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キスマーク

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何事か話していた男性社員が去り、課長席から眼光鋭く眼鏡の奥から睨まれた途端、なにかやったな、とは悟った。

二見ふたみ!」

「は、はい!」

次の瞬間、それだけで切れそうな一ノ瀬いちのせ課長の声が飛ぶ。
なにかやったけ、とか考えるけど、心当たりが多すぎて特定できない。

「会議室」

くいっ、と彼の顎が部内の会議室を指す。
観念して私は、先に席を立った彼を追った。

「どうしてかわかるか」

私の前に座る一ノ瀬課長は完全に怒っている。
どれのことだかさっぱりわからないが、先にあやまってしまう方が勝ちだと口を開いた。

「コピーに失敗して紙を千枚ほど、無駄にしたことですか」

「それじゃない。
というかそんなことしたのか」

「じゃあ、シュレッダー詰まらせたうえに直そうとして、爆発させてそこら中ゴミだらけにしたことですか」

「それでさっきからお前、動くたびに紙屑が落ちてくるのな……。
が、それでもない」

はぁーっと彼が、深いため息をつく。

「それとも……」

「ちょっと待て。
いくつやらかしてるんだ!?」

「えっと……」

今日やった失敗を指折り数えていたら、またはぁーっと課長がため息をついた。

「……もー、いい」

がっくりと彼のあたまが落ちる。

「お前のそういう失敗、いちいち注意していたらそれだけで一日終わる……」

酷い言われようだとは思うが、それくらい多いのだから仕方ない。

「すみません」

けれど、呼び出されたのがこれらの失敗じゃないということは、いったいなんなんだろう?
「それでな。
……見えてるんだ、ここ」

ちょんちょん、と課長が自分の首筋をつつく。
しかしボートネックカットソーにカーディガンなんてスタイルの、私の首が見えているのは当たり前なわけで。

「だからー、……キスマークが」

途端にボッ!と顔が火を噴く。
そんなことを男性から、しかも課長に報告されていたなんて。

「あの、その、えっと、あの」

朝眠くて、ろくに鏡をチェックしなかった自分を後悔した。
こんなものを晒して仕事をしていたなんて、恥ずかしすぎる。
いったい、何人の人が気付いたんだろう。
早く指摘してくれればいいのに!
「そういうのはちゃんと確かめて隠してこい」

まるで自分は関係ない、そんな口ぶりの課長にカチンときた。

「だ、誰かさんが夜寝かせてくれないから、朝起きられないんです」

「ちゃんと俺は起こしてやっているし、最大限寝られる時間まで寝かせてやってる」

「うっ」

確かにそれは、そうなんだけど。
朝食の準備ができた状態で起こしてくれるし、なんなら、私が食べている間に髪もセットしてくれる。
しかも自分が通勤する車に乗せてくれるから、その間も寝られる。

「で、でも付けたのは一ノ瀬課長なわけで」

「俺が悪いっていうのかよ」

「うっ」

そのかけている、スクエアのブローチックなメタル眼鏡の奥から視線で射られれば、身が竦んだ。

「ちゃんと確認しないお前が悪い」

いや、そういわれればそうなんだけど。
毎回、課長にキスマーク付けられるのはわかっているわけだし。
でも、目立つところに付ける彼も悪くない?
「で、でも」

「お前が俺に逆らおうなんて百年早い」

じわじわと涙が浮いてくる。
いつもそうだ、俺様で、私の言うことなんて無視する。
なんで私、こんな人と付き合ってるんだろ。
口説いてきたのは向こうの方から。
六つ年上で上司。
気に障ったのならパワハラで訴えていい、なんて真面目な顔で言うのがおかしくてOKした。
でも付き合いはじめてから一度も、私の言うことを聞いてくれたことはない。

「……もう別れる」

ぽろっと出たのは、最後のワガママ。

「はぁっ?!ちょっと待て!」

初めて、彼が慌てた。

「なにが悪かったんだ、キスマークならこれから毎朝、俺がチェックしてやる!
夜もできるだけ一回……いや二回……三回で終わらすし、だから」

なんでさりげなく、回数増やしているんですかね?
でも私を引き留めようと必死な課長を見ていたら、ちょっとだけ機嫌は直った。

「約束、してくれますか」

「するする。
だから別れるとか言わないでくれ」

こくこくと彼が壊れた人形みたいに何度も頷く。
これでなにかトドメを刺せば、もしかして今後はもう少し、私の言うことも聞いてくれますかね?
「じゃあ約束、してくださいね……」

課長の肩に手を置き、顔を近付ける。
なにが起こっているのかわかっていない彼は、ぽけっとそのまま座っていた。
襟から出ているその首筋に歯を立てて――噛みついた。

「いてっ!
なにするんだよ!?」

「お返し、です。
さっきの私の気持ち、味わってください」

いつもの課長の笑顔を真似て、右頬だけを歪めて笑ってやる。

「あ、ああ」

眼鏡の奥から少しだけ怯えて彼が私を見ていて、――勝った。
と気分は爽快だった。

ちなみにその後、不自然な場所に貼られた肌色シップをみんなに見られ、一ノ瀬課長はキレるのを必死に我慢していた。


【終】
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