お探しの本、あります~ようこそはざまの図書館へ~

霧内杳/眼鏡のさきっぽ

文字の大きさ
4 / 7

4.

しおりを挟む
小さい頃の夢など忘れ、普通に大学を卒業してごく普通の企業に就職するまではなんの変哲もない人生だったと思う。
――あの男に捕まるまでは。

男性に少々奥手だった私は、二つ年上の先輩に口説き落とされ、付き合い始めた。

「カナ」

先輩に名前を呼ばれるだけで嬉しくて、すぐに駆け寄っていた。

「ごめん、急に仕事入っちゃってさ。
悪いけど手伝ってくれない?」

「いいですよ」

片手で彼に拝まれ、すぐに承知する。
大好きな彼のためなら、なんだってするのが当たり前。
始めから彼にとって私は都合のいい女に過ぎないのだと気づかなかった自分は、なんとおろかなんだろう。

最初は優しかった彼は、次第に本性を現していった。

「オマエが終わらせてないから、オレが怒られただろーが!」

先輩が大きな声で怒鳴る。
彼がいい顔して引き受けた人の仕事までやらされ、その頃の私は連日、最終電車で帰っていた。
食事を取る暇もなく、さらに眠気を飛ばすためにエナジードリンクを過剰摂取する日々。
鏡に映る私は土気色の顔をしていて、まさしく生きる屍だった。

もうとっくに限界を超えている私の様子に気づかず、彼は怒鳴り散らし続ける。
とうとう私は意識を失い、倒れた。


「私、あのまま死んじゃったのかな……」

そうとしか思えない。
あんな生活をしていれば死ぬのはわかっていた。
けれど私は彼に怒鳴られるのが怖くて、無理をするしかできなかったのだ。

「まだ死んでませんよ」

声がして振り返ると館長が立っていた。
ゆっくりと近づいてきて、私の隣に座る。

「でも、死ぬか生きるか選ぶのはあなたです」

「え?」

彼がなにを言っているのかわからず、ぱちぱちと何度か大きく瞬きをした。

「ここはどちらへ行くか迷っている方がたどり着く、図書館です」

私が困惑しているからか、館長が困ったように笑う。

「えっと……。
死を選ぶと自殺とみなされて地獄に落ちる、とか?」

「そんなことありゃしませんよ」

よほど私の質問が突拍子もなかったようで、彼は驚いたように目を大きく見開いた。

「死とは無です。
あちらへ逝って、幸福もない代わりに苦しみもない、無になるだけです」

「はぁ……」

館長の話は少々難しくて理解ができない。
けれど苦しみもないのなら、もうあのつらい日々を送らなくていいのだろうか。
気持ちが死へと、傾いた。

「私は、死を選びます。
もう、生きていたくないです」

きっとこれが正解だと思ったが。

「本当にいいんですか」

至近距離にまでずいっと館長の顔が迫ってくる。
別に死を選んでもかまわないというようなことを言っておいて、生きるように説得するつもりなのだろうか。

「え、ええ」

「無になれば二度と、美味しいものを食べられないんですよ?」

「へ?」

レンズの向こうの目は恐ろしいことが起きるぞと脅しているのに、彼の口から出てきたのはただの食い意地で思わず変な声が漏れた。

「しかも明日の朝は、うさぎのパン屋さんが作ったサンドイッチの予定だったのに」

さも残念そうに彼がはぁーっとため息をつく。

……うさぎのパン屋さんのサンドイッチ。

無意識に喉がごくりと鳴った。
うさぎのパン屋さんはくまのケーキ屋さんと同じシリーズで、やはり子供の頃に夢中になっていた。

「生きていればまだまだほかにも、美味しいものがいっぱい食べられるのになー」

ちらっ、ちらっと眼鏡の奥から館長の視線が私へと向かう。

彼の言うとおり、死ねば季節限定のフラペチーノも、新しく巡り会う洋菓子店のケーキも食べられなくなるのは惜しい気がする。

……いや。

近頃の私はあの男に命じられた仕事が忙しく、そんな些細な楽しみすら奪われていた。
生きる道を選べばまた、いろいろできるのだろうか。

館長は期待を込めた目で私を見つめていて、おかげで生きようという気力が湧いてきた。
迷いを決めるように落ちかかる髪を耳にかける。
手に冷たい感触があり、それはみるみるまた私の心を冷やしていった。

「……やっぱり、死にたいです」

私の決意を聞き館長の肩ががっくりと落ち、申し訳なくなったが仕方ない。
手に触れたのはあの男からもらったイヤリングで、現実を思い知らされた。
きっと命を取り留めたところでまた、あの男のいいようにされるだけだ。
だったら私は、死を選ぶ。

「なにがそんなにあなたに、死を選ばせるんですか」

眼鏡の下できつく彼の眉が寄る。
その顔は真剣に私を案じているようだった。

「それは……」

彼の気持ちは嬉しいが、こんな事情を人に話すのは躊躇した。
それになんとなく、館長は知っている気がする。

「あなたを死に縛っているのはそれですか」

彼の長い指が指したのは、私の耳を飾るイヤリングだった。

「そんなもの、外してしまえばいいんです」

「あっ」

手が伸びてきてイヤリングを奪う。
ずっと耳たぶをきつく挟んでいたものがなくなり、急に目の前が――晴れた。

「あれ?」

薬を飲んでもなくならなかった、頭痛がしない。
頭はクリアで、急にあんな男にびくびくと従っていた自分が馬鹿らしくなった。

「ほら。
あなたはもう、自由です」

眼鏡の下で目尻を下げ、眩しそうに館長が微笑む。
それは喜んでいるようでもあり、どこかうらやんでいるようでもあった。

「そう、ですね」

どうして私は、一生あの男に命じられるがままに生きていかねばならないなんて思い込んでいたのだろう。
自分だけでどうにかならないのなら、周りに頼ればいい。
そうだ、母に会いに行こう。
最後に電話で話したとき、酷く私を心配していた。

「まだ、死にたいですか」

彼の問いにううんと首を振る。

「生きたい、です」

それは心の底から出た、私の本当の気持ちだった。

「それはよかった」

満足げに彼が頷く。

「でも、出発は朝になってにしましょう。
夜の森は危ないですし、うさぎのパン屋さんのサンドイッチも食べてほしいですしね」

不器用に彼が片目をつぶり、うんうんと勢いよく頷いていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

狼隊長さんは、私のやわはだのトリコになりました。

汐瀬うに
恋愛
目が覚めたら、そこは獣人たちの国だった。 元看護師の百合は、この世界では珍しい“ヒト”として、狐の婆さんが仕切る風呂屋で働くことになる。 与えられた仕事は、獣人のお客を湯に通し、その体を洗ってもてなすこと。 本来ならこの先にあるはずの行為まで求められてもおかしくないのに、百合の素肌で背中を撫でられた獣人たちは、皆ふわふわの毛皮を揺らして眠りに落ちてしまうのだった。 人間の肌は、獣人にとって子犬の毛並みのようなもの――そう気づいた時には、百合は「眠りを売る“やわはだ嬢”」として静かな人気者になっていた。 そんな百合の元へある日、一つの依頼が舞い込む。 「眠れない狼隊長を、あんたの手で眠らせてやってほしい」 戦場の静けさに怯え、目を閉じれば仲間の最期がよみがえる狼隊長ライガ。 誰よりも強くあろうとする男の震えに触れた百合は、自分もまた失った人を忘れられずにいることを思い出す。 やわらかな人肌と、眠れない心。 静けさを怖がるふたりが、湯気の向こうで少しずつ寄り添っていく、獣人×ヒトの異世界恋愛譚。 [こちらは以前あげていた「やわはだの、お風呂やさん」の改稿ver.になります]

その出会い、運命につき。

あさの紅茶
恋愛
背が高いことがコンプレックスの平野つばさが働く薬局に、つばさよりも背の高い胡桃洋平がやってきた。かっこよかったなと思っていたところ、雨の日にまさかの再会。そしてご飯を食べに行くことに。知れば知るほど彼を好きになってしまうつばさ。そんなある日、洋平と背の低い可愛らしい女性が歩いているところを偶然目撃。しかもその女性の名字も“胡桃”だった。つばさの恋はまさか不倫?!悩むつばさに洋平から次のお誘いが……。

もう一度確かな温もりの中で君を溺愛する

恋文春奈
恋愛
前世で俺は君というすべてを無くした 今の俺は生まれた時から君を知っている また君を失いたくない 君を見つけてみせるから この奇跡叶えてみせるよ 今度こそ結ばれよう やっと出逢えた 君は最初で最後の運命の人 ヤンデレ国民的アイドル松平 朔夜(25)×平凡なオタク大学生佐山 琉梨(22)

『嫌われ令嬢ですが、最終的に溺愛される予定です』

由香
恋愛
貴族令嬢エマは、自分が周囲から嫌われていると信じて疑わなかった。 婚約者である侯爵令息レオンからも距離を取られ、冷たい視線を向けられている――そう思っていたのに。 ある日、思いがけず聞いてしまった彼の本音。 「君を嫌ったことなど、一度もない」 それは誤解とすれ違いが重なっただけの、両片思いだった。 勘違いから始まる、甘くて優しい溺愛恋物語。

貴族との白い結婚はもう懲りたので、バリキャリ魔法薬研究員に復帰します!……と思ったら、隣席の後輩君(王子)にアプローチされてしまいました。

ぽんぽこ@3/28新作発売!!
恋愛
秀才ディアナは、魔法薬研究所で働くバリキャリの魔法薬師だった。だが―― 「おいディアナ! 平民の癖に、定時で帰ろうなんて思ってねぇよなぁ!?」 ディアナは平民の生まれであることが原因で、職場での立場は常に下っ端扱い。憧れの上級魔法薬師になるなんて、夢のまた夢だった。 「早く自由に薬を作れるようになりたい……せめて後輩が入ってきてくれたら……」 その願いが通じたのか、ディアナ以来初の新人が入職してくる。これでようやく雑用から抜け出せるかと思いきや―― 「僕、もっとハイレベルな仕事したいんで」 「なんですって!?」 ――新人のローグは、とんでもなく生意気な後輩だった。しかも入職早々、彼はトラブルを起こしてしまう。 そんな狂犬ローグをどうにか手懐けていくディアナ。躾の甲斐あってか、次第に彼女に懐き始める。 このまま平和な仕事環境を得られると安心していたところへ、ある日ディアナは上司に呼び出された。 「私に縁談ですか……しかも貴族から!?」 しかもそれは絶対に断れない縁談と言われ、仕方なく彼女はある決断をするのだが……。

星屑を紡ぐ令嬢と、色を失った魔法使い

希羽
恋愛
子爵令嬢のルチアは、継母と義姉に虐げられ、屋根裏部屋でひっそりと暮らしていた。彼女には、夜空に輝く星屑を集めて、触れた者の心を癒す不思議な力を持つ「銀色の糸」を紡ぎ出すという、秘密の能力があった。しかし、その力で生み出された美しい刺繍の手柄は、いつも華やかな義姉のものとされていた。 一方、王国には「灰色の魔法使い」と畏れられる英雄、アークライト公爵がいた。彼はかつて国を救った代償として、世界の色彩と感情のすべてを失い、孤独な日々を送っている。 ある夜会で、二人の運命が交差する。義姉が手にしたルチアの刺繍にアークライトが触れた瞬間、彼の灰色だった世界に、一瞬だけ鮮やかな色彩が流れ込むという奇跡が起きた。 その光の本当の作り手を探し出したアークライトは、ルチアを自身の屋敷へと迎え入れる。「私のために刺繍をしろ」──その強引な言葉の裏にある深い孤独を知ったルチアは、戸惑いながらも、初めて自分の力を認められたことに喜びを感じ、彼のために星屑を紡ぎ始める。 彼女の刺繍は、凍てついていた公爵の心を少しずつ溶かし、二人の間には静かな絆が芽生えていく。 しかし、そんな穏やかな日々は長くは続かない。ルチアの持つ力の価値に気づいた過去の人々が、彼女を再び絶望へ引き戻そうと、卑劣な陰謀を企てていた。

捨てられた生贄オメガ、魔王城で極上の『巣作り』始めます!~不眠症の魔王様、私のクッションで爆睡して溺愛モードに突入~

水凪しおん
BL
「役立たずのオメガ」として冷遇され、血も涙もない魔王への生贄として捨てられたリノ。 死を覚悟して連れてこられた魔王城は、寒くて硬くて、居住性最悪のブラック環境だった!? 「こんなところで寝られるか!」 極限状態で発動したオメガ特有の『巣作り本能』と、神業レベルの裁縫スキルが火を噴く! ゴミ同然の布切れをフカフカのクッションに、冷たい石床を極上のラグマットにリフォーム。 すると、不眠症で常にイライラしていた魔王ザルドリスが、リノの作った「巣」のあまりの快適さに陥落してしまい……? 「……貴様、私を堕落させる気か」 (※いいえ、ただ快適に寝たいだけです) 殺されるどころか、魔王様に気に入られ、気付けば城中がリノの虜に。 捨てられた生贄オメガが、裁縫一つで魔王城を「世界一のマイホーム」に変える、ほのぼの逆転溺愛ファンタジー!

なぜか水に好かれてしまいました

にいるず
恋愛
 滝村敦子28歳。OLしてます。  今空を飛んでいたところをお隣さんに見られてしまいました。  お隣さんはうちの会社が入っているビルでも有名なイケメンさんです。  でもかなりやばいです。今インターホンが鳴っています。  きっと彼に違いありません。どうしましょう。  会社の帰りに気まぐれに買ったネイルをつけたら、空を飛べるようになって平凡じゃなくなったOLさんのお話。   

処理中です...