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その心の声は。第一章
出会い
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満月は空の真上で強く輝き、白夜の様に闇を照らしていた。
「今夜も月が綺麗だな。」
そう呟き、俺は会社のドアを施錠した。
春の風は日に日に暖かくなっていたが、夜はまだ少し肌寒さを残していた。俺はスーツのポケットに手を突っ込んでポケットの中にあった小銭で会社の敷地内にある自販機でホットの缶コーヒーを買うと、カイロ代わりにその缶コーヒーで暖をとった。
こういう夜は人肌恋しくなるが、独身生活が長くなったせいか、それもあまり気にはなっていなかった。そんな俺を慰めるように缶コーヒーは温かく、月は夜道を明るく照らしてくれていた。
俺の名は佐藤雄大。都内で働くサラリーマンだ。安月給で朝から晩まで働いて貯金はゼロ。彼女もかれこれ10年以上いない。それもそうだ。こんな卯建の上がらない男が結婚どころか、彼女さえ出来るわけがない。日々暮すのに精一杯で未だに半人前。ただそれにも慣れてしまって、恋愛さえも面倒臭く感じてもいた。そんな俺を心配してか実家の両親は話す度に結婚はまだかと、急かしてくる。両親の心配も分かるが好きにさせてくれとも思う。仕事も順調で安月給ではあるが食うには困らない。俺くらいの歳になると管理職になっててもおかしくないのだが、面倒臭がりの俺がそんなのを望まないのは前記の話から説明するまでもない。金銭欲、出世欲、全ての欲が希薄なのだと思う。それは心の何処かで人生に諦めている所があるのかもしれない。何処かで見かけたが、生きとし生けるものの中で人間だけが将来に不安を感じるらしい。その他の生き物は今を生きるのに精一杯なのだと。そう言う意味では俺は人間以下なのかもしれないが、それもそれでいいかと開き直っている。今を精一杯生きて何が悪いのかと。
そして今日もクタクタになって最終電車に乗るため、駅に向かっていく道沿いに流れる小さなドブ川沿を一人歩いていた俺は前方の闇夜の街灯に照らされ光る、小さな物を見つけた。
(何だ?)
近寄って見るとそれは見慣れない一つのスマホであった。俺はそれを手に取り上下左右から舐める様に見回した。そのスマホは真新しく、今まで見たこともない斬新なデザインだった。
(誰が落としたスマホだろう?)
俺はそのスマホを開いてみた。
それは検索エンジンで有名なゴーグル社のロゴがスマホの背面にあり、中には音声検索らしきアプリと、『Voice of Heart』というアプリしか入っておらず、とてもシンプルなものだった。
(へぇ、ゴーグル社のスマホだが、初めて見るデザインのスマホだな。)
俺はそのスマホがゴーグル社の試作機であろうことは容易に想像できた。
(電話帳アプリも入っていないのか。これじゃあ持ち主を特定出来ないな。)
とりあえずそのスマホをスーツのポケットに突っ込み俺は駅へと急いだ。帰りの電車の中で俺は今日の仕事を振り返り、明日の仕事の段取りを頭の中でシミュレートした。この時まで俺はとんでもないものを拾った事に気付いてはいなかった。交番に届けても良かったのだが、夜も遅かったので後日届ければいいだろうくらいにしか思っていなかった。
自宅に戻った俺は部屋の窓際にあるベッドへ自分のスマホと拾ったスマホとを放り投げて、コンビニ弁当をレンジでチンしてそれと自分のスマホとをひろげて弁当を食べながらゴーグル社の新型スマホの情報を調べてみたが、手元にあるスマホの情報は一切なかった。インターネットで調べても出てこないものの事を考えてもしょうがないと、俺は空になった弁当箱を片付けて風呂に入る事にした。
風呂に入っている最中も、俺はあのスマホの持ち主の事を考えていた。
(どんな人が持ち主なのだろう。持ち主は困ってないだろうか。)
風呂から上がった俺はベッドの上のそのスマホに手を伸ばし、また開いてみた。
やはり音声検索アプリと『Voice of Heart』というアプリしかない。
俺は少し考え、試しにアプリへ持ち主のことを訊ねてみた。
「OK、ゴーグル。お前の持ち主は誰?」
「私の持ち主は鈴木雫さんです。」
(え?)
少し考え、また訊ねてみた。
「OK、ゴーグル。鈴木雫さんの連絡先は?」
そのスマホは彼女の住所、電話番号、メールアドレス、勤務先等、次々と答えた。
なんでも彼女は都内に住み、ゴーグル社の新製品開発部の主任研究員であることが分かった。
(なるほどね。こいつはやはりゴーグル社製の試作品なんだな。)
そして、俺はまた訊ねた。
「OK、ゴーグル。お前の機能を教えて。」
「私の機能は全ての事を検索出来ます。『Voice of Heart』は、人や動物などの心までも検索出来ます。」
「あはは。こいつは失敗作だ。人の心まで検索出来るわけがない。おもちゃだな。」
俺はあくびを一つして、そのスマホをテーブルへ放り投げ、明日も朝早い仕事に備えそそくさと寝た。
翌朝、俺は眠気眼を擦りながらカーテンを開け、朝陽を浴びながら大きく伸びをした。そして朝陽に照らされ光るテーブルの上のスマホを眺めた。
(こいつ、人の心までも検索出来るって言ってたな。)
俺は手早く出勤の仕度を済ますと、疑いながらもそのスマホをポケットに突っ込み足早に会社に向かった。駅に向かう途中、道端に一匹の猫に餌をあげている一人の女子小学生がいた。
(そう言えばあのスマホ、動物の心を検索出来るって言ってたな。)
「おはよう。可愛い猫だね。猫が今何て思ってるかおじさんが聞いてみようか?」
その女の子は一瞬不審そうな顔をしたが、
「分かるの?」
と、聞いてきたので俺は例のスマホを取り出し、訊ねてみた。
「OK、ゴーグル。猫の気持ち教えて。」
「うみゃあ、うみゃあ。ありがとう。と、思っています。」
俺とその子は顔を見合わせてプッと笑い合い、その子は笑顔でその場を立ち去った。
(このスマホなかなかによく出来たおもちゃだな。ナイスなタイミングと言葉のチョイスだ。)
俺は少しこのスマホに感心して駅へと向かった。
会社では、新規大口の仕事が決まった事もあり、皆忙しくピリピリした空気が張り詰めていた。それなのに新入社員の横川が遅刻してきた。案の定上司の松田さんに叱責され、社内に嫌な空気が張り詰めていた。
俺の上司、松田さんは普段は温厚な人なのだが、ここ最近の忙しさにイライラしていた。そのイライラが回りに伝染して、社内は緊迫した嫌な空気に包まれていたのであった。
(はぁ。この空気、嫌だなぁ。松田さん今、何考えてるんだろ・・・・・)
デスクに座っていた俺は上司をチラリと見てふと、あのスマホの事を思い出した。
(そうだ。あのスマホ、人の心が読めるって言ってたよな。試しに検索してみるか。)
俺はこそっとスマホを開き訊ねた。
「OK、ゴーグル。今、俺の上司は何考えてる?」
「彼は今イライラを収めたく、コーヒーを飲んで一服したいと思っています。」
俺は半信半疑ながらも、自販機で缶コーヒー買い、上司へその缶コーヒーを手渡した。
「お疲れじゃないですか?」
「おぉ。佐藤君、ありがとう。ちょうどコーヒー飲んで一服したいと思ってたとこだったよ。気が利くな。」
(マ、マジか?こいつ、本当に心が読めるのか?いや待てよ。偶然かもしれない。今度は事務の北村さんの心を読んでみよう。)
俺は会社内の物陰に隠れて、スマホにまた訊ねた。
「OK、ゴーグル。事務の北村さんの今の気持ちを教えて。」
「彼女は彼氏と上手くいってなく、今日の彼女の誕生日も祝って貰えそうになくて、憂鬱になっています。」
(そうか。北村さん、今日誕生日だったんだ。)
「北村さん、誕生日おめでとう。」
俺は少し微笑んで、北村さんにも缶コーヒーを買い、誕生日のお祝いを伝えた。
「わぁぁ。佐藤さん、なんで私の誕生日知ってるの?ありがとう!」
(こ、こいつは使える!)
俺は小躍りする心を押さえながらポケットの中のスマホを握りしめた。
昼休み、俺は会社の近所の公園の木陰になるベンチに腰を下ろし、このスマホの持ち主へ、思いを馳せてみた。
(鈴木雫とは、どんな人なのだろう。)
俺はこのスマホの持ち主の事が気になり、スマホに訊ねた。
「OK、ゴーグル。鈴木雫さんの写真。」
検索で出てきた写真は、聡明な感じで上品な顔立ちの若い女性だった。
(綺麗な人だな。)
俺はしばらく考えて、彼女のスケジュールを検索してみた。彼女はとても忙しい毎日を送っていることがスケジュールから分かったのだが、その中でも目を引いたのが、毎週日曜の午前中に通うフィットネスジムだった。
(このフィットネスジム、俺の自宅の近所だな。)
そのフィットネスジムには、俺も何度か通ったことがあり、会員証も持っていた。
(このスマホを返すチャンスがあるかもしれないな。)
俺は今週の日曜に、そのフィットネスジムに久し振りに行ってみようと考えた。この時までは彼女に恋心を持ってしまう事など思ってもみなかった。そう。このスマホと彼女の魅力に惹きつけられる事など。
日曜日。俺はTシャツに短パンというラフな格好で、フィットネスジムに向かった。
(どんな風にスマホを返そうか。)
あれこれ考えながらフィットネスジムに入り、準備運動して、周りを見渡した。
最近の健康志向ブームでジムに通う人達は多く、写真の女性を探すのは簡単ではなかった。ひと回り探してみたが見つからない。諦めて帰ろうかとしたその時、
(いた!)
彼女はランニングマシンに乗り、走って汗をかいていた。彼女は思っていたよりも小柄な女性で、スラッとしたスタイルだった。
(ここで運動して、スタイルを維持してるのかな。)
余計な詮索をしながら、どうやって彼女に近づこうか考え、一番自然なのは取りあえず彼女の隣のランニングマシンに乗って近付いてみようと思った。
彼女はかなり速いスピードで走っていた。俺は負けじと同じ位のスピードに上げて走ったはいいが、普段の運動不足が祟り、俺はマシンの上で足がもつれ、転んでマシンの後ろの方へ弾かれた。
「大丈夫ですか?」
彼女はマシンを止め、俺の所へ駆け寄ってきた。
「だ、大丈夫ですよ。」
とは言うものの、膝を擦りむいて、血が出ていた。近くにいたジムトレーナーも慌てて駆け寄り、俺の様子をうかがっていた。
「血が出ていますよ。」
そう言うと彼女はポケットからハンカチを取り出し、ハンカチで血を押し拭い、ジムのトレーナーさんから絆創膏を貰い、それを俺の膝に優しく貼り付けてくれた。
「あ、ありがとうございます。」
俺は戸惑いながら血の付いたハンカチを手に取った。
「ハンカチ、汚してしまいましたね。ごめんなさい。」
「いいですよ。そのハンカチは差し上げます。他に怪我は無かったですか?」
優しく微笑む彼女。俺は彼女と、心配して駆けつけたジムトレーナーに礼を言いジム内のベンチに座り彼女をチラチラと横目で追いつつ休憩した。
そして、あのスマホを取り出し訊ねた。
「OK、ゴーグル。鈴木雫さんの今の気持ちを教えて。」
「彼女は運動を終えて、喉が渇いたのでスポーツドリンクを飲んで帰ろうとしています。」
(マズイ。今ここで帰られたらスマホが返せなくなる。)
俺は慌てて自販機でスポーツドリンクを買い、彼女にそれを差し出した。
「先程はありがとうございました。これは先程のお礼です。」
「いえいえ。そんなお礼だなんて。」
「是非受け取ってください。それに、ハンカチも綺麗にしてお返ししたいです。そのお礼も兼ねて今度、ランチでもご一緒させて貰えませんか?」
「ふふふ。新手のナンパじゃないですよね。」
「そんなのじゃないですよ。純粋に恩返ししたいだけです。」
「ふふふ。恩返しだなんて。まぁ、ランチ位ならご一緒してもいいかな。」
俺は再度お礼と自分の名を告げ、彼女の名前と連絡先を聞き、その場を後にした。
家に帰り着いた俺は、程よい高揚感とネガティブな感情とが頭の中で満員電車の様に押し合った感じで「はぁぁ」と、大きく溜め息をついた。
彼女の連絡先を聞けて、ランチの約束も取り付けたのは良かったのだが、ランニングマシンで転けて、カッコ悪い姿を見られたからだ。
(でも、転んだお陰で接点が持てたのだから良しとするか。)
俺はソファーに浅く座り背もたれに身体を預け、天を仰ぎ見てどうやってスマホの事を切り出し、返したら良いかを考えた。しかし、妙案が浮かばない。俺は考えるのを止め、話の流れで何とか返せるだろうと安易に考えた。そして、擦りむいた膝の絆創膏を見ながら彼女の手の温もりを思い出し、微笑んだ。
「今夜も月が綺麗だな。」
そう呟き、俺は会社のドアを施錠した。
春の風は日に日に暖かくなっていたが、夜はまだ少し肌寒さを残していた。俺はスーツのポケットに手を突っ込んでポケットの中にあった小銭で会社の敷地内にある自販機でホットの缶コーヒーを買うと、カイロ代わりにその缶コーヒーで暖をとった。
こういう夜は人肌恋しくなるが、独身生活が長くなったせいか、それもあまり気にはなっていなかった。そんな俺を慰めるように缶コーヒーは温かく、月は夜道を明るく照らしてくれていた。
俺の名は佐藤雄大。都内で働くサラリーマンだ。安月給で朝から晩まで働いて貯金はゼロ。彼女もかれこれ10年以上いない。それもそうだ。こんな卯建の上がらない男が結婚どころか、彼女さえ出来るわけがない。日々暮すのに精一杯で未だに半人前。ただそれにも慣れてしまって、恋愛さえも面倒臭く感じてもいた。そんな俺を心配してか実家の両親は話す度に結婚はまだかと、急かしてくる。両親の心配も分かるが好きにさせてくれとも思う。仕事も順調で安月給ではあるが食うには困らない。俺くらいの歳になると管理職になっててもおかしくないのだが、面倒臭がりの俺がそんなのを望まないのは前記の話から説明するまでもない。金銭欲、出世欲、全ての欲が希薄なのだと思う。それは心の何処かで人生に諦めている所があるのかもしれない。何処かで見かけたが、生きとし生けるものの中で人間だけが将来に不安を感じるらしい。その他の生き物は今を生きるのに精一杯なのだと。そう言う意味では俺は人間以下なのかもしれないが、それもそれでいいかと開き直っている。今を精一杯生きて何が悪いのかと。
そして今日もクタクタになって最終電車に乗るため、駅に向かっていく道沿いに流れる小さなドブ川沿を一人歩いていた俺は前方の闇夜の街灯に照らされ光る、小さな物を見つけた。
(何だ?)
近寄って見るとそれは見慣れない一つのスマホであった。俺はそれを手に取り上下左右から舐める様に見回した。そのスマホは真新しく、今まで見たこともない斬新なデザインだった。
(誰が落としたスマホだろう?)
俺はそのスマホを開いてみた。
それは検索エンジンで有名なゴーグル社のロゴがスマホの背面にあり、中には音声検索らしきアプリと、『Voice of Heart』というアプリしか入っておらず、とてもシンプルなものだった。
(へぇ、ゴーグル社のスマホだが、初めて見るデザインのスマホだな。)
俺はそのスマホがゴーグル社の試作機であろうことは容易に想像できた。
(電話帳アプリも入っていないのか。これじゃあ持ち主を特定出来ないな。)
とりあえずそのスマホをスーツのポケットに突っ込み俺は駅へと急いだ。帰りの電車の中で俺は今日の仕事を振り返り、明日の仕事の段取りを頭の中でシミュレートした。この時まで俺はとんでもないものを拾った事に気付いてはいなかった。交番に届けても良かったのだが、夜も遅かったので後日届ければいいだろうくらいにしか思っていなかった。
自宅に戻った俺は部屋の窓際にあるベッドへ自分のスマホと拾ったスマホとを放り投げて、コンビニ弁当をレンジでチンしてそれと自分のスマホとをひろげて弁当を食べながらゴーグル社の新型スマホの情報を調べてみたが、手元にあるスマホの情報は一切なかった。インターネットで調べても出てこないものの事を考えてもしょうがないと、俺は空になった弁当箱を片付けて風呂に入る事にした。
風呂に入っている最中も、俺はあのスマホの持ち主の事を考えていた。
(どんな人が持ち主なのだろう。持ち主は困ってないだろうか。)
風呂から上がった俺はベッドの上のそのスマホに手を伸ばし、また開いてみた。
やはり音声検索アプリと『Voice of Heart』というアプリしかない。
俺は少し考え、試しにアプリへ持ち主のことを訊ねてみた。
「OK、ゴーグル。お前の持ち主は誰?」
「私の持ち主は鈴木雫さんです。」
(え?)
少し考え、また訊ねてみた。
「OK、ゴーグル。鈴木雫さんの連絡先は?」
そのスマホは彼女の住所、電話番号、メールアドレス、勤務先等、次々と答えた。
なんでも彼女は都内に住み、ゴーグル社の新製品開発部の主任研究員であることが分かった。
(なるほどね。こいつはやはりゴーグル社製の試作品なんだな。)
そして、俺はまた訊ねた。
「OK、ゴーグル。お前の機能を教えて。」
「私の機能は全ての事を検索出来ます。『Voice of Heart』は、人や動物などの心までも検索出来ます。」
「あはは。こいつは失敗作だ。人の心まで検索出来るわけがない。おもちゃだな。」
俺はあくびを一つして、そのスマホをテーブルへ放り投げ、明日も朝早い仕事に備えそそくさと寝た。
翌朝、俺は眠気眼を擦りながらカーテンを開け、朝陽を浴びながら大きく伸びをした。そして朝陽に照らされ光るテーブルの上のスマホを眺めた。
(こいつ、人の心までも検索出来るって言ってたな。)
俺は手早く出勤の仕度を済ますと、疑いながらもそのスマホをポケットに突っ込み足早に会社に向かった。駅に向かう途中、道端に一匹の猫に餌をあげている一人の女子小学生がいた。
(そう言えばあのスマホ、動物の心を検索出来るって言ってたな。)
「おはよう。可愛い猫だね。猫が今何て思ってるかおじさんが聞いてみようか?」
その女の子は一瞬不審そうな顔をしたが、
「分かるの?」
と、聞いてきたので俺は例のスマホを取り出し、訊ねてみた。
「OK、ゴーグル。猫の気持ち教えて。」
「うみゃあ、うみゃあ。ありがとう。と、思っています。」
俺とその子は顔を見合わせてプッと笑い合い、その子は笑顔でその場を立ち去った。
(このスマホなかなかによく出来たおもちゃだな。ナイスなタイミングと言葉のチョイスだ。)
俺は少しこのスマホに感心して駅へと向かった。
会社では、新規大口の仕事が決まった事もあり、皆忙しくピリピリした空気が張り詰めていた。それなのに新入社員の横川が遅刻してきた。案の定上司の松田さんに叱責され、社内に嫌な空気が張り詰めていた。
俺の上司、松田さんは普段は温厚な人なのだが、ここ最近の忙しさにイライラしていた。そのイライラが回りに伝染して、社内は緊迫した嫌な空気に包まれていたのであった。
(はぁ。この空気、嫌だなぁ。松田さん今、何考えてるんだろ・・・・・)
デスクに座っていた俺は上司をチラリと見てふと、あのスマホの事を思い出した。
(そうだ。あのスマホ、人の心が読めるって言ってたよな。試しに検索してみるか。)
俺はこそっとスマホを開き訊ねた。
「OK、ゴーグル。今、俺の上司は何考えてる?」
「彼は今イライラを収めたく、コーヒーを飲んで一服したいと思っています。」
俺は半信半疑ながらも、自販機で缶コーヒー買い、上司へその缶コーヒーを手渡した。
「お疲れじゃないですか?」
「おぉ。佐藤君、ありがとう。ちょうどコーヒー飲んで一服したいと思ってたとこだったよ。気が利くな。」
(マ、マジか?こいつ、本当に心が読めるのか?いや待てよ。偶然かもしれない。今度は事務の北村さんの心を読んでみよう。)
俺は会社内の物陰に隠れて、スマホにまた訊ねた。
「OK、ゴーグル。事務の北村さんの今の気持ちを教えて。」
「彼女は彼氏と上手くいってなく、今日の彼女の誕生日も祝って貰えそうになくて、憂鬱になっています。」
(そうか。北村さん、今日誕生日だったんだ。)
「北村さん、誕生日おめでとう。」
俺は少し微笑んで、北村さんにも缶コーヒーを買い、誕生日のお祝いを伝えた。
「わぁぁ。佐藤さん、なんで私の誕生日知ってるの?ありがとう!」
(こ、こいつは使える!)
俺は小躍りする心を押さえながらポケットの中のスマホを握りしめた。
昼休み、俺は会社の近所の公園の木陰になるベンチに腰を下ろし、このスマホの持ち主へ、思いを馳せてみた。
(鈴木雫とは、どんな人なのだろう。)
俺はこのスマホの持ち主の事が気になり、スマホに訊ねた。
「OK、ゴーグル。鈴木雫さんの写真。」
検索で出てきた写真は、聡明な感じで上品な顔立ちの若い女性だった。
(綺麗な人だな。)
俺はしばらく考えて、彼女のスケジュールを検索してみた。彼女はとても忙しい毎日を送っていることがスケジュールから分かったのだが、その中でも目を引いたのが、毎週日曜の午前中に通うフィットネスジムだった。
(このフィットネスジム、俺の自宅の近所だな。)
そのフィットネスジムには、俺も何度か通ったことがあり、会員証も持っていた。
(このスマホを返すチャンスがあるかもしれないな。)
俺は今週の日曜に、そのフィットネスジムに久し振りに行ってみようと考えた。この時までは彼女に恋心を持ってしまう事など思ってもみなかった。そう。このスマホと彼女の魅力に惹きつけられる事など。
日曜日。俺はTシャツに短パンというラフな格好で、フィットネスジムに向かった。
(どんな風にスマホを返そうか。)
あれこれ考えながらフィットネスジムに入り、準備運動して、周りを見渡した。
最近の健康志向ブームでジムに通う人達は多く、写真の女性を探すのは簡単ではなかった。ひと回り探してみたが見つからない。諦めて帰ろうかとしたその時、
(いた!)
彼女はランニングマシンに乗り、走って汗をかいていた。彼女は思っていたよりも小柄な女性で、スラッとしたスタイルだった。
(ここで運動して、スタイルを維持してるのかな。)
余計な詮索をしながら、どうやって彼女に近づこうか考え、一番自然なのは取りあえず彼女の隣のランニングマシンに乗って近付いてみようと思った。
彼女はかなり速いスピードで走っていた。俺は負けじと同じ位のスピードに上げて走ったはいいが、普段の運動不足が祟り、俺はマシンの上で足がもつれ、転んでマシンの後ろの方へ弾かれた。
「大丈夫ですか?」
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「だ、大丈夫ですよ。」
とは言うものの、膝を擦りむいて、血が出ていた。近くにいたジムトレーナーも慌てて駆け寄り、俺の様子をうかがっていた。
「血が出ていますよ。」
そう言うと彼女はポケットからハンカチを取り出し、ハンカチで血を押し拭い、ジムのトレーナーさんから絆創膏を貰い、それを俺の膝に優しく貼り付けてくれた。
「あ、ありがとうございます。」
俺は戸惑いながら血の付いたハンカチを手に取った。
「ハンカチ、汚してしまいましたね。ごめんなさい。」
「いいですよ。そのハンカチは差し上げます。他に怪我は無かったですか?」
優しく微笑む彼女。俺は彼女と、心配して駆けつけたジムトレーナーに礼を言いジム内のベンチに座り彼女をチラチラと横目で追いつつ休憩した。
そして、あのスマホを取り出し訊ねた。
「OK、ゴーグル。鈴木雫さんの今の気持ちを教えて。」
「彼女は運動を終えて、喉が渇いたのでスポーツドリンクを飲んで帰ろうとしています。」
(マズイ。今ここで帰られたらスマホが返せなくなる。)
俺は慌てて自販機でスポーツドリンクを買い、彼女にそれを差し出した。
「先程はありがとうございました。これは先程のお礼です。」
「いえいえ。そんなお礼だなんて。」
「是非受け取ってください。それに、ハンカチも綺麗にしてお返ししたいです。そのお礼も兼ねて今度、ランチでもご一緒させて貰えませんか?」
「ふふふ。新手のナンパじゃないですよね。」
「そんなのじゃないですよ。純粋に恩返ししたいだけです。」
「ふふふ。恩返しだなんて。まぁ、ランチ位ならご一緒してもいいかな。」
俺は再度お礼と自分の名を告げ、彼女の名前と連絡先を聞き、その場を後にした。
家に帰り着いた俺は、程よい高揚感とネガティブな感情とが頭の中で満員電車の様に押し合った感じで「はぁぁ」と、大きく溜め息をついた。
彼女の連絡先を聞けて、ランチの約束も取り付けたのは良かったのだが、ランニングマシンで転けて、カッコ悪い姿を見られたからだ。
(でも、転んだお陰で接点が持てたのだから良しとするか。)
俺はソファーに浅く座り背もたれに身体を預け、天を仰ぎ見てどうやってスマホの事を切り出し、返したら良いかを考えた。しかし、妙案が浮かばない。俺は考えるのを止め、話の流れで何とか返せるだろうと安易に考えた。そして、擦りむいた膝の絆創膏を見ながら彼女の手の温もりを思い出し、微笑んだ。
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