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第4話 混乱の波
しおりを挟む殺風景な白い天井をただぼんやりと見つめる。
蛍光灯の寿命が近いのか、チカチカと点滅を繰り返していた。
静かな保健室に、先生がペンを走らせる音だけが微かに響き、換気で開けている窓からは体育なのか生徒の声が聞こえてくる。
ゆっくり瞬きをし、今朝のバスでの出来事を思い返す。
「まなと……」
私をこの場所に逃げさせたその名前を、まさかもう一度聞くことになるとは。
しかも何の運命の悪戯か、彼もまたクラスメイトである。
そっと首元に手を添える。
あのアンと言う意地悪な猫が見せてくれた、【縁の糸】が私の首を締め付けているように息が苦しい。
「はぁ……」
頭では分かっている。彼は何も悪くない。ただ同じ名前なだけ。
そう理解しようとしても心の中では感情の激浪が起きて私を蝕んでいく。
彼の前では何もなかったように振る舞いたかった。でも、そんなことができるはずもなく、学校に着く頃には顔色が更に悪くなり、職員室ではなく保健室へと案内されてしまった。
(昨日は学校にすら入れず、今日は保健室……)
クラスにどんな噂が広がっているか、考えるだけで頭が痛かった。
あれこれ考え過ぎてこめかみを押えると、ちょうど一限目を終わらせるチャイムが鳴り響いた。
「小谷野さん」
カーテンを開けて保健室の先生が顔を覗かせる。
「調子はどう?」
彼女は私の顔色を伺い「良くなってきているね」と安堵したように微笑んだ。
だけどその次、少し表情を歪ませて困ったな、と呟く。
「私、ちょっと職員室に呼ばれてて……。小野谷さんはまだクラスの場所は分からないんだよね?」
「あ、はい……」
病人を一人にしておけないし、と彼女の困った顔に、申し訳なさと居心地の悪さが胸を締め付ける。
それでも私は、この白いベッドという逃げ場から離れたくなかった。
無意識に指先で毛布の端を強く握りしめて居た。
「先生、失礼します」
「……!」
不意に聞こえた声に、思わず息を飲む。
カーテンの向こうに姿は見えない。けれど、この声は——。
(露木愛斗……!)
一番会いたくなかった相手の登場に、指先から血の気が引いていく。
(なんで……?なんで彼がまたここに?)
カーテンに映るシルエットを見た瞬間、まるで亀が身を守るため甲羅に隠れるように、頭まで毛布を引き上げた。
ぎゅっと目を閉じ、 二人の会話に耳を澄ませながら、ひたすら彼が早くこの場から去るのを待つ。
「あら、露木君」
「あいつ、えっと、小谷野さんいますか」
「いるけど……。どうしたの?」
「河西先生に小谷野さんの様子を見て来いって言われて」
「もう、河西先生ったら。担任だからってまたこき使って……。頼れる学級委員長も大変だね。でも、ちょうどよかったわ」
彼女の少し弾んだような声に、うそ、と心の中で焦りだす。
虚しくも、私の予想が外れることはなく、彼女の口からは恐ろしい言葉が続いた。
「私、ちょっと職員室に呼ばれているの。悪いけど露木君、小谷野さんを見ててくれる?」
最悪、そう叫びたくなるのを必死に抑える。
内心、断わって欲しいと願うが、彼の「わかりました」の一言で期待が虚しくも砕け落ちた。
随分信任が厚いのか、彼女はこれで安心だと私に声をかけてきた。
「小谷野さん、体調が良くなったら露木君と戻ってもいいからね」
そう言い残すと、彼女は足早に保健室を後にした。
扉が閉まる音がすると二人だけの保健室には、沈黙だけが訪れて、時計の針の音がやけに大きく鼓膜を揺らす。
(どうしよう……)
この状況から抜け出すには、窓から飛び降りるしかないのかもしれない。
ここは3階だし、もし飛び降りたら無事にはいられないだろう。
いっその事、それの方がマシなのでは、と馬鹿なことを考えていた矢先、こちらに近づく足音に身体が自然と固まった。
「小谷野さん」
淡々とした声が、空気を揺らして響く。
息を殺したまま、毛布の中に閉じこもる。
意味がないのを知っていても、もし彼がなんで自分の名前を聞いて驚いたか、そう理由を尋ねてきたら……。
答えられないだろう。あなたと同じ名前の人が私をイジメたから、だなんて。
誰にも言えなかったことを会ったばかりの彼に言えるわけがなかった。
「入るけど、いい?」
「……」
答えやしないのに、律儀にもまた問いかけてくる。
それでも無言を貫いたらシャッとカーテンを開けて彼が隣に立つ気配がした。
もう、完全に逃げられない。
「小谷野さん」
「……」
今度は、少し低く静かな声で、もう一度私の名前を呼ぶ。
次の言葉はなんだろうと数百パターンを予想しながら、仕方なく上半身を起こした。
それでも視線は彼の長い指先に留める。
ここが勇気のない私の指定席だ。
その時、彼の足がわずかに動いた。
「まだ体調悪いのか」
「えっ」
予想とまったく違う言葉に、思わず顔を上げた。
思考が追い付かず、ぽかんとしたまま彼の闇よりも深い瞳と見つめ合う。
彼の表情は会った時と変わらなくて、本当に『担任に頼まれてクラスメイトの様子を見に来た学級委員長』そのままだった。
あんまり彼の顔をまじまじ見ていたことに気付いた私は、慌てて目を逸らし、視線を自分の手元へと落とす。
「……大丈夫」
か細い声の精一杯の返事。それを彼がどう思ったのかわからないが、そっか、とだけ返すと、そばにある簡易椅子に腰を下ろして、保健室には再び静寂が訪れた。
あからさまに自分の名前を聞いて変な態度を見せたのに、まるで何事も無かったような振る舞い。
色々考えていた私が馬鹿らしくなり、身体から力が抜けていく。
廊下からは次の授業に急いでいるのか、バタバタと走っている足音が聞こえ、そのすぐ、二限の始まりを知らせるチャイムが鳴り響いた。
(行かなくていいのかな)
黙々と場所を守っている彼をちらり盗み見る。が、不覚にも目が合ってしまった。
彼は軽く肩を竦めて私が何を言いたいのか分かるみたいにこう答えた。
「先生に見てるって言ったから」
だからってすぐ隣に座らなくても。そう文句も言えず、気まずいまま口を結ぶ。
「……それに、まだ少し顔色悪いからクラスにも戻れなさそうだし」
彼の言葉に、指先で頬をなぞる。
先程先生は良くなっているって言ったけど、そんなに顔色が悪いのだろうか。
近くに鏡が無くて確認できないけど、きっと彼と話すことに緊張していたんだろう。そう決めつけた。
その時、開いた窓からそよ風が吹き込んでカーテンを靡かせる。その音がどこか優しく感じて耳を澄ませていれば、ある異変に気付いた。
靡くカーテンの隙間から毛を纏った可愛らしい四本足が現れ、こちらへと向かってきていた。
「みゃあ~」
気づいた時には機嫌の良い猫の鳴き声と共に、アーモンド形の瞳を持った意地悪な猫が彼の足元に擦り寄っていた。
「あっ、あ……!」
「あ、こら」
急に現れた猫に驚いて名前を呼ぶより早く、親しげに彼が猫を持ち上げる。
そのおかげで猫はびよーんと伸びて、なんとも可愛らしい姿になった。
「勝手に学校に入ってきちゃだめだって言っただろ」
「にゃぁ」
まるで学校に何回も忍び込んでいるような言い方。そして、それに答えているような猫。
二人のやりとりに混乱して口を開いたまま固まってしまう。
まさか、彼もこの猫が喋れる、自称縁の神様だと知っているのだろうか。
「ね、ねえ。その猫、知ってるの?」
喋れるの、と訊きたかったが、止めた。
あの店でピアノを弾いていた彼なら、と思ったりもしたけど、これ以上『可笑しい同級生』イメージになりたくない。
「あ、こいつは、あの……店で飼ってる猫」
多分な、と付け加える彼に自然と自分の眉間に皺が寄れるのがわかった。
なんせ、猫は私に自分が『le lienル・リアン』の店主だと言っていたのだ。
現実的に有り得ないのはわかっているけど、確かにあの猫は人間の言葉で私を馬鹿にしていた。
「名前!その猫の名前ってアンだよね?」
食い気味な私に、驚いたように一瞬目を大きくした彼だが、すぐ片方の眉を上げて怪訝な表情に変わる。
「アン?アンさんのこと?その人は店の店主のおばちゃんだろ?」
「は!?おばちゃん!?」
衝撃的な答えに変な反応をしてしまい、はっと恥ずかしくなって両手で自分の口を塞いでごめんと小さくなる。
(アンが猫でなく人間で、しかも『ル・リアン』の店主がおばさん……!?)
それだったら私は昨日、誰とあの店で話をして、この両目で見た【縁の糸】とは何だって言うのか。
等々頭が可笑しくなってしまったのか。
疑問で一杯になってしまった頭で猫を睨みつける。
全てこの場で聞き詰めてしまいたい。でも叶わない願望に気が気ではなく、呑気な猫は彼に抱かれたままゴロゴロと喉を鳴らしていた。
なんと憎たらしい。
「俺は先生にバレる前にこいつを外に出してくるから」
そう言って扉の方に向かって行く彼の背中を混乱しているまま見送る。
だけど、扉に届く数歩前、立ち止まった彼が更に爆言を投げて去って行った。
「……俺はピアノの事だけ誰にも言わなかったら、それでいいから」
まるで何も訊かない。気にしない。そう言っているような言い方。
私は唖然と誰もいない空間に独り残された。
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