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4.婚礼は中止です。なぜなら……
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火災の原因は下男の煙草の不始末だった。
気の毒になるほど恐縮しきって謝罪する男に、大した罰も与えず祐典さまは許してしまった。
「だって、彼のおかげで加代の正直な気持ちが聞けましたし」
嬉しそうに笑う祐典さまはあのとき平気な顔をしていたが、肩に大やけどを負っており、しばらくは安静が必要だ。
鷹司さんが教えてくれたのだけれど、私がまだ残っていると知ると、いままで見たことがないほど祐典さまは取り乱し、まわりの制止を振り切って炎の中に飛び込んでいったらしい。
そんなに心配させた上に怪我まで負わせてしまったことは酷く後悔したが、それだけ祐典さまが私を想っていてくれたのは嬉しかった。
屋敷の一部が焼け落ち、祐典さまも大怪我をしてしまったため、婚礼は延期になった。
……が。
「祐典!」
ノックもなしに乱暴に扉を開け中に入ってきたとたん、孝利さまは苦虫でも噛み潰したかのような顔になった。
それもそうだろう、フォークに刺した林檎を、ベッドの上であーんと口を開けた祐典さまの口元に私が持っていったところだったんだから。
「叔父上。
ノックくらいしていただけませんか?
それともまだ、そういう西洋の文化はご存じない?」
祐典さまから送られる冷たい視線に、拳を強く握り、顔を真っ赤にしてわなわな震えていた孝利さまだけど、はぁーっと大きく息を吐くと気を落ち着けたようだ。
「まあいい。
ところで、結婚は中止とはどういうことだ!
先方はかんかんにお怒りだぞ!」
耳が痛くなるほど大きな声で怒鳴る孝利さまを完全に無視し、祐典さまが私の手を掴む。
なにをするのかと思ったら、林檎の刺さったフォークを持ったまま固まっていた私の手を自分の方へ引き寄せ、林檎にかりっといい音を立てて噛みついた。
……え?
延期って聞いていたけれど、中止、なの?
「だいたい、あの結婚はあまり乗り気じゃなかったんですよ。
自暴自棄になっていたとはいえ、あんな決断を下してしまった自分を責めたいところです」
祐典さまがこちらを向いて笑顔で口を開けるものだから、いいのかなーと思いながらも残りの林檎を差し出す。
ぱくりと林檎を口に入れ、もぐもぐと食べている祐典さまを、孝利さまはプルプルと小刻みに震えながら見ている。
「ああ。
もう縁談の話は金輪際、持ってこないでくださいね。
私はこの加代を、妻に迎えますから」
「そんなこと、許されるはずがないだろー!」
窓ガラスがびりびりと震えるほどの怒鳴り声に、思わずびくりと身がすくむ。
顔が赤黒くなるほど怒り、半ば興奮でなにを言っているのかわからないほど口から唾を飛ばしながら孝利さまは怒鳴り散らしているが、祐典さまは涼しい顔をしている。
「鷹司、鷹司ー!
叔父上はお帰りになるそうだから」
すぐに鷹司さんが顔を出し、孝利さまをなだめながら部屋を出ていった。
ばたんとドアが閉まっておそるおそる祐典さまの顔を窺ってしまう。
「……祐典さま。
いまのって」
「加代は嫌ですか?」
祐典さまが真っ直ぐ私を見つめる。
否定するように首を振ると、ちょいちょいと手招きされた。
「祐典さま?」
「眼鏡がないから、加代の顔がよく見えないんですよ」
割れた眼鏡は修理に出して、まだ戻ってきていない。
見えないと言われると仕方ないので顔を近付ける、と。
……ちゅっ、唇にふれた、なにか。
「加代はやっぱり可愛いですね」
火が出そうなほど熱くなった顔で黙ってしまった私に、祐典さまは目を細めてにっこりと笑った。
【終】
気の毒になるほど恐縮しきって謝罪する男に、大した罰も与えず祐典さまは許してしまった。
「だって、彼のおかげで加代の正直な気持ちが聞けましたし」
嬉しそうに笑う祐典さまはあのとき平気な顔をしていたが、肩に大やけどを負っており、しばらくは安静が必要だ。
鷹司さんが教えてくれたのだけれど、私がまだ残っていると知ると、いままで見たことがないほど祐典さまは取り乱し、まわりの制止を振り切って炎の中に飛び込んでいったらしい。
そんなに心配させた上に怪我まで負わせてしまったことは酷く後悔したが、それだけ祐典さまが私を想っていてくれたのは嬉しかった。
屋敷の一部が焼け落ち、祐典さまも大怪我をしてしまったため、婚礼は延期になった。
……が。
「祐典!」
ノックもなしに乱暴に扉を開け中に入ってきたとたん、孝利さまは苦虫でも噛み潰したかのような顔になった。
それもそうだろう、フォークに刺した林檎を、ベッドの上であーんと口を開けた祐典さまの口元に私が持っていったところだったんだから。
「叔父上。
ノックくらいしていただけませんか?
それともまだ、そういう西洋の文化はご存じない?」
祐典さまから送られる冷たい視線に、拳を強く握り、顔を真っ赤にしてわなわな震えていた孝利さまだけど、はぁーっと大きく息を吐くと気を落ち着けたようだ。
「まあいい。
ところで、結婚は中止とはどういうことだ!
先方はかんかんにお怒りだぞ!」
耳が痛くなるほど大きな声で怒鳴る孝利さまを完全に無視し、祐典さまが私の手を掴む。
なにをするのかと思ったら、林檎の刺さったフォークを持ったまま固まっていた私の手を自分の方へ引き寄せ、林檎にかりっといい音を立てて噛みついた。
……え?
延期って聞いていたけれど、中止、なの?
「だいたい、あの結婚はあまり乗り気じゃなかったんですよ。
自暴自棄になっていたとはいえ、あんな決断を下してしまった自分を責めたいところです」
祐典さまがこちらを向いて笑顔で口を開けるものだから、いいのかなーと思いながらも残りの林檎を差し出す。
ぱくりと林檎を口に入れ、もぐもぐと食べている祐典さまを、孝利さまはプルプルと小刻みに震えながら見ている。
「ああ。
もう縁談の話は金輪際、持ってこないでくださいね。
私はこの加代を、妻に迎えますから」
「そんなこと、許されるはずがないだろー!」
窓ガラスがびりびりと震えるほどの怒鳴り声に、思わずびくりと身がすくむ。
顔が赤黒くなるほど怒り、半ば興奮でなにを言っているのかわからないほど口から唾を飛ばしながら孝利さまは怒鳴り散らしているが、祐典さまは涼しい顔をしている。
「鷹司、鷹司ー!
叔父上はお帰りになるそうだから」
すぐに鷹司さんが顔を出し、孝利さまをなだめながら部屋を出ていった。
ばたんとドアが閉まっておそるおそる祐典さまの顔を窺ってしまう。
「……祐典さま。
いまのって」
「加代は嫌ですか?」
祐典さまが真っ直ぐ私を見つめる。
否定するように首を振ると、ちょいちょいと手招きされた。
「祐典さま?」
「眼鏡がないから、加代の顔がよく見えないんですよ」
割れた眼鏡は修理に出して、まだ戻ってきていない。
見えないと言われると仕方ないので顔を近付ける、と。
……ちゅっ、唇にふれた、なにか。
「加代はやっぱり可愛いですね」
火が出そうなほど熱くなった顔で黙ってしまった私に、祐典さまは目を細めてにっこりと笑った。
【終】
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