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礼央×シロ 編
噛みつきαのしつけ方 2
しおりを挟む…蒸せ返るような、甘い匂いがする。
犯したい。
孕ませたい。
噛みつきたい。
Ωのこの甘ったるい匂いのせいで、俺は我を忘れる。本能に、逆らえなくなる…。
『おい、ドア開けろよっ!!』
『礼央様、申し訳ありません。旦那様からのご指示です。訓練が終わるまで、開けることはできません!!』
執事達の声に、
『くそ…っ!』
外から鍵のかけられた部屋のドアを、腹いせに蹴り飛ばす。
15歳のあの夜、俺、藤堂 礼央は、訓練とやらのために自分の屋敷の一室に閉じ込められた。
部屋の奥のベッドには、甘ったるい匂いを纏い発情したΩがいる。あいつとヤるまでここから出られないらしい…。
俺が生まれた藤堂家は、製薬業を主体とする日本有数の大企業だ。母は、アメリカの製薬会社役員の娘でアメリカ人。両親ともにαで、俺もα。恵まれた能力と容姿を持って生まれ、俺は苦労というものを知らずに育った。
そんな俺が、唯一苦手なもの。それが、Ω特有のフェロモンの匂いだ。
αはΩの発情期のフェロモンに強く反応し、突発的な発情状態に陥る。
俺が受けさせられている訓練の目的は、発情した訓練用のΩと定期的な性交渉を持ち、Ωの扱い方を知ること。本能を理性で抑え、Ωを傷つけない、無闇に頸を噛んで〝番〟関係を結ばない、子どもを作らない…。
特権階級のαにとって、稀少なΩを囲うことはひとつのステータスだ。社交の場で、Ωは避けて通れない。そのための訓練らしいが、俺はΩフェロモンに対して特に過敏な体質で、他のα達より強く反応してしまう…。
『礼央様、痛い…痛いです…!』
訓練用のΩが、俺から身を守る様にうずくまって震えている。首輪をしている後ろ姿は、俺の噛み傷だらけだ。
犯しても、噛みついても、満足できない。
凶暴になっていく自分を、抑えられない…。
特殊な体質のせいか、俺は遮断薬の効きも悪い。
もう訓練なんてやめて、自由に生きてー…。
だが父は、藤堂グループの海外シェアを伸ばすため、どうしても俺に後を継がせたいらしい。
母以外に産ませた子どもだっているくせに。
Ωへの耐性がつくまで、訓練はやめさせてもらえそうにない。
そんな時、たまたま藤堂傘下の会社関係のパーティーで、あいつと出会った。
『立花 真白です。』
新社会人なのか、微妙にサイズの合わないスーツを着て、穏やかそうな目元に緊張を滲ませたβの男。
何だ、この匂い…。
微かなΩフェロモンの匂いだ。俺はこの特異体質のせいで、βの中にあるΩの素因を感じとることがある。
Ωの匂いなんて、俺にとっては甘いだけの毒だと思っていたのに、それは俺自身が生まれて初めて〝欲しい〟と感じる『特別』な匂いだった…。
『お前、いい匂いがする。』
俺の言葉に、その男は心底驚いた様に俺を見つめ、訳が分からないという顔をした。
当然だ。こいつはΩじゃない。
αとΩの間には、『特別』な繋がりがあるなんて言う奴らもいるけど、まさかな…。Ωの素因が僅かにあっても、βはβだ。
そう思ったはずなのに、俺はどうしても、あの匂いを忘れることが出来なくなった…。
例の訓練のためと父を説得し、権力にものを言わせて、あの男を屋敷の使用人に雇いあげた。さっさと訓練に巻き込まないといけないが、なかなか決心がつかない。
ヒートの俺を見たら、あいつはすぐ逃げ出すかもしれない。その時は、あいつの父親の職場にでも手をまわそうか。色々考えたが、慣れない使用人の仕事を健気にこなす姿を見ていると、心がゆらぐ。本当は見られたくない。あんな、俺の姿は…。
父にせっつかれ、訓練に合わせて夜勤を組んで仮眠室に待機までさせたのに、土壇場になっても説明すら出来なかった。まだ屋敷に来て1ヶ月だ。時期尚早かもしれない。もう少し、慣らしてからにしよう…。
そう思ったはずなのに、訓練でヒートが治まらなくなった俺は、あいつのことしか考えられなくなった。
噛みたい…。あの匂いが、欲しい…。
『礼央様、どうしたんですか!?』
あいつの動揺した声。
仮眠室でいきなり襲ってきた俺を見て、あいつがまるで獣でも見る様な目をしている。
…そんな匂いをさせている、お前が悪い!!
欲望のまま噛みつくと、あの匂いが一瞬だけ強まった。
まるで、俺に応えるみたいに…。
こいつを発情させたい。
こいつの本能が見てみたい。
強い衝動が、俺の理性を引き戻す。
執事達に引き剥がされながら、急速にヒートが治まっていくのを感じた。それと同時に、
くそ…っ。こんなつもりじゃなかったのに…!
我に返った途端、大きな焦りと後悔に襲われた。
あいつはどう思っただろう? こんな、俺の姿を…。
『…ヒートが、治まんなくて。』
翌朝、あんなに酷い目に遭わせておいて、ヒートのせいにして謝ることもできなかった俺に、痛々しい姿のあいつが何も言わずに微笑んだ。
また、微かにあの匂いがする。
黒目がちの目が、笑うと犬みたいだ…。
それからも、俺は訓練の度にあいつに噛みついた。自分ではどうしても抑えられない。逃げたって暴れたって、訓練もやめさせてもらえない。
それなのに、あいつは結局俺から逃げなかった。
俺の弱みでも握ってのし上がるつもりかと思いきや、そんな素振りもみせない。
不思議なことに、噛みつく度に俺を受け入れてゆく。
匂いでわかる。あの匂いが、少しずつ強くなる。
とんだお人好しなのか、仕事への責任感か、もしくは主人への忠誠心か…?
自分でも嫌になるこの獰猛さを、受け入れようとする奴がいるなんて…。
もしかしたら本当に、俺達の間には『特別』な繋がりがあるのかもしれない。
だとしたらどうすれば、それを証明できるだろう?
あいつがΩなら、よかったのに…。
俺は、後天的にβをΩにする方法について調べ始めた。直接的な研究はもちろんないが、関連した論文は国外で少しずつ書かれてきていた。
相性によっては、αの体液はΩの本能を強く刺激し、Ωホルモンを活性化する。噛みつくとあの匂いが強くなるのは、そのせいかもしれない。ただ心理的な要因も関わる様で、一方的にΩにするのは難しそうだ。ゆっくりやるしかない…。
いつしか俺は、毎日あいつと軽口を叩くのが楽しみになった。どんなに噛みついても俺から逃げない、獰猛な俺を受け入れようとする、その健気さに惹かれていく。Ωになったら、ずっと側に置いておきたい…。
その一方で、徐々に強くなるあの匂いに俺の凶暴な本能も疼き始める。発情したらあいつはどんな風に乱れるだろう?
番にして、ゆっくり俺好みに躾けようか…。
自分の体の変化にも俺の思惑にも気づく様子はなく、訓練の度に大人しく俺に噛まれるあいつだが、訓練の最中にやたら俺を褒めて頭を撫でてくるのは癇に障る。俺を動物扱いでもしているつもりか?
その理性の奥底の、お前の本能は俺に応えているくせに。それならそれで、俺にも考えがあるからな。
『今日からお前のこと、シロって呼ぶから。』
『シロ、ですか?』
シロは一瞬キョトンとして、
『犬みたいな呼び名ですね…。』
そう言って、やや不満そうに眉根を寄せた。
動物はお互いさまだろ。
これだからβは困る。普通という概念で、都合の悪いことには気がつかないふりをする。
お前だって、俺と同じ本能を隠し持っているのにな。
俺がそれを、必ず引きずり出してやる。
そして、俺達の『特別』を証明してやる。
気づいた後は、覚悟しろよ。
シロの恋も愛も人生も、根こそぎ全部、俺のものだ。
*******
初めてのΩの発情期は、あまりに過酷だった。
「シロ、大丈夫か?」
「礼央、様…?」
ベッドに横たわる俺を覗き込む、礼央様の心配そうな顔。
無造作な髪に彩られた彫りの深い顔立ちに、天井の照明が作る美しい陰影がついている。
よかった、終わったんだ…。
そう思ったのも束の間、俺は頭にもやがかかったような違和感を感じてこめかみを押さえた。
「頭痛か? 特効薬使ったから、副作用だろうな。」
「頭痛というか、変な感じがして…。」
思い出そうとしても思い出せないけど、特効薬を打ってもらった様だ。
「僭越ながら、特効薬を使わせて頂きました。」
ふいに聞き慣れない声がして、ギクリとした。
オールバックの黒髪に、執事服姿のスレンダーな男性が近づいてくる。
「執事長…?」
成瀬 晴臣は、まだ30代という若さで、屋敷の執事達をまとめている執事長だ。藤堂の広大な屋敷には、礼央様の親族も住んでいて、執事として専門の教育を受けた者達が各々方の直接的なお世話をしている。そのため、単なる使用人とは別に、執事と名のつく側近達が相当数いて、彼らをまとめているのが執事長だ。執事達のほとんどはαで、執事長も当然α。礼央様の側にいると時々顔は合わせるものの、あまり話をしたことはない。単なる使用人の俺とは、立場が全く違う人だ。
「立花さん、点滴は入れましたが、飲めそうなら少し水分を取ってみましょうか。」
執事長は、テキパキと人肌の白湯を準備して俺に差し出してくれた。カップは温かいけど、その精悍な顔つきはいつもながら無表情でクールそのものだ。なまじ俳優の様に整った顔をしているだけに、余計に近寄り難い雰囲気を感じる。
「…ありがとうございます。」
カップに口をつけると、ちょうど良い温もりの白湯が体に染み渡っていく。
「お二人で部屋に篭っておられたので、立花さんが噛み殺されてもいけませんし、早々にお邪魔させて頂きました。」
執事長の言葉に、思い出すのも恥ずかしい数々が頭をよぎる。
え、ってことは、な、何て所を見られたんだ…!!
恐る恐る布団の中を覗くと、すでに体中の傷は手当てされ、俺は寝衣を身につけていた。シーツも綺麗になっている。
「往診した医師によりますと、傷は複数あるものの浅く、頸も噛まれていませんでしたが…。」
「成瀬、わかったら次は邪魔するなよな。」
ベッドの端に腰掛けている礼央様が、不機嫌そうにため息をつく。彼と執事長は、彼が子どもの頃からの長い付き合いのはずだ。日頃はどことなく気心が知れている雰囲気があるけど、今日の空気はピリピリしている。
ふと俯くと、俺は首に違和感を感じて手を当てた。自分ではよく見えないけど、これは…。
「首輪だよ。」
礼央様の言葉に、時々見かけるΩの姿を思い出した。頸を守るために、Ωがつけている首輪…。
「立花さんが眠っている間に行ったバース検査は、Ω判定でした。」
淡々とした口調で言われたけど、やっぱりショックだ。俺、本当にΩになってしまったんだ…。
「さすがの成瀬も驚いただろ?」
「…まさかとは思いましたが。もう少し、本気で止めるべきでしたね。」
口端を上げた礼央様に、執事長は一瞬気まずそうな表情をしたけど、
「ホルモンコントロールのことは、倫理上の問題もありますので、他言無用でお願いいたします。まぁ、誰も信じないでしょうが…。」
そう言って、すぐにいつものポーカーフェイスに戻る。執事長は、ホルモンコントロールのことを知っていたのか!?
そして、止めようとしてくれていたみたいだ…。
執事長と、視線がかち合う。そして…、
「礼央様の指示通り、今後は立花さんを礼央様付きのΩとして雇い上げます。ヒートは危険なので、立花さんの身を守るためにも屋敷に住み込んでください。」
淡々と事務的な口調で言われた内容に、
「Ωとして働く…?」
俺は一瞬、自分の耳を疑った。
「礼央様にΩへの十分な耐性がつくまで、お二人で訓練の続きを行なって頂きます。各種パーティーへの同伴もお願いいたします。」
呆気にとられている俺を意にも止めず、執事長は淡々と告げる。
二人で、訓練…?
勝手にヒートの記憶が蘇ってきて、思わず顔が熱くなった。
Ωとして、俺が訓練に協力することになったのか!?
一般の使用人から、急に人事異動されている…。
「シロにヒートが来たら、一緒に訓練しようって前から言ってただろ?」
そういえば、礼央様はそんなこと言ってたけど、Ωじゃないからヒートなんて来ないと思っていたし、適当に答えていた様な…。
いつもの飄々とした笑みを浮かべている礼央様を見つめて、呆然とした。屋敷に住み込んで訓練の相手をする、礼央様付きのΩ…。
「あの、普通の仕事に戻して頂くことは…?」
「稀少なΩを一般の使用人にはしない。αの執事達の餌食になるだろ。」
礼央様の言葉に、屋敷にはαの執事達がたくさんいることを思い出した。今まで見向きもされなかったけど、Ωというだけでそんなに狙われるものなんだろうか?
「今後は、礼央様の指示を聞いてください。礼央様ご不在時に何かお困りでしたら、私に聞いてください。」
執事長はそう言って、もう遅い時間なのでとあっさり下がってしまった。ふと時計を見ると、日付は翌日で、時間は夜の21時だ。カーテンが引かれていて、全然気が付かなかった。日付と時間の感覚が、全く失われている…。
執事長がいなくなると、広い部屋に礼央様と2人きりだ。
彼は部屋着の様なラフな格好をしていて、体調にも変わりはなさそうだった。
「シロが全然起きないから、心配したよ。」
「…すみません。」
ヒートを起こしたのは確か昨日の夕方だったから、随分長く眠っていたことになる。
「そのネック、キツくない?」
そう言って、彼がベッドの中へ入って来た。
俺の隣に座った彼の存在感は大きい。190cm近い長身で、日頃から体を鍛えている彼との大きな力の差を思い出す。俺だって、平均的な身長とそれなりの筋肉はあるのに。
「きつくはないですけど、ネックをつけていると、一目でΩだとわかってしまいますよね…。」
「ネックがないと危ないだろ。それに、Ωだってわかった方が、一緒にいやすい。」
バース性が発見されてから、男同士でも相手がΩなら恋愛や結婚が公に出来るようになった。でも、男性のΩはバース性を隠して生活することも多いと聞く。色々と複雑な事情があるんだろう。もちろん、Ωだとわかった方がいいこともあるんだろうけど…。
「Ωとして働くなんて、私には無理だと思うのですが…。」
元はと言えば、藤堂グループの子会社の社員だったのに、屋敷の使用人の次はΩとして働くなんて…。訓練もそうだけど、αに雇われているΩなんていわゆる高級娼婦、男なら男娼だ。Ω嫌いの彼は、訓練以外で呼ぶことはなかったけど…。
「シロが、俺の番になるのを迷ったりするからだろ。」
不満そうに呟いて、礼央様が俺のネックに付いている金属製のリングをカチャカチャと弄び始めた。
「礼央様…?」
つい体を引いた俺に、彼がリングを長い指で掴む。首が引っぱられる様な感覚に、俺は眉根を寄せた。
「番は俺達の『特別』を証明する関係だ。番のいないΩなんて、他のα達に好き勝手されるぞ。」
「いえその、番のことは、あんな状況では決められなくて…っ。」
礼央様から醸し出される威圧感を感じつつ、言い訳の様にそう言って彼を見つめた。ハーフ特有の彫りの深い整った顔立ちに、つい見惚れそうになる。彼の態度を傲慢に思う気持ちと、否応なく惹かれる気持ちとが混ざり合う…。
「俺のためにΩにまでなったのに、何で迷うのか教えてよ。」
礼央様がネックから手を離すと、俺は自然とうつむいた。
〝番〟になると、αに変化はないのに、Ωはパートナーのαしか受け入れない体になる。不特定多数のαに襲われる危険がなくなる代わりに、番の関係は一生解消できない。
「私は、礼央様が無闇に番をつくらないよう、訓練をお手伝いしている立場で…。」
つい、そんな言葉が口をついた。まさか自分が番になるか、悩むことになるなんて…。
「それは、ヒートの勢いだけで番をつくるなってことだろ。俺達は違う。」
彼の言葉に、Ωのヒートが来て、初めて彼を見た時のあの強烈な一目惚れの様な感覚を思い出す。
彼もきっと同じ様な感覚があったから、3年もかけて俺をΩにしたんだ。分かっているけど…。
「βには番というものはないので、そもそもなくて当たり前といいますか…。恋愛も結婚も、それで成立しますし…。」
「もうβじゃない。シロはΩだ。」
そう言われて、黙り込んだ。
番は、Ωにとっては一生の選択だ。Ωは生涯ただ1人のαとしか番になれない。礼央様に強烈に惹かれるのは確かなの に、彼とずっと一緒にいる自分は想像できない。彼は、優秀なαで藤堂グループの後継で、自分とは違う世界の人だ。
「いくらΩでも、釣り合わないですよ…。」
「番に家柄は関係ない。」
家柄のことだけじゃないんだけど、どうやら番は、家同士の繋がりである結婚とは違うみたいだ。
「…そうだとしても、想像出来ないですよ。男性を好きになること自体初めてですし、何を、どうしたらいいのか…。」
「俺も男は初めて。デート楽しみだね?」
礼央様が、俺の顔を覗き込むように首を傾げている。
「デ、デート?」
「そんなに想像できないなら、付き合ってみようよ。次のヒートで番になってくれたらいいから。」
礼央様は簡単なことの様に言うけど、次のヒートって一体いつ頃になるんだ?
「次のヒートって…。」
「3ヶ月周期が一般的だけど、特効薬で無理に止めたから次は早めに来るよ。1ヶ月くらいかもな。」
そんな、彼と付き合うだけでも大事なのに、1ヶ月付き合っただけで、番になる決心までつくとはとても思えない。
「…そんなに簡単に決められることじゃないと思うのですが。」
「2人でラブラブになればいいだけの話だろ?」
番になったら、俺と礼央様は一生ラブラブなのか…?
いや、番は心とは関係なく一生続いてしまう繋がりなんだ。いくらαとΩの繋がりが強いといっても、一生となると色々考えてしまう。礼央様が迷わずに好意を示してくれるのは嬉しいけど、俺は昨日までβの男だったんだ、そんなにすぐ彼の言う通り番になんてなれない。…頭が、混乱してくる。
「Ωとして働きながら、付き合うんですか…?」
「公私共に側にいてよ。」
「公私共に…ですか。」
「そうだな…。とりあえず俺、朝弱いから、明日からシロが起こしに来て。あと、おはようとおやすみのキス、行ってらっしゃいとお帰りなさいのキスもしてもらおうかな。」
半分アメリカ人の彼らしいけど、付き合うを通り越してもう新婚さんみたいじゃないか。
「私は日本人なので、そういうのはちょっと…。」
「すぐ慣れるって。シロはこれからずっと、俺のΩとして生きていくんだから。」
礼央様が、俺の頭を撫でて微笑んでいる。
ここで一緒に暮らして、1日に何回もキスして、外でデートして、ヒートが来たら2人で訓練…?
つい昨日まで普通の使用人だった俺が、いきなり礼央様とそんな生活をしろと言われても、正直戸惑いしかない。彼女すら、しばらくいなかったのに…。
青ざめて俯くと、改めてネックの存在感を感じた。何だか、息苦しい。四六時中付けておくものなんだろうか…。
「あの、このネックって、どうやったら外れるんでしょうか?」
「解除方法は俺が知ってればいいから。番になるまでつけてて。」
当たり前の様に言われて、唖然とした。そんなまさか、自分のネックを自分で外せないなんて。なんだかこれじゃ、礼央様の飼い犬にでもなったみたいだ…。
彼の手が、さり気なく俺の手の上に重なる。
「雑用はしなくていいから、俺が学校行ってる間は、ゆっくりしててよ。」
「あの、私は屋敷の外で仕事をして、普通にお付き合いした方が良くないですか? 実家も遠くないですし、当面は実家に帰りますから。」
礼央様と『普通にお付き合い』というのも正直よく分からないが、恐る恐る聞いてみる。屋敷で飼われるような生活をするよりは、気が楽かもしれない。
重ねられた手を、彼が自分の口元へ持っていく。軽く指を噛まれて、ギョッとした。
手を引こうとしたけど、彼の力が強い。
「ダメ。俺の目の届く所にいないと危ない。」
また指を噛まれて、痛みに顔を顰めた。心臓が早くなる…。
「礼央様、やめ…。」
「シロは、俺のためにΩになったんだ。勝手なことするなよ。」
彼がヘーゼル色の瞳を細めた。獲物を見るような、αの目だ。すぐにいつもの笑みに戻ったけど、一瞬ゾッとした…。
「明日から学校だから、7時に起こしに来て。」
「…は、はい。」
息を呑んで頷くと、彼は笑顔のまま「おやすみ」と俺の額にキスをして、部屋を出て行ってしまった。
確かに俺は、礼央様のためにΩになったはずだ。だから礼央様に従うべきなのかもしれないけど…。彼を見送ってからも、ドクドクと心臓の音が耳につく…。
暫くすると、体に優しそうな夜食が運ばれてきて、そういえば胃の中が空っぽだったことを思い出した。
「礼央様から、出来るだけ召し上がるようにとのことでしたよ。立花さんがΩだったなんて、皆驚きました。」
夜食を運んできた同僚にそう言われ、俺は曖昧に笑って誤魔化した。ネックもあるし隠せるとは思ってなかったけど、もう屋敷中が知っている様な雰囲気だ。屋敷内でヒートなんて起こしたし、きっと騒ぎになったんだろう…。
「男性のΩは特に珍しいですし、隠して生活していたんですね。」
そういうことになっているのか…。
ホルモンコントロールされたなんて誰も思わないから、Ωだったのを隠していたと思われるのは当然かもしれない。
女性のΩは、α性の子どもを授かりやすく、良家のαから人気があるし結婚して家庭に入れば安泰で、家族からも喜ばれる。でも男性のΩは、ヒートのせいで安定した仕事に就くことが難しかったり、女性のΩに比べると正妻に選ばれることは少なく、αの愛人や男娼みたいなイメージが根強くある。そのせいで、複雑な目で見られることも多い。
俺もきっと、そういう目で見られているんだろうな…。
黙り込んだ俺に、
「…お大事にしてくださいね。」
気まずそうな顔をして、同僚はさっさと部屋を出て行ってしまった。βの時は、気さくに仕事の話をしていた人だったのに、うまく話ができない。
バース性が変わるって、ものすごく大きなことだったんだ。
礼央様の側にはいやすいかもしれないけど、社会的に失うものは大きい。でも、俺が自分で受け入れたことなんだろう。
夜食は美味しかったのに、あまり食べた気はしなかった…。
*******
翌朝、よく眠れなくて、俺は早くから目を覚ましていた。とりあえず7時に、礼央様を起こしに行けばいいんだろうか。特効薬の副作用は治った様だけど、夜食を食べたからか食欲がなくて、朝食は断ってしまった。俺も雇われの身のはずなのに、なぜかβの使用人達が俺の世話をしてくれる。一緒に働いていた人達だし、すごく複雑だ。しかも『Ωなんだから遠慮しなくていい』なんて言われて、手伝おうとすると困られるし、正直、居心地が悪い…。
制服のスーツを着てとりあえず身支度を整えた。鏡を見つめると、ネックをつけた自分の姿が映っている。白い幾何学的な模様が入ったデザインで洒落ているけど、どうしてもペットを連想してしまう。ヒートは危険だから屋敷に住み込むというのも、単に囲われた様な気がしないでもない…。
使用人の性で、礼央様の側近の執事達に一応の朝の段取りを聞いてから部屋へ行こうと、時間よりだいぶ早めに自分の部屋を出た。そして、礼央様の側近の姿を探す。たまたま2人いるのを見つけて声をかけようとすると、俺の話をしているのが耳に入った。つい隠れて、聞き耳を立てる…。
「今朝はあのΩの子に任せていいらしい。タイミングを見て、朝食をお出しする。」
「礼央様がホルモンコントロールしたっていう?」
「ああ。ややこしい話だから公言はしていないが、さすが礼央様だよ。バース性の論文を散々検索させられたが、まさか本当に出来てしまうなんてなぁ。」
「気に入ったβをΩに出来るなんて、初めて聞きました。」
「α性が強くないと出来ることじゃないさ。まあ、訓練が終わって大学生になったら、純正のΩとも遊び放題だろう。羨ましい限りだ。」
「本当ですね。それにしても、朝からΩに起こされたんじゃ、礼央様が遅刻してしまいませんか?」
「αとしては我慢できないかもなぁ…。まぁ、そういうお遊びなんだろう。」
「朝から楽しそうですけど、私達がうまく時間管理しないといけないですよね。毎朝の手間が増えますよ。あの子が内緒で俺達の相手もしてくれるなら、やる気も出ますけど。」
「そういうことは言うな。礼央様にバレたら大変だぞ…。」
談笑する彼らの話に青ざめた。内緒で相手をしてくれたらとか、何の話だよ。今までは、気にも留められていなかったはずだ。そういえば、彼の側近はαばかりじゃないか。Ωだというだけで、普通の男の俺でもそんな目で見られるのか?
礼央様はどうなんだろう。Ω嫌いだし、訓練は社交の場で必要だから仕方なくしているだけで、終わってもΩ遊びなんてしないはず…。
すっかり側近達に話しかける気力を無くして、俺はひとり礼央様の部屋へ向かった。
彼らにはお遊びだと思われているみたいだけど、Ωだからってバカにされたくない。遅刻なんてさせずに起こしてやる。
彼の部屋の前に着き、俺は控えめにドアをノックした。
「礼央様、おはようございます。」
7時ちょうどだ。何回か声をかけたが、返事はない。
「礼央様、入ってもよろしいですか?」
やはり返事はなく、迷った末にドアを開けることにした。
もたもたしていると、彼が遅刻してしまう。
「失礼します。」
部屋に入ると、礼央様はまだ眠っている様子だった。
彼を起こそうとベッドの側まで行くと、無防備に眠る彼の寝顔から、一瞬目が離せなくなる。
伏せられた長いまつ毛、クッキリした二重の瞳、真っ直ぐ通った高い鼻梁、その先につながる形の良い唇…。
だめだ、見惚れてる場合じゃ…。
「起きて、ください。」
そっと腕を揺すると、眠そうに眉間に皺を寄せた後、礼央様がヘーゼル色の瞳をゆっくりと開く。
「シロ…?」
目が合うと、それだけで頬が熱くなった。
こんなこと、今までなかったのに…。
「何、可愛い顔してんの?」
礼央様の言葉に、心臓が跳ね上がる。
俺、どんな表情してたんだろう!?
「…おはようございます。」
恥ずかしさを隠す様に、俺は淡々と彼に声をかけた。
「まだねみぃ…。」
彼は本当に眠そうに、ベッドの中で身じろいでいる。
「礼央様、起きてください。」
「…キスしてくれたら起きる。」
キスを待つ様にまた目を瞑った彼は、まるでドラマのワンシーンの様だ。付き合ってるみたいだし、彼のΩなんだし、するしかないんだよな…?一瞬迷って、俺は彼の額にそっと口付けた。昨夜、彼がしてくれたみたいに。
たったこれだけのことでも、慣れなくて恥ずかしい。すぐに彼から離れて、距離を取る。礼央様をキスで起こすなんて、今まででは考えられないことをしている…。
彼は小さく笑って、ゆっくりとベッドの上で起き上がった。
「シロ、体調は?」
「もう、大丈夫です。」
「じゃあ、こっちおいで。」
「いえ、もう準備をしてください。」
おいでと手を広げられたけど、おはようのキスはしたし、後はもう、早くシャワーを浴びて朝食を食べてもらいたい。
「あれ、もう終わり?」
彼は不満そうにそう呟くと、ふいにベッドから立ち上がった。そして、大きく伸びをする。ただでさえ背の高い人だ。両手を伸ばすとさらに大きく見えて…、
「ガオー!!」
「えぇ…っ!?」
子どもみたいに脅かしながら、彼が抱きついてきた。勢いで絨毯の上に尻餅をついた俺を、笑いながらギュウギュウと抱きしめてくる。
「礼央様、痛いですからっ!」
本気でビビった自分も情けないけど、朝っぱらからふざけないで欲しい。まあでも、まだ高校生だ。こういう子どもっぽい所は可愛いかもしれない…。
そんなことを思いながらされるがままになっていると、ふと彼の寝衣のズボン越しに固いものを押し当てられる。
「…シロの可愛い顔見てたら、治まらなくなった。」
その感触にギョッとした。朝だから仕方ないかもしれないけど、礼央様のものが…。
「挿れていい?」
耳元で囁かれて、俺は大きく首を振った。朝っぱらから、何の話だ!?
「駄目に決まってるじゃないですかっ!」
「何で? シロは俺のΩだろ?」
そう言われて青ざめる。βの時は、確かに『Ωを呼びましょうか?』とか言ってたけど…。
「じ、時間がないですから…っ。」
「少しくらい遅刻してもいいけど?」
「いえ、それはいけません!!」
側近達の話を思い出す。こんなことで、時間管理してもらいたくない。
「じゃあ、どうしたらいい?」
甘える様に強く抱きしめてくる礼央様に、冷や汗が出てきた。
「そ、そのうち治まりますから。」
宥めるように言い聞かせる。もうさっさとシャワーでも浴びに行って欲しい。
「夜まで待てばいいってこと?」
抱きついたまま、礼央様がスリスリと頬を寄せてくる。この動物的なしぐさは、可愛いんだけど…。返答に困って何も答えずにいたら、
「礼央様、おはようございます。入ってもよろしいでしょうか?」
ドアの向こうから執事達の声がして、ギョッとした。
「あれ、もうそんな時間だっけ?いいよ。」
軽い調子で返す礼央様に、俺は慌てて彼から離れようとしたけど、力が強くて腕が解けない。
「あの、離して頂けますかっ!」
「ヤダ。」
ドアが開いて、執事達が入ってきた。さっき、俺の話をしていた人達だ。床の上に押し倒されるまではいかないけど、彼に抱きつかれて身動きの取れない姿を見られて、恥ずかしさに頬が熱くなる。やっぱり遊んでいると思われたに違いない。そういえばタイミングを見て朝食を出すと言っていたけど、まさか礼央様が事に及ばないように、今入ってきたのか!?
「シロ、シャワー手伝ってよ。」
「いえ、それはご自分でお願いします!」
つい口調が冷たくなる。それでも礼央様は、気にする風もなく抱きついたまま離れてくれない。執事達も、カーテンを開けたり、ベッドを片付けたりと淡々と仕事をしている。誰も、礼央様を止めてくれそうにはない。
「じゃあもう一回、ちゃんとキスして?」
額では物足りなかったのか、礼央様はめげずに戯れてくる。人前でキスしろなんて、朝からハードルが高すぎるだろ…!
「立花様、そろそろお時間ですよ?」
困り果てていたら、執事の一人に声をかけられて思わず呆気に取られた。俺が礼央様の言うことを聞かないから、早くしろと言われたみたいだ。時間管理の話を思い出す。
「シロ、時間ないんだって。」
礼央様は、いつもの様に飄々と笑っていて、いつもの屋敷の朝のはずなのに、俺は皆の前で、キスしないといけないのか…?
執事達から、まだですか?みたいな視線を感じる。ダメだ、恥ずかしがる方がもうむしろ恥ずかしい。俺は、意を決して礼央様にそっと口付ける。
「んぅ……っ!」
急に顎をつかまれ、驚いて少し開いた唇の隙間から、思いっきり舌を入れられた。朝からするようなキスじゃない。ゆっくりと舌を動かされながら、歯列をなぞられる。粘膜同士が擦れる感覚に、ゾクゾクした。この湿った音が、他の人にも聞かれていると思うと、死にたいくらい恥ずかしい…。
やっと長いキスから解放されて、俺は呆然と目の前の彼を見つめた。ヘーゼル色の瞳が、満足そうに微笑む。
「良くできました。じゃあ、シャワー行ってくる。」
礼央様は、そう言って俺の頭を撫でると、さっさとシャワーを浴びに行ってしまった。
ひとり残され、俺はやっとの思いで立ち上がると、一目散にドアの方へ歩き始めた。
とりあえず、部屋へ戻ろう…っ。
「ちゃんとお見送りまでしないと、叱られますよ?」
しかし、出て行こうとした所を、執事の一人に呼び止められてしまう。
あんなの見られて、まだここにいないといけないのか…!?
そう思ったけど、彼らも円滑に朝の準備が進む様、仕事をしているんだった。もう諦めて部屋の片付けでも手伝うことにする。何かしていた方が気が紛れる…。でもすぐに、礼央様の世話だけでいいからと言われ、暗にシャワールームへ手伝いに行けと促されてしまう。
「朝ですから、あまりいい匂いをさせないでくださいね。」
小声で言われて、顔が熱くなった。男性のΩが、バース性を隠して仕事をする理由がわかる。『Ωがαを誘惑する』という目で見られるのは、男だとつらい…。そうだ、抑制剤を飲んでいないから、礼央様もあんな風に絡んでくるのかもしれない。執事長に頼んで抑制剤をもらわないと…。
シャワールームの前まで来たものの入る勇気がなく、ドライヤーの音がし始めてから中に入った。
「あれ、手伝ってくれる気になった?」
「………はい。」
オリーブがかった色の髪の毛を乾かしていると、礼央様が眠そうに欠伸をする。そんな無防備な姿は、見ていて幸せな気持ちになるのに…。朝も二人きりなら、もう少し彼の我儘をきいてあげられるかもしれない。ここは彼の家だけど、いつも人目がありすぎる。つくづく、特殊な世界の人だ…。
髪の毛を乾かして、クローゼットルームで濃紺のオーソドックスなブレザーの制服に着替えた彼に、思わず目を奪われた。髪のセットも簡単なのに、半分外人だからか無造作な感じがよく似合う。
制服姿なんて見慣れているはずだ。それなのに、妙にドキドキする…。
あまり彼を見ないようにしつつ、朝食の並んだソファテーブルの方へ移動した。そういえば、俺は彼の食事の世話をしたことがない。お菓子はよく食べているけど、食事風景を直接見るのは珍しいことだった。彼は、部屋のソファで豪華な朝食を食べながらネットニュースを眺め、執事達と保有している株やらの話をしている。スマホで簡単に出来る様で、学校の休憩時間に、友達と遊び感覚で売買している様だ。つくづく普通の高校生ではない…。株をやったことがない俺は、ひとり話についていけず、何ともいえない疎外感を感じた。執事達は、会話しながらも良いタイミングでお茶を出したりスケジュールの確認をしたりと、スマートに仕事をこなしている。何で俺はここにいるんだろうという気さえしてきた。暇そうにしていたのがバレたのか、礼央様と目が合って手招きされる。
「シロ、行ってらっしゃいのキスして?」
「…………。」
これじゃ本当に、ペットかもしれない。全然対等じゃなくて、可愛がられるだけの愛玩犬…。諦めてキスをしながら、俺も証券口座くらいは開こうと心に決めた…。
礼央様が学校へ行ってから暫くすると、使用人の1人から寮の荷物のことを聞かれた。全部運び込むか必要なものだけ選ぶかというような段取りの話だったけど、朝から疲れていた俺は、体調が悪いからと先延ばしにしてしまった。本当に、このまま屋敷に住まないといけないんだろうか。礼央様にとっては自分の家だし、自由に振る舞いたいだけなのかもしれないけど、2人きりでもないのにキスする様な生活は、一昨日までβの男だった俺には負担だ。抑制剤でも飲めば、礼央様の態度が少しは変わるんだろうか。そうだ、薬のこともあるし、執事長に相談してみよう。俺は、部屋を出て執事長を探すことにした。
執事長には、専用の執務室がある。用事がなくて今まで行ったことがなかったけど、初めてドアをノックした。相当緊張したのに、返事はない。執務室にはいない様だ。たまたま近くにいた仕事仲間に声をかけると、最近よく非常階段でタバコを吸っていると聞いて、早速行ってみることにした。
あの真面目そうな執事長が、タバコなんて吸うのか…。
「執事長!」
非常階段の欄干にもたれて、タバコを吸う後ろ姿を見つけて、俺は控えめに声をかけた。
よく晴れた秋空の下、オールバックの黒髪に黒い執事服でタバコを吸う姿は、お堅い執事長のイメージとは違ったけど、すごくサマになっている。
「立花さん?」
一瞬だけ驚いた様な表情をして、執事長はまたすぐにいつものポーカーフェイスに戻った。
「抑制剤のことで、相談があったので…。」
近寄り難い雰囲気にビビりながらも、大事なことだしと単刀直入に切り出した俺に、執事長は黙ってまだ吸い始めたばかりのタバコを仕舞おうとする。
「あ、気にせず吸ってください。」
「…じゃあ、遠慮なく。」
あまり煙が流れて来ない場所に立って、執事長の姿をついじっと見てしまった。
「…よく、吸うんですか?」
「ストレスがたまると、吸いたくなりますね。」
その答えに緊張が走った。
執事長は、今ストレスが溜まっているのか!!
せっかくの息抜き時間に、声をかけちゃいけなかったかもしれない。それに、俺はヒートの件でも迷惑をかけてしまっている。まさか、それがストレス…?
「その、先日は、ご迷惑をおかけしてすみませんでした。特効薬まで打って頂いて、ありがとうございました!」
俺は、深々と頭を下げた。ものすごく恥ずかしい所を見られたけど、結果的には特効薬で助けてもらった。
「…いえ。」
執事長は俺の謝罪に極めて薄い返答をして、いつものポーカーフェイスのままタバコを燻らせている。
…は、話しずらい。
沈黙の時間が流れた。晴れて日差しがあるとはいえ、晩秋の涼しい空気が冷たく感じる…。
この雰囲気どうしようかとソワソワする俺に、
「抑制剤は、ヒート期間中にヒートを抑えるために飲むものです。まだ必要ありませんよ。避妊薬だけでよいかと。」
執事長が放った一言で、冷えていたはずの頬が、一気に熱くなる。
「避妊薬!?」
「Ωですから。礼央様は18歳になって成人はしましたけど、まだ学生です。流石に妊娠は困りますので。」
当たり前の様に言われ、ショックを受ける。でも、執事長の言う通りだ。Ωは男女問わず妊娠出来る。ヒート期間の妊娠率は、α相手だとほぼ100%のはずだし、ヒート期間以外でも、全くの0%ではなかったかもしれない。
「あの、日常的にフェロモンを抑える薬というのはないんでしょうか?」
「ありません。」
そう言われてしまうと、抑制剤の知識なんてない俺は黙るしかない。
フェロモンに過敏な礼央様を、自力で躱すしかないということか。今朝も事に及ばれそうになったし、それならもう屋敷になんか住まない方が良いんじゃ…。
「俺、実家に帰って屋敷の外で仕事を見つけたいと思うのですが…。」
「…急な話ですね。なぜです?」
唐突な俺の辞職意思に、執事長も流石に驚いたのか、男らしい直線的な形の眉を上げて俺を見つめた。
「礼央様とは、節度のあるお付き合いがしたいので…!」
真剣に言った俺に、執事長が今度は呆気に取られた様にタバコを吸う手を止めた。
「…立花さんは、変わった人ですね。」
いい意味とも悪い意味ともつかない、抑揚のない言い方だった。でも、俺は変わっていると言われたことがあまりないから、微妙にショックだ。
「そうですか…?」
「そうですよ。礼央様にあれだけ噛まれても訓練に付き合って、挙句Ωにまでなったというのに、仕事をやめて実家に帰るとは…。てっきり節度など気にせず、次のヒートで番になって、すぐに妊娠をご希望かと思っていました。」
節度を気にしない!?番になって妊娠を希望!?側からはそう見えるのか。確かにホルモンコントロールなんてものを受け入れて、Ωにまでなったんだ。そう思われても仕方ないのかもしれないけど…。
「Ωになったのもまだ信じられないくらいで、番とか妊娠とか、想像もつかないですよ…。」
そう言ってまた顔を赤くした俺に、執事長が静かにタバコを燻らせる。
「…なんだ、案外普通の人なんですね。」
「え、そうですか?」
俺の返答に、執事長が小さく吹き出した。様に見えたけど、あまりにポーカーフェイスで、よく分からない。
「…俺、変なこと言いましたか?」
「…いえ。」
ハラリと、タバコの先端から灰が溢れ落ちていく。
「βには番も、男で妊娠というのもないですからね。」
執事長が、洒落た革製の携帯用灰皿に灰を落とした。礼央様からは、もうβじゃないなんて言われたけど、Ωになったからって、そんなにすぐ考え方は変わらない。同じαでも、執事長なら俺の気持ちを分かってくれるんじゃ…。
「ですがラッキーかもしれませんよ。ホルモンコントロールの件がありますから、旦那様も番は容認するそうです。もし番になれば、藤堂家があなたの生活の面倒を見ますし、財産の権利も…。」
「そういうつもりでは、ないですから…っ。」
言葉を遮った俺に、執事長が切長の目を細めている。お金の話をされたのは、ショックだった。
世間からは、そういう目にも晒されるんだ…。やっぱりこんないい年して、急にΩになった俺の気持ちなんて、誰も分かってくれないのかもしれない。そもそもホルモンコントロールの話自体、信じてくれる人もいなさそうだし…。
どんどん気持ちが暗くなる。
「…立花さんには、礼央様への想いを貫く覚悟も、Ωとして生きていく強かさもないんですね。」
「………え?」
感情のこもらない淡々とした言い方だったけど、突き刺さる様な一言だった。
執事長は、静かにタバコの煙を吐き出している。
確かに、平たく言えばそうかもしれないけど、そこまでハッキリ言わなくても…!
ショックで返す言葉も見つからず、俺はただ俯く…。
迷わず番になれたら、どんなに楽だろう。でも怖いものは怖いんだ。どうせ俺は、中途半端な凡人だよ…。
何も言い返せないまま、黙り込んだ俺に、
「就業規則で定めている通り、辞職までには最低1ヶ月かかります。それまでは、礼央様のΩとして働いて頂くことになりますので、当面は安全のために屋敷で生活して頂きたいのですが。」
まるで追い討ちをかける様に、執事長の言葉が飛んでくる。
「…そうですか、わかりました。」
もうそう答えるしかなく、小さな声で呟くように返事をした。どう足掻いても、1ヶ月はここにいるしかないらしい。
知らず掌を握りしめる…。
「…βと違って、Ωは大変です。常にαから狙われる上に、誰かの番になろうにも一生を捧げる覚悟がいる。」
ふと執事長の声の調子が変わった。顔を上げると、やれやれという風な表情をしている。
「立花さんみたいな普通の人をΩにするなんて、礼央様にも困ったものです。」
切長の瞳に、同情めいた親しみがこもっている様な気がした。
「…俺も、受け入れたはずなんですが。」
意識はしてなかったけど、きっとそうなんだ。どうして俺は、こんな別世界の人を好きになってしまったんだろう。
「それはきっと、あなたの『本能』ですよ。」
「本能…?」
『本能』なんて言われても、食欲とか睡眠欲とかそういうものしか浮かばない。生まれつき持っている感覚みたいな…。
「本能と自分の心には、常にギャップがあるものです。意思を強く持たないと、これから大変ですよ?」
青空をバックに、そう言って執事長が微笑む。どういう意味なのか、具体的にはにはピンとこなかったけど、その笑顔が思いのほか優しくて、思わず目を奪われた。
こんな風に、笑う人だったのか…。
そんな俺の視線に気付いたのか、ふいに執事長が俺に背を向けてしまった。そして…。
「…まぁ、ホルモンコントロールを止められなかったこちら側にも責任があるので、相談くらいはいつでもどうぞ。」
頼もしい上司そのものという風に、静かに付け足した…。
礼央様が帰宅したのは、夕方の18時過ぎだった。学校が終わって、割とすぐに帰ってきたくらいの時間だろう。彼が通う学校は、裕福な家庭の子ども達ばかりが通う初等部から大学までの一貫校だ。裕福な家庭の子ども=α率が高いため、かなり学力レベルが高く授業時間も長い。大学は特に有名だけど、彼はつい最近、内部推薦で経営学部への進学が決まったと聞いた。
「シロ、居る?」
部屋のドアをノックされて、無視するわけにもいかずドアを開けた。まだ制服姿の彼が不機嫌そうに立っている。
「寮の荷物、まだ動かしてないんだって?」
「…まだ体調が悪かったので。」
礼央様にダメと言われたのに、それでも実家に帰ろうとしたからだとはとても言えない。
「全部頼めばよかったのに。」
「ある程度は、自分でやりたいといいますか…。」
簡単に言うけど、今までの仕事仲間に遠慮なく何でも頼めるかと言われると、人を使い慣れてない俺には気が引ける。
「もしかして頼みにくかった?シロが思うほど周りは気にしてないって。」
そりゃ屋敷の人達は、礼央様がΩを囲ったくらいにしか思っていないかもしれない。でも、囲われた当人は色々気にするものなんだ。
「明日、ちゃんとやりますから。」
「…ふーん。で、お帰りなさいのキスは?」
…そうだった。すっかり忘れていたと気まずい表情をしたら、催促される様に頭を撫でられた。そういえば、Ωになってからやたら頭を撫でられる様になった気がする。礼央様相手に年上風を吹かせても仕方ないけど、撫でられる度に絶対的な上下関係を感じて変な気分だ。今までしてきたβ同士の恋愛とは、やっぱり全然違う…。
「…お帰りなさい。」
Ωの仕事だと諦めて、背の高い彼の頬にそっとキスをした。自分より背の高い彼女なんていたことがないから、本当に変な感じだ。
「出迎えにも来れないくらい、体調が悪い?」
「え? そういうわけでは…。」
「……へぇ。」
「いや、…すみません!」
不機嫌オーラに流されて謝ったけど、お帰りなさいのキスって、礼央様が帰宅したら出迎えろという意味だったのか!?執事達はもちろん玄関ホールまで出迎えに行くけど、使用人の俺は、今まで行くことはなかったから頭になかった。明日から、彼の帰宅時間を把握しないといけない。週末になると帰りが遅くなるみたいだけど、まさか夜遊びも起きて待っておかないといけないのか…?
「俺がいつ帰ってくるかとか気にならない?」
「…それは、まあ。」
気にはなるけど、側近でもないのに礼央様の予定を根掘り葉掘り聞く勇気はなかったな…。
「気になるなら、ちゃんと聞けよ。」
高圧的な言い方だけど、プライベートの予定も教えてくれるということの様だ。彼なりに、ちゃんと付き合おうとしてくれているのかもしれない。
「…明日は、学校のあと何かあるんですか?」
「シロと映画観に行きたい。前にそんな話したろ?」
そういえば、前に俺が女性と映画を観に行って、それを彼が羨ましがってくれたことがあったのを思い出した。
いや、待てよ。そういえばあの時の女性と、また週末辺りに会う話をしていた様な…。そうだ、礼央様が一旦電話で断ったのに、俺からまた連絡したんだった…!
すっかり頭から抜けていたけど、親のツテで会った女性だ。バース性が変わったことを話して、きちんと断らないといけない。大変なことを思い出して、ひとり冷や汗を流す俺に、
「…どうかした?」
礼央様が訝しげな表情をする。
「いえ、映画いいですね。是非行きましょう!」
何とか作り笑顔で誤魔化し、
「ちょっとまだ体調がイマイチなので、今日はもう失礼します…っ。」
そう言って逃げる様に部屋へ入ろうとしたら、素早くドアが閉じない様に押さえられる。
「もう一度、医者を呼ぼうか?」
「いえ、寝たら治りますからっ!」
「…何か、変。」
礼央様が俺を観察するみたいに、見下ろしてくる。
「そんなことありませんよ…。」
見つめてくるヘーゼル色の瞳から、つい視線を外すと、彼がスルリと部屋に入って来た。
「礼央様…?」
ドアを閉められ、ますます嫌な予感しかしなくなる。
だめだ、表情に出しちゃ…。
「別に何もありませんから。」
「シロは嘘つくの、本当に下手だよなぁ。」
呆れた様に言って、彼の手が俺の腰にまわる。つい避けようと後ろを向くと、背後から抱きすくめられた。
「何だろーな、映画…。あの時の女は断ったし…。また連絡でもしてきた?」
「いえ、そんなことは…。」
下手なことを言いたくなくて、小さく首を振って黙り込む。
「あ、近そう。」
な、何でわかるんだ!?
仕事の制服のままだった俺は、カッターシャツのボタンに手をかけられ、冷や汗が止まらなくなる。ボタンを外そうとする彼の手を止めようとしたら、その手を強く払われた。相変わらず、力が強い。払われた手が痛かったけど、自分に後ろ暗いところがあるだけに怒れなかった。彼は、この女性の件については本当に厳しい。この場を切り抜けられるか、不安になってくる…。
ヒートで付いた咬み傷を確かめるように、シャツの隙間から入ってきた彼の長い指が、傷跡をなぞってくる。ほぼ内出血だけの浅い傷だけど、強く触れられると痛む、そうだ、痛むだけ…のはずなのに…。
「礼央様、本当に何もないですから…。」
痛みとも快感ともつかない感覚が、俺の肌を侵食し始めた。
何だこれ。体が、またおかしい…。
「早めに白状した方がいいよ?」
「………っ。」
傷口に爪を立てられ、俺はビリビリするような感覚に顔を顰めた。過敏な程に反応する自分の体に焦る。
「…いい匂いがする。ベッドでゆっくり、体に聞こうか?」
「……っ。ちゃんと、電話して断りますから!!」
彼の一言に、反射的に自分から白状してしまった。
これ以上触られたら、ダメな気がした。ヒート以外で抱かれるのは、想像するだけでも怖い。あの時一線を超えたとはいえ、あれは自分もおかしかったし、今となっては夢の様な感覚だった。
「ヒート前だったので、その…。」
例の女性との一件は、βで単なる使用人の俺が主人を好きになっちゃいけないと思って、ついもう一度連絡してしまっただけだと必死に釈明はしてみたけど…。
「わざわざそんな余計なことしたんだ? 見といてやるから、今連絡して断れよ。」
礼央様の機嫌はさらに悪くなり、荒っぽく腕を引かれて、部屋のソファに座らされた。
身から出た鯖な上に彼の醸し出す威圧感に気圧されて、俺は仕方なくスマホを手に取る。彼は本当に、このことについて容赦がない。人の電話に勝手に出て、断るくらいだし…。
19時代か。まだ仕事中かもしれない。彼女が出ないことを祈りながら、電話をかける。
『もしもし、真白さん?』
…繋がってしまった。
彼女の明るい声に、俺の心は沈んだ。
「…今、ちょっとだけいいかな?」
『いいですよ!私もそろそろ連絡しようと思ってました。』
端的に説明して断らないと…。
何と言えばいいか迷っていると、彼女が気を遣って話を切り出してきてくれる。
『週末のお休み、大丈夫そうですか? この前友達と行った、美味しいお店なんですけど…。』
「ごめん!!…その、最近体調が悪くて、病院で勧められてバース検査を受けたら、その、Ωだって言われて…。それで電話したんだ。」
ホルモンコントロールされたとは言えないし、その辺りは咄嗟に誤魔化した。
隣に座っていた礼央様が、俺のスマホを当てた耳元に顔を寄せて来る。
『えっ…、本当ですか!? 体調は大丈夫なんですか?」
彼から離れようと背中を向けると、後ろから両手を腰に回された。ギョッとして振り向くと、意地悪く微笑み返される。
「体は大丈夫だけど、バース性の条件が変わってしまったから、もう会わない方がいいと思って…。本当にごめん!」
明るかった彼女が黙ってしまい、気まずい沈黙が流れる。
ふと、はだけたままだったシャツの隙間から彼の手が忍び込んできた。そして、俺の胸の辺りを弄り始める。
「っ………!」
な、何して…っ!
声に出せない分、振り返って思いっきり睨んだ。スマホを持っていない方の手で、触ってくる彼の手を制止したのに、彼は反対の手を伸ばしてきて、同じ様に触れてくる。俺は片手しか使えないのに…!
「き、急にこんなことになってごめん!」
立ちあがろうとしても引き戻されて、彼女に気づかれたくないしあまり大きくは動けない。長い指で乳首を引っ掻く様に触られると、体が勝手に熱をもち始めてくる…。
『真白さんこそ、大変でしたね。Ωなんて珍しいし、すごいじゃないですか!』
「そ、そうかな…。」
変な声が出そうになって、長くしゃべれなくなってきた。
ダメだ、早く電話を切らないと…。
『真白さんは、やっぱりαの方を探すんですか?』
「一般的には、そう、なのかな…。」
押し殺した様な声になってきて、自分でも不自然さを感じる。礼央様が、後ろで小さく笑う気配がした。
「αの彼氏が出来たって言えよ。」
スマホを当てていない方の耳に小さく囁かれ、冷や汗が流れた。彼の手が、下に降りていく…。
『バース性が変わっても、私は大丈夫というか…。また会えませんか…?』
「…っ、あっ、いや、ごめん!」
ベルトに手をかけられ青ざめた俺は、覚悟を決めた。
「好きな人がいて…、本当にごめん…っ!!」
あの時自分から連絡しといて、こんなこと言うのは最悪だと思いつつも、もう言うしかなかった。
『…もしかして、あの時の〝お友達〟?』
「そう、なんだ…。ごめん…。」
気まずい雰囲気が流れる中、彼にベルトを外され下着の上から体の中心を撫でられた俺は、
「だから、もう、ごめん…っ!」
そう言って、無理矢理電話を切ろうとした。でも…。
『何となく、そんな気がしてました。〝お友達〟はαの方ですか?」
「そう、だよ…。」
続く彼女の話を聞きながら、俺は足を必死に閉じて彼の手を阻止しながら声を堪えるのに必死だった。
『…大丈夫、なんですか? その…αの男性のいい様に、されたりとか…。』
一瞬返答に詰まった。すると、彼が苛立った様に俺の耳介を噛む。
「……っ! だ、大丈夫だから…。」
『…そうですか。あの、楽しかったです。』
「…そんな、っあ、ありがとう。いや本当にごめん…、もう、切るね…っ!」
何とか無理矢理電話を切ると、力が入らなくなった手からスマホが滑り落ちる。礼央様はいつもの笑みを浮かべて、
「ま、少しは気が済んだかな。」
そう言って、悪びれもしないし、手も止めない。
「礼央様、やっていいことと悪いことが…っ!」
いくらなんでもひどすぎると思うのに、体は与えられる刺激に簡単に応えようとする。
俺の体、こんなことされて何で気持ち良くなるんだよ…!
「興奮したくせに。」
「そんなわけ…!!」
「じゃあ、見せて。」
「い、嫌です…っ!」
ソファから立ち上がって逃げようとした所を、絨毯敷きの床に押し倒され、無理矢理下着ごとズボンを下ろされた。ゆるく勃ち上がっている…。
「嘘つき。」
俺を見下ろしながら、彼がペロリと唇を舐める。
「違います、これは…!」
自分でも信じたくなくて、恥ずかしさと情けなさに涙が滲んだ。嫌だったのに、何でだよ…。
「Ωのシロは、やらしいな。」
顔が一気に熱くなる。ヒートでも、ないのに…!
ヒートは流石に無我夢中だったけど、こんなのはもう、逃げ出したいくらい恥ずかしい…!!
「ぅあ………っ!」
さっきも弄られた乳首を、また指で捏ね回される。左は、以前彼に噛まれた傷があるところだ。触られると、またぶり返すようにピリッとした痛みが走る。
「ここ噛むと、シロいい匂いするんだよな…。」
そう言って、彼が左の乳首に歯を立ててきた。乳輪ごと引っ張る様に甘噛みされて、乳頭を引き出す様に強く吸われると、痛いのに甘い疼きが広がっていく。
「やめ…っ、そこ噛まないでくださ……!」
そう思うのに、気持ち良くて抵抗できない。反対も指で摘んだり、爪をたてられたり、かなり強く刺激される。痛いのに、変だ、気持ちいい…。
執拗に甘噛みされた後、ジンジンしてきた乳首を優しく舌で舐められると、もう堪らない気持ちになる。
「…真っ赤に腫れてきた。次、反対。」
「や、やめっ…!」
涙目で制止したけど、右側も同じ様に噛まれてしまう。
「うぁ……っ!」
男なのに乳首で感じるなんて、今までそんなことなかったのに。噛まれて、舐められて、たまらなかった。
「ここ、もっと感じる様にしてやる。」
人の弱みを狙って噛んでくるようになったのか!? 頭では勘弁してくれと思うのに、まるで期待するみたいに体は熱をもつ。
完全に勃ってしまった俺自身を、ふいに指でなぞられて腰が跳ねた。あともうちょっと強い刺激をもらえたら、イケそうなのに…。頭の端に浮かんだ考えに、自分で自分が恥ずかしくなる。
「シロはこっちでイこうね。」
「え…? うぁ…っ!」
後ろに指を入れられて、異物感に体がすくんだ。でも、ほぐす様に何度か指で掻き回されると、すぐに内側が疼き出す。
知っている、この感じ…。
長い指で前立腺の辺りを何度か擦られると、
「あっ、そこは……っ!あぁ…っ!!」
強い快感に我慢できなくなって、俺はあっという間に自分の腹の上に白濁を放った。
思い出した。ヒートで散々与えられた、後ろへの刺激…。
「あーあ、トロけた顔しちゃって。」
意地悪く言われて、頬がカッと熱くなる。
こんなに簡単に後ろでイくなんて、俺の体、一体どうしちゃったんだよ…。あのヒートでしか抱かれた経験なんてないのに、自分でも信じられなかった。男として、許容範囲を超える恥ずかしさだ。それなのに、体はまだ足りないと疼いている。
指だけじゃなくて、もっと…。
そこまで考えて、俺はもう自分で自分が怖くなって、彼の下から逃げ出そうとした。
「まだ足りないだろ? シロが欲しいのあげるよ。」
でもすぐに、大きな影が覆いかぶさってくる。俺は軽くパニックになって、両手で必死に彼の体を押し返した。
確かに体は変だけど、それを認めるなんて絶対無理だった。
「違う、違います、俺……っ!」
「違わないよ。シロ、いい匂いがする…。」
彼の手が、俺の頭を優しく撫でる。制服姿の礼央様に女みたいに扱われる自分なんて、ヒートでもなければ受け入れられない…!
「大丈夫だから、俺に任せて。」
端正な顔で微笑まれ、優しげに囁かれた。キスされそうになって、思わず顔を背ける。
「俺は、女じゃありません…っ。」
「はいはい。可愛いね。」
彼が、俺の耳たぶを噛む。その感触に、体がゾクリと震えた。まるで、俺の抵抗なんて意にも介していない様な言い方だ。耳の傷を舐められて、体がまた疼く…。
彼がベルトを外す気配に、
「やっぱり俺、体調が…っ!」
渾身の力で腕を突っ張り、逃げようとしたら、
「…素直じゃないな。怖くないから、ほら、足開けよ。」
彼の声が、怒気を含んで低くなる。
すごい力で押さえつけられて、後ろに彼自身が突きつけられた。そしてそのまま、入口をゆっくりこじ開けられていく。
「う゛あぁぁぁ……っ!」
固くて大きくて熱いものが、入ってくる。苦しいのに、じんわりと甘く痺れる様な感覚が広がって、下半身に力が入らなくなる。体が悦んで、彼を受け入れようとするのがわかった。
「シロの中、すごい絡みついてくる。…わかる?」
制服姿の彼が、いつもとはまるで別人に見えた。ヘーゼル色の瞳が、捕らえた獲物を満足そうに眺めている。
ふと、高校生になって初めて、この制服を着た彼を見た日のことを思い出す。オーソドックスで高級感のあるデザインが本当によく似合っていて、眩しいくらいだった…。
俺は、訓練を頑張って、彼を立派な後継にしようと…。
「あーあ、こんな体じゃ、もう女なんて抱けねーな?」
「ひっ…………!!」
同じ制服を着て意地悪く微笑う彼に、腰を突き上げられる。
必死に声を殺しながら、感じている顔を見られたくなくて、俺は両手で顔を覆った。
「隠すなっ。全部見せろ…!」
両手を絨毯に縫い止められて、最後の抵抗に目を固く瞑った。
「うぁ……っ!!」
だけど腕に噛みつかれて、突然の痛みにまた目を見開く羽目になる。怒りのこもった視線に見据えられ、情けなく涙が滲んだ。
「…少しは思い出した? シロの体は変わったんだ。俺が欲しいくせに、嘘つくシロが悪い。」
そう言われて弱い所を突かれると、無理矢理のはずなのに、体は悦びに震える。ヒートじゃなければ、体は元通りだなんて思っていたけど、そんなこと全然なかった…。
「素直に、悦べ…!」
「いやだ、やめっ、あ゛っ、あ゛ぁっ~~~~~!」
自分が放った白濁が、彼の制服を汚す。その光景に、涙が止まらなくなった。泣きながら被りを振る俺に、
「何、もっと?」
容赦の無い声が振ってくる。イったばかりなのに、またすぐに腰を動かされて、強すぎる刺激に頭が朦朧としてきた。体が熱い…。ドロドロした快感の波に飲み込まれて、もうわけがわからなくなってくる…。
やっと終わったと思ったら、礼央様がお腹が空いたと言い始めて、彼の側近達が、部屋に食事を運んだり、汚れた絨毯を掃除したり慌しく動いている気配がした。俺はいつの間にかベッドにいて、こんな姿を見られるのは死にたいくらい恥ずかしいし嫌だったけど、それを口にしたり態度に示す気力は、もうなかった。
「シロも食べろよ。」
礼央様は、言いたいことを言ってやりたいことをやったからか、ソファで機嫌よく食事をしている。彼は、汚れた制服からスウェット風のラフな私服に着替えていた。
「…後で食べます。」
返事をしないわけにもいかないので、俺はそれだけ言って目を閉じた。
俺は、自分のことを普通の人間だと思っていたけど、そうじゃなかったのかもしれない。意識してなかっただけで、同じ男で随分年下の礼央様を、いつの間にか邪な目で見ていたのか…?彼のために訓練してるつもりだったけど、あんなに噛まれても彼の側から離れなかったのは、自分のためでもあったのかもしれない。俺、もしかしてマゾ…?しかも男に抱かれてこんなに感じまくって、自分が思っていた自分と本当の自分は、全然違うのか…?本能とか欲望とか、自分の中にある仄暗いものを突きつけられたような気がした。Ωにまでなっておいて、普通の男ですみたいな顔は、もう出来ないんだ…。
「シロ、ほら食べろ。」
ベッドが軋んで目を開けると、礼央様がお皿を持ってベッドサイドに腰掛けている。すぐに執事が近づいて来て、
「私がやりますので、礼央様はゆっくり食事を…。」
「シロの世話は、俺がするからいい。」
手伝おうとする執事を下がらせて、彼がまた俺の頭を撫でた。年上だとか男だとか、他にもあらゆるプライドと常識を捨てて、彼の意に沿えばいいだけの話なんだろうか…。
俺は、ベッドの上でゆっくりと体を起こした。柔らかい絨毯が敷いてあるとはいえ床の上だったし、ずっと緊張していたからか、背中と体の関節が痛む。
「口開けて。」
温かいリゾットをスプーンで口に運ばれて、大人しく食べる。エビやら貝やらたくさん入っていて、美味しい。
「どう?」
「…美味しいです。」
俺の返事に、彼がまた口元にリゾットを運んだ。変な、感じだ…。主である礼央様に手間をかけているというよりは、まるで餌付けでもされているみたいな…。
「ほら、あーん。」
いや、きっと気のせいだ。彼の態度は優しいし、さっきは例の女性の件があったから、怒らせただけで…。
「礼央様も食べてください。」
そう言って、自分で食べようと皿を受け取ろうとした俺に、
「じゃあ、もう一回シロを食べてもいい?」
彼が本気とも冗談ともつかない言い方をする。ダメですとか言っても、Ωだからとか言われて押し問答になりそうだ。
「…あ、明日にしませんか。あの、映画決めましょう。」
隙あらばと狙われる側だから、こういう変な感じがするのかもしれない。女の子って大変だな。いや、Ωもか…。
彼の意に沿わないといけないんだろうけど、全部は無理だ。
「ふーん、明日?」
「…はい。映画楽しみですね。」
そう言って、精一杯の好意的な笑顔を浮かべてみた。頬が引き攣る…。でも、俺も同じ男だ。ただ断られるよりは、何らかのフォローがあった方がいい気がする。
「そうだな、時間が合うやつだと…。」
礼央様も分かってくれたのか、スマホで映画を検索し始めた。俺が、ちゃんと好意を示したらいいんだ。人前では恥ずかしいけど、2人きりの時はそう心がけよう…。
******
翌朝、礼央様を起こしに行くと、また性懲りも無く襲われそうになった。いくら昨夜、『明日』と言ったからって、朝からは困る。半分面白がる様に揚げ足を取ってくる彼に手を焼きながらも、何とか夜まで待つよう言い聞かせ、遅刻しないよう学校へ送り出す。…夜が怖い。そして、朝から疲れる…。
今日は寮の荷物も動かさないといけなくて、朝から手伝ってもらいながら荷物を整理した。キッチン用品や掃除道具なんかは危うく捨てられそうになったけど、たいした量じゃないしダンボールに詰めたまま部屋の隅に置いておくことにした。何となくだ。また、使うかもしれないし…。礼央様とちゃんと向き合ってみようとは思うけど、ここに一生住むなんていうイメージは、全くつかない…。
キリのいい所でやたら豪華な昼食を食べ、睡魔に襲われそうになっていると、ふいに部屋がノックされた。返事をしてドアを開けると、執事長が立っている。
「立花さん、荷物の方はひと段落しましたか?」
いつもの精悍なポーカーフェイスでそう聞かれ、見て欲しいものがあると別室へ連れて行かれた。恐る恐る着いていくと…。
「どうぞ、好きなだけ選んでください。」
そこには、ズラリと洋服が並んでいた。セレクトショップみたいに、色々なブランドの異なったテイストの服やら靴やらが揃えられている。
「え、俺、服なら持ってますけど…。」
「礼央様と出掛けるには、それなりの格好をして頂きます。今夜は、デートなんでしょう?」
改まってデートなんて言われると、途端に恥ずかしくなる。
「映画を観に行くだけですよ!?」
「聞いています。座る時間が長いですし、あまり窮屈でない服がいいでしょう。彼に似合いそうなものを。」
執事長の指示で、お洒落な雰囲気のスタッフが、どんどん見繕って勧めてくる。アパレル店員さんの、お似合いですよ~という押しの強さが苦手な俺は、何を選べばいいのかよくわからなくなって、すぐに混乱してきた。
「あの、礼央様っていつもすごいシンプルな服ですよね?俺も、そういう地味な感じがいいんですけど…。」
礼央様の私服を思い出してみると、派手な色を着ているのは見たことがないし、デザインや装飾もほとんどないようなものばかりだった気がする。
「礼央様は、身長だけでも目立ちますから。目立たないデザインを好まれます。でも、全て良いものですよ。」
執事長がそう言って、スタッフが出してきた服を眺めている。
「屋敷では、スウェットとかジャージばっかりなのに…。」
私服はそんなにお洒落だったのかと関心していたら、
「屋敷内で着ているものも、ただのジャージじゃありませんよ。バレン○アガやロ○ベや、色々ですけど。」
そう言われて驚いてしまった。俺にしてみれば、そんなハイブランドに、ジャージやスウェットがあったのか…というレベルだ。
「立花さん、いくつか着てもらっていいですか?」
埒があかないと思われたのか、執事長が選んでくれることになって、言われるがままに試着する。値札を見ると、どれもこれも高級で試着するだけで緊張する…。
「来週末のパーティー用にも選んでおきましょう。」
「何かあるんですか?」
何でも来週の土曜日には、藤堂グループと付き合いのある会社社長の還暦祝いがあるらしい。海外にいる旦那様の代わりに礼央様が行くことになっており、俺も同伴する様だ。還暦だというのにΩ好きの社長のために、Ωのコンパニオンがたくさん来るらしく、訓練にもちょうどいいからという話だった。そのためのスーツも、試着する羽目になる。
「立花さんは、どんな服装が好きですか?」
「冬なら軽くてあったかくて、洗濯しても乾きやすい服がいいです。」
「…凡人ですねぇ。」
「なんか、褒め言葉に聞こえます…。」
執事長に凡人と言われて、つい喜んでしまった。昨夜の一件で、自分はもう普通じゃないんだと思っていたから。今思えば、普通という立ち位置は心地よかった。服装ひとつとっても、普通のものというのは日常で使いやすく機能的だ。
元気のない様子の俺に、執事長は何も言わずテキパキと、代わりに服を選んでくれる。
「普通の服だけではなく、こういった特別な服も、立花さんにはきっと似合いますよ。お手伝いしますから。」
いつものポーカーフェイスだけど、励ましてくれている様だった。
「執事長…。」
昨夜、礼央様にめちゃくちゃにされて、自分は男に抱かれて喜ぶマゾかもしれないと落ち込んだ、とはとても言えなかったけど、執事長の一言は、なぜか心に沁みた。
アパレルスタッフのお似合いですよ攻撃とは違って、何かこう、思い遣りを感じる。言い方はクールなのに…。
「執事長って、ほっ○レモンみたいですね。」
「…どういう意味ですか?」
言ってしまった後で気まずくなった。俺、何を口走っているんだろう。
「いえその、冷めても美味しいというか!この前コンビニで買って、飲んだんですけど…。」
執事長が、ふっと静かに吹き出す。
「冷めてもって、何で初めから冷たい飲み物じゃないんです?」
「それは…何となく。確かに、何でそう思ったんですかね…。礼央様は、冷たい炭酸飲料みたいな感じなんですけど…。」
真面目に悩む俺に、執事長が小さく笑っている。
「あぁ、分かります。氷少なめの炭酸キツめじゃないです?あの人、実際コーラとか好きなんですよ。」
そういえば、よく飲んでいる気がした。夏じゃなくても、冷たいジュース類が好きみたいだ。
「しかもコーラには、絶対にレモンがいります。ないと不機嫌になるので、礼央様付きの執事は、コーラと言われたらレモンを欠かさずつけるんですよ。」
それは、今まで気づかなかった。執事長は彼を子どもの頃から知っているらしいし、彼について色々と詳しいみたいだ。
なんだ、執事長って無口な人かと思っていたのに、意外と喋ってくれる人なのかもしれない。笑うと、切長の瞳の目尻が下がって、内面の穏やかさを感じた。
一見クールに見えるけど、多分執事長は温かい人だから、冷めた飲み物みたいに思えたのかもしれない。
ついじっと見つめていた俺に、
「…立花さんは、常温の麦茶みたいですよ。」
執事長が、そう言って背を向ける。
「え、麦茶って…、なんかダサくないですか!?まだ水の方が…。」
そんなくだらない話をしているうちに、俺は随分と元気を取り戻すことが出来た。
礼央様が帰宅したのは、夕方の17時過ぎだった。事前におおまかな帰宅時間も聞いていたし、今日は忘れずに出迎えに行く。執事達がいる前でお帰りなさいのキスをするのは心底恥ずかしいけど、挨拶だと割り切って彼の頬に口付けた。
「シロ、可愛い格好してるね。」
選んでもらった服に着替えていた俺に、彼が目を細める。上品なベージュのチェック柄のセットアップだ。
「今日、執事長が選んでくれました。」
全体的にゆるっとしたシルエットで、ジャケットでもきちんとしすぎないとか何とか…。
「成瀬の趣味っぽい。俺も小学生くらいの頃は、あいつに選んでもらってた。」
何でも、執事長が就職してすぐの頃は、礼央様付きの執事だったらしい。その頃小学生だった彼は、自分で選ぶのが面倒で、出掛ける時の服は執事長が選んでいた様だ。
「成瀬、可愛い系好きなんだよな。あんな無愛想な顔して、平気でピンクのシャツとか、そういうチェック柄とか選んでくる。」
2人のやり取りを想像したら可笑しくなって、つい笑ってしまった。子ども時代の彼は、こだわりもなく言われるがままに着ていた様だ。
「昔の礼央様、可愛いかったんでしょうね。」
「えー、今は? ディ○ニーでカチューシャとか付けてたら、写真撮られたりするよ? 全然知らない子から、かわいーって。」
アイドル系の華やかさもある彼には、確かに似合いそうだ。中身は本物の獣だし…。でもあのカチューシャを付けるなんて、さすが半分外人だ。ノリがいい。○ッキーだけじゃなくて、クマとか犬とかの耳も付けてみて欲しい。
「それは見てみたいですね。」
「じゃあ、今度一緒に行こうよ。」
礼央様と2人は、色々な意味で目立ちそうだな…。ついそう思ってしまったけど、俺は心を決めて頷いた。付き合っているんだ。とにかく、何でも前向きに考える努力をしよう。
礼央様が着替えるのを待って、運転手付きの車で出掛けた。彼は、大きめの襟がついたベージュのジャケットを着ていて、そのせいかただでさえ小さい顔が余計に小さく見える。一瞬、同じ人間かと疑ってしまった。隣に並ぶのに勇気がいるレベルだ。ベージュで色を揃えたらしく、確かに同じ様な色味でリンクコーデみたいになってしまった。仲良し感を出されると、気恥ずかしい…。
礼央様とのデートは、初っ端から普通と違って、完全な2人っきりではない。登校もそうだけど、彼の外出には必ず送迎が付く。礼央様と車に乗るのなんて、初めてだ。緊張したけど、高級車の乗り心地にはつい感動してしまった。振動がほとんどなくて、すごい安定感だ。
「こんな高級車、一度運転してみたいですね!」
興奮気味の俺に、礼央様が目を細める。
「そういえば、シロって運転好きだったよな。」
「はい。遠出すると気分転換になるので。」
そういえば、社会人になったら車を買おうと思っていたのに、屋敷の寮生活になって買えていない。仕方なく実家の車を借りて、時々ドライブしていた。
「俺も運転したいんだけどなー…。」
「そう言わず、私の運転で我慢してください。」
ふいに、年配の穏やかそうな運転手の声がした。
事故にでもあったら大変だからか、礼央様は運転をさせてもらえない様な雰囲気だ。
「でも、礼央様免許取ったんじゃ…?」
確か18歳になってから、学科試験は独学ですぐ合格して、教習だけ家庭教師みたいな形で受けていた記憶があった。そしてものの数日で免許を取っていた様な…。
「そうそう。免許は嗜みとして取っていいけど、運転するのはダメとかひどいだろ?」
礼央様は、不満そうに口を尖らせている。ここまで恵まれすぎると逆に自由がなくなるんだと思うと、少し可哀想だ。
「…今度、車のレースゲームでもしませんか?」
「えー、ゲームかぁ。いいけど、負けねーからな。」
負けず嫌いな礼央様が、不敵に微笑う。こんな風に何気ない話をするのは、何だかんだ楽しいな…。
商業ビルの地下駐車場へ着いたのは、上映時間の30分以上前だった。映画館への直通エレベーターを降りると受付があり、彼が受付をしている間に、俺はつい周りをキョロキョロと見回した。受付の周りにはソファとテーブルが並んでいて、豪華なラウンジの様になっている。平日で人は少ないけど、誰も俺達2人を変な目で見る様子はない。目立つ礼央様への視線くらいだ。男同士でもΩなら、本当に世間の見方は変わるんだな…。
そんなまばらなラウンジに、目を引くカップルが1組、お茶をしていた。2人とも若くて美男美女なんだけど、彼女がもの凄く可愛い。華奢な体にミニワンピースを着た、芸能人級の美少女だ。しかも彼女もΩなのだろう。ネックをしている。
「おい。」
礼央様の声に、ハッとした。受付が終わったらしく、なぜか案内係の人も一緒にいる。どこかへ案内してくれる様だ。廊下を歩きながら、
「さっきの、知り合い?」
礼央様が、抜け目なく聞いてくる。つい見惚れていたのが、バレているのか…?
「いえ、Ωが珍しくて見ていただけです。」
昨夜のこともあるし、絶対に女性の話はしたくない。平静を装う俺を、礼央様は少し勘ぐるような目で見たけど、それ以上は追求してこなかった。美人には気をつけないと。礼央様のΩは大変だな…。
案内されたのは、ソファとテーブルが置かれた待合室だった。お洒落なウェルカムドリンクやらお菓子やらが選べて、お茶しながらここで待てると説明される。
「広い席を取ったというのは聞きましたが、待合室まであるなんて凄いですね…。」
昨夜、せっかくだから広くていい席で観たいと礼央様が言っていたのを思い出した。上映時間が近づいたら、個室席の方へ案内してくれるんだそうだ。
「周りから見えにくい方が、シロは気が楽だろ?」
確かにいくらΩでも、男2人でカップルシートは恥ずかしいと思ってしまっていた。2人で出掛けるのは初めてだし、気を遣ってくれた様だ。
「…すみません。」
こんなセレブ席、かえって申し訳なかった様な気がして謝る俺に、彼がフードメニューを差し出してくる。
「軽く食べとく? 好きなの選べよ。」
ピザやホットドッグの軽食の写真がたくさん載っている。
「礼央様は、何がいいですか?」
「ホットドッグくらいにしとこーかな。映画終わったら、美味い所連れてってやるよ。」
「終わったら21時ですよ!? 明日も学校じゃないですか。」
「別に平気だけど?」
「…高校生ですよね。」
今日はまだ木曜日だというのに。さすが、ご両親が海外で仕事しているのをいいことに、夜遊びしまくっているだけある。ただ美味い所と言われても、毎日屋敷で出される食事が高級レストラン顔負けだし、むしろラーメンやチェーン店のカレーの方が恋しい。つくづく庶民な舌だ。1人で食べに出ようかとも思ったけど、外出には必ず送迎がつくと言われて行けずじまいだし…。映画館のホットドッグやポップコーンも、美味しそうに見える。結局、ホットドッグを数種類とポップコーンを頼むことにした。待合室内にある電話で頼もうとしたら、
「あとコーラも。レモン付けるように言って。」
礼央様の言葉に、執事長との会話を思い出した。礼央様のコーラにはレモン必須というのは、外でも同じなのか。しかもホットドッグにも、具材を抜いたり追加したり色々と細かい注文を付けてくる。俺は、店でメニューにない様な細かい要望を出したことがないので、注文しながら自分の方が恐縮してしまった。流石に、お坊ちゃんの彼は我儘だ…。
そうこうしている内に、上映時間が近づいてきた。また係の人が来て、席まで案内してくれる。
案内された席は、一般席を見下ろす位置にある仕切られた空間だった。大きなソファ席と、テーブル、足を伸ばせるオットマンまである。細かいオーダーをしたからか、ホットドッグは出てくるのに時間がかかって、この席まで持ってきてもらえた。コーラには、レモンも付いている。
「すごい、いい席ですね。」
「のんびりできていいだろ?」
大きなソファ席は、座面がすごく柔らかい。仕切られているから周りは気にならないし、背後に大きなスピーカーがあって迫力もある。こんな映画鑑賞は初めてだ。興奮して周りを見廻す俺とは対照的に、礼央様はジャケットを脱いでハンガーにかけると、席で静かに寛いでいる。少し大人気なかったと思い直して、俺も大人しくホットドッグを食べていると、不意に頬をペロリと舐められた。
「!?」
驚いてトッピングを落としそうになった俺に、
「ケチャップ付いてたから。」
礼央様は、何でもないことの様に言う。
「急に舐めるのやめてくださいよ!」
「えー?」
動物が毛繕いするみたいな自然さで舐められると、改めて彼は動物的というか本能的だと思わされる。そして、それを何だかんだ可愛いと思っている自分にも気付かされた。頬が、熱い…。
館内が暗くなって、予告編の後に上映が始まった。映画は、礼央様が選んだホラー系の恋愛ものだ。序盤から血飛沫がすごい…。ホットドッグを早めに食べ切って良かった。礼央様は気にならないのか、まだのんびりと食べている様だ。
それにしても、彼と映画館に行く日が来るなんて、想像もしていなかったな…。たった数日のことなのに、Ωになってすっかり日常が変わってしまった。心のどこかで俺は、彼とのこういう日常を望んでいたんだろうか…。
そんなことを考えながらも、だんだんと映画の世界に入り込んでいく…。
ふと、ポップコーンを摘んだら、その手にパクリと噛みつかれた。暗いし油断していた。
「び、びっくりするじゃないですかっ!」
小声で抗議すると、可笑しそうに礼央様が笑う。ちょうどホラーなシーンだったし、驚いて心臓がバクバクしている。彼が、俺を宥めるみたいに膝の辺りを撫で始めた。広い席なのに、距離が近い…。
ふとスクリーンの中で、キスシーンが始まってしまった。礼央様は、ずっと俺の膝に手を置いたまま、映画を見つめている。何かされたらどうしようとつい身構えたけど、特に何もなく、別のシーンに変わった。だんだんと映画の内容より、隣の礼央様の行動の方が気になってきた。ずっと膝に手を置かれていると、彼の体温やささいな指の動きがとにかく気になる。しばらく耐えていたけど、映画で恋愛色の強いシーンが出てくる度に妙に心拍数が上がる自分に疲れてきた…。
「…トイレに行ってきます。」
彼の手から自然に逃れようと、俺は一旦席を立つことにした。せっかくの映画に、集中出来ない。それなりに女の子と映画を観に行ったことはあるのに、何なんだこのドキドキ感は…。女の子が、映画の内容に思わず驚いたり笑ったりして目を見合わせたり、感動して涙ぐんだりするのを見てドキドキするのとはまた違う。礼央様が、そういう反応をしてくれたらいいのに。映画への反応なしにスキンシップだけ取られると、ストーリーの中に入れないじゃないか…。
VIP席からトイレは近く、少し気持ちを整えてから戻ろうかと思っていた所で、ラウンジで見かけたカップルの男性の方が、トイレへ入ってきた。
「君、さっきラウンジで…。」
「え!?…すみませんっ。」
もしかしたら、俺が彼女を見ていたのが不快だったんじゃないかと思った俺は、つい反射的に謝っていた。すると、「何で謝るの」と、男性から好意的な笑顔を向けられて戸惑う。
え、じゃあ何で声をかけられたんだろう。こういう声のかけられ方をしたことはないけど、まるでナンパみたいだ。この人がαかどうかもよく分からないけど、可愛い彼女連れてたし、俺は男だし、…まさかな。
男性が俺の首元を見て、ジャケットの胸ポケットから洒落た名刺入れを取り出す。
「男の子のΩなんて珍しいね。これ、オレの名刺なんだけど…。」
差し出された名刺には、どこかで聞いたことがある様なクリニック名が書かれていた。形成外科と美容皮膚科…?しかも副院長と書かれている。俺とほぼ変わらないくらいの年齢に見えるのに、意外だ。裏に病院の地図と診療時間も印刷されていて、一等地にあるクリニックの様だ。そして、木曜日と日曜日が休診日とも書かれている。だから今日、可愛い彼女とデートしているのか…。
「オレの父親が経営しているクリニックなんだけど、Ωの患者さんも多くて、男の子でも肌のメンテナンスとかしてあげられるよ?ちょっといい?」
急に顎クイされて、チャラい感じのイケメンに、至近距離で見つめられた。何なんだ、この状況!?
「肌がちょっと乾燥してるね。せっかくのΩなんだから、もっとメンテしないと。お金なんていいから、君に合いそうなケア用品をクリニックに選びにおいでよ。連絡先を…。」
バンッとトイレの入口のドアが乱暴に開く音がして、驚いた副院長先生が俺から離れた。ドアの外には、礼央様が立っている。
「…もしかすると、○○クリニックの先生ですか? 確か、CMに出ていますよね。」
音とは対照的に、礼央様はいつもの飄々とした笑みを浮かべて、和やかに先生と話をし始めた。言われてみると、テレビで見たことがある顔の様な気がした。でも、服装や髪型が違うと一見わからない。すごいな、礼央様…。副院長先生は、まるで芸能人気取りで満更でもなさそうだ。横からその光景を眺めながら、彼が嫌味なく相手を立てる姿に思わず感心してしまう。我儘で自由な人なのに、大人の付き合いも上手なんだな…。
2人の話がやっと終わって、映画に戻るのかと思いきや、
「シロ、もう出よう。」
置いていたジャケットだけ取りに戻ると、礼央様が不機嫌そうに俺の手を引く。
「まだ映画終わってないですよ!?」
「別の日に連れてきてやる。わざわざ平日選んだのに、邪魔が入って気分悪ぃ…。」
それ以上は無言になった礼央様に、引きずられるようにして俺達は映画館を後にした。
車に乗り込むと、彼が運転手に次の行き先を指示する。
「…ったく、大人しくαにナンパされてんなよ。」
「あれ、ナンパだったんですか!?」
ちょっと変だなとは思ったけど、あんな可愛い彼女連れてたし、普通はナンパだとは思わないだろ。俺にはαかどうかもわからない。Ωを連れていたらαだと思えばいいのか?
「彼女連れでしたよ?」
俺の言葉に、礼央様がため息をつく。
「そんなことは関係ない。」
「関係ないって…。」
「金のあるαは、Ωと遊びたいんだよ。声かけられても、絶対に連絡先なんか教えるなよ。」
「教えませんよっ。新手の勧誘だと思ってました…。」
俺の言葉に、礼央様がイライラした様に額にかかる前髪をかきあげる。
「医者じゃなかったら、ビビらせてやったのに。医者と政治家は、藤堂《うち》とはしがらみが強い。上手くあしらわないと、後から色々と面倒だ。あー、イライラするっ。」
「…すみません。」
藤堂グループは製薬業が主体だし、医者とのしがらみは想像がついた。彼は、やっぱり大変な世界で生きているんだ…。
「あいつ絶対シロに目つけてて、わざと鉢合わせしたんだろーな。戻るのが遅いから、見に行って良かったけど…。」
わざわざ心配して見に来てくれたのか…。
何だか心が温かくなる。まさかと思っていたけど、Ωだというだけで普通の外見で男の俺でもナンパされるらしい。
「すみませんでした。もう少し気をつけるようにします。」
俺の言葉に、彼が少し黙り込んだ。そして…。
「シロが番になってくれれば、こういう心配が減るんだけど。」
ヘーゼル色の瞳が、真っ直ぐに見つめてくる。
「俺に、シロを守らせてよ…。」
そのままキスをされて、心臓が高鳴る。番になれば、Ωはパートナーのα以外と関係が持てなくなる。一方的に縛られる様な気がしていたけど、彼は『守る』と思ってくれているのか…。男だから、正直守ってもらいたいと思ったことはないんだけど、彼が思っている〝番〟の意味合いが伝わってきて、それは素直に嬉しかった。
このまま押し倒されそうな勢いのキスに、思わず彼の背中に腕をまわす…。
その後は、会員制の高級焼肉店に連れて行かれた。以前、好きな食べ物は焼肉と話したのを、礼央様が覚えていた様だ。確かに好きだけど、俺が普段行く様な焼肉とは全く違って、洒落た個室で、上品な店員が至れり尽くせり全部焼いてくれるようなお店だった。緊張したけど、焼き方や焼き加減について、礼央様と店員が会話するのを聞いているだけでも楽しかった。彼は細かい焼き加減にうるさい上に、メニューにない様なものを平気で注文したりと我儘全開だ。でもなぜか憎めないというか許せるというか、店員も慣れた様子で楽しそうだった。料理とペアリングされたワインが出てきて、断り切れずに飲まされ、料理もワインも美味しすぎて、俺はだんだんとフワフワしてきて…。
「これはこれでいいけど、俺の好みじゃないんだよな。今日は時間なかったけど、今度は俺に服選ばせてよ。」
礼央様に、ジャケットを脱がされる。頭がぼんやりする…。
「下の服は自分で捲って、おっぱい見せて、そう、そのまま…。」
礼央様の言う通りに両手で服を捲る。
「自分で見せてる感じ、やらしいな。」
彼が、俺の乳首を舐める。気持ちいい…。
「噛んでもいい?」
彼の言葉に首を振る。朦朧とする意識の中で、訓練のことを思い出した。
「Ωを噛まないでください…。」
「ヤダ、噛みたい。」
「っ………!」
礼央様に、乳首をキツめに噛まれた。痛いのに、舐めたり、噛まれたり、指でいじられたりしていると、体が疼く…。
「俺に噛まれるの、気持ちいい?」
迷ったけど、頷いた。噛まれると、痛みと快楽が変に紐づく気がする。傷だらけになるし、噛まれて喜んだら訓練にならないのに…。
「Ωのシロ、やばい。いい匂い…。」
また何ヶ所か噛まれて、服を捲った姿勢のまま今度は首を振った。駄目だ、噛み痕だらけになる…。
「もう欲しい…、ください…。」
これ以上噛まれたら困ると思って、自分から足を開く。
「…酔ったシロはやらしいな。俺以外のαの前で、酒飲むなよ?」
頷くと、礼央様が頭を撫でる。
後ろに、彼の指が入ってくる。気持ちいい…。
「…すごい濡れてる。俺のこと好き?」
…頷く。
「…好き、です。」
「俺も、好きだよ。」
ゆっくりと後ろに彼が入ってきて、そこから体が溶けそうになる。
「シロの中、気持ちいい…。」
彼のよさそうな声に、自分も感じる。また噛まれそうになって、自分からキスをねだった。腰を動かされながらキスされると、もう何も考えられなくなっていく…。
「………うぅ。」
うっすら目を開けると、屋敷のベッドにいた。礼央様の部屋だ。高級焼肉の後半から、記憶が曖昧だ。ワインでかなり酔ってしまった。ふと隣を見ると、礼央様が眠っている。
至近距離にある彼の寝顔を見つめると、また勝手に心臓が鼓動を早める。初めて2人で出かけたけど、楽しかったな…。男同士でも、デートは成立するみたいだ。我儘に振り回されたり、慣れない場所に緊張したりはするけど、もっと色々な彼の姿を見てみたいと思う。酔って変なこと言った様な気がするけど、大丈夫かな…。そんなことを心配しながらスマホの時計を見ると、まだ朝の5時だ。礼央様は今日も学校だし、このまま寝てもらって俺は自分の部屋へ戻ろう。
そう思ってベッドから降りようとしたら、
「…シロ?」
礼央様が、目を覚ましてしまった。
「まだ寝ていてください。」
「もう寝たからいい。」
彼が、ベッドの上で体を起こす。目が覚めてしまった様だ。
「シロを一度酔わせてみたかったけど、エロくて驚いた。」
意地悪く微笑う彼に、冷や汗が出てくる。
「…何か変なこと、言ってました?」
「俺のこと、大好きって言ってたよ。」
顔が、瞬間湯沸かし器みたいに熱くなった。言われてみると、自分にも何となく覚えがある…。口籠る俺に、
「否定しないんだ?」
礼央様が、楽しそうに笑った。その後、2人でシャワーを浴びて、彼に傷の手当てをしてもらう。傷は浅いけど、毎晩噛まれたら大変なことになりそうだ。
「…傷だらけになるので、しばらくお休みしようかと。」
「は!? 俺に噛まれるの好きって言っただろ。」
「…そうは言っても、身が持たないので。」
「じゃあ、噛まないようにするからさ…。」
「すみません。あまり信用できません…。」
落ち込む礼央様に、つい笑ってしまう。彼に手加減してもらわないと、本当に身が持たない。ヒートじゃなくても、Ωのフェロモンは彼を刺激するみたいだし、怒らせても怖い人だ。でも、どんなに噛まれても、なぜか俺は、彼を可愛いと思ってしまう…。
******
朝になって、側近達が部屋へやって来た。礼央様は、しばらくお預けの件で不貞腐れながらも、朝の準備を進めている。日課の行ってらっしゃいのキスをしたら、今夜は大人しくレースゲームでもしようかと頭を撫でられた。週末は、そろそろスキーシーズンだからと藤堂家が所有する山手の別荘へ連れて行ってくれるそうだ。金曜日なのに、夜遊びせず帰ってきてくれるのか…。
礼央様を見送ったあとは、自分の部屋へ戻った。朝が早かったせいか昼食後に眠くなっていると、部屋の扉がノックされる。返事をして開けると、今日もビシッとしたオールバックの黒髪に執事服姿の執事長が立っていた。
「立花さん、忘れ物をお持ちしました。」
相変わらずのポーカーフェイスだけど、わざわざ何か持ってきてくれた様だ。
「忘れ物、ですか?」
「礼央様の部屋に置いてあったジャケットから、名刺が出てきましたので。この方はお知り合いですか?」
差し出されたのは、昨夜の映画館で話しかけてきた、チャラい副院長先生の名刺だった。礼央様の部屋で脱いだジャケットに、入れっぱなしのまま忘れていた。クリーニングへ出すために、ポケットの中を確認された様だ。
「いえまさか!…映画館で、声をかけられただけです。」
「…ナンパでしょうね。男性から声をかけられて驚いたでしょう。大丈夫でしたか?」
執事長のクールな眼差しが、俺を労わる様に少し和らぐ。
「礼央様がうまいこと、場をおさめてくれました。ナンパじゃなくて、新手の勧誘かと思いましたけど…。クリニックで肌のメンテナンスをするΩの患者は多いとか、肌が乾燥してるとか言われましたし。」
俺の言葉に、執事長が小さく微笑う。
「まさか、患者を勧誘する医者なんていませんよ。」
「そうでしょうか…。普通の男の俺でもナンパしてくるなんて、αって、Ωなら誰でもいいんですかね?」
妙な空気が流れてハッとした。…αの悪口を、αの執事長に言ってしまった。
「いえその、俺をナンパしてくるようなαのことを言っただけなんですけど!」
慌ててフォローめいたことを言うと、
「Ωからは常に微量のフェロモンが出ています。ネックを隠したとしても、敏感なαはその匂いに引き寄せられてしまうものなんですよ。」
そう言って、執事長は特に気分を害した風もなく淡々と続ける。抑制剤を飲んでβの様に生活するといっても、そう簡単じゃなさそうだ…。
「礼央様もΩフェロモンに過敏な方ですが、乱暴なことをされていませんか?」
噛み癖のことだろうか。執事長には、ヒートの現場も見られているし今更かもしれないけど、頬が熱くなる。
「何とか、大丈夫です…。」
「…まだ十分な耐性がついたとは言えませんので、気をつけてください。訓練で慣れているかもしれませんが、以前はβでしたから。今とはフェロモンの量が違います。」
無愛想な言い方だけど、心配してくれているのが伝わってきた。噛まれるのが好きだなんて彼に言ってしまったのは、良くなかったな…。内心、反省する。
「ありがとうございます。気をつけます。」
もっと気をつけようと思い直し、礼を言った俺の顔を、執事長がじっと見つめている。
「…先程の美容の話に戻りますが、立花さんの肌が乾燥気味だったとは、私としたことが気がつきませんでした。Ωは、主人の関心を離さぬようあらゆる努力をするものです。藤堂グループには化粧品部門もありますので、立花さんに合いそうな保湿化粧品を用意しておきましょう。」
「え、いや、そんな…。」
「遠慮しないでください。」
執事長の申し出に、遠慮というか戸惑った。
礼央様のために肌ケアするなんて今まで考えもしなかったし、そういうことをしないとΩとして努力不足になるのだろうか?…つくづくΩは大変だ。αは自由でも、Ωに次の恋はない。そして、一生は長い。礼央様は、番になって他のαから『守る』と言ってくれたけど、他にも守りたい人が出来ることだってあるだろう。年も離れてるし、凡人の俺が努力して、何とかなるレベルの話なんだろうか…。
「なんか俺、礼央様からすぐ〝おっさん〟とか言われそうなんですけど…。」
つい心の声を呟いた俺に、執事長が苦笑する。
「成程。年下の主人を持つと、気苦労が絶えませんね。立花さんも、まだ十分若いというのに。」
執事長に若いと言ってもらえて、妙に嬉しくなった。礼央様といると、彼の若さについていけないと思うことばかりだ。
「俺も執事長みたいに、格好良く年をとりたいですよ。肌もきれいだし…。」
何とは無しに近くに寄って、執事長の肌を見つめると、
「い、いたたた…っ!」
ふいに両頬をつままれて、横に引っ張られた。
「なかなか弾力のある肌じゃないですか。」
無愛想にそう言ってすぐに手を離してくれたけど、頬がジンジンする。
「そ、そうですか?」
揶揄われたのか何なのか、執事長の表情は読み難くてよく分からない。頬をさすりながら呆けていると、小さく吹き出された。
「藤堂のメンズラインは評判も良いですし、早速用意しましょう。念のため、アンチエイジング製品も。」
「アンチエイジング…。年を感じますね…。」
「早いに越したことはないですから。それにそんなこと考えても仕方ないでしょう。気苦労は肌によくありませんよ?」
執事長が、クールな目元を細めて笑う。すると、隙のない雰囲気が一気に和らいだ。こんなくだらない話を、聞いてくれる人がいて良かった。礼央様のΩは、確かに気苦労が絶えない…。
その日の夜は、2人で車のレースゲームをした。ハンドル型の据え置きコントローラーと本物に近いシートまでどこからか用意され、かなり本格的だ。ゲームに慣れていない礼央様は、しばらく試行錯誤していたけど、コツを掴んですぐに上手くなっていた。オンライン対戦でものすごいスコアを出して、見ていた俺の方が興奮したくらいだ。
そして翌朝は早くから車で藤堂家の別荘へ行き、土日いっぱい別荘の近くにあるスキー場でスキーとスノボ三昧だった。初滑りで楽しかったけど、生まれて初めてバックカントリースキーに挑戦したら、彼に全然ついていけなくて見事に迷子になってしまった。天気は悪くなってくるし、下手に動いて体力は消耗するしで相当怖い思いをしたけど、彼が見つけ出してくれたのには感動した。だいぶ辺鄙な所にいたのに、災害救助犬並に足跡や匂いでわかったらしい…。つい絆されて夜のお預けを解禁したら、抱き潰されて死にそうになったけど…。
******
「シロ、具合は?」
屋敷の部屋でうとうと眠っていたら、礼央様の声で目が覚めた。雪山から帰ってきて早々、俺は風邪で熱を出して寝込んでいる。礼央様はいつも通り元気で、学校が終わってから様子を見に来てくれた様だ。
「ただの風邪ですから大丈夫です。礼央様に感染るとよくないので…。」
「平気だって。弱ってるシロ、色っぽいな。」
病気になって色気がある、なんて言われたのは初めてだ。
いつもの飄々とした笑みを浮かべる礼央様に、本当に何かされたらどうしようと一瞬不安になったけど、彼は看病してくれただけだった。しかも、夜になると添い寝まですると言い出す。
「明日も学校があるので、部屋で寝てください…。」
発熱でぼんやりしながらも必死に訴えたら、彼の機嫌が悪くなってきてしまった。彼は何もしないと言うけど、正直不安だ。
「一緒にいたいだけなんだけど。迷惑?」
そう言われると、答えに詰まる。襲われると決めてかかるのも失礼だし…。それに、2人きりの時はちゃんと前向きに好意を伝えると決めたんだった。
「いえ、迷惑ではないです。…嬉しいです。」
「へぇ、しおらしくて可愛い。襲ったらごめんね?」
機嫌を直してくれたのか、笑えない冗談を言いながら、礼央様がベッドに入ってくる。そして、持ってきていたやたら難しそうな本を開いた。つい動向を見守る様な視線を向けた俺に、
「…連れ回して無理させたな。襲わないから、安心して寝てろ。」
本に視線を落としたまま、礼央様が呟いた。何だか胸が温かくなる。俺、本当に礼央様と、恋愛出来てしまっているかもしれない。いくらΩでも男同士でどうやって付き合うんだろうとか、受け入れられないかもしれないとか思っていたのに…。
「…無理は、していません。礼央様と付き合うなんて想像も出来なかったのに、楽しくて驚いてます…。」
熱のせいだけじゃなく、頬が熱い…。
「俺も楽しい。このままずっと側にいてよ。」
端正な顔が、優しく微笑んだ。番にして、他のαから守ると言ってくれたことを思い出す。ふいに頭を撫でられると、気持ちがいい。ちょっと前まで、いい気がしなかったのに…。
「そうですね…、側にいられたらいいですね…。」
熱のせいかぼんやりしながら呟いた俺に、礼央様がヘーゼル色の目を細めた。
それからさらに二日間寝込んだけど、彼は毎晩付き添ってくれた。襲われることもなく、弱っている俺への優しさを感じる。日中は、βの同僚達に気を使う俺の性格を察して、執事長がテキパキと世話をしてくれたし、俺は少しだけ屋敷での生活に慣れてきた様な気がしていた。
******
木曜日になってやっと復活した俺は、ほぼいつも通りに目を覚ますことが出来た。今日はもう動けそうだ。添い寝してくれていた礼央様の綺麗な寝顔を見つめると、朝から癒される。彼が起きる時間にはまだ少し早いからと、俺は彼を起こさない様にそっとベッドを降りた。そして静かにシャワーを浴びてから、また部屋へ戻る。すると、なぜか礼央様がいない。不思議に思ってベッドへ近づくと…、
「!!!」
背後から急に抱きつかれて、俺はそのままベッドへうつ伏せに倒れ込んだ。
「おはようシロ。元気になった?」
「け、気配を消さないでもらえますか!?」
あれだけ存在感のある人なのに、全然気づかなかった。驚き過ぎて心臓がバクバクしている。
「狩りの基本だろ。」
抗議する俺に、背中にのしかかっている彼が楽しそうに笑う。狩りって…。こんなに見事に気配を消せるなんて、やっぱり野生動物並だ。そんなことを思っていると、首のあたりに鼻を押し付けられる。
「礼央様…?」
「…いい匂い。」
寝込んでいる間は、朝から絡まれることはなかったけど、久しぶりに思い出した。朝の戯れを上手くかわさないといけないんだった。今日も学校だし、あと30分もせず彼の側近達が起こしに来る。それにしても、礼央様の体がいつもより熱いような…。
「礼央様、体温を…う゛っ。」
全部言い終わる前に、首根っこを掴まれてベッドに顔を押し付けられる。しかも、ふざけている様な力じゃない。
「ちょっと余裕ない。ごめんね?」
息が苦しい…っ。言い方は優しいけど、有無を言わせない力の入れ方だ。さっき着たばかりのズボンを下ろされる…。
「ね、熱が…っ。」
「シロを食べたら治るって。」
やっぱり、礼央様の体が熱い。ずっと付き添ってくれていたし、見事にうつしてしまった様だ。首を押さえる力が緩んだと思いきや、
「無理は……うぐっ!」
今度は口の中に長い指を2本突っ込まれた。
「舐めて。」
そして、グチュグチュと口の中を掻き回される。ダメだ、聞いてくれる気がない。熱があってもすごい力だし…。否応なく礼央様の指を舐めさせられていると、条件反射の様に俺の体もだんだんと熱を帯びてくる…。
「れ、礼央様…、もうやめ…っ。」
「んー…?」
彼もイッたはずなのに、体が鎮まらないのかまた腰を動かされて青ざめた。寝バックの状態で組み敷かれたままで、礼央様の表情も見えない。全然俺の話を聞いてくれないし、久しぶりにかなり強く肩の辺りを噛まれてしまった。もう彼に休んでもらいたいのに、どうしたらやめてもらえるのか分からない。ひとり焦っていると、
「礼央様、失礼してもよろしいですか?」
側近達が起こしにきて、俺はますます焦った。こんな所を見られたら、恥ずかしいなんていうレベルを超えてしまう。
「今日は休む。連絡しといて。」
「どうかされましたか?」
「熱がある。」
「それは…、入ってもよろしいでしょうか?」
「えー…?」
曖昧な返事をしないでくれっ!!そう思った時にはもう遅く、ドアが開く気配がして側近達の足音が聞こえてきた。う、うそだろ…っ。
必死で礼央様の下から逃げようとしたら、体重をかけられて動きを封じられる。な、何で…!?
「礼央様…っ、離してください…っ!」
「Ωのフェロモンは、病気のお体には障ります。お部屋へ戻りましょう。」
え………?
逃げることに必死だった俺は、側近達の言葉に唖然とした。
これ、俺のせいなのか…?
数日我慢してくれていたとはいえ、熱が高そうなのにこんなに彼の体が盛るのは、確かにΩフェロモンのせいかもしれない。側近達は、俺のことを全く気にする風もなく、礼央様を落ち着かせようと説得を始めた。
「…わかったって。もうすぐ終わるから。シロ、動くよ?」
怠そうに返事をして、礼央様が急に奥まで突いてくる。
「や、やめ…っ!」
まさかそんな、人前で…っ!?
でもすごい力で押さえられているし、逃げることも出来なくて、ひたすら声を殺しながら耐えるしかない。
「~~~~~~~っ!!!」
そしてこんな状況なのに、俺の体は与えられる快楽に逆らえない。
うそだ、いやだ、こんなの……っ!!!
そう思いながらイかされて、声にならない声をあげる。シーツに恥ずかしいシミを広げながら、ビクビクと痙攣が止まらない俺に、
「シロ、俺も気持ちーよ。」
礼央様が耳元で囁いて、そのまま耳介を噛んでくる。イっているのに噛まれると、痛みと快楽がごちゃ混ぜになるのに…。その後さらにまた動かれて声が抑えきれなくなった。
「う゛、あ゛ぁっ、やめ…っ!!」
あまりのことに、もう思考が停止する。ただ背中に、礼央様の熱い体温と荒い息づかいだけを感じる…。
…やっと解放されたのか、ぼんやりした頭に礼央様の声が聞こえてきた。
「お前らはシロに触るな。…1人でシャワー行ける?」
側近達に体を拭かれそうになっている様で、俺は慌てて頷いた。そんな俺の頭を撫でてから、ローブを羽織った礼央様が側近達と部屋を出て行く。
…もう、自分の身に起こったことが信じられない。
俺、人前で……。でも俺以外は皆、不気味なくらい平然としている。普通は主人の情事なんて見てしまったら、もっと気を遣うだろう。いや、側近のα達にとって、俺は礼央様の男娼みたいなものだから、何とも思わないのか…。礼央様も、何であんなに平気なんだよ。Ωフェロモンのせいで、体がおかしかったから…?もう何をどう怒ればいいのかわからない。Ωの人権って、一体どうなってるんだ…。
体は回復したのに、心理的なダメージが大きすぎて部屋で寝ていたら、執事長が様子を見に来てくれた。ここ数日、寝込んでいる間は定期的に介抱しに来てくれていて、毎日顔を見るのが当たり前になってしまった。横になっていた体を起こすと、そのままでいいと言ってくれる。
「礼央様に、風邪をうつしてしまいました…。」
人前で事に及ばれた件はとても言い出せないし、彼の体調も心配だ。
「礼央様は体力もありますし、すぐ回復します。それに、彼の我儘で一緒にいただけでしょう?立花さんが気にする必要はありませんよ。」
淡々とした言い方だけど、執事長と話すといつも気が楽になる。
「心配してもらえたのは、嬉しかったんですが…。」
添い寝は断ればよかったと反省していると、
「随分と優しいんですね。今朝は大変だったそうじゃないですか。」
執事長が、いつものポーカーフェイスで俺を見つめた。今朝って…。側近達の前で抱かれたことだと思い当たると、一気に顔が熱くなる。執事長なんだから、知っていても不思議じゃない。
「あれは、Ωフェロモンのせいだと…っ。」
「そうだとしても、怒った方がいいですよ。それとも、平気だったんですか?」
「平気なわけないじゃないですか!!」
つい声を荒げた自分に、ハッとする。執事長に言っても、仕方ないのに…。
「立花さんの様な人には、辛かったでしょう。」
労わる様な眼差しに、急に何かが込み上げてきた。吐き出せなくて、心の奥に押し込めようとしていた大きな不安感。
「あの時の礼央様は、俺の話を…全く聞いてくれなくて…。」
ヒート程は理性を失っていないはずだし、怒らせていたわけでもないのに、俺の抵抗なんか意にも介さない様子だった。
「噛み癖が酷かった礼央様は、一時期見守りがある中でΩと訓練性交しています。なので、人目が気にならなかったのかもしれません。だからといって、あなたの気持ちを無視していいわけではありませんが…。」
執事長は、礼央様をフォローしつつも俺を慰めようとしてくれているみたいだった。
「…そうだったんですか。」
特権階級の考え方は、本当に訳がわからない。人前でそんなことをさせられていたなんて、礼央様も可哀想だ。常識が歪んでしまっても仕方ないじゃないか…。そう思い直して、俺はいつの間にか滲んでいた涙を拭った。そんな俺に、執事長が言いにくそうに口を開く。
「αという生き物は、本能的にΩを支配したがります。礼央様は、特にそれが強い。」
その言葉に、αがΩを見る時の、まるで獲物を見据える様なあの目を思い出した。彼からも、確かに感じたことがある。
「あなたの本能は礼央様を選びましたが、あなたの心も大切にした方がいい。」
執事長が俺を、心配してくれているのが伝わってくる。前に、仕事を辞めたいと相談したことがあるからだろう。
「ありがとうございます。…でもまだ、訓練も終わっていませんし、もう少しだけ頑張ってみますので…。」
礼央様から離れれば、もっと穏やかで普通の生活ができるとは思う。それなのに、訓練に協力するようになってから何度離れようと思っても、離れることが出来ないままここまで来てしまったんだ。
「…そうですか。あまり無理はしないでください。」
執事長が、やれやれという風にため息をついた。でも、その眼差しはどこか優し気だ。
「執事長は、Ωに優しいですね。」
不思議と同じαでも、執事長からは獲物を狙う様な怖さを感じたことがない。
「…私は母がΩなので、多少はΩの大変さを知っているというだけです。」
そうだったのか。だから俺のことも気にかけてくれるのか…。優しいと言われて居心地が悪そうに、執事長がいつもの隙のない様子に戻ってしまう。あんなに近寄りがたいと思っていたこの仏頂面が、今は優しく見える。Ωに理解を示してくれる執事長が、この屋敷にいてくれて本当に良かった。口にはしなかったけど、俺は心の中で静かにそう感謝した…。
******
翌日の金曜日には、執事長が言っていた通り、礼央様はすっかり回復した。さすがの若さと体力だ。念の為にと学校は休んだのに、側近達の言うことを聞かずに俺の部屋へ入り浸ろうとした所を、執事長が注意しにやって来る。
「礼央様、ご自分の部屋へお戻りください。」
「成瀬かよ。別にいいだろ。」
「…そういえば、藤堂が所有する○区のマンションで、お友達と何度か大騒ぎされた様で、管理会社から苦情が入っています。つい最近は芸能人の方も呼ばれたそうで、事務所からも…。」
「…それ以上言うな。わかったから。」
礼央様が、決まりの悪そうな表情で執事長を睨んでいる。礼央様は芸能人とも遊んでいるのか…!しかも、相当悪そうな集まりを開いている様だ。
「こちらで処理するにあたって、詳しいお話を聞かせてください。」
「…部屋に戻る。」
執事長のお陰で、金曜日は何事もなく過ぎていった。それにしても、礼央様の素行は俺が思っていたよりずっと派手で悪そうだ。俺なんかの手に負える人なのか、ちょっと不安になってくる。最近は遊んでいない様だけど、時間の問題な気もするし…。どうして俺は、こんな大変な人を好きになってしまったんだろう。明るい癒し系が好みだったのに。
明日は、Ωがたくさん来るパーティーがある…。
******
翌日の土曜日は、病み上がりの週末だし礼央様もゆっくり寝たいだろうと起こしに行かなかったら、
「何で起こしに来なかった?」
わざわざ部屋にまで来られて文句を言われた。不機嫌オーラに気圧されて謝ると、そのまま特に何をするでもなく部屋に居座られる。体調はすっかり良くなっていて、何かされそうな気配はなさそうだ。ソファでダラダラとTVを眺めている彼にホッとして、俺はまだ途中だった荷物の整理をすることにした。それにしても、内部推薦ですでに経営学部への進学が決まっている礼央様は、特段勉強する様子もなく、学校も休み放題で気楽そうだ。αばかりのあの有名校で、推薦がもらえる程優秀な頭脳を持っていても、Ω耐性をつけるのにはまだ時間がかかるんだろう。彼の理性が弱まるような体調不良時には、これからも気をつけないと…。
何となくついていたTVのニュースで、αがヒートのΩを襲ったというニュースが流れた。き、気まずい…。俺は聞こえなかったフリをして何も言わずに荷物を整理していると…。
「今夜、行きたくねー…。」
礼央様が、ポツリと呟いた。妙に機嫌が悪いと思ったら、Ωだらけのパーティーを前に、ナーバスになっている様だ。
執事長が、Ωは常に微量のフェロモンの匂いがすると言っていたのを思い出す。
「一応、遮断薬を飲んでから行きませんか?」
耐性をつける訓練にはならないかもしれないけど、せっかくの還暦祝いの席で何かあるよりはいい気もする。
「私的なパーティーだから、ヤバくなったらすぐ帰る。…遮断薬は、ほとんど効かない。」
…初めて聞いた。以前、毎日遮断薬を飲めばいいと言ってしまったことを心底後悔した。製薬会社の後継に、遮断薬が効かないなんて皮肉すぎる…。
「俺が一緒にいますから。気分が悪くなったら、すぐ教えてください。」
礼央様がどんなに嫌がっても、旦那様が訓練をやめさせないのは、ある意味仕方がないのかもしれない。遮断薬が効かないなら、Ω耐性は訓練でつけるしかない。Ωの俺に出来ることがあるなら、やっぱり何でもやってみよう。子どもみたいに不貞腐れる彼を励ましながら、彼が俺を守りたいと言ってくれたのを思い出した。俺も、彼を守れたらいいのに…。
夕方になり、先日執事長が選んでくれた、黒地に細く赤いストライプ柄が入ったスーツを身につける。還暦祝いにちなんでドレスコードは赤なんだそうで、赤いスーツや赤いシャツを着るよりはマシかと諦めた結果だった。
「あ、可愛いー。成瀬の趣味だよなぁ。似合ってるよ。」
礼央様に褒められると、気恥ずかしい。一方彼は、ブラックスーツに黒いシャツを着ている。
「ドレスコードは、赤でしたよね?」
「スーツの裏地が赤。」
「見えないじゃないですか…。」
「やっぱダメ? ネクタイでも赤にするかぁ…。」
派手な色が嫌いな彼は、渋々ネクタイを締め直す。
ブラックスーツに赤、というよりは落ち着いたえんじ色のネクタイを絞めた彼は、いつもよりずっと大人びて見えた。高校生とは思えない、すごい色気だ…。
「これでいい?」
行きたくなさそうにまだ不貞腐れているけど、思わず見惚れる。勝手に早くなる心拍数を落ち着かせつつ、髪の毛をセットしてもらったり、先方に渡すプレゼントを確認して、俺達は車で会場へ向かった。
今夜のパーティーは、居酒屋やカラオケ、キャバクラを全国的に展開している某有名会社社長の還暦祝いだ。旦那様よりだいぶ年齢は上だけど、昔からの友人であり、仕事上でも藤堂グループの接待で店を使う際に優遇してもらう様な繋がりがあるんだそうだ。社長と礼央様も子どもの頃から面識があり、Ω好きという点を除いたら、豪快で気さくな面白い人だと話していた。
会場は、社長が経営する高級居酒屋を貸し切って行われる様だ。早速受付をしようとしたら、一瞬店を間違えたかと思った。バニーガールが、受付をしている…!
露出度の高いバニースーツを身につけたバニーガール達が、受付で笑顔を振り撒いていた。皆ネックをつけていて、Ωのコンパニオンなのか経営しているキャバクラの女の子なのかはわからないけど、とにかく可愛くてスタイル抜群だ。
当然、Ωのバニー達には近寄りたがらない礼央様に代わって受付を済ませたけど、生バニーさんの胸の谷間に危うく鼻血が出そうになった。話には聞いていたけど、さすがΩ好きの社長だ…。そんなことを考えていると、バニーさんからうさぎの耳のカチューシャを渡される。
「これは…?」
「Ωはぜひつけてください。盛り上がるので♡」
可愛い笑顔だったけど、顔が引き攣る。
「俺はちょっと…。」
「恥ずかしがらないで!お席にご案内します♡」
恥ずかしいに決まってるだろ…と思ったけど、バニーさんが可愛くて怒る気になれず、そのまま席へ案内された。中央にある生演奏用のピアノが置かれたステージの近くだ。
店内は、ソファ席のブースがずらりと並んだ高級感のあるつくりになっている。もう盛り上がっている様で、あちこちで賑やかな声がしていた。バニー達が、飲み物や料理を運んだり、ゲストと楽しそうに話をしてる。その中には、誰かの連れなのかスーツを着てバニーの耳をつけた男性のΩもいた。遠目でもわかるくらい綺麗な人で、話しかけてみたいけど気が引ける…。
「シロもソレつけてみたら?」
礼央様がいつもの笑みを浮かべて、カチューシャを指さした。無理矢理置いていかれたうさ耳に、彼のテンションが回復したのか、妙に楽しそうだ。
「…似合わないので、嫌です。」
礼央様の元気が出たのは良かったけど、俺は特にこういうものが似合う容姿ではない。
「そんなことないって。付けてみろよ。」
「嫌ですよ…。俺より礼央様の方が似合いますって!」
無理矢理付けられそうになって、2人で揉み合っていると、
「じゃあ、俺が付けたら次シロも付けろよ?」
礼央様が、そう言ってあっさりカチューシャを付けてしまった。しかも似合う……っ!
黒いスーツに黒いうさ耳が、ファンタジー映画にでも出てきそうなお洒落な雰囲気を醸し出している。
「に、似合いますね…。写メ撮っていいですか?」
「別にいいけど?」
つい興奮して、写真を撮りまくっていると、
「やぁ、礼央君!」
急に声をかけられて我に返った。
「あ、社長。今日は親父の代わりに俺ですいません。」
礼央様は、うさ耳をつけたまま気さくに挨拶してるけど、今夜の主役だ!俺は慌てて立ち上がって会釈した。
「礼央君に会えて嬉しいよ。藤堂君は忙しそうだねぇ。」
人好きのする笑顔の社長は、とても還暦には見えない。金髪に日焼けした肌のイケおじだ。若々しさと成功者のオーラに満ちている。
「社長は全然年取らないね。還暦って本当?」
礼央様は、父親より年上の社長相手にそんなくだけた口調で大丈夫なのか?内心ハラハラしたけど、社長は楽しそうだ。
「礼央君は大人になったなぁ。Ωまで連れて来るし…。」
でも、そう言って俺に向けられた視線は、何となく冷たい気がした。
「シロ、挨拶して?」
「還暦おめでとうございます。立花 真白です。」
礼央様に促され、緊張しながら挨拶した。さすが大きな会社の社長だ。礼央様は平気そうだけど、威圧感がある…。
「君は、Ωでも男だからかなぁ…。ご主人にバニーの真似なんてさせちゃ駄目だろう?」
どうやら、礼央様にカチューシャを付けさせているのが、お気に召さなかった様だ。俺の方が年上だということは見たら分かるはずだけど、情状酌量の余地はないらしい。
「…すみません。」
Ω好きと聞いていたけど、αとの上下関係には厳しそうだ。Ωは稀少で重宝されるというのは、あくまでもαの管理下での話なのかもしれない。
「社長、俺のΩイジメるなよ。」
さり気なくカチューシャを外して、礼央様がとりなす様に笑う。
「可愛いからって甘やかしちゃ駄目だよ。男同士でも年齢差があっても、ご主人は礼央君なんだからね。ちゃんと躾けないと。」
そう言って、社長が白い歯を見せて笑顔になる。こ、怖すぎる。Ωはαに躾けられるのか?俺はもう大人なんだぞ…。
「だってさ。はい。」
礼央様からカチューシャを渡されて、俺は仕方なくそれを頭に付けた。…何なんだよ。
「シロ、可愛いね。」
「ご主人様に褒めてもらえて良かったねぇ。礼央君、また後で。」
社長の後ろ姿を見つめながら、ゲストのΩにまでうさ耳付けさせるなよ…と内心思ったけど、口に出せるわけもなく大人しく席に座った。こんなことで怒られるなんて…。
照明が落とされ、目の前のステージでは、社長の挨拶の後これまでの人生を綴ったムービーが流される。絵に描いたようなαの成功人生だ。社長の家族からも、温かいお祝いの言葉が贈られる。家族はバニーガールに抵抗はないのかと思ったけど、卯年の社長にちなんだ幸運なものという心の広い認識みたいだった。その後も友人のピアニストの演奏や、ジャズシンガーの歌なんかが続いていく。料理はコースになっている様で、バニーさんが次々に運んできてくれた。彼女達は、何とか礼央様に取り入ろうとニコニコと愛想を振り撒いてくるのに、彼の態度はつれない。あまり食欲もないのか、いつもみたいに我儘なオーダーをすることもなく、他の席へ挨拶しに行ってしまった。心配で俺もついて行こうとしたら、相手はαばかりだから来なくていいと言われてしまった。特権階級というのは、本当にαだらけだ。そしてα同士なら、礼央様はとても上手く立ち回れるみたいだ。仕方なく、ひとりで静かに演奏を聞いていると…。
「あなたのご主人様、どこかへ行っちゃったんですか?」
何度か見た顔のバニーさんが、料理を持って席に運んできてくれる。
「他の席へ挨拶しに行ったみたいです。」
こんな仕事が出来るだけあって、本当に可愛くてスタイルがいい。しかも巨乳だし…。
「残念~!何だかご機嫌も悪そうでしたね。」
礼央様に気に入られたかった様子のバニーさんに、苦笑いしかできない。
「体調が良くないみたいで…。」
Ω嫌いだから…とは言えず、曖昧に誤魔化したけど、
「そうなんですかぁ。私、社長が経営してるキャバクラで働いてるんですけど、良かったら今度、彼とお店に遊びに来ませんか?サービスしますよ♡」
バニーさんは仕事そっちのけで俺達の席に居座り、俺に店の名刺を渡してきた。α専用の高級キャバクラの様だ。良家のΩには何もしなくても見合い話が来るらしいけど、一般のΩ達はこういう仕事をして、いいお金をもらいながら玉の輿にのっていくのかもしれない。彼女も礼央様との繋がりを何とかゲットしたい様子だった。あまり長く粘られて、礼央様が戻ってきたら大変だと思い、俺は素直に名刺を受け取り、彼に伝えておくと返事した。理由はどうあれ、こんな可愛い子と話せるのは嬉しいけど、ダメだ、早くお引き取り願わないと。でも、彼女は俺がどうやって彼に気に入られたか聞き出したいらしく、色々と話しかけてくる。困ったな…。こんな所を見られたら、また礼央様が不機嫌になるかもしれない。彼はとにかく俺の女性関係に厳しいんだ。遊び人の自分は棚に上げて、Ωの俺のことは管理したがる。こういうのが、αのΩに対する支配的な所なんだろう。不公平だと思うけど、とにかく怒らせるのは怖い…。バニーさんと離れるため、仕方なくトイレにでも立とうとした所で、
「おや、楽しそうだね。」
社長の声がして、俺もバニーさんもギョッとした。礼央様もいる…!
「社長ごめんなさい。ついお話が盛り上がっちゃって…。」
可愛らしい態度で素直に謝る彼女には、社長は怒る様子はなさそうだ。
「せっかくだし、礼央君のことも楽しませてあげなさい。」
社長の言葉に、バニーさんは嬉しそうに返事をして、自分の隣に座るよう礼央様の腕を引いた。彼は一瞬顔を顰めたけど、社長の手前仕方なさそうにバニーさんの隣に座る。礼央様の隣に社長も座り、何やら色々と話をしたけど、バニーさんを挟んで座る彼の顔色ばかり気になってしまう。体調は大丈夫だろうか…。
「礼央クンの好みのタイプって、どんな人なんですか?」
「俺のΩ見たらわかんない?」
「うーん、…普通っぽい人かなぁ。」
「普通っぽく見えて、俺にしかわかんない良さがあるから。」
「え~、それじゃわかんなぁい♡」
「だから、わかんなくていいよ。」
「えー、教えてくださいよぉ♡」
「…随分元気なウサギさんだね。食べちゃうよ?」
「やだぁ、食べられた~い♡」
礼央様の表情は微笑っているけど、かなりイライラしていそうだ。食べられたいなんて煽る様なこと、冗談でも言わないで欲しい…。
「礼央君にしかわからない…か。その耳の傷は何かな?」
社長が、うさ耳じゃなくて俺の本物の耳の方を見て意味深に呟く。耳は隠すようにヘアセットしたのに。さすが、よく気がつく人だ。
「分からせたつもりだったけど、目を離すとすぐ可愛い女の子に目がいくね?」
礼央様が、俺の方を見て飄々と笑っている。でも、目は全然笑っていない。
「彼女は、礼央様と話をしたかっただけで…。」
焦って釈明する俺に、社長も礼央様の肩を持つ。
「どんな理由があっても、主人の目を盗んで2人きり、というのは良くないな。」
「そんな…。」
厳しすぎるだろ…。そもそも俺は早く切り上げようとしたのに、社長の所のバニーさんが粘るから…。それに同じ男なんだし、可愛い女の子を無下に出来ないことくらい、分かってくれたっていいじゃないか…っ。
「僕が彼に、もう少しメスの自覚をもたせてあげようか?」
社長が、妙にいやらしい感じの笑みを向けてくる。しかも明らかなセクハラ発言だ。メスって何の話だよ…!?
「俺のΩは貸出してないんで、すいませんね。でもそれ、どうやるか教えてよ。」
「いやぁ、礼央君とこんな話が出来る日が来るなんて嬉しいな。ちょっと耳貸してごらん。」
社長と礼央様とで、良くない話が始まってしまった。Ω好きの只者ではなさそうな社長に、影響されないで欲しい…っ。
「礼央様、もうそろそろ帰りませんか…?」
「ちょっと待ってろ。へぇ、それで…?」
なかなか終わらない2人の内緒話に、冷や汗が出てきた。バニーさんも、気の毒そうに俺を見ている。メスの自覚って何なんだよ。俺はオスだぞ…。
やっと屋敷に戻ると、執事長と側近達が出迎えてくれた。
「お疲れ様でした。お祝いの方は如何でしたか?」
「………別に。」
執事長の問いかけに、礼央様はそれだけ言うと自室の方へ歩いて行ってしまう。車の中でもずっと寝ていたし、余程疲れたみたいだ。
「特に何事もありませんでした。社長も、礼央様に来てもらえて嬉しそうでしたし…。」
代わりに答えると、執事長が安心した様に目を細める。
「それは良かった。また詳しく聞かせてください。立花さんも疲れたでしょうから、今夜はもう休んで…。」
「シロ、何してるっ。早くついて来い!」
ふいに、礼央様の怒声が飛んできた。俺が慌てて彼の後ろを追いかけようとしたら、執事長に肩を掴まれて引き止められる。
「立花さんは部屋へ戻ってください。私が宥めます。」
パーティーでは何とかなったけど、彼はΩフェロモンに当てられて相当気が立っている様だ。Ωの俺が行っても、逆効果になるだけかもしれない。でも、訓練は俺の仕事だし、礼央様は俺を呼んだ…。
「…俺が行きます。大丈夫ですから。」
「いいえ。立花さんでは危ない。」
「危ないのは、慣れてます!」
俺の言葉に、執事長が眉根を寄せる。肩に置かれた温かい手を解いて、俺は礼央様の部屋へ向かった。
「礼央様、失礼します。」
部屋へ入ると、室内は薄暗く静かだった。彼は、ベッドで横になっている様だ。
「…遅い。こっちに来い。」
ものすごく機嫌が悪そうな声に、心臓がバクバクし始めた。脱ぎ捨てられたジャケットを横目に、緊張しながら彼の側まで行くと、長い腕でベッドへ引き摺り込まれる。
「まぁでも、逃げなくて偉いね。」
組み伏されて息を呑む。αのあの目だ…。
頭を撫でられると、手つきは優しいのに身がすくんだ。
「…こ、今夜は疲れましたね。」
「車で寝たのになー…。Ωの匂い《フェロモン》に悪酔いした。」
「俺は、大丈夫なんですか?」
「シロはいい匂い…。」
まるで食べられるみたいなキスをされて、体がゾクゾクする。怖いのに、いい匂いだと言われて嬉しい。自分でもよくわからない気持ちだ。スーツを脱がされて、ネクタイを解かれる。
「でも、今日はお仕置きかなぁ。」
礼央様がいつもの笑みを浮かべたまま、解いたネクタイで俺の両手をベッドの柱に括り付けた。ゆっくりした動作なのに、金縛りにでもあったように動けない。
「れ、礼央様…?」
縛られるなんて、生まれて初めてだ。声が緊張で上ずる。
「バニーちゃん、可愛かったね?」
思わず首を振った。バニーガールと2人で話をしてたからって、何の下心もなかった…つもりだ。
「シロは、おっぱい大きい子好きだろ?よく見てた。」
図星をつかれて青ざめる。確かに好みだけど、あからさまに見てたつもりはなかったのに。むしろ気をつけていたはずだ。
「服装のせいですよ…男なら誰だって…!」
これは言い訳じゃない、単なる男の性だ。そう思うのに冷や汗が出る。シャツのボタンを外されて、礼央様に胸の辺りをまさぐられた。ふいに左の乳首を舐められると、じわじわと快感が広がる。抱かれる度にいじられるせいで、勝手に乳首が固く立ってくる…。
「男なら仕方ない…?」
右側も長い指で優しく捏ね回しながら呟いた彼の言葉に、甘い快感を味わいながらも、心臓は嫌な音をたてた。
「痛……っ!!」
舐められていたはずの左の乳首にふいに噛みつかれ、鋭い痛みに顔を顰める。
「それ、俺に抱かれるより女抱きたいって意味?」
「ち、違います…っ。」
そうは言ってみたものの、そんなの比べられるものでもないし、女の子を可愛いと思うのは仕方ないことじゃないか…。
「違わないだろ。シロは女の方がいいってまだ思ってる。」
「そんなこと、ありませんから…。」
そりゃ男だし、抱かれるより抱きたいと思う時はある。でもそれは、抱かれる度におかしくなっていく自分が怖いからだし、抱きたいと思うだけで、何もしていない!
大人しくズボンと下着も脱がされながら、執事長が『αはΩを本能的に支配したがる』と言っていたのを思い出す。そうだ、これは本能なんだ。執事長は理不尽なことには怒った方がいいとも言っていたけど、訓練をする立場としてまずは冷静になろう。縛られても、女の子に関心を持つな、なんて無茶なことを言われても…。
「…礼央様が好きですから、信じてください。」
そう言って彼を見つめると、端正な美貌が俺を見下ろしてくる。額にかかった前髪から覗くハッキリした二重の瞳が、俺の真意を見透かそうとしている様だ。これだけはっきり言えば、彼だってわかってくれるはず…。
「じゃあもう少し、メスの自覚持てよ。」
先刻噛まれた所を、指でピンと弾かれた。痛みに顔を顰めると、今度は優しく舐められる。ピリピリして痛いのに、それだけじゃない感覚が広がってきた。反対も爪で引っ掻く様に刺激されると、俺自身に熱が集中してきて、頭が回らなくなってくる。メスの自覚って、何のことだ…?
「シロは一生、俺だけに抱かれるメスだろ?」
礼央様が自分のえんじ色のネクタイを解いて、勃ち上がってきていた俺自身の根本を戒める様に巻きつけた。あっと思って手を伸ばそうにも、両手は動かない。
そんな、まさか…。嫌な予感に、心臓が鼓動を早める。
「メスらしく、出さずにイけるようになろうか。」
「そんなの、む、無理ですよ…っ!」
青ざめる俺自身の先端を、指でグリグリと刺激された。迫り上がってくる快感が堰き止められて、痛みに変わっていく。
「あ゛…っ、やめ…っ!」
「貞操帯使えばいいって社長が言ってたけど、さすがに持ってないな。用意させとくよ。」
彼の言葉に息を呑む。貞操帯って、AVとかで女王様がしてる射精管理…?首にもネックはめられてるのに、下にもってことか…?
「い、嫌ですよ、そんなの…っ。」
声が震えた。自分はマゾかもしれないと思ったけど、そこまでじゃない。噛まれるのとは違う。さすがにそこまでの管理は屈辱だ…。両足を開かされて後ろに指を入れられると、絶望的な気持ちに反して体は快感を貪ろうとする。
「うぁぁ……っ!!」
弱い所を指で押されると、強烈な快感が痛みになって体がのけぞった。
「もうこんなに濡らして、エッチだね。」
女の子に言うみたいな台詞を意地悪く囁かれる。それを悔しいと思っても、後ろを指で掻き回されたら、Ωの体はどうしても彼が欲しくなる。でも、今は駄目だ。このまま挿れられたりしたら、どうなるんだよ…。怖くて足を閉じようとしたけど、難なく広げられて抱えられた。彼自身を入口に擦り付けられる。
「礼央様、あ、謝りますから…っ!」
好きだって言ってるのに、女の子と2人で話しただけでここまでしなくてもいいんじゃないか!?いくらαの本能だからって…!あまりの理不尽さに、目に涙が滲む。
「反省してる目じゃないな、シロ…っ。」
心の中で反抗する気持ちに気づかれたのか、彼の欲望が乱暴に突き入れられる。固くて熱いものに内壁を押し広げられるだけで、俺の体の中心はビクビクと震えた。
「ひっ、あ゛っ、あ゛ぁ…っ!」
根本が締め付けられて苦しくて、涙がみるみる盛り上がってくる。そのままゆっくりと腰を動かされると、俺はますますはち切れそうに膨らんで、根本がギュウギュウとキツく絞まる。
「い、痛い…っ、やめて、くださ……っ。」
あまりの痛みにこらえきれず涙を流す俺に、彼が腰の動きを止めて、俺の涙を舌で舐め取る。
「…オスぶって勃たせるから痛いんだろ?シロが悪い。」
「そ、んな……。」
俺はオスなのに…。そう思ったけど、獲物をいたぶる様なαの目に見下ろされ、言葉を飲み込んだ。
またゆっくり腰を動かされ、今度は敏感になった乳首まで甘噛みされたり、指でいじられた。容赦なく高められる快感に、涙が止まらなくなる。腹の中に重く熱いものがどんどん溜まっていく…。
「シロの中、ドロドロ…。」
中から垂れてきそうなくらい濡れているのが、自分でもわかった。礼央様が動く度に、湿った音がする。
どれくらい耐えただろう…?
前は痛くて苦しいのに、だんだんと中で甘くイくような感じがしてくる。腰の奥がヒクついて、時々ストンと落ちる様な…。でも、完全にはイけなくて、その感覚がひたすら続く。真綿で首を絞められる様な、そんな気持ちよさだった。
「…あっ、はぁ、ぁぁ……っ!」
漏れる声が、自分のものとは思えないくらい切羽詰まって甘い。締め付けられる痛みから、中だけで感じる感覚に逃げたい一心で、自分も腰を揺らしてイイ所を探る。
「シロ、好きなように動いていいよ。」
両手を縛っていたネクタイが解かれて、俺は礼央様の背中に腕をまわした。必死にしがみついて、腰を揺らす。
喘ぎとも吐息ともつかない声が漏れる。
射精したい、イキたい、射精したい…。
わからない、女の子みたいにイクなんて、どうやって…。
「あー…、いい匂い。」
彼が、俺の肩口に顔を埋めて甘噛みしてくる。
「シロさ、ヒートで空イキしてたろ?あの感じ、思い出してみてよ。」
彼にしがみついたまま記憶を探る。もう出せないくらい出した後は…、わからない。思い出せない。
たくさん出せたことだけが鮮明に蘇ってきて、思わず俺は自由になった手を自分自身に伸ばそうとした。
「…あーあ。せっかく解いてやったのに。」
でもあっさりとその手をまた頭の上で縫い止められて、叱りつける様に弱い所を何回も突かれる。苦しさにのけぞりながら、
「イキたい…っ、イキたい…っ、助け…っ!!!」
体中が熱い。溜め込んでいた快感が、波の様になって押し寄せてくる感覚がした。飲み込まれる。いやもう、飲み込まれてしまいたい………!
一瞬、射精できた様な気がした。
「あ゛ぁぁぁぁぁぁ……っ!!」
あられもない声をあげて、だらりと漏らすような射精をしながら、内側から痙攣する様な感覚に、目の前がチカチカした。大きな、甘い波に飲み込まれる。
「すご…、いい匂い。」
その甘い波は、寄せては返すように何度も繰り返し俺を飲み込む。彼が腰を動かす度に、波がくる。この感覚を体で覚えろとばかりに、何度も続けてイカされて、それと同時に噛みつかれると、痛みが快楽を際立たせた。まるでパブロフの犬だ。痛みと快感が結びつく…。
******
礼央様に抱かれて、最後は完全に失神した。目を覚ますと、もう日曜日の朝だった。窓から差し込む朝の光と、焼き立てのパンやコーヒーの香り、礼央様と側近達の和やかな話し声…。穏やかな休日の朝。
でも、噛まれた傷の痛みと、脱ぎ散らかしたスーツや汚れたネクタイが視界に映ると、あれは夢じゃなかったんだと思い知る。
「シロ、目覚めた?」
ソファで朝食をとっていた礼央様が、俺に気づいて立ち上がった。朝日の差し込む明るい部屋で見る彼は、映画にでも出てきそうなくらいの眩しさだ。
「シャワー浴びたら、手当てしてやるから。」
頭を撫でられそうになって、思わず体をビクッと震わせた俺に、
「あー…、怖かった?」
決まりが悪そうに手を引っ込めた礼央様は、体中にこんな噛み痕を付けるような獰猛さも、理不尽な徹底管理を強いるような横暴さも感じさせない。
「て、貞操帯なんて…。」
「それは冗談だって。」
「本当、ですか…?」
「シロがして欲しいならやってあげるけど?」
「して欲しいわけ、ないじゃないですか…。」
そんな風に軽口をたたく彼は、いつもの感じに戻っている気がして、俺はやっと少しほっとした。あれは、Ωフェロモンのせいだっただけだよな…?
「そういえば、成瀬がシロのことやたら心配してたっけ。」
話を変えた礼央様に、執事長が昨夜引き止めてくれたのを思い出した。報告しないといけないけど、昨夜のことをどう話すかは迷うところだ。これからも、礼央様がΩフェロモンに当てられる度、俺が彼を鎮めるのか…。ヒートの訓練とはまた違う、怖さと大変さだ。
「…執事長は、礼央様のことも心配していました。」
「まーな。しつこいバニーガールを襲いそうになった話したら、今度は成瀬もついてくるって言い始めてさー。」
執事長がついてきてくれる…?
それは心強いかもしれない。沈んでいた気持ちが、途端に高揚する。
ちょうどその時、執事長が礼央様の部屋へやって来た。今日も朝から隙のない、オールバックの黒髪に黒い執事服姿だ。
「失礼します。立花さんが目を覚ましたと聞きましたので。」
側近の誰かが報告したんだろう、執事長は、俺を見るなり体の傷に眉を顰めた。
「念の為、医者を呼びましょう。」
側近が、手配をしに部屋を出ていく。
昔ほどじゃないけど、確かに今回は血の滲む様な噛み痕がいくつかあった。意識すると、ますますズキズキと痛む。特に、きつく噛まれた左の乳首は痛い。前にも噛まれて、やっと痛まなくなっていた所だったのに。医者に診てもらうのも恥ずかしいな…。そう思いながらも、
「お手数をおかけしてすみま…。」
医者を呼んでもらったお礼を言おうとしたら、
「噛み癖がまた酷くなっています。礼央様、これは一体どういうことですか?」
執事長が遮る様に言う。
「えー? シロも気持ちよさそうだし。」
「……それは、本当ですか?」
悪びれずに言う礼央様に、執事長が訝しげな表情で俺を見つめる。彼に噛まれると、痛いだけじゃない感覚がするのは本当だった。知らないうちに噛まれてホルモンコントロールされていた時より、Ωになった今の方がもっとそう感じる。特に痛いのが好きとか、そういう性癖はないと思っていたのに…。
「その…、変な感じがするというか…。」
「俺に噛まれるの好きって言っただろ。」
「いや、それは…。」
「…………。」
執事長は、黙って俺たちのやり取りを聞いていたけど、ふいに部屋を片付け始めた。医者が来るからかもしれない。脱ぎ散らかした服は自分で拾おうと、ベッドから出ようとした俺に、礼央様が思い出した様に言う。
「シロ、おはようのキスは?」
「……礼央様。」
ほぼ毎日させられているとはいえ、俺の性格上人前ではやっぱり嫌だ。ましてや執事長の前なんて…。でも、渋る俺を見つめる彼の目に、微かにαの本能の色がちらついた様な気がして…。
これは、Ωの仕事なんだ。そう自分に言い聞かせる。
執事長は気を遣ってか、視線を外して黙々と片付けをしている。それを横目で確認して、俺はそっと彼に口付けた。
「…そうやって、あなたが手懐けているだけでしょう。αとΩの間にはよくあることです。」
ふいに執事長の声がした。いつもの淡々とした口調。
でも、αがΩを手懐ける…?
その言葉に、心の中に不安が広がる。目の前の礼央様は、いつもの飄々とした笑みを浮かべたまま、俺の頭を優しく撫でていて…。
俺が彼を躾けているつもりだったのに、いつの間にか俺の方が、彼に躾けられているっていうことなのか…?
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