89 / 98
89
しおりを挟む
「あっ、これは……っ!」
蕩けるような笑みで見つめてくる英に、駈は慌ててその手を引っ込めようとする。
しかし英はそれに対抗するようにぎゅっと力を込めると、そのまま自分の方へと引き寄せた。
「わっ、英、手、離せ……っ」
「嫌だ」
英は駈へと真正面から向き合いながら、その手を強く握り続けている。
いくら歩行者の目が無いとはいえ……言い逃れのできない体勢に、駈は流石に平静を保ってなどいられなかった。
しかも、触れ合わせているそこがぬるぬると汗で湿ってきて、駈は慌てて振りほどこうとしたのだが……これもまた、無駄な抵抗で終わっただけだった。
そう一人で焦っている駈とは対照的に、英はしげしげと僅かな光を集めて輝くプラチナを見つめていた。
「駈、いつもそれ、付けてくれているんだね」
指の間をくすぐるようにして指輪に触れてくる英に、駈は暗闇の中でかあっと頬を火照らせる。
「いいや、これは今日、たまたま……」
駈はどうにかその目から逃れ、顔を背けようとしたが……英はそんな駈の様子に、意地悪そうにニヤリと口角を引き上げた。
「へぇ……いつも職場に付けてきているらしいのに、それでも『たまたま』なんだ?」
「……っ!」
(山潟……あいつ……!!)
頭の中で男を罵りながら一層顔を赤らめていた駈だったが、ふと弱まった手の力に俯けていた顔を上げる。
動き始めた車列に、英は名残惜しげに絡めた指をほどいた。
とはいえ未だ渋滞は解消されず、車は進んでは止まり、止まっては進み……を繰り返している。
英はどさりとシートに背中を凭れさせると、その左手を目の前へと翳した。
「俺もさ……付けたいよ、指輪」
節くれだった大きな手を見ながら、英はぽつりとそう零す。
「というか……ずっと付けっぱなしにしておきたいよ」
「……」
駈は開きかけた口を、そのまま言葉を紡がずに閉じる。
英は首を竦めると、「うん、分かってる」と目を瞑った。
「マネージャーにも言われたんだ。そういうものは、今は止めてくれ、ってね」
「……ごめん」
結局口をついて出てしまったそれに、英は「だから、謝らないでってば」と困ったように笑った。
「さっきも言ったけどさ……俺はアイドルでも俳優でもないからさ。だから、この関係が誰に知れたって構わないし、それで離れる人がいるなら、それまでだって思ってる」
力強く言い切った彼の姿に、駈の胸はじんと熱くなる。
そこには、以前英が口にしていたような、無意識に他人の求める姿を演じてしまう彼はいなかった。
英は無機質なテールランプの灯りをぼんやりと眺めている。
その横顔を見つめる駈に、英は小さく「でもね」と呟いた。
「自分のやりたいことだけをやらせてもらうには、俺はまだ全然、力不足でさ。だから……こういう人気にだって頼らざるを得ないんだよなぁ」
情けないよなと力なく笑いながら、ぎり、とハンドルに爪が食い込む。
対向車線を行く車のライトが、英の横顔を白く浮かび上がらせる。
冷ややかなその造形には、どうしようもないやりきれなさが滲んでいるようだった。
駈はさっき英の熱に包まれた二つの手を、腹の上でしっかりと組む。
そして、顔を俯けたまま、ゆっくりとその口を開いた。
「それを言うなら……俺もだよ」
「俺、お前を見てると……ときどき、無性に怖くなるんだ」
駈の独白のようなそれが、エアコンの音だけが響く車の中にぽつりと落ちる。
「怖いって、俺が……?」
ショックを受けている英に、駈は笑いながら首を振る。
「いや、お前そのものが怖いってわけじゃない」
「じゃあ、」
続きを急かす英に、駈はもう一度、強く手を握り合わせた。
「お前は本当に、たくさんの人たちに囲まれてる。そして、自分から手を伸ばさなくたって、お前を欲しがる人もまた、たくさんいる。お前は今、俺と一緒にいてくれるけど……そもそもお前はノンケな訳だしな。そのうち、目が醒めてしまうんじゃないか、って……」
「そんなこと……っ」
咄嗟に否定する英に、駈は宥めるような視線を向けた。
「俺だってもちろん分かってる。これは英の問題じゃない。俺の……俺自身の問題なんだ」
「……」
噛み締めるようにそう呟く駈を、英はそれ以上何も言わず、ただ黙って見つめていた。
「だからせめて、自分に自信を持てるようにって……逆に、それを励みにして仕事、頑張ったりもしてさ」
単純だろ? と駈は照れ隠しに笑った。
「でも、そうやってその気持ちに上手く付き合っているつもりでも、時々、どうしても負けちゃいそうな時があって……そんなとき、この指輪を思い出すんだ」
駈はそう言いながら組んでいた手をほどく。
そして、その左手へとそっと視線を落とした。
「これを見てるとさ……遠い所にいるお前が、俺の隣にいるお前なんだって、そう信じることができる。お前の気持ちは、間違いなく『ここ』にあるんだ、って……。でも、それだって相当、情けない話じゃないか?」
駈は眉を下げて笑うと、ちらりと光ったそれを右手でゆっくりとさすった。
「早く、これに頼らなくたっていいようになりたいけど……悔しいけど、俺もまだまだ、精進が足りないってことだな」
「……駈」
ずっと口を閉ざしていた英が、静かに名前を呼ぶ。
彼へと振り返ると、英はまた、駈の左手へと手を伸ばしてきた。しかしそこにさっきのような強引さはなく、いっそ恭しいほどの手つきだったが……どこか、隠し切れない緊張感も漂っているようだった。
英の手に逆らわず、シートから身体を起こす。
彼もまた同様に、こちらへ正面を向けていた。
英は駈の左手を優しく持ち上げると、そこに顔を近寄せていく。
そして……薬指の付け根に、少しカサついた、柔らかい感触。
キスされた――そう気づいたのは、英がすっかり顔を起こし、駈へと微笑みかけたときだった。
「だっ、だから……っ、そういうのは……!」
いつの間にか止めてしまっていたらしい息を激しく吸い込むと、駈はそう声を荒げる。
その頬や耳が赤くなっていることは、たとえよく見えなくたって分かり切ったことだった。
英はそんな駈へとニヤリと笑いかける。
そして、ゆっくりと下ろした手の、その指輪をすり、とくすぐった。
「大丈夫。だって、皆それどころじゃないからね」
蕩けるような笑みで見つめてくる英に、駈は慌ててその手を引っ込めようとする。
しかし英はそれに対抗するようにぎゅっと力を込めると、そのまま自分の方へと引き寄せた。
「わっ、英、手、離せ……っ」
「嫌だ」
英は駈へと真正面から向き合いながら、その手を強く握り続けている。
いくら歩行者の目が無いとはいえ……言い逃れのできない体勢に、駈は流石に平静を保ってなどいられなかった。
しかも、触れ合わせているそこがぬるぬると汗で湿ってきて、駈は慌てて振りほどこうとしたのだが……これもまた、無駄な抵抗で終わっただけだった。
そう一人で焦っている駈とは対照的に、英はしげしげと僅かな光を集めて輝くプラチナを見つめていた。
「駈、いつもそれ、付けてくれているんだね」
指の間をくすぐるようにして指輪に触れてくる英に、駈は暗闇の中でかあっと頬を火照らせる。
「いいや、これは今日、たまたま……」
駈はどうにかその目から逃れ、顔を背けようとしたが……英はそんな駈の様子に、意地悪そうにニヤリと口角を引き上げた。
「へぇ……いつも職場に付けてきているらしいのに、それでも『たまたま』なんだ?」
「……っ!」
(山潟……あいつ……!!)
頭の中で男を罵りながら一層顔を赤らめていた駈だったが、ふと弱まった手の力に俯けていた顔を上げる。
動き始めた車列に、英は名残惜しげに絡めた指をほどいた。
とはいえ未だ渋滞は解消されず、車は進んでは止まり、止まっては進み……を繰り返している。
英はどさりとシートに背中を凭れさせると、その左手を目の前へと翳した。
「俺もさ……付けたいよ、指輪」
節くれだった大きな手を見ながら、英はぽつりとそう零す。
「というか……ずっと付けっぱなしにしておきたいよ」
「……」
駈は開きかけた口を、そのまま言葉を紡がずに閉じる。
英は首を竦めると、「うん、分かってる」と目を瞑った。
「マネージャーにも言われたんだ。そういうものは、今は止めてくれ、ってね」
「……ごめん」
結局口をついて出てしまったそれに、英は「だから、謝らないでってば」と困ったように笑った。
「さっきも言ったけどさ……俺はアイドルでも俳優でもないからさ。だから、この関係が誰に知れたって構わないし、それで離れる人がいるなら、それまでだって思ってる」
力強く言い切った彼の姿に、駈の胸はじんと熱くなる。
そこには、以前英が口にしていたような、無意識に他人の求める姿を演じてしまう彼はいなかった。
英は無機質なテールランプの灯りをぼんやりと眺めている。
その横顔を見つめる駈に、英は小さく「でもね」と呟いた。
「自分のやりたいことだけをやらせてもらうには、俺はまだ全然、力不足でさ。だから……こういう人気にだって頼らざるを得ないんだよなぁ」
情けないよなと力なく笑いながら、ぎり、とハンドルに爪が食い込む。
対向車線を行く車のライトが、英の横顔を白く浮かび上がらせる。
冷ややかなその造形には、どうしようもないやりきれなさが滲んでいるようだった。
駈はさっき英の熱に包まれた二つの手を、腹の上でしっかりと組む。
そして、顔を俯けたまま、ゆっくりとその口を開いた。
「それを言うなら……俺もだよ」
「俺、お前を見てると……ときどき、無性に怖くなるんだ」
駈の独白のようなそれが、エアコンの音だけが響く車の中にぽつりと落ちる。
「怖いって、俺が……?」
ショックを受けている英に、駈は笑いながら首を振る。
「いや、お前そのものが怖いってわけじゃない」
「じゃあ、」
続きを急かす英に、駈はもう一度、強く手を握り合わせた。
「お前は本当に、たくさんの人たちに囲まれてる。そして、自分から手を伸ばさなくたって、お前を欲しがる人もまた、たくさんいる。お前は今、俺と一緒にいてくれるけど……そもそもお前はノンケな訳だしな。そのうち、目が醒めてしまうんじゃないか、って……」
「そんなこと……っ」
咄嗟に否定する英に、駈は宥めるような視線を向けた。
「俺だってもちろん分かってる。これは英の問題じゃない。俺の……俺自身の問題なんだ」
「……」
噛み締めるようにそう呟く駈を、英はそれ以上何も言わず、ただ黙って見つめていた。
「だからせめて、自分に自信を持てるようにって……逆に、それを励みにして仕事、頑張ったりもしてさ」
単純だろ? と駈は照れ隠しに笑った。
「でも、そうやってその気持ちに上手く付き合っているつもりでも、時々、どうしても負けちゃいそうな時があって……そんなとき、この指輪を思い出すんだ」
駈はそう言いながら組んでいた手をほどく。
そして、その左手へとそっと視線を落とした。
「これを見てるとさ……遠い所にいるお前が、俺の隣にいるお前なんだって、そう信じることができる。お前の気持ちは、間違いなく『ここ』にあるんだ、って……。でも、それだって相当、情けない話じゃないか?」
駈は眉を下げて笑うと、ちらりと光ったそれを右手でゆっくりとさすった。
「早く、これに頼らなくたっていいようになりたいけど……悔しいけど、俺もまだまだ、精進が足りないってことだな」
「……駈」
ずっと口を閉ざしていた英が、静かに名前を呼ぶ。
彼へと振り返ると、英はまた、駈の左手へと手を伸ばしてきた。しかしそこにさっきのような強引さはなく、いっそ恭しいほどの手つきだったが……どこか、隠し切れない緊張感も漂っているようだった。
英の手に逆らわず、シートから身体を起こす。
彼もまた同様に、こちらへ正面を向けていた。
英は駈の左手を優しく持ち上げると、そこに顔を近寄せていく。
そして……薬指の付け根に、少しカサついた、柔らかい感触。
キスされた――そう気づいたのは、英がすっかり顔を起こし、駈へと微笑みかけたときだった。
「だっ、だから……っ、そういうのは……!」
いつの間にか止めてしまっていたらしい息を激しく吸い込むと、駈はそう声を荒げる。
その頬や耳が赤くなっていることは、たとえよく見えなくたって分かり切ったことだった。
英はそんな駈へとニヤリと笑いかける。
そして、ゆっくりと下ろした手の、その指輪をすり、とくすぐった。
「大丈夫。だって、皆それどころじゃないからね」
0
あなたにおすすめの小説
【完】君に届かない声
未希かずは(Miki)
BL
内気で友達の少ない高校生・花森眞琴は、優しくて完璧な幼なじみの長谷川匠海に密かな恋心を抱いていた。
ある日、匠海が誰かを「そばで守りたい」と話すのを耳にした眞琴。匠海の幸せのために身を引こうと、クラスの人気者・和馬に偽の恋人役を頼むが…。
すれ違う高校生二人の不器用な恋のお話です。
執着囲い込み☓健気。ハピエンです。
[BL]憧れだった初恋相手と偶然再会したら、速攻で抱かれてしまった
ざびえる
BL
エリートリーマン×平凡リーマン
モデル事務所で
メンズモデルのマネージャーをしている牧野 亮(まきの りょう) 25才
中学時代の初恋相手
高瀬 優璃 (たかせ ゆうり)が
突然現れ、再会した初日に強引に抱かれてしまう。
昔、優璃に嫌われていたとばかり思っていた亮は優璃の本当の気持ちに気付いていき…
夏にピッタリな青春ラブストーリー💕
先輩のことが好きなのに、
未希かずは(Miki)
BL
生徒会長・鷹取要(たかとりかなめ)に憧れる上川陽汰(かみかわはるた)。密かに募る想いが通じて無事、恋人に。二人だけの秘密の恋は甘くて幸せ。だけど、少しずつ要との距離が開いていく。
何で? 先輩は僕のこと嫌いになったの?
切なさと純粋さが交錯する、青春の恋物語。
《美形✕平凡》のすれ違いの恋になります。
要(高3)生徒会長。スパダリだけど……。
陽汰(高2)書記。泣き虫だけど一生懸命。
夏目秋良(高2)副会長。陽汰の幼馴染。
5/30日に少しだけ順番を変えたりしました。内容は変わっていませんが、読み途中の方にはご迷惑をおかけしました。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
恋なし、風呂付き、2LDK
蒼衣梅
BL
星座占いワースト一位だった。
面接落ちたっぽい。
彼氏に二股をかけられてた。しかも相手は女。でき婚するんだって。
占い通りワーストワンな一日の終わり。
「恋人のフリをして欲しい」
と、イケメンに攫われた。痴話喧嘩の最中、トイレから颯爽と、さらわれた。
「女ったらしエリート男」と「フラれたばっかの捨てられネコ」が始める偽同棲生活のお話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる