17 / 71
第4章 これは同情で愛情ではない
2.ただいま、可愛い鹿乃子さん
しおりを挟む
スーパーで買いものを済ませて帰り、手早く下ごしらえをして家を出る。
「……」
今日も駅で、改札の向こうを睨む。
『いつも停める駐車場はわかっているし、車で待っていていいんですよ?』
とは言われたが、いつのまにか楽しみになっていた。
「鹿乃子さん!」
遠くから私を見つけた三橋さんの顔が、ぱっと輝く。
「ただいま!」
できる限り急いで来た彼が、私に抱きつく。
……と、いうか、正確には抱き上げる。
当然、周りの目を集めるが、最近はさほど気にならなくなった。
「おかえりなさい」
「はい、ただいま」
にこにこと本当に嬉しそうに笑いながら、ようやく彼は私を降ろした。
この顔が早く見たいがばかりに、改札の前でいつも待っている。
「こんなに早く帰れるなんて思ってもなくて。
ああ、今日は可愛い鹿乃子さんとゆっくり過ごせるというだけで天にも昇りそうです」
「大袈裟ですよ」
喜ぶ三橋さんと並んで車へと戻る。
今日は店から直みたいで、足下は雪駄だから帰りも私の運転だ。
「可愛い鹿乃子さんの大好きな苺のサンドイッチ、買ってきましたからね。
あと、ご所望の食パンも」
「ありがとうございます。
もうゆで玉子は作ってあるんで、明日は玉子サンドにしましょう」
「可愛い鹿乃子さんの玉子サンド、楽しみだなー」
ずっと三橋さんはにこにこ笑いっぱなしで、私の車ではよくかかっているJ-POPにあわせて鼻歌まで出ている。
「ただいま、私の可愛い鹿乃子さん」
車から降り、家に入った途端、また三橋さんに抱き締められた。
ゆっくりと顔が近づいてきて、私の額に口付けを落として離れる。
「やっぱり我が家が一番です」
ふふっ、と幸せそうに三橋さんが笑う。
彼はここを、我が家だという。
私にしてみれば、年末まで数ヶ月の仮住まいに過ぎないここを。
「すぐにごはんの用意するんで、ちょっと待っててくださいね」
「ゆっくりでかまいませんよー」
三橋さんは寝室へ消えていき、私はキッチンへと向かう。
豚バラとナスのチーズ蒸しはあと、レンチンすればいいようになっているのでさっさと入れる。
お湯はもう電子ケトルで沸かしてあるので、鍋に移してパスタを茹でているあいだに、隣のフライパンで手早くソースを作った。
今日はツナとほうれん草のクリームパスタだ。
スープは家を出る前にホットクックに仕込んであるので、もうできている。
そんなの必要ない、と断ったけれど、あると滅茶苦茶便利だった。
あまりに便利で実家にも欲しい、と言ったら、速攻で三橋さんが買ってくれた。
いまでは母も、便利に使っている。
「いい匂いがしますね」
「もうできますよ」
作務衣に着替えた三橋さんがテーブルに着く。
店での営業用の、高級大島の着物は肩が凝るから嫌いらしい。
三橋さんでも汚したら……とか、気を遣うんだって。
「はい、できました」
「うわーっ、美味しそうですね」
ここのところ店の方が忙しかったみたいで、今回は五日も来ていない。
当然そのあいだ、私のごはんも食べられないわけで。
「ああ、ひさしぶりの可愛い鹿乃子さんのごはんです」
滅茶苦茶しみじみと、食べる前から噛みしめている。
「いただきます」
三橋さんは毎回、食べる前に丁寧に手をあわせる。
なんだかそれが凄く綺麗で、私も真似るようになった。
「いただきます」
フォークにくるくるとパスタを巻き、三橋さんはぱくりと食べた。
「可愛い鹿乃子さんの美味しいごはんが食べられるなんて、幸せです……」
ほろり、なんて涙までこぼしそうな勢いで、そこまで!? とおかしくなってくる。
でも私はまだ知らなかったのだ、彼の東京での暮らしを。
ごはんを食べたあと、片付けはあらかた食洗機へ任せ、三橋さんがコーヒーを淹れてくれた。
「明後日の朝、東京へ行ってきます。
また可愛い鹿乃子さんには淋しい思いをさせてしまいますが、すみません」
淹れてきたコーヒーをテーブルに置き、そっと私の腰を抱き寄せる。
この家を借りてから彼は、東京へ〝帰る〟とも〝戻る〟とも言わない。
必ず、〝行く〟だ。
自分の帰る場所はここだけだといわんばかりに。
「私は淋しくないから大丈夫です。
でも三橋さんが……」
――心配。
なんとなく、その言葉は飲み込んだ。
ここに帰ってきたら彼は、極力私を離さない。
お気に入りのぬいぐるみだからというよりも、そうすることで受けた傷を癒やしているような。
だから本当は、三橋さんをなるべく、東京へは行かせたくない。
「私は平気ですよ。
もう、慣れていますから」
そう言いながらもふっ、と薄く笑った彼は酷く傷ついているように見えた。
三橋さんにつらい思いをさせたくない。
きっとこれは、彼の境遇を知っての同情なのだろう。
それ以上の感情は私にはない――はずだ。
「お風呂、一緒に入りますか?」
私の顔をのぞき込み、にやっと悪戯っぽく彼が笑う。
「……入りません」
「じゃあ、またのお楽しみってことで」
ちゅっ、と私の頬に口付けを落とし、彼はリビングを出ていった。
「……はぁーっ」
ひとりになり、私の口から地の底にまで響きそうなため息が落ちる。
お風呂を断るたびに三橋さんは、またのお楽しみ、って言う。
「……そんなお楽しみ、来ませんよ……」
私にはその日が来る、未来が見えない。
三橋さんと交代でお風呂に入る。
上がったら彼は、ソファーでうとうとしていた。
「お疲れ、ですか……?」
前にしゃがみ込み、その顔をのぞき込んだ。
……ほんとに綺麗な顔、してるよね……。
きっといままで、いろいろな人に惚れられてきたに違いない。
それこそ、顧客には芸能人だっているのだ。
地位は……そこは三橋さん、コンプレックスみたいだからいいけど、容姿だって私よりずっと綺麗な人たちに。
なのに。
「……可愛い鹿乃子さんはいい加減にやめませんか」
「……鹿乃子さんは可愛いので、それは無理です」
ゆっくりと瞼が開き、目があってふわっと笑う。
その心底幸せそうな顔に、心臓がとくんと甘く鼓動した。
「そろそろ寝ましょうか」
「そうですね」
私を抱え上げ、三橋さんが立ち上がる。
お姫様抱っこじゃないのはいいが、お子様抱っこなのは若干、モヤる。
「おやすみなさい、可愛い鹿乃子さん。
今日は可愛い鹿乃子さんを抱き締めて眠れるなんて、幸せです」
左手で腕枕し、横向きに寝た三橋さんが半ば覆い被さるように右手で私を抱き寄せる。
「……おやすみなさい」
ちゅっ、と三橋さんの唇が私の頬に触れ、電気が消される。
すぐにすーすーと気持ちよさそうな寝息が聞こえてきた。
「……三橋、さん」
寝返りを打って彼の方を向き、その胸に額をつける。
「……温かい」
そのぬくもりに安心して、ゆっくりと眠りに落ちていく。
キングサイズのベッドは小柄な私ひとりには広すぎるが、背の高い彼とふたりならちょうどいい。
「……」
今日も駅で、改札の向こうを睨む。
『いつも停める駐車場はわかっているし、車で待っていていいんですよ?』
とは言われたが、いつのまにか楽しみになっていた。
「鹿乃子さん!」
遠くから私を見つけた三橋さんの顔が、ぱっと輝く。
「ただいま!」
できる限り急いで来た彼が、私に抱きつく。
……と、いうか、正確には抱き上げる。
当然、周りの目を集めるが、最近はさほど気にならなくなった。
「おかえりなさい」
「はい、ただいま」
にこにこと本当に嬉しそうに笑いながら、ようやく彼は私を降ろした。
この顔が早く見たいがばかりに、改札の前でいつも待っている。
「こんなに早く帰れるなんて思ってもなくて。
ああ、今日は可愛い鹿乃子さんとゆっくり過ごせるというだけで天にも昇りそうです」
「大袈裟ですよ」
喜ぶ三橋さんと並んで車へと戻る。
今日は店から直みたいで、足下は雪駄だから帰りも私の運転だ。
「可愛い鹿乃子さんの大好きな苺のサンドイッチ、買ってきましたからね。
あと、ご所望の食パンも」
「ありがとうございます。
もうゆで玉子は作ってあるんで、明日は玉子サンドにしましょう」
「可愛い鹿乃子さんの玉子サンド、楽しみだなー」
ずっと三橋さんはにこにこ笑いっぱなしで、私の車ではよくかかっているJ-POPにあわせて鼻歌まで出ている。
「ただいま、私の可愛い鹿乃子さん」
車から降り、家に入った途端、また三橋さんに抱き締められた。
ゆっくりと顔が近づいてきて、私の額に口付けを落として離れる。
「やっぱり我が家が一番です」
ふふっ、と幸せそうに三橋さんが笑う。
彼はここを、我が家だという。
私にしてみれば、年末まで数ヶ月の仮住まいに過ぎないここを。
「すぐにごはんの用意するんで、ちょっと待っててくださいね」
「ゆっくりでかまいませんよー」
三橋さんは寝室へ消えていき、私はキッチンへと向かう。
豚バラとナスのチーズ蒸しはあと、レンチンすればいいようになっているのでさっさと入れる。
お湯はもう電子ケトルで沸かしてあるので、鍋に移してパスタを茹でているあいだに、隣のフライパンで手早くソースを作った。
今日はツナとほうれん草のクリームパスタだ。
スープは家を出る前にホットクックに仕込んであるので、もうできている。
そんなの必要ない、と断ったけれど、あると滅茶苦茶便利だった。
あまりに便利で実家にも欲しい、と言ったら、速攻で三橋さんが買ってくれた。
いまでは母も、便利に使っている。
「いい匂いがしますね」
「もうできますよ」
作務衣に着替えた三橋さんがテーブルに着く。
店での営業用の、高級大島の着物は肩が凝るから嫌いらしい。
三橋さんでも汚したら……とか、気を遣うんだって。
「はい、できました」
「うわーっ、美味しそうですね」
ここのところ店の方が忙しかったみたいで、今回は五日も来ていない。
当然そのあいだ、私のごはんも食べられないわけで。
「ああ、ひさしぶりの可愛い鹿乃子さんのごはんです」
滅茶苦茶しみじみと、食べる前から噛みしめている。
「いただきます」
三橋さんは毎回、食べる前に丁寧に手をあわせる。
なんだかそれが凄く綺麗で、私も真似るようになった。
「いただきます」
フォークにくるくるとパスタを巻き、三橋さんはぱくりと食べた。
「可愛い鹿乃子さんの美味しいごはんが食べられるなんて、幸せです……」
ほろり、なんて涙までこぼしそうな勢いで、そこまで!? とおかしくなってくる。
でも私はまだ知らなかったのだ、彼の東京での暮らしを。
ごはんを食べたあと、片付けはあらかた食洗機へ任せ、三橋さんがコーヒーを淹れてくれた。
「明後日の朝、東京へ行ってきます。
また可愛い鹿乃子さんには淋しい思いをさせてしまいますが、すみません」
淹れてきたコーヒーをテーブルに置き、そっと私の腰を抱き寄せる。
この家を借りてから彼は、東京へ〝帰る〟とも〝戻る〟とも言わない。
必ず、〝行く〟だ。
自分の帰る場所はここだけだといわんばかりに。
「私は淋しくないから大丈夫です。
でも三橋さんが……」
――心配。
なんとなく、その言葉は飲み込んだ。
ここに帰ってきたら彼は、極力私を離さない。
お気に入りのぬいぐるみだからというよりも、そうすることで受けた傷を癒やしているような。
だから本当は、三橋さんをなるべく、東京へは行かせたくない。
「私は平気ですよ。
もう、慣れていますから」
そう言いながらもふっ、と薄く笑った彼は酷く傷ついているように見えた。
三橋さんにつらい思いをさせたくない。
きっとこれは、彼の境遇を知っての同情なのだろう。
それ以上の感情は私にはない――はずだ。
「お風呂、一緒に入りますか?」
私の顔をのぞき込み、にやっと悪戯っぽく彼が笑う。
「……入りません」
「じゃあ、またのお楽しみってことで」
ちゅっ、と私の頬に口付けを落とし、彼はリビングを出ていった。
「……はぁーっ」
ひとりになり、私の口から地の底にまで響きそうなため息が落ちる。
お風呂を断るたびに三橋さんは、またのお楽しみ、って言う。
「……そんなお楽しみ、来ませんよ……」
私にはその日が来る、未来が見えない。
三橋さんと交代でお風呂に入る。
上がったら彼は、ソファーでうとうとしていた。
「お疲れ、ですか……?」
前にしゃがみ込み、その顔をのぞき込んだ。
……ほんとに綺麗な顔、してるよね……。
きっといままで、いろいろな人に惚れられてきたに違いない。
それこそ、顧客には芸能人だっているのだ。
地位は……そこは三橋さん、コンプレックスみたいだからいいけど、容姿だって私よりずっと綺麗な人たちに。
なのに。
「……可愛い鹿乃子さんはいい加減にやめませんか」
「……鹿乃子さんは可愛いので、それは無理です」
ゆっくりと瞼が開き、目があってふわっと笑う。
その心底幸せそうな顔に、心臓がとくんと甘く鼓動した。
「そろそろ寝ましょうか」
「そうですね」
私を抱え上げ、三橋さんが立ち上がる。
お姫様抱っこじゃないのはいいが、お子様抱っこなのは若干、モヤる。
「おやすみなさい、可愛い鹿乃子さん。
今日は可愛い鹿乃子さんを抱き締めて眠れるなんて、幸せです」
左手で腕枕し、横向きに寝た三橋さんが半ば覆い被さるように右手で私を抱き寄せる。
「……おやすみなさい」
ちゅっ、と三橋さんの唇が私の頬に触れ、電気が消される。
すぐにすーすーと気持ちよさそうな寝息が聞こえてきた。
「……三橋、さん」
寝返りを打って彼の方を向き、その胸に額をつける。
「……温かい」
そのぬくもりに安心して、ゆっくりと眠りに落ちていく。
キングサイズのベッドは小柄な私ひとりには広すぎるが、背の高い彼とふたりならちょうどいい。
0
あなたにおすすめの小説
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
冷徹社長は幼馴染の私にだけ甘い
森本イチカ
恋愛
妹じゃなくて、女として見て欲しい。
14歳年下の凛子は幼馴染の優にずっと片想いしていた。
やっと社会人になり、社長である優と少しでも近づけたと思っていた矢先、優がお見合いをしている事を知る凛子。
女としてみて欲しくて迫るが拒まれてーー
★短編ですが長編に変更可能です。
黒瀬部長は部下を溺愛したい
桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。
人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど!
好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。
部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。
スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。
【完結】結婚式の隣の席
山田森湖
恋愛
親友の結婚式、隣の席に座ったのは——かつて同じ人を想っていた男性だった。
ふとした共感から始まった、ふたりの一夜とその先の関係。
「幸せになってやろう」
過去の想いを超えて、新たな恋に踏み出すラブストーリー。
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
友達婚~5年もあいつに片想い~
日下奈緒
恋愛
求人サイトの作成の仕事をしている梨衣は
同僚の大樹に5年も片想いしている
5年前にした
「お互い30歳になっても独身だったら結婚するか」
梨衣は今30歳
その約束を大樹は覚えているのか
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる