さん。
嫌と言えない性格。
あとは平凡な女子。
×
片桐樹馬
29歳、食品卸会社勤務。
3課課長兼部長代理
高身長・高学歴・高収入と昔の三高を満たす男。
もちろん、仕事できる。
ただし、俺様。
俺様片桐課長に振り回され、私はどうなっちゃうの……!?
社内恋愛~○と□~
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
一年越しの片想いが実り、俺は彼女と付き合い始めたのだけれど。
彼女はなぜか、付き合っていることを秘密にしたがる。
別に社内恋愛は禁止じゃないし、話していいと思うんだが。
それに最近、可愛くなった彼女を狙っている奴もいて苛つく。
そんな中、迎えた慰安旅行で……。
『○と□~丸課長と四角い私~』蔵田課長目線の続編!
濃厚接触、したい
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
とうとう我が社でもテレワークがはじまったのはいいんだけど。
いつも無表情、きっと表情筋を前世に忘れてきた課長が。
課長がー!!
このギャップ萌え、どうしてくれよう……?
******
2020/04/30 公開
******
表紙画像 Photo by Henry & Co. on Unsplash
Promise Ring
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
浅井夕海、OL。
下請け会社の社長、多賀谷さんを社長室に案内する際、ふたりっきりのエレベーターで突然、うなじにキスされました。
若くして独立し、業績も上々。
しかも独身でイケメン、そんな多賀谷社長が地味で無表情な私なんか相手にするはずなくて。
なのに次きたとき、やっぱりふたりっきりのエレベーターで……。
甘い失恋
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
私は今日、2年間務めた派遣先の会社の契約を終えた。
重い荷物を抱えエレベーターを待っていたら、上司の梅原課長が持ってくれた。
ふたりっきりのエレベター、彼の後ろ姿を見ながらふと思う。
ああ、私は――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる