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第壱帖・白藤の情念
第壱幕 依頼人と退魔師・1
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舞扇子を藤に見立て優雅に舞い踊る若い女性だが、その表情はどこか暗かった。指先まで気を配り着物の裾も乱さず舞うが、隠しているつもりでも心が飛んでいる。じっと彼女の舞を見ていた老女は苛立たしげに立ち上がると、長唄の音源を止めた。
「何ですか茉莉さん、その魂の入っていない踊りは。師範就任のお披露目公演だというのに、肝心の貴女が腑抜けた踊りでどうするの? もっと舞踊に集中しなさい!」
「はい。申し訳ありません」
暗い表情で俯きながら、茉莉は小さな声で返事をする。例え血の繋がった祖母であろうと、稽古中は宗家と呼ばねばならない。日本舞踊池園流の宗家は、ふうと大きく息を吐くと今日はここまでと告げた。ありがとうございましたと一礼し、茉莉はそそくさと稽古場を後にする。
「だいぶ堪えていますね、お母様」
宗家と共に稽古を見ていた家元であり、茉莉の母親である綾乃が溜息混じりに嘆く。宗家は孫娘の心情を理解してはいるが、10日後に迫ったお披露目公演を失敗させるわけにはいかない。祖母としては心配だが、流派の宗家としては看過できなかった。母娘は婚約者が失踪して2ヶ月も経つのに、何の手掛かりもなく心労を募らせている茉莉を、揃って案じつつもどうすることも出来ない。
池園流では、先代家元が家督を譲った後に宗家を名乗る。もっとも家元の地位も本来は世襲制ではないのだが、慣習的に親から子へその地位が引き継がれている。とはいえ実力が伴っていなければならないないのは、何処の芸事の流派でも同じであるが。
「綾乃、わたくし決めました」
「お母様?」
母であり、池園流の宗家である佳乃を見遣りながら、綾乃は困惑気な声を出した。
「もうこれ以上、我慢できません。成果を挙げられない警察など当てにせず、久遠家に依頼することにいたします」
3月上旬に、福井県の九頭竜ダム湖畔の駐車場から忽然と姿を消した、茉莉の婚約者であり池園流の師範でもある新藤亘。彼は当初、事件と事故、両方の線から捜査が開始された。しかし3月上旬のまだ雪が残る山奥のダム湖には、地元の者ですら滅多に訪れずめぼしい目撃情報などなかった。現場のダム湖畔駐車場には、亘の車だけが残されていた。特に荒らされた形跡も、また周囲に争った形跡もなかった。誘拐なのか失踪か、警察でも判断が付かない状況が2ヶ月も続いている。以後捜査は膠着状態にあり、関係者たちは気を揉んでいる。
亘は佳乃が孫娘の婿にと見込んだ男だ。30歳の亘と25歳の茉莉は、共に何度か宗家直々の稽古で顔を合わせる内に、自然と互いに好意を持ち婚約した。佳乃にしてみれば将来の家元の婿に相応しい技量を持つ亘が、自分たちに何の連絡も寄越さぬまま行方をくらませるとは、どうしても思えなかった。茉莉以上に気を揉んでいるのは案外、宗家の佳乃だったりする。
「久遠家に連絡して、行方を探っていただきます」
綾乃には、母が言った久遠という名字にピンと来ていない。困惑の表情を浮かべる娘に対し、佳乃は情けないといった表情で溜息を吐いた。
「貴女が家元を継いだときに、申し伝えたでしょう? 我が家には代々、久遠家という 古いお付き合いの家があると」
そこまで言われてようやく思い出したが、あの家は話に聞いているだけでは随分と胡散臭いイメージしかない。何でも応仁の乱の時に戦火を逃れ、福井県南部の旧・名田庄村へ逃げ込んだ陰陽師の末裔とは聞いた。もっとも分家から更に分家した末端の筋で今では本家からも、その存在を忘れ去られていると噂の久遠家。その生業は『退魔師』という、胡散臭さここに極まるもの。確かに先祖は、元を辿れば平安時代に一時代を築いた大陰陽師に行き着くが、今の世の中ではそういうオカルト的なものは眉唾扱いされる。綾乃も久遠家の名前と生業を思い出しはしたが、正直言って警察ですら手掛かりが見つけられないのに、得体の知れない連中に何が出来るのかと思ってしまう。
「信じていませんね、久遠家の実力を」
「当たり前でしょう? お母様、警察に任せておいた方が宜しいではありませんか」
「警察なぞ当てにならないから、お願いするのですよ!」
憤りを隠さず佳乃は言い放つが、綾乃は得体の知れない人間を信じることが出来ない。しかし将来的に娘の茉莉が家元を継ぐとなると、その胡散臭い久遠家とやらの付き合いも継承せねばならない。全く面倒なことと思いつつ、母には逆らえない綾乃は仕方なく近くに置いてあった母のスマホを渡した。
「もしもし。久遠様のお宅でございますか? わたくし名古屋の池園と申します。ええそうです、お世話になっております。ご当主様はご在宅でございましょうか? 少々、厄介ごとに巻き込まれてしまいまして……」
先方は使用人が出たようだが、こちらの素性が明らかになると、すぐに久遠家の人間に代わった。
「何ですか茉莉さん、その魂の入っていない踊りは。師範就任のお披露目公演だというのに、肝心の貴女が腑抜けた踊りでどうするの? もっと舞踊に集中しなさい!」
「はい。申し訳ありません」
暗い表情で俯きながら、茉莉は小さな声で返事をする。例え血の繋がった祖母であろうと、稽古中は宗家と呼ばねばならない。日本舞踊池園流の宗家は、ふうと大きく息を吐くと今日はここまでと告げた。ありがとうございましたと一礼し、茉莉はそそくさと稽古場を後にする。
「だいぶ堪えていますね、お母様」
宗家と共に稽古を見ていた家元であり、茉莉の母親である綾乃が溜息混じりに嘆く。宗家は孫娘の心情を理解してはいるが、10日後に迫ったお披露目公演を失敗させるわけにはいかない。祖母としては心配だが、流派の宗家としては看過できなかった。母娘は婚約者が失踪して2ヶ月も経つのに、何の手掛かりもなく心労を募らせている茉莉を、揃って案じつつもどうすることも出来ない。
池園流では、先代家元が家督を譲った後に宗家を名乗る。もっとも家元の地位も本来は世襲制ではないのだが、慣習的に親から子へその地位が引き継がれている。とはいえ実力が伴っていなければならないないのは、何処の芸事の流派でも同じであるが。
「綾乃、わたくし決めました」
「お母様?」
母であり、池園流の宗家である佳乃を見遣りながら、綾乃は困惑気な声を出した。
「もうこれ以上、我慢できません。成果を挙げられない警察など当てにせず、久遠家に依頼することにいたします」
3月上旬に、福井県の九頭竜ダム湖畔の駐車場から忽然と姿を消した、茉莉の婚約者であり池園流の師範でもある新藤亘。彼は当初、事件と事故、両方の線から捜査が開始された。しかし3月上旬のまだ雪が残る山奥のダム湖には、地元の者ですら滅多に訪れずめぼしい目撃情報などなかった。現場のダム湖畔駐車場には、亘の車だけが残されていた。特に荒らされた形跡も、また周囲に争った形跡もなかった。誘拐なのか失踪か、警察でも判断が付かない状況が2ヶ月も続いている。以後捜査は膠着状態にあり、関係者たちは気を揉んでいる。
亘は佳乃が孫娘の婿にと見込んだ男だ。30歳の亘と25歳の茉莉は、共に何度か宗家直々の稽古で顔を合わせる内に、自然と互いに好意を持ち婚約した。佳乃にしてみれば将来の家元の婿に相応しい技量を持つ亘が、自分たちに何の連絡も寄越さぬまま行方をくらませるとは、どうしても思えなかった。茉莉以上に気を揉んでいるのは案外、宗家の佳乃だったりする。
「久遠家に連絡して、行方を探っていただきます」
綾乃には、母が言った久遠という名字にピンと来ていない。困惑の表情を浮かべる娘に対し、佳乃は情けないといった表情で溜息を吐いた。
「貴女が家元を継いだときに、申し伝えたでしょう? 我が家には代々、久遠家という 古いお付き合いの家があると」
そこまで言われてようやく思い出したが、あの家は話に聞いているだけでは随分と胡散臭いイメージしかない。何でも応仁の乱の時に戦火を逃れ、福井県南部の旧・名田庄村へ逃げ込んだ陰陽師の末裔とは聞いた。もっとも分家から更に分家した末端の筋で今では本家からも、その存在を忘れ去られていると噂の久遠家。その生業は『退魔師』という、胡散臭さここに極まるもの。確かに先祖は、元を辿れば平安時代に一時代を築いた大陰陽師に行き着くが、今の世の中ではそういうオカルト的なものは眉唾扱いされる。綾乃も久遠家の名前と生業を思い出しはしたが、正直言って警察ですら手掛かりが見つけられないのに、得体の知れない連中に何が出来るのかと思ってしまう。
「信じていませんね、久遠家の実力を」
「当たり前でしょう? お母様、警察に任せておいた方が宜しいではありませんか」
「警察なぞ当てにならないから、お願いするのですよ!」
憤りを隠さず佳乃は言い放つが、綾乃は得体の知れない人間を信じることが出来ない。しかし将来的に娘の茉莉が家元を継ぐとなると、その胡散臭い久遠家とやらの付き合いも継承せねばならない。全く面倒なことと思いつつ、母には逆らえない綾乃は仕方なく近くに置いてあった母のスマホを渡した。
「もしもし。久遠様のお宅でございますか? わたくし名古屋の池園と申します。ええそうです、お世話になっております。ご当主様はご在宅でございましょうか? 少々、厄介ごとに巻き込まれてしまいまして……」
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