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第1章 出会い
1-1.プロポーズ
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待ち合わせ場所に早く着いたのか、ふたりはまだきていなかった。
携帯をいじりながら、つい、左手に視線がいってしまう。
「なあに、にやにやしちゃって気持ち悪い」
「えっ、あっ、いつからいたの!?」
慌てて左手から視線を外すと、呆れ顔の利香が立っていた。
「いまきたとこだけど。
……そんなに嬉しい、それ?」
「……うん」
改めて指摘され、顔が熱くなってくる。
……見つめていたのは、薬指の指環。
「はいはい、ごちそうさま。
……翔。
私も欲しいな」
「そうだね。
思いっきりロマンチックにするつもりだから、もうちょっとだけ待っててね」
「かけるー」
人のことは言えないほどに、いちゃいちゃしているふたりに苦笑い。
利香も翔も高校時代からの友人だ。
「で?
沙也加、ほんとにいいの?
沙也加が欲しいランクの奴だと、安い中古車買えちゃうくらいだし、下手したら新車の軽自動車くらい買えちゃうよ」
心配そうに翔が私の顔を覗き込む。
……でも。
「うん。いい。
次、引っ越すときのために貯めてたお金、いらなくなったし」
「わかった。
じゃあ、行こうか」
手を繋いで歩く、利香と翔について歩く。
――でも。
この買い物があんなことになるなんて。
少し前の休日。
私は一年ほど前から付き合っている五歳年上の彼氏、悠生に行き先も告げられないまま車に押し込められた。
悠生はなんだか不機嫌で、どこに連れて行かれるのか不安になる。
気まずい沈黙の中、車は気がついたら福岡市内では高級住宅の多い、桜坂に入っていた。
停められた高級新築マンション。
無言で入っていく悠生の後を追う。
なんの説明もないまま開けられたのは、最上階のまだなにもないがらんとした、部屋。
「……買った」
「えっ、あ、うん。
……そう」
金持ちの考えることはわからない。
きっと悠生の言うことだから、現金一括。
悠生の実家は福岡では有名な大手不動産屋だ。
悠生自身は、家にいろいろ不満があって次期社長という地位を蹴り、自分で経営コンサルタント会社の経営なんかしているので、関係ないといえば関係ないけど。
しかしそれが大変成功していて、やっぱり金持ちだってことには変わりない。
「いまのマンション、このあいだ地震がきたとき、揺れて怖がってただろ?
だからこっちを買った」
「……はい。
ありがとうございマス」
ええ、確かに。
タワーマンションの高層階、そんなに大きな地震じゃなかったとはいえ、怖かったです。
……でも、そんな理由で?
「……で?
引っ越し、いつにする?」
「……はい?」
「いつにするかって聞いてるんだ」
ううっ。
怒られた。
悠生は若干、苛ついているけど。
「なんで私に聞くの?」
……はぁーっ、大きなため息を落とし、眼鏡を軽く押さえて悠生があたまを振った。
「一緒に暮らすからだ」
「えっと。
誰と、誰が?」
「君と、僕が」
「どこで?」
「ここで」
えーっと。
えーっと。
えーっと……。
「ああ!
どう……」
「違う!」
最後まで言わせないで、全力で否定された。
うーん、じゃあ、なに?
「……君のその鈍さは。
呆れるを通り越して、称賛に値するな」
いや、それってぜんぜん褒めていないですよね?
だって、わかんないもんはわかんないですもん。
「いくら僕でも。
同棲するためだけにマンションなんか買ったりしない」
えーっと。
同棲じゃなくて、でも一緒に住む……?
ん?
んんん?
……えっと。
これって、もしかして、……そういうこと、ですか?
「やっとわかったか」
熱くなった顔で黙って頷く。
「で?
返事は?」
「……よろしくお願いします」
ニヤリ、片頬があがった悠生に左手をとられた。
なにするんだろ、そう思っていたら、薬指には指環。
何度か指環と悠生の顔のあいだに、視線を往復させた。
赤い顔で、悠生は怒っている。
けど、そこにはちゃんと、嬉しいって書いてあって。
容量オーバーになって私はとうとう、あたまから湯気を出しながらその場にへたり込んだ。
それからもう毎日、指環を見てはにやついている。
だって、まさか悠生から、プロポーズされる日が来るなんて思っていなかったから。
そもそも悠生と知り合ったのは、私が勤める会社に悠生が仕事できたからだ。
頼まれて、お茶出しして。
間抜けにも私はカーペットのわずかな段差に躓き、悠生――このころは下坂さんにあたまからお茶を浴びせた。
「す、すみません!」
「……」
慌ててタオルと氷を持ってくると、ひったくられた。
「自分でやるからいいです」
「すみません、でした。
お怪我は、なかったです、か?
その、やけど、とか」
「大丈夫です」
上司は真っ青になって、遙か年下の下坂さんにペコペコあたまを下げている。
と、いうかその人そんなに偉いの!?
私、もしかしてクビ!?
「スーツのクリーニング代は、弁償させて、いただきます、ので」
「結構です」
銀縁眼鏡にかかったお茶を拭いて、再びかけた下坂さんの額には、確実に怒りマークが浮いていたし、口端も微妙にぴくぴくしていた。
それだけでも怖くて泣きそうなのに。
「筧くん!
君はなんてことをしてくれたんだ!
短大卒はこれだから……」
下坂さんを前にして、興奮気味に始まる上司の罵倒。
なぜか視線は私にではなく、ちらちらと下坂さんに向いている。
「……その辺でおやめになっては?」
「は?」
驚いて顔を上げた上司の顔に、下坂さんの冷たい視線が突き刺さる。
「前々から指摘していたはずです。
御社の職場環境は悪すぎる、と。
こんな凸凹したカーペット、彼女が躓くのも無理はない」
「す、すみません!」
また上司が青くなってペコペコとあたまを下げだす。
そんな光景を呆然と見ていたら、目のあった下坂さんが、私を追っ払うように手を振った。
釈然としないながらも小さくあたまを下げて、それに従い応接室を出た。
そのうち話が終わったのか、応接室から上司と下坂さんが出てきた。
慌てて椅子から立ち上がると、視線だけで外に出ろって言われた。
エレベーター前で上司を追っ払い私に、一緒にエレベーターに乗るようにやっぱり視線だけで指示する。
「……その」
「別に君を助けたわけじゃない。
ああいう人間が不快なだけだ」
冷たい、下坂さんの声。
……けれど。
「それでも。
私は助かったので。
……ありがとうございました」
「……」
――チン。
一階にエレベーターが止まる。
開く、扉。
「さっさと仕事に戻れ。
あの男のことだから、またなにか言ってくるぞ」
颯爽とエレベーターを降りて去って行く下坂さんの後ろ姿に、黙ってあたまを下げて見送った。
……その顔が、嬉しそうに笑っていたことなんて知らずに。
暫くのあいだは、なにかお咎めがあるのかとドキドキしていたが、なにもなく。
というか、反対に上司の方が怯えていた。
……あとで知ったことだけど。
下坂さんは私の勤める会社の職場改善ということできているが、実際のところは親会社が送り込んだ監査役的なものらしい。
だから上司は、あんなに下坂さんの顔色をうかがっていたみたい。
携帯をいじりながら、つい、左手に視線がいってしまう。
「なあに、にやにやしちゃって気持ち悪い」
「えっ、あっ、いつからいたの!?」
慌てて左手から視線を外すと、呆れ顔の利香が立っていた。
「いまきたとこだけど。
……そんなに嬉しい、それ?」
「……うん」
改めて指摘され、顔が熱くなってくる。
……見つめていたのは、薬指の指環。
「はいはい、ごちそうさま。
……翔。
私も欲しいな」
「そうだね。
思いっきりロマンチックにするつもりだから、もうちょっとだけ待っててね」
「かけるー」
人のことは言えないほどに、いちゃいちゃしているふたりに苦笑い。
利香も翔も高校時代からの友人だ。
「で?
沙也加、ほんとにいいの?
沙也加が欲しいランクの奴だと、安い中古車買えちゃうくらいだし、下手したら新車の軽自動車くらい買えちゃうよ」
心配そうに翔が私の顔を覗き込む。
……でも。
「うん。いい。
次、引っ越すときのために貯めてたお金、いらなくなったし」
「わかった。
じゃあ、行こうか」
手を繋いで歩く、利香と翔について歩く。
――でも。
この買い物があんなことになるなんて。
少し前の休日。
私は一年ほど前から付き合っている五歳年上の彼氏、悠生に行き先も告げられないまま車に押し込められた。
悠生はなんだか不機嫌で、どこに連れて行かれるのか不安になる。
気まずい沈黙の中、車は気がついたら福岡市内では高級住宅の多い、桜坂に入っていた。
停められた高級新築マンション。
無言で入っていく悠生の後を追う。
なんの説明もないまま開けられたのは、最上階のまだなにもないがらんとした、部屋。
「……買った」
「えっ、あ、うん。
……そう」
金持ちの考えることはわからない。
きっと悠生の言うことだから、現金一括。
悠生の実家は福岡では有名な大手不動産屋だ。
悠生自身は、家にいろいろ不満があって次期社長という地位を蹴り、自分で経営コンサルタント会社の経営なんかしているので、関係ないといえば関係ないけど。
しかしそれが大変成功していて、やっぱり金持ちだってことには変わりない。
「いまのマンション、このあいだ地震がきたとき、揺れて怖がってただろ?
だからこっちを買った」
「……はい。
ありがとうございマス」
ええ、確かに。
タワーマンションの高層階、そんなに大きな地震じゃなかったとはいえ、怖かったです。
……でも、そんな理由で?
「……で?
引っ越し、いつにする?」
「……はい?」
「いつにするかって聞いてるんだ」
ううっ。
怒られた。
悠生は若干、苛ついているけど。
「なんで私に聞くの?」
……はぁーっ、大きなため息を落とし、眼鏡を軽く押さえて悠生があたまを振った。
「一緒に暮らすからだ」
「えっと。
誰と、誰が?」
「君と、僕が」
「どこで?」
「ここで」
えーっと。
えーっと。
えーっと……。
「ああ!
どう……」
「違う!」
最後まで言わせないで、全力で否定された。
うーん、じゃあ、なに?
「……君のその鈍さは。
呆れるを通り越して、称賛に値するな」
いや、それってぜんぜん褒めていないですよね?
だって、わかんないもんはわかんないですもん。
「いくら僕でも。
同棲するためだけにマンションなんか買ったりしない」
えーっと。
同棲じゃなくて、でも一緒に住む……?
ん?
んんん?
……えっと。
これって、もしかして、……そういうこと、ですか?
「やっとわかったか」
熱くなった顔で黙って頷く。
「で?
返事は?」
「……よろしくお願いします」
ニヤリ、片頬があがった悠生に左手をとられた。
なにするんだろ、そう思っていたら、薬指には指環。
何度か指環と悠生の顔のあいだに、視線を往復させた。
赤い顔で、悠生は怒っている。
けど、そこにはちゃんと、嬉しいって書いてあって。
容量オーバーになって私はとうとう、あたまから湯気を出しながらその場にへたり込んだ。
それからもう毎日、指環を見てはにやついている。
だって、まさか悠生から、プロポーズされる日が来るなんて思っていなかったから。
そもそも悠生と知り合ったのは、私が勤める会社に悠生が仕事できたからだ。
頼まれて、お茶出しして。
間抜けにも私はカーペットのわずかな段差に躓き、悠生――このころは下坂さんにあたまからお茶を浴びせた。
「す、すみません!」
「……」
慌ててタオルと氷を持ってくると、ひったくられた。
「自分でやるからいいです」
「すみません、でした。
お怪我は、なかったです、か?
その、やけど、とか」
「大丈夫です」
上司は真っ青になって、遙か年下の下坂さんにペコペコあたまを下げている。
と、いうかその人そんなに偉いの!?
私、もしかしてクビ!?
「スーツのクリーニング代は、弁償させて、いただきます、ので」
「結構です」
銀縁眼鏡にかかったお茶を拭いて、再びかけた下坂さんの額には、確実に怒りマークが浮いていたし、口端も微妙にぴくぴくしていた。
それだけでも怖くて泣きそうなのに。
「筧くん!
君はなんてことをしてくれたんだ!
短大卒はこれだから……」
下坂さんを前にして、興奮気味に始まる上司の罵倒。
なぜか視線は私にではなく、ちらちらと下坂さんに向いている。
「……その辺でおやめになっては?」
「は?」
驚いて顔を上げた上司の顔に、下坂さんの冷たい視線が突き刺さる。
「前々から指摘していたはずです。
御社の職場環境は悪すぎる、と。
こんな凸凹したカーペット、彼女が躓くのも無理はない」
「す、すみません!」
また上司が青くなってペコペコとあたまを下げだす。
そんな光景を呆然と見ていたら、目のあった下坂さんが、私を追っ払うように手を振った。
釈然としないながらも小さくあたまを下げて、それに従い応接室を出た。
そのうち話が終わったのか、応接室から上司と下坂さんが出てきた。
慌てて椅子から立ち上がると、視線だけで外に出ろって言われた。
エレベーター前で上司を追っ払い私に、一緒にエレベーターに乗るようにやっぱり視線だけで指示する。
「……その」
「別に君を助けたわけじゃない。
ああいう人間が不快なだけだ」
冷たい、下坂さんの声。
……けれど。
「それでも。
私は助かったので。
……ありがとうございました」
「……」
――チン。
一階にエレベーターが止まる。
開く、扉。
「さっさと仕事に戻れ。
あの男のことだから、またなにか言ってくるぞ」
颯爽とエレベーターを降りて去って行く下坂さんの後ろ姿に、黙ってあたまを下げて見送った。
……その顔が、嬉しそうに笑っていたことなんて知らずに。
暫くのあいだは、なにかお咎めがあるのかとドキドキしていたが、なにもなく。
というか、反対に上司の方が怯えていた。
……あとで知ったことだけど。
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