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忠珍鱈

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「あっ……」

駈の脳裏に、あのときの記憶が一気に押し寄せる。

当時、サウンドクリエイターとして完全に行き詰まっていた駈は、もうこの会社に居場所はないと真剣に退職を考えるようになっていた。
ただ、以前契約社員をしていた駈を正社員に登用してくれた時田に何も言わずに辞めるというのはさすがに気が引けて、退職願を鞄に入れ、仕事終わりに彼と会うことにしたのだ。

落ち着いた個室の居酒屋に連れて行かれ、二人で酒を飲みかわす。
だが、駈のただならぬ雰囲気に、時田はいつも以上に静かに駈の様子を伺っているようだった。
そして、とうとう駈が例の話を切り出すと。
時田は、一度大きくため息を吐いた後、こう言ったのだ。

「樋野君は、もう……音楽への情熱を失くしてしまったのかい?」


顔を赤くしてまた俯いてしまった駈に、時田は再び「ごめんね」と声を掛ける。
「君を馬鹿にする意図はひとつもないよ。ただ、君のそんな姿を見たら……懐かしくなってしまってね」
「……」
そろそろと顔を上げると、時田がふっと笑いかける。

今なら、彼のあの台詞の意図がよく分かる。
絶望の淵にいる駈を何とか発奮させようと、時田はわざとそんな言葉を投げかけたのだ。

「時田さん」

駈はまっすぐに彼を見つめる。
時田もまた、その視線に応えるように駈を見つめ返した。

「さっき、時田さんはこう仰いましたよね。あの部署の連中をよく育て上げてくれた、と」
駈の言葉に、時田は深く頷く。
駈は「本当に、買い被りすぎだとは思いますけど……」と前置きはしつつも、もう彼から目を逸らすことはなかった。

「正直……俺も、業務うんぬんよりも、そっちのほうがずっと大変でした。でも……そんなとき、時田さんがしてくれたことを思い出したんです」
「私のしたこと?」
首を傾げる時田に、駈は「はい」と一つ、大きく頷いた。

「あの日……やけくそになっていた俺に、時田さんは真正面から向き合ってくれた。だからこそ、俺はあのとき、自分を諦めずに済んだんです」

駈の目に光が灯る。

「それと同じことを、しただけなんです」

「樋野君……」
「それにですね、」
駈はこのまま言葉が途切れてしまわないように、食い気味にそう続けた。

「時田さん、あの後……俺に言ったこと、もう一つありましたよね。覚えていますか」
すると、時田は何だっけかな……と腕を組む。
その様子に、駈はくすっと笑った。

「ここで辞めたら、きっと樋野君は、本当に音楽が嫌いになってしまうんじゃないかな……って」
「あ……」

あの後――彼の言葉に大声で反論した駈は、しかしその後の言葉が続かず、そのまま俯いてしまった。
そんな彼に、時田は穏やかな声でこう語り掛けてくれたのだ。

「君の気持ちは私にも分かるよ。思い悩みすぎて、もう苦しくてたまらないってことも。だから、そこから離れることは、決して悪い選択じゃない」
でもね、と時田は付け足した。
そして、やっと顔を上げた駈を見つめると、先の台詞を送ったのだった。

「おかげさまで……っていうと嫌味のように聞こえるかもしれませんが、俺はあの部署にいる間も、音楽への情熱を失わずに済みました」
駈は珍しく、ニッと歯を見せて笑った。

「色々と大変なこともあったし、たくさん迷惑も掛けたけど……それでも今振り返ってみれば、すべて良い経験だったって、そう思えるんです。……って、俺が『良い経験』だなんて言うなって話、ですけどね」
首を竦めながら、駈は頭をかいた。

「当事者の俺ですら、こんなですから。だから時田さんも、どうか謝らないでください」

駈はそこまで言い切ると、もう一度しっかりと時田を見つめ直す。
彼の眼鏡の奥の瞳が、潤み揺れていた。

時田は眼鏡を外し、小さく微笑む。
そして、顔を覆うようにそっと目頭を抑えた。

「……駄目だねぇ、年を取ると」


それからは、駈の今の仕事について時田が聞きたがったので、それを尋ねられるままに話していった。

「そうか、君がまた作曲を……!」

例のゲームの話を出すと、時田は今日一番の笑みを浮かべた。

どんなタイプのゲームかと問われ、駈はスマホを取り出し、画面を見せる。
時田はすぐに自分のスマホを出し、ぱぱっと指を動かしたかと思うと、あっという間にアプリをダウンロードしてしまった。

「で、君の曲はどこで聞けるの?」
「あ、それは……すぐには無理なんです。エクストラステージっていう、ハードステージをクリアしてから出てくるやつなので……」
「へぇ、そうか……ところでこれってRPG?」
オープニング画面を立ち上げながら、時田はそう尋ねる。
「いえ、いわゆるローグライク系ってやつです」
「ああ! それなら大丈夫だ。私の得意分野だからね」
必ず君の曲のところまでたどり着くよ、そう言って時田は力強く口角を上げた。
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