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1章

近づく思いと、離れる思い1

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簡単な手紙を王子に出した翌日、カタリーナの気持ちは穏やかなものだった。予定外に騎士が手紙を届けてくれることになったため、おそらく今日の夕方にはエヴァトリスの元に手紙が届くだろう。
何をするにも、早く手紙を書かなくては、出さなくてはという思いが急いて集中出来なかったのが嘘の様だ。手紙を出した後は、あれほど進まなかった刺繍も集中して刺すことができた。
気持ちが落ち着いたためか、最近外出をしていないことに気づき驚くと同時に孤児院に顔を出したい、買い物をしながら街の様子をみたいなどやりたいことが溢れてくるのを嬉しく思いながら、今は公爵家の庭でお茶をしていた。いつもの庭だが、気持ちが楽になったせいか景色が鮮やかに感じられる。
通常であればエヴァトリスのもとに手紙が届くまであと3日程度かかるだろうが、騎士が直接届けてくれるため明日には届くだろう。カタリーナは自分が書いた手紙を思い出し、エヴァトリスがどんな反応を示すのか少し怖いような恥ずかしいような今までにない気持ちでいっぱいだった。

カタリーナが出した手紙の内容は最後の一文以外はいつもと変わらない。
季節の挨拶から始まり、返事が遅れたことを詫びる内容へと続く。辺境での支援内容への感想と自分ならこうしていきたいなどの意見。王都での流行りごとや最近カタリーナが行なったことをいつもなら書いていたが、ここ1ヶ月は気持ちがおちこみ社交すら休んでいたためそこは省略せざるおえなかった。その代わりに少し自分に素直になり気持ちを書くことにした。

『辺境での学びをいつも楽しく読ませていただいていますが、これほど会えない期間が続くのは初めてで少し寂しく思っています。早くお会いしたく思っています。エヴァトリス王子が無事に王都に戻られ、お会い出来る日を楽しみにしています』

今でもこの内容を送ってしまってよかったのかカタリーナは悩んでいたが、もう出してしまったのは仕方ないのだ。どうにもならないことで悩んでいたって仕方ないのだから、溜まっていたお茶会の返事などを書くことにした。侍女に頼み手紙のセットを庭に持ってきてもらう。暖かな日差しが気持ち良く、風も強くないため手紙が飛ばされることはないだろう。何よりカタリーナは今ならば気持ちよく手紙をかける気がしたのだ。
それほど積極的にお茶会に参加する方ではないが、王子の婚約者であり公爵令嬢であるカタリーナには連日のようにお誘いはやって来る。必要なものを選び出席・欠席の手紙を書いていく。孤児院への慰問や教会への訪問の日程調整に関する手紙も合間に書いた。合間に侍女から昼食へ誘われたが、手紙を最後まで書いてしまいたい気持ちが強く軽食を庭に持ってきてもらい、そのまま手紙を書き続けた。集中すると食事を後回しにしてしまうのはカタリーナの悪い癖だ。父か母がいればそれを咎めることもできるが、平日の昼間ではカタリーナにそれを強く注意することができる者はこの屋敷の中にはいないのだ。
ただ、それは昼間の話であり夕食の際に侍女から報告を受けた母から
「食事はしっかりと取るように。あまり侍女達にわがままを言って迷惑かけないように」
と小言を言われたのは当然のことだろう。

夕食が終わり、入浴を済ませ部屋で本を読む。そろそろ寝る時間になるかと思いながら、侍女にホットミルクを持ってきてもらう。成人してすぐはワインを飲んでみたが、どうやら体質が合わないらしくすぐに酔っ払ってしまう。少し子どもっぽく思うが、カタリーナはホットミルクを飲むとゆっくり眠れる気がするのだ。

ホットミルクを飲み終わり、布団に入ろうとした時に公爵家の門が騒がしくなる音が聞こえた。父を含め家族は既に帰宅しているため、急な来客だろうか。それにしてもこんな時間に公爵家を訪れるような者がいるのは考えにくい。可能性としては父の仕事関係か。どちらにしろカタリーナには関係のないことであり布団に入り明かりを消す。今度は玄関の方が騒がしくなり父の声も聞こえ始めるが距離もあるためはっきりとは聞き取れない。
「このような時間に・・・、いくら・・・でも・・・・・、お通しできません。」
父が敬語を使っていることから、父より目上の人か身分の高い人か、そんなやり取りを聞いているうちに少しずつカタリーナは夢の中に落ちて行った。

どれくらいの時間が経ったのだろう。廊下に足音が響く足音でカタリーナは目を覚ます。急足で進む足音は少し荒く聞こえる。同時に声の主も近づいてきておりその一人が父であることは寝ぼけた頭でも認識することができた。
「いくら婚約者であってもこのような時間に・・・」
「ほんの少し顔を見るだけだから・・・」
その声は途切れ途切れであり、カタリーナにははっきりと聞こえない。父ともう一人は若い男性の声だ。カタリーナはエヴァトリスと似た声に少しだけ口元が綻ぶ。夢であっても、エヴァトリスの声が聞けるのが嬉しかったのだ。
「顔をみるだけであっても、未婚の女性が休まれている部屋に入るなどなりません」
はっきりとした父の声が聞こえ目が醒める。誰かが屋敷を訪れており、どうやら私の部屋の前にいるらしい。
公爵家に入れるのだから身元がしっかりした者であるのは確かだが、この時間帯は非常識としか言いようがなく、父の声からも歓迎されていないのは明らかである。話の内容からおそらくカタリーナへの客なのだろうが、つい先ほどまで眠っており現在も夜着の状態だ。来客を迎える用のドレスまでとは言わないが、せめてワンピースぐらいは着せてほしい。しかし、この部屋には侍女はおらず、着替えのため侍女を部屋に入れるにはドアを開けなくてはいけない。どうしたものか悩んでいると
「それほど心配ならば、公爵も一緒に入ればよいだろう」

その声が聞こえた時、カタリーナは考える間も無くドアをあけ、声の主に抱きついていた。
「会いたかった」
カタリーナは一言だけ呟くと、目から涙が溢れてきた。
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