19時、駅前~俺様上司の振り回しラブ!?~

霧内杳/眼鏡のさきっぽ

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第5章 元彼は突然に

2. 昔の安心した香りは吐き気がする

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ただ顔に笑みを貼り付けて座っていた。
尋ねられたことには機械的に返事をする。

私はいま、うまく笑えているだろうか。
うまく話せているだろうか。
そればかりが気にかかる。

「ちょっとお手洗い、行ってくるね」

「いってらっしゃーい」

さすがに間野くんも手を離し、お手洗いへと急ぐ。
個室のドアを閉めると、込み上げてきていた吐き気に胃の中のものをぶちまけた。

「……最悪」

洗面台の鏡に映る私は、酷い顔をしていた。

「花重」

あの頃と同じ声で名前を呼ばれ、ぴくんと身体が反応する。
なのに相手は後ろから、私を抱きしめてきた。
私を包む香りは、昔は安心できる匂いだと思っていたが、いまは吐き気がする臭いでしかない。

「花重にもオレの子、産んでほしかったんだけどな」

振り払いたいのに金縛りにかかったかのように身体は動かない。

「花重から避けられてオレがどれだけ傷ついたと思ってる?
でも花重がこの先ずっと、誰も愛さないんだったら許してやろうと思ってた。
でも片桐と付き合ってるとかいうだろ?
そんなの、許せるはずがない」

鏡越しにじっと間野くんが見つめている。
虚ろな私の瞳を。

「産んでよ花重、やっぱりオレの子」

これ見よがしに耳の後ろに口付けを落とされ、気を失うように私はその場に崩れ落ちた。


「笹岡さん、気分が悪いみたいだから送っていくよ」

「大丈夫、笹岡さん?」

助けて、そう言いたいのに口が動かない。
せめて首くらい振りたいがそれすらできない。

「ちょっと飲み過ぎたんじゃないかな。
ほら、笹岡さんって酒、あんまり強くないから」

「飲ませすぎちゃったかな。
ごめんね。
じゃあ間野くん、よろしく」

「よろしく頼まれました」

間野くんがおどけ、笑いが起こる。
ここから逃げたいのに力が出ない。

そのまま間野くんのなすがままに店を出た。

「タクシー、捕まえないとね」

ようやくイヤイヤと小さくあたまを振るが、間野くんは手を離してくれない。
このままだとまたあれを繰り返すだけだとわかっていても、身体が動かなかった。

「どこに行く気だ、笹岡?」

聞こえてきた声の方角に視線を向けると、片桐課長が立っていた。
縋るように両手を出した私を、抱き寄せてくれる。

「……たす、けて」

片桐課長の胸に顔をうずめ、しがみついた。
カタカタと恐怖で震えている私を守るように、片桐課長がぎゅっと抱きしめてくれる。

「どういうつもりだ?」

低く、重い声にびくんと身体が震える。
けれどそれは、私に対して出されたものではなかった。

「どういうつもりもなにも、気分が悪そうだったら送っていこうと思っただけですよ」

「そうか、それは迷惑かけたな。
あとは俺が連れて帰るから」

「……そうですか」

足音が去っていってほっと息を吐きだす。

「……その。
ありがとう、ございました」

幾分、気分が落ち着き、そっと片桐課長から身体を離した。

「迎えにきてやれば、男と一緒とは。
まあいい、帰るぞ」

私の手を掴み、片桐課長は強引に歩きだした。



近くに停めてあった車でマンションに帰る。
車の中で私は黙っていたし、片桐課長もなにも聞かなかった。

「それで?
あれは誰だ?
なにがあった?」

問いただされてもいまだに恐怖が身体を支配して、うまく答えられない。

「笹岡?」

珍しく、心配そうに私の顔を覗き込む。

「……もう大丈夫だ、安心していい」

そっと私を抱きしめ、片桐課長は背中をあやすようにとんとんしてくれた。
お陰で張り詰めてきた糸が一気に緩み、涙が溢れてくる。

「ま、間野くんは、同期で、元彼で」

「うん」

短く相づちを打つだけで、片桐課長は私の話を聞いている。

「でも遠恋してた彼女がいて、二股されてて」

「うん」

「結婚するって聞いて、別れるって言ったら、妊娠させてやるって。
それからずっと避けてたし、間野くんもなにも言ってこないから大丈夫だって思ってた。
でもまた今日……」

「うん」

それ以上なにも言わずに、片桐課長は私の背中をとんとんし続けている。
私の嗚咽が止まった頃、ようやく自分の身体から私を離した。

「落ち着いたか」

涙を拭ってくれる指は酷く優しい。

「今日はもう、なにも考えないで寝ろ。
わかったな」

「でも」

間野くんがあれで引き下がるとは思えない。
明日からも同じ会社で仕事をするんだと思ったら、背筋を悪寒が駆け抜けていく。

「いいからもう寝ろ。
この件は俺に任せておけばいい」

「……はい」

いつもは嫌な片桐課長の強引さが、今日はどうしてか頼もしかった。
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