あなた色に染まり……ません!~呉服屋若旦那は年下彼女に独占宣言される~

霧内杳/眼鏡のさきっぽ

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第4章 これは同情で愛情ではない

2.ただいま、可愛い鹿乃子さん

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スーパーで買いものを済ませて帰り、手早く下ごしらえをして家を出る。

「……」

今日も駅で、改札の向こうを睨む。

『いつも停める駐車場はわかっているし、車で待っていていいんですよ?』

とは言われたが、いつのまにか楽しみになっていた。

「鹿乃子さん!」

遠くから私を見つけた三橋さんの顔が、ぱっと輝く。

「ただいま!」

できる限り急いで来た彼が、私に抱きつく。

……と、いうか、正確には抱き上げる。
当然、周りの目を集めるが、最近はさほど気にならなくなった。

「おかえりなさい」

「はい、ただいま」

にこにこと本当に嬉しそうに笑いながら、ようやく彼は私を降ろした。
この顔が早く見たいがばかりに、改札の前でいつも待っている。

「こんなに早く帰れるなんて思ってもなくて。
ああ、今日は可愛い鹿乃子さんとゆっくり過ごせるというだけで天にも昇りそうです」

「大袈裟ですよ」

喜ぶ三橋さんと並んで車へと戻る。
今日は店から直みたいで、足下は雪駄だから帰りも私の運転だ。

「可愛い鹿乃子さんの大好きな苺のサンドイッチ、買ってきましたからね。
あと、ご所望の食パンも」

「ありがとうございます。
もうゆで玉子は作ってあるんで、明日は玉子サンドにしましょう」

「可愛い鹿乃子さんの玉子サンド、楽しみだなー」

ずっと三橋さんはにこにこ笑いっぱなしで、私の車ではよくかかっているJ-POPにあわせて鼻歌まで出ている。

「ただいま、私の可愛い鹿乃子さん」

車から降り、家に入った途端、また三橋さんに抱き締められた。
ゆっくりと顔が近づいてきて、私の額に口付けを落として離れる。

「やっぱり我が家が一番です」

ふふっ、と幸せそうに三橋さんが笑う。
彼はここを、我が家だという。
私にしてみれば、年末まで数ヶ月の仮住まいに過ぎないここを。

「すぐにごはんの用意するんで、ちょっと待っててくださいね」

「ゆっくりでかまいませんよー」

三橋さんは寝室へ消えていき、私はキッチンへと向かう。
豚バラとナスのチーズ蒸しはあと、レンチンすればいいようになっているのでさっさと入れる。
お湯はもう電子ケトルで沸かしてあるので、鍋に移してパスタを茹でているあいだに、隣のフライパンで手早くソースを作った。
今日はツナとほうれん草のクリームパスタだ。
スープは家を出る前にホットクックに仕込んであるので、もうできている。
そんなの必要ない、と断ったけれど、あると滅茶苦茶便利だった。
あまりに便利で実家にも欲しい、と言ったら、速攻で三橋さんが買ってくれた。
いまでは母も、便利に使っている。

「いい匂いがしますね」

「もうできますよ」

作務衣に着替えた三橋さんがテーブルに着く。
店での営業用の、高級大島の着物は肩が凝るから嫌いらしい。
三橋さんでも汚したら……とか、気を遣うんだって。

「はい、できました」

「うわーっ、美味しそうですね」

ここのところ店の方が忙しかったみたいで、今回は五日も来ていない。
当然そのあいだ、私のごはんも食べられないわけで。

「ああ、ひさしぶりの可愛い鹿乃子さんのごはんです」

滅茶苦茶しみじみと、食べる前から噛みしめている。

「いただきます」

三橋さんは毎回、食べる前に丁寧に手をあわせる。
なんだかそれが凄く綺麗で、私も真似るようになった。

「いただきます」

フォークにくるくるとパスタを巻き、三橋さんはぱくりと食べた。

「可愛い鹿乃子さんの美味しいごはんが食べられるなんて、幸せです……」

ほろり、なんて涙までこぼしそうな勢いで、そこまで!? とおかしくなってくる。
でも私はまだ知らなかったのだ、彼の東京での暮らしを。

ごはんを食べたあと、片付けはあらかた食洗機へ任せ、三橋さんがコーヒーを淹れてくれた。

「明後日の朝、東京へ行ってきます。
また可愛い鹿乃子さんには淋しい思いをさせてしまいますが、すみません」

淹れてきたコーヒーをテーブルに置き、そっと私の腰を抱き寄せる。
この家を借りてから彼は、東京へ〝帰る〟とも〝戻る〟とも言わない。
必ず、〝行く〟だ。
自分の帰る場所はここだけだといわんばかりに。

「私は淋しくないから大丈夫です。
でも三橋さんが……」

――心配。

なんとなく、その言葉は飲み込んだ。
ここに帰ってきたら彼は、極力私を離さない。
お気に入りのぬいぐるみだからというよりも、そうすることで受けた傷を癒やしているような。
だから本当は、三橋さんをなるべく、東京へは行かせたくない。

「私は平気ですよ。
もう、慣れていますから」

そう言いながらもふっ、と薄く笑った彼は酷く傷ついているように見えた。
三橋さんにつらい思いをさせたくない。
きっとこれは、彼の境遇を知っての同情なのだろう。
それ以上の感情は私にはない――はずだ。

「お風呂、一緒に入りますか?」

私の顔をのぞき込み、にやっと悪戯っぽく彼が笑う。

「……入りません」

「じゃあ、またのお楽しみってことで」

ちゅっ、と私の頬に口付けを落とし、彼はリビングを出ていった。

「……はぁーっ」

ひとりになり、私の口から地の底にまで響きそうなため息が落ちる。
お風呂を断るたびに三橋さんは、またのお楽しみ、って言う。

「……そんなお楽しみ、来ませんよ……」

私にはその日が来る、未来が見えない。

三橋さんと交代でお風呂に入る。
上がったら彼は、ソファーでうとうとしていた。

「お疲れ、ですか……?」

前にしゃがみ込み、その顔をのぞき込んだ。

……ほんとに綺麗な顔、してるよね……。

きっといままで、いろいろな人に惚れられてきたに違いない。
それこそ、顧客には芸能人だっているのだ。
地位は……そこは三橋さん、コンプレックスみたいだからいいけど、容姿だって私よりずっと綺麗な人たちに。
なのに。

「……可愛い鹿乃子さんはいい加減にやめませんか」

「……鹿乃子さんは可愛いので、それは無理です」

ゆっくりと瞼が開き、目があってふわっと笑う。
その心底幸せそうな顔に、心臓がとくんと甘く鼓動した。

「そろそろ寝ましょうか」

「そうですね」

私を抱え上げ、三橋さんが立ち上がる。
お姫様抱っこじゃないのはいいが、お子様抱っこなのは若干、モヤる。

「おやすみなさい、可愛い鹿乃子さん。
今日は可愛い鹿乃子さんを抱き締めて眠れるなんて、幸せです」

左手で腕枕し、横向きに寝た三橋さんが半ば覆い被さるように右手で私を抱き寄せる。

「……おやすみなさい」

ちゅっ、と三橋さんの唇が私の頬に触れ、電気が消される。
すぐにすーすーと気持ちよさそうな寝息が聞こえてきた。

「……三橋、さん」

寝返りを打って彼の方を向き、その胸に額をつける。

「……温かい」

そのぬくもりに安心して、ゆっくりと眠りに落ちていく。
キングサイズのベッドは小柄な私ひとりには広すぎるが、背の高い彼とふたりならちょうどいい。
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