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そのとき、恋って突然落ちるものだと知った。
……ああ、この人が好きだ。
自覚した途端、一気に世界が輝いていった。
でも、同時に不安になる。
きっとこの人は、私を好きにはなってくれない。
その証拠に彼の左手薬指には、指環が光っていた。
菅野課長を食事に誘ったのは、ただ単にお礼だった。
「別によかったのに」
笑いながら彼が、私の前の席に座る。
「いえ。
それでは私の気が済みませんので」
つい先日、私は大きなミスを犯すところだった。
課長が気づいて、適切に処理してくれなければ、会社に大きな損害を出していかもしれない。
だからこうやって、課長を食事に招待するのは当然なのだ。
「じゃあ、遠慮なく」
店員が置いたメニューを、課長が開く。
「なんにする?
肉盛り合わせは絶対だよね」
「そうですね……」
一緒にメニューをのぞき込む。
招待したのは私のはずなのに、課長は私に苦手なものはないかとか聞き、気遣ってくれた。
センター分けにされた、さらさらのミドルヘア。
涼やかな目もとを、銀縁スクエアの眼鏡が引き立てる。
ちょうどいい厚さの唇は、キスしたら気持ちよさそうだ。
年もまだ三十二歳とそこそこ若く、こうやって細やかな気遣いのできる彼はモテそうだが、実際は女性社員には恋愛対象から外されていた。
――その理由は。
「じゃあ、お疲れ」
「お疲れ様です」
届いたビールで軽く乾杯。
喉が渇いていたのか、課長は半分まで一気に飲んだ。
「でもよかったね、上手くいって」
課長が私を見て、にっこりと微笑む。
「菅野課長が気づいてくれたおかげです」
彼に向かって勢いよく頭を下げた。
もし課長が私のミスに気づいてくれなければ今頃、会社を追われていたかもしれない。
課長にはもう、感謝してもしきれない。
「僕はなにもしてないよ。
ミスがわかってから桜井が頑張った結果だし」
笑いながら彼は、前菜代わりに取ったサラダを食べている。
嘘だ、課長の手助けがあったからこそ、適切に処理して挽回できた。
でも、課長はいつもそうなのだ。
僕はなにもしてない、君が頑張った結果だよって部下に功績を譲ってくれる。
そういう課長だから、みんなから慕われていた。
その後も適当な話をしながら、飲んで食べる。
「桜井はよく食べるね」
「そう、ですか……?」
私は食べるのが好きなのだ。
我慢するくらいならその分、運動する主義だったりする。
「うん。
桜井を見ていたら、満智を思い出すな……」
そこにいない彼女を見ているかのごとく、眼鏡の奥で課長の目がうっとりと細くなる。
満智とは彼の、奥様のことだ。
「そう、ですか」
「うん」
彼は嬉しそうに頷いたが、私は複雑な心境だった。
課長の奥様は一年前に病気で亡くなり、ほんの少し前に一周忌が終わったところだ。
しかし彼はまだ奥様が忘れられないらしく、その左手薬指には結婚指環が光っている。
メインの肉盛り合わせを食べおわり、ほどよくお腹も満たされる。
「私はデザートを取ろうと思いますけど、菅野課長はどうします?」
「そーだねー」
私が開いたメニューを、課長も一緒になってのぞき込む。
「あ、パフェがあるんだ、ここ」
デザートメニューのページには美味しそうなパフェが四種類ほど、並んでいた。
もしかして奥様がパフェが好きだったとか言うのかと思ったものの。
「……あの、さ」
言いにくそうに課長が上目遣いで私をうかがう。
「僕がパフェ頼んでも、笑わない?」
「え?」
意外な言葉に思わず、何度か瞬きしてしまった。
もしかして、奥様が好きだったから食べたい、とかなのかな。
「別に笑いませんが」
「よかったー」
胸に手を当て、課長が安堵の表情を浮かべる。
「僕がパフェが好きだなんて、意外すぎるってよく満智に笑われていたんだよね」
確かにこの爽やかイケメンの課長がパフェ好きなのは意外だけれど、それ以上に。
この、可愛い生き物はなんですか!?そんな、照れたように笑わないでください!いつもとのギャップが過ぎて、無駄にドキドキしてしまった。
少しして、頼んだパフェが出てくる。
よっぽど好きなのか、課長はいちごパフェを前にしてにこにこしっぱなだしだ。
スプーンを握り、クリームごとてっぺんにのるいちごを掬ってぱくりとひとくちで食べた瞬間。
「おいしー」
眼鏡の奥で目尻を下げ、実に締まらない顔でふにゃんと彼が笑う。
その顔に。
――心臓がとくんと甘く鼓動した。
……ああ、私は菅野課長が好きだ。
途端にそう、自覚した。
いつもはキリッとしている課長が見せる、気の抜けた顔。
こんなのに見せられて、恋に落ちるなってほうが難しい。
赤くなっているであろう顔には気づかれたくなくて、俯き無言でチョコレートパフェをつつく。
……もっと課長の、こんな顔が見たい。
できれば私が、独占したい。
しかしそれは、叶わぬ夢なのだ。
だって彼には忘れられない奥様がいて、いまだに左手薬指で彼を縛っている。
「ひさしぶりにパフェとか食べたよ、満足だ」
やはり課長は嬉しそうににこにこ笑っている。
その笑顔はとても眩しかったけれど、同時に私の胸をギリギリと締め付けた。
「……課長は」
きっと私は今、言ってはいけないことを言おうとしている。
わかっているのに、口は止まらない。
「いつまで亡くなった奥様に、縛られているんですか?もう一周忌も終わったんですし、忘れてもいいんじゃないですか」
みるみる課長の顔が泣きだしそうに歪んでいく。
それを見て自分の失言を悟ったが、いまさらなかったことにはできない。
「……満智の存在は、さ」
顔を上げた彼は、真っ直ぐに私を見た。
「僕の魂に刻み込まれているから、忘れるとしたら僕が死ぬしかないんだよ」
彼の長い指が、自分の心臓をとん、と指す。
その顔は困っているようにも、つらそうにも見えた。
「……忘れたいとは思わないんですか」
「んー、思うもなにも、もう忘れるとか無理だからね」
笑う課長の本心は、私には少しもわからなかった。
私が菅野課長を食事に招待したはずなのに、支払いは彼がしてくれた。
「頑張った桜井にご褒美だよ」
「でも、これは私がお詫びとお礼に課長を誘ったわけですし」
財布を出そうとする私を、課長が押し止めた。
「おかげでひさしぶりにパフェとか食べられたし、満智のことも思い出したから、満足だよ」
などと課長は笑っているが、私は彼につらい言葉を言わせてしまったので反対に申し訳なくなった。
「じゃあ、気をつけて帰ってね」
「あの!」
店を出て別れようとする彼を止める。
「また一緒に、パフェを食べに行きませんか!?」
足を止めて振り返った課長は、驚いたように目を大きく見開いていた。
「それは助かるね。
じゃあ、また明日」
ひらひらと手を振りながら去っていく彼の背中に、頭を下げる。
菅野課長が私を好きになってくれるなんて、期待するだけ無駄だ。
でも、あの可愛い笑顔を今、独占するくらいいいよね?
「あ、これいいかも」
休みの日、ニャンスタで美味しそうなパフェの情報を見つけて、早速、菅野課長にメッセージを送ってシェアする。
【今度、一緒に行きませんか】
しばらく見つめたけれど、既読にはならない。
諦めて、他にもなにかないか、SNSのチェックを始めた。
あれから私は、菅野課長とたまに一緒にパフェを食べに行っていた。
毎回、課長は「おいしー」とふにゃふにゃ笑っている。
その笑顔を見られるだけで幸せだったし、どんどん彼を好きになっていった。
でも同時に、どんなに私が好きになっても、課長は私のもになってくれないのだと、毎回その左手薬指に嵌まる指環が自覚させ、悲しくなった。
その日も私は菅野課長と、パフェを食べに来ていた。
「おいしいねー」
パフェを食べた課長が、今日も幸せそうにふにゃんと笑う。
それに私の心もほっこり温かくなった。
「そーですねー」
これで左手薬指の指環がなければ最高……って。
「菅野課長。
結婚指環はどうしたんですか?」
「あー……」
ちらりと彼の視線が、自身の左手に向く。
その薬指には指環が嵌まっていなかった。
「……なくした」
斜め下を向いたまま、課長は人差し指でぽりぽりと頬を掻いているけれど。
「は?」
今、この人、大事な結婚指環をなくしたとか言いましたか?
「漂白剤使うんで外して置いておいんだけど、弾みでテーブルの上から落ちて。
探したんだけど、見つからないんだ……」
はぁーっと物憂げなため息が、彼の口から落ちていく。
「大変じゃないですか!」
これはパフェなんて食べている場合ではないのでは?
普通の夫婦なら奥様に謝り倒して新しく買い替えられるが、菅野課長は無理なのだ。
「すぐに探しましょう!」
「……え?」
なぜか、課長は驚いたように私を見ている。
「桜井が探そうと言ってくれるとは思わなかったな」
今度は、私が驚く番だった。
「そりゃ、あの結婚指環が菅野課長にとって大事なものだって知ってますから……」
「おかげでますます、僕はどうしていいのかわからなくなった……」
私を無視して話を続け、再び課長が物憂げにため息を落とす。
「僕はね、桜井」
顔を上げた課長が、眼鏡越しに真っ直ぐに私を見る。
「指環を探すよりも、君とのパフェを優先したんだ」
「……そんなにパフェが食べたかったんですか」
今度、彼がついたため息は、あきらかに先程までと質が違っていた。
「そうだね。
桜井とパフェが食べたかったんだ」
今、〝桜井と〟と強調されたように感じたが、気のせいだろうか。
「僕のここには満智がいるから、無理だって思ってる」
とんとん、と指先で課長が、自身の胸を叩く。
「なのに、僕が結婚指環をなくしたと知って、桜井は探そうって言ってくれるんだもんな……」
困ったように課長が笑う。
そういう顔をしてこれ以上、私を惑わすのはやめてほしい。
「あの。
さきほどから菅野課長は、なにが言いたいんでしょうか」
私とパフェが食べたかったとか、満智さんがいるから無理だとか。
私にはさっぱり理解ができない。
「……そう、だね。
僕の一方的な話を聞かされても、困るよね」
課長の視線が下を向く。
そのまま彼は黙々と残りのパフェを食べていた。
そのあいだにぐるぐると、課長がなにを言いたいのか考える。
すると唐突に、ひとつの考えにたどり着いた。
でも、これって……。
「……菅野課長は私に好意を抱いている、ということでしょうか」
返事の代わりなのか、空になったパフェグラスに彼がスプーンを投げ入れ、カランと軽い音が鳴る。
「反対に聞くけど。
桜井は僕に対して、好意を抱いているよね?」
じっと彼が私を見つめる。
その瞳は嘘をついても見透かされそうで、正直に肯定の返事をした。
「……はい」
「だから、結婚指環を探そうと言ってくれて、嬉しかったんだ」
ふっと嬉しそうに課長が口もとを緩める。
「だって菅野課長にとって満智さんは、とても大事な人なのはわかっていますから」
だからこそ私は、課長の可愛い笑顔を見られるだけで満足しようと決めたのだ。
「そうだ、満智は僕の魂に刻まれている。
もし、桜井を好きになったとしても、常に満智と比べてしまう。
だから君の気持ちには応えられない」
どうして課長はこんなに苦しそうなんだろう。
まるで私を傷つけたくないから、遠ざけるみたいな。
「菅野課長」
真っ直ぐに課長の目を、レンズを挟んで見つめる。
「このあいだ、有名人がやってるのでたまたま知ったんですけど。
もともと入ってるタトゥーの上から別のタトゥーを入れて、新しい絵にしてしまうことができるそうなんです」
課長の瞳は不安そうに揺れていた。
それを安心させるように微笑んでみせる。
「だから私が、満智さんの上から私を刻んで、新しい菅野課長にしてはいけませんか」
手を伸ばし、テーブルの上にある彼の手を掴む。
「できるかな、そんなこと」
すぐに課長が、指を絡めて握り直してきた。
「できますよ、きっと」
「そうだね」
やっと笑ってくれた彼の目には、涙が光っていた。
満智さんと比べられたって、気にしない。
それよりも、もっとずっと彼を幸せにして、私でいっぱいにするほうが、建設的じゃないか。
そしていつか。
課長の魂に新しく、私って絵を完成させる。
【終】
……ああ、この人が好きだ。
自覚した途端、一気に世界が輝いていった。
でも、同時に不安になる。
きっとこの人は、私を好きにはなってくれない。
その証拠に彼の左手薬指には、指環が光っていた。
菅野課長を食事に誘ったのは、ただ単にお礼だった。
「別によかったのに」
笑いながら彼が、私の前の席に座る。
「いえ。
それでは私の気が済みませんので」
つい先日、私は大きなミスを犯すところだった。
課長が気づいて、適切に処理してくれなければ、会社に大きな損害を出していかもしれない。
だからこうやって、課長を食事に招待するのは当然なのだ。
「じゃあ、遠慮なく」
店員が置いたメニューを、課長が開く。
「なんにする?
肉盛り合わせは絶対だよね」
「そうですね……」
一緒にメニューをのぞき込む。
招待したのは私のはずなのに、課長は私に苦手なものはないかとか聞き、気遣ってくれた。
センター分けにされた、さらさらのミドルヘア。
涼やかな目もとを、銀縁スクエアの眼鏡が引き立てる。
ちょうどいい厚さの唇は、キスしたら気持ちよさそうだ。
年もまだ三十二歳とそこそこ若く、こうやって細やかな気遣いのできる彼はモテそうだが、実際は女性社員には恋愛対象から外されていた。
――その理由は。
「じゃあ、お疲れ」
「お疲れ様です」
届いたビールで軽く乾杯。
喉が渇いていたのか、課長は半分まで一気に飲んだ。
「でもよかったね、上手くいって」
課長が私を見て、にっこりと微笑む。
「菅野課長が気づいてくれたおかげです」
彼に向かって勢いよく頭を下げた。
もし課長が私のミスに気づいてくれなければ今頃、会社を追われていたかもしれない。
課長にはもう、感謝してもしきれない。
「僕はなにもしてないよ。
ミスがわかってから桜井が頑張った結果だし」
笑いながら彼は、前菜代わりに取ったサラダを食べている。
嘘だ、課長の手助けがあったからこそ、適切に処理して挽回できた。
でも、課長はいつもそうなのだ。
僕はなにもしてない、君が頑張った結果だよって部下に功績を譲ってくれる。
そういう課長だから、みんなから慕われていた。
その後も適当な話をしながら、飲んで食べる。
「桜井はよく食べるね」
「そう、ですか……?」
私は食べるのが好きなのだ。
我慢するくらいならその分、運動する主義だったりする。
「うん。
桜井を見ていたら、満智を思い出すな……」
そこにいない彼女を見ているかのごとく、眼鏡の奥で課長の目がうっとりと細くなる。
満智とは彼の、奥様のことだ。
「そう、ですか」
「うん」
彼は嬉しそうに頷いたが、私は複雑な心境だった。
課長の奥様は一年前に病気で亡くなり、ほんの少し前に一周忌が終わったところだ。
しかし彼はまだ奥様が忘れられないらしく、その左手薬指には結婚指環が光っている。
メインの肉盛り合わせを食べおわり、ほどよくお腹も満たされる。
「私はデザートを取ろうと思いますけど、菅野課長はどうします?」
「そーだねー」
私が開いたメニューを、課長も一緒になってのぞき込む。
「あ、パフェがあるんだ、ここ」
デザートメニューのページには美味しそうなパフェが四種類ほど、並んでいた。
もしかして奥様がパフェが好きだったとか言うのかと思ったものの。
「……あの、さ」
言いにくそうに課長が上目遣いで私をうかがう。
「僕がパフェ頼んでも、笑わない?」
「え?」
意外な言葉に思わず、何度か瞬きしてしまった。
もしかして、奥様が好きだったから食べたい、とかなのかな。
「別に笑いませんが」
「よかったー」
胸に手を当て、課長が安堵の表情を浮かべる。
「僕がパフェが好きだなんて、意外すぎるってよく満智に笑われていたんだよね」
確かにこの爽やかイケメンの課長がパフェ好きなのは意外だけれど、それ以上に。
この、可愛い生き物はなんですか!?そんな、照れたように笑わないでください!いつもとのギャップが過ぎて、無駄にドキドキしてしまった。
少しして、頼んだパフェが出てくる。
よっぽど好きなのか、課長はいちごパフェを前にしてにこにこしっぱなだしだ。
スプーンを握り、クリームごとてっぺんにのるいちごを掬ってぱくりとひとくちで食べた瞬間。
「おいしー」
眼鏡の奥で目尻を下げ、実に締まらない顔でふにゃんと彼が笑う。
その顔に。
――心臓がとくんと甘く鼓動した。
……ああ、私は菅野課長が好きだ。
途端にそう、自覚した。
いつもはキリッとしている課長が見せる、気の抜けた顔。
こんなのに見せられて、恋に落ちるなってほうが難しい。
赤くなっているであろう顔には気づかれたくなくて、俯き無言でチョコレートパフェをつつく。
……もっと課長の、こんな顔が見たい。
できれば私が、独占したい。
しかしそれは、叶わぬ夢なのだ。
だって彼には忘れられない奥様がいて、いまだに左手薬指で彼を縛っている。
「ひさしぶりにパフェとか食べたよ、満足だ」
やはり課長は嬉しそうににこにこ笑っている。
その笑顔はとても眩しかったけれど、同時に私の胸をギリギリと締め付けた。
「……課長は」
きっと私は今、言ってはいけないことを言おうとしている。
わかっているのに、口は止まらない。
「いつまで亡くなった奥様に、縛られているんですか?もう一周忌も終わったんですし、忘れてもいいんじゃないですか」
みるみる課長の顔が泣きだしそうに歪んでいく。
それを見て自分の失言を悟ったが、いまさらなかったことにはできない。
「……満智の存在は、さ」
顔を上げた彼は、真っ直ぐに私を見た。
「僕の魂に刻み込まれているから、忘れるとしたら僕が死ぬしかないんだよ」
彼の長い指が、自分の心臓をとん、と指す。
その顔は困っているようにも、つらそうにも見えた。
「……忘れたいとは思わないんですか」
「んー、思うもなにも、もう忘れるとか無理だからね」
笑う課長の本心は、私には少しもわからなかった。
私が菅野課長を食事に招待したはずなのに、支払いは彼がしてくれた。
「頑張った桜井にご褒美だよ」
「でも、これは私がお詫びとお礼に課長を誘ったわけですし」
財布を出そうとする私を、課長が押し止めた。
「おかげでひさしぶりにパフェとか食べられたし、満智のことも思い出したから、満足だよ」
などと課長は笑っているが、私は彼につらい言葉を言わせてしまったので反対に申し訳なくなった。
「じゃあ、気をつけて帰ってね」
「あの!」
店を出て別れようとする彼を止める。
「また一緒に、パフェを食べに行きませんか!?」
足を止めて振り返った課長は、驚いたように目を大きく見開いていた。
「それは助かるね。
じゃあ、また明日」
ひらひらと手を振りながら去っていく彼の背中に、頭を下げる。
菅野課長が私を好きになってくれるなんて、期待するだけ無駄だ。
でも、あの可愛い笑顔を今、独占するくらいいいよね?
「あ、これいいかも」
休みの日、ニャンスタで美味しそうなパフェの情報を見つけて、早速、菅野課長にメッセージを送ってシェアする。
【今度、一緒に行きませんか】
しばらく見つめたけれど、既読にはならない。
諦めて、他にもなにかないか、SNSのチェックを始めた。
あれから私は、菅野課長とたまに一緒にパフェを食べに行っていた。
毎回、課長は「おいしー」とふにゃふにゃ笑っている。
その笑顔を見られるだけで幸せだったし、どんどん彼を好きになっていった。
でも同時に、どんなに私が好きになっても、課長は私のもになってくれないのだと、毎回その左手薬指に嵌まる指環が自覚させ、悲しくなった。
その日も私は菅野課長と、パフェを食べに来ていた。
「おいしいねー」
パフェを食べた課長が、今日も幸せそうにふにゃんと笑う。
それに私の心もほっこり温かくなった。
「そーですねー」
これで左手薬指の指環がなければ最高……って。
「菅野課長。
結婚指環はどうしたんですか?」
「あー……」
ちらりと彼の視線が、自身の左手に向く。
その薬指には指環が嵌まっていなかった。
「……なくした」
斜め下を向いたまま、課長は人差し指でぽりぽりと頬を掻いているけれど。
「は?」
今、この人、大事な結婚指環をなくしたとか言いましたか?
「漂白剤使うんで外して置いておいんだけど、弾みでテーブルの上から落ちて。
探したんだけど、見つからないんだ……」
はぁーっと物憂げなため息が、彼の口から落ちていく。
「大変じゃないですか!」
これはパフェなんて食べている場合ではないのでは?
普通の夫婦なら奥様に謝り倒して新しく買い替えられるが、菅野課長は無理なのだ。
「すぐに探しましょう!」
「……え?」
なぜか、課長は驚いたように私を見ている。
「桜井が探そうと言ってくれるとは思わなかったな」
今度は、私が驚く番だった。
「そりゃ、あの結婚指環が菅野課長にとって大事なものだって知ってますから……」
「おかげでますます、僕はどうしていいのかわからなくなった……」
私を無視して話を続け、再び課長が物憂げにため息を落とす。
「僕はね、桜井」
顔を上げた課長が、眼鏡越しに真っ直ぐに私を見る。
「指環を探すよりも、君とのパフェを優先したんだ」
「……そんなにパフェが食べたかったんですか」
今度、彼がついたため息は、あきらかに先程までと質が違っていた。
「そうだね。
桜井とパフェが食べたかったんだ」
今、〝桜井と〟と強調されたように感じたが、気のせいだろうか。
「僕のここには満智がいるから、無理だって思ってる」
とんとん、と指先で課長が、自身の胸を叩く。
「なのに、僕が結婚指環をなくしたと知って、桜井は探そうって言ってくれるんだもんな……」
困ったように課長が笑う。
そういう顔をしてこれ以上、私を惑わすのはやめてほしい。
「あの。
さきほどから菅野課長は、なにが言いたいんでしょうか」
私とパフェが食べたかったとか、満智さんがいるから無理だとか。
私にはさっぱり理解ができない。
「……そう、だね。
僕の一方的な話を聞かされても、困るよね」
課長の視線が下を向く。
そのまま彼は黙々と残りのパフェを食べていた。
そのあいだにぐるぐると、課長がなにを言いたいのか考える。
すると唐突に、ひとつの考えにたどり着いた。
でも、これって……。
「……菅野課長は私に好意を抱いている、ということでしょうか」
返事の代わりなのか、空になったパフェグラスに彼がスプーンを投げ入れ、カランと軽い音が鳴る。
「反対に聞くけど。
桜井は僕に対して、好意を抱いているよね?」
じっと彼が私を見つめる。
その瞳は嘘をついても見透かされそうで、正直に肯定の返事をした。
「……はい」
「だから、結婚指環を探そうと言ってくれて、嬉しかったんだ」
ふっと嬉しそうに課長が口もとを緩める。
「だって菅野課長にとって満智さんは、とても大事な人なのはわかっていますから」
だからこそ私は、課長の可愛い笑顔を見られるだけで満足しようと決めたのだ。
「そうだ、満智は僕の魂に刻まれている。
もし、桜井を好きになったとしても、常に満智と比べてしまう。
だから君の気持ちには応えられない」
どうして課長はこんなに苦しそうなんだろう。
まるで私を傷つけたくないから、遠ざけるみたいな。
「菅野課長」
真っ直ぐに課長の目を、レンズを挟んで見つめる。
「このあいだ、有名人がやってるのでたまたま知ったんですけど。
もともと入ってるタトゥーの上から別のタトゥーを入れて、新しい絵にしてしまうことができるそうなんです」
課長の瞳は不安そうに揺れていた。
それを安心させるように微笑んでみせる。
「だから私が、満智さんの上から私を刻んで、新しい菅野課長にしてはいけませんか」
手を伸ばし、テーブルの上にある彼の手を掴む。
「できるかな、そんなこと」
すぐに課長が、指を絡めて握り直してきた。
「できますよ、きっと」
「そうだね」
やっと笑ってくれた彼の目には、涙が光っていた。
満智さんと比べられたって、気にしない。
それよりも、もっとずっと彼を幸せにして、私でいっぱいにするほうが、建設的じゃないか。
そしていつか。
課長の魂に新しく、私って絵を完成させる。
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