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最終章 パーフェクトな警視にごくあま逮捕されました

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翌朝は駒木さんと向かいあって朝食を食べた。

「今日、時間を見つけて出してくるね」

「はい」

出してくるとは婚姻届のことだ。
嬉しくてたまらないのか、朝から駒木さんはゆるゆる笑いっぱなしだ。

「今晩は早めに仕事を切り上げるから、食事に行こう。
夜はホテルにお泊まりだよ。
だって今日は、初夜、だからね」

ふにゃんと嬉しそうに、締まらない顔で駒木さんが笑う。
そっか、今日婚姻届を出して入籍するってことは、そうなるのか。

「……はい」

改まって〝初夜〟なんて言われると恥ずかしくて、俯いてもそもそと残りのごはんを食べた。

そうこうしているうちに、東本くんが駒木さんを迎えに来る。

「じゃあ、私はそろそろ出ますねー」

もう、櫻井さんは捕まった。
これからは通勤で怯える必要はないから、電車通勤に戻そうと思う。

「ダメだよ」

しかしすぐに、駒木さんから止められた。

「いや、でも、もうひとりで大丈夫ですし」

「大丈夫じゃないよ」

駒木さんが東本くんの手を掴む。
なにをするんだろうと見ていたら、その手を私に触れさせようとした。
反射的に一歩下がり、それから逃げる。

「避けられるとか、ショック……」

東本くんは落ち込んでいるけれど。

「ほら。
まだ男の人、怖いでしょ?」

眼鏡の下で眉を寄せ、駒木さんは少し怒っている。

「うっ」

別に、強がっていたわけではない。
自分自身、そういう自覚がなかったのだ。
それに駒木さんは、気づいちゃうんだな。

「今日もタクシーだよ。
というか、これからずーっとタクシー。
仮に花夜乃さんが男の人が大丈夫になっても、痴漢がいるかもしれない、危険な電車になんて乗せられないからね」

真面目な顔をし、駒木さんが人差し指で私の鼻の頭を押す。

「……はい」

そんな贅沢、してもいいのかな。
駒木さんがお金持ちだってわかっていても、気になっちゃう。

「まーた、難しいこと考えてる。
僕が花夜乃さんを甘やかしたいだけだから、気にしなくていいの」

今度はちゅっと軽く、唇が重なった。
そのままちらりと、駒木さんの視線が東本くんへ向く。

「……はい」

ダメにする甘やかし方はお断りだが、こうやって気遣ってくれるのはありだから、甘えておこう。

「てかさ。
篠永はいつまで、駒木警視の家にいるわけ?
新しいマンション見つかったら出ていくんじゃなかったのかよ」

東本くんの声には険がある。
しかも駒木さんを睨む目は、激しい嫉妬で燃えていた。

「あー……」

東本くんとは駒木さんとのお試し期間が終わったあと、彼と今度はお試し期間をすると約束した。
しかし、私は駒木さんに本気になってしまったわけで、きちんとお断りをせねば。

「私――」

「花夜乃さんは僕と、結婚するんだよー」

私の言葉を遮るように言い、駒木さんがへらっと笑う。

「だから、それはもういいですって。
俺は篠永に聞いているんです。
なあ、篠永」

東本くんが私に詰め寄ってくる。
後退する私を庇うように、駒木さんが彼とのあいだに立った。

「だから、花夜乃さんは僕と結婚するんだよ」

証明するかのように、サイン済みの婚姻届を駒木さんが東本くんの鼻先に突きつける。

「は?」

間抜けな声を上げながら東本くんはそれを受け取り、確認した。

「私、駒木さんと結婚する、から。
ごめん」

「どういうことだよ!?」

東本くんの手が、私のほうへと伸びてくる。
それに、身が竦んだ。

「そこまでだよ」

「いってーっ!」

東本くんの悲鳴が聞こえてきて、おそるおそる目を開ける。
そこでは彼が、駒木さんに取り押さえられていた。

「そういうことをするから花夜乃さんにフラれるんだって、わかんないの?」

はぁっと小馬鹿にするようにため息をつき、駒木さんは東本くんを解放した。

「俺、は……」

立ち上がった東本くんが、バツが悪そうに私から目を逸らす。

「……ごめん」

「あ、うん。
あんなことがあって、私も過剰に反応しちゃうだけだから。
なんか、ごめん」

微妙になった空気を取り繕おうと笑ってみる。

「花夜乃さん。
無理に誤魔化さなくていいんだよ」

静かな駒木さんの声に、ぴくんと身体が反応した。

「ずっと前から、男の人が怖いまでいかなくても酷く苦手でしょ?」

「え……。
なんで、知って」

どうして駒木さんが、私の事情を知っているんだろう。

「見てたらわかるよ。
男の人とは微妙に距離を取ってる。
だから、苦手なんだろうなって思っただけ」

それで駒木さんは、私と無理に距離を詰めたりしなかったんだ。
ずっとそうやって私に気遣ってくれていたのだと知り、さらに彼が好きになった。

「ありがとうございます、駒木さん」

「僕はなにもしてないよ」

ゆるゆると彼は笑っている。
こういう駒木さんだから、私は好きなんだな。

「あー、ごめん」

東本くんの声が聞こえてきて、今はふたりっきりではなかったのだと、いまさらながら思い出した。

「悪いけどそういうの、ふたりだけのときにやってくれない?
今、失恋したばかりの身としては、つらい……」

少し泣きそうに言われ、それもそうだと気づいた。

「あ、ごめん」

「謝らないでくれ、余計に情けなくなる。
それで俺も、わるかった!」

東本くんが私へ、勢いよく頭を下げる。

「俺、あれから反省したつもりだった。
でも実際は全然、変わってなかったんだな。
ほんとにごめん!」

膝に頭がつくほど、東本くんは深く頭を下げた。

「えっ、頭を上げてよ!
少なくとも私は、高校生のときのことを謝ってくれて、嬉しかったよ。
だから、気にしないで」

精一杯の笑顔で応える。
こんな言い方はあれだが、駒木さんのような考えができる人がきっと特殊なのだ。

「許してくれるのか?」

「うん。
それで、恋人同士だからこうするのが当たり前、みたいな考え方、少しでいいから改めてくれたら嬉しい」

私が東本くんを受け入れられなかった大きな要因は、そこだ。
それがなかったら少しは、考えていたかもしれない。

「わかった」

真面目に、彼が頷く。
東本くんは素敵な人だからきっと、すぐにいい人と出会えるって私は信じている。
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