清貧秘書はガラスの靴をぶん投げる

霧内杳/眼鏡のさきっぽ

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第一章 令嬢秘書の正体

1-6

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「清子の家庭の事情はわかった。
しかし、それとこれとは別の話だ」

私にぶたれた頬に触れ、わざとらしく痛そうに社長が顔をしかめる。

「目が覚めたら清子がいないわ、家に行ったら子供を背負って出てくるわ、しかもいきなりひっぱたかれるわ、俺がどれだけ傷ついたかわかる?」

「うっ」

逃げるように帰ったのは悪かったかなー、とは思う。
でも美妃を背負って出たのは不可抗力だよね?
それでも反射的にひっぱたいたのは……全面的に私が悪い。

「す、すみません、……でした」

平身低頭、御子神社長へ詫びる。

「しかも、深窓の令嬢だと思っていた清子が、こんな貧乏人だったとはな。
まんまと騙されたよ」

ははっと小さく笑った社長は、呆れているのかバカにしているのか判断がつかなかった。

「……すみません」

床に頭を付けたまま、硬く唇を噛む。
だから、バレるのが嫌だったのだ。
なのに、こんな些細なことでバレるなんて。

「それで、詫びになると思ってるのか?」

「お、思ってません……けど」

なにを要求されるのか怖くて、顔を上げられない。
お金なんて私にはないし、……身体?
好きでもない人間に抱かれるのは嫌だが、それくらいなら我慢……できる……かな?
いや、昨晩意識がないあいだにもうどうこうなっている可能性もあるわけで、なら二度目なんてなんとも……。

「清子。
……お前、俺の婚約者になれ」

「……は?」

言われた意味がわからず、まじまじと彼の顔を見ていた。

「俺の親がしつこく見合いを勧めてくるのは知ってるだろ?」

「……はい」

それはいつも彼が愚痴っているから、知っている。
それがこれとどう関係が?

「社内はいいが、パーティとかで女が群がってくるのも知ってるな?」

「……はい」

会社関係のパーティは同伴するので、いつも御子神社長が女性に囲まれているのはもちろん目撃している。
これは自慢、自慢なのか?

「でも俺には心に決めた女がいるから、結婚する気はないんだ。
だから女除けに清子、俺の婚約者になれ」

強い目力で眼鏡の奥から御子神社長が私を見据える。
それについ、はいと言ってしまいそうになったが、かろうじて踏みとどまった。

「心に決めた女性がいるのなら、その方に頼めばいいのでは……?」

私なんかに頼まずとも、その方に結婚を申し込めばいいだけだと思うんだけれど、間違っている?

「だからお前に……げふん、げふん」

急に咳払いなんかして誤魔化してきたが、なにを言いかけた?
まあ、どうでもいいけれど。

「その女は残念ながら、俺のことなんてアウトオブ眼中なんだ。
気を引く努力もいい加減疲れたし、それに弱みも……ん、んんっ」

「風邪……ですか?」

またしても社長が咳払いをする。
そういえば昨晩は裸で寝ていたようだったし、風邪を引いたのでは?
もう桜は散ったとはいえ、たまに寒い日があるしね。

「ああ、うん。
喉の調子がちょっと悪くてな」

ちょっと困ったように彼が笑い、心配になってきた。

「無理はしないほうがいいですよ。
そうだ、生姜湯入れますね」

「ああ、ありがとう……」

立ち上がった私を社長が微妙な顔で見ているが、なんでだろう?

「どうぞ」

「ありがとう」

残っていた生姜湯を入れて御子神社長に出す。
ついでに望にもココアを入れてあげた。
美妃はすやすやと眠っていて、本当に助かる。

「それで、だ」

生姜湯を飲み、改めて社長が話を切り出す。
そういえばなんの話をしていたんだっけ?
婚約者になれとか言われたような……。

「清子、俺を叩いた詫びに、婚約者になれ」

「えー」

何度言われたって納得できるはずがない。

「なんだ、その嫌そうな顔は?」

じろっと眼光鋭く眼鏡の奥から睨まれたけれど。

「だって、嫌なものは嫌なんですもの。
だいたい、御子神社長ほどの人なら、親からの見合い攻撃も寄ってくる女性も、そつなくお断りできますよね?」

「うっ」

私の指摘で社長が言葉を詰まらせる。
のっぴきならないほど困っているのなら考えるが、私に偽の婚約者役を頼まなければならないほど彼が困っているようには見えない。

「……実は貧乏なの、バラされてもいいのか」

「うっ」

ふて腐れたように上目遣いで言われ、今度は私が言葉を詰まらせる番だった。

「べ、別に、バレても困らないですし?」

強がってみせながらも、声は震えるし視線もあちこちに向く。

「そうか。
どこかのご令嬢だと思っていた清子がこんなド貧乏だと知って、みんながっかりするだろうな。
それだけならまだいいが、騙されていたと逆ギレするヤツも出てくるかもな。
大変だな、清子」

はぁーっと物憂げに社長がため息を落とす。
別に貧乏がバレたところで不都合はないが、みんなにがっかりされるのは嫌だ。
それに逆ギレも困る。

「……婚約者のフリをすれば、貧乏だって黙っていてもらえるんですか」

「ああ。
誰にも言わない。
なんなら、バレそうになったらフォローしてやる」

うん、と社長が頷く。
なら、私にもメリットがある……?
それにこれはあくまでもフリであって、本当に婚約するわけでも、ましてや結婚するわけでもないのだ。
今までだって周囲の期待に応えて御子神社長は恋人っぽいフリをしていたわけだし、何ら変わりがないのでは……?
だったら、問題はないはず!

「わかりました。
御子神社長の婚約者のフリをします」

「よしっ、決まりだな!」

右の口端をつり上げ、ニヤリと社長が笑う。
それはなにかを企んでいそうな実に意地悪な顔で、早まった気がした。
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