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忠珍鱈

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「あっ、これは……っ!」

蕩けるような笑みで見つめてくる英に、駈は慌ててその手を引っ込めようとする。
しかし英はそれに対抗するようにぎゅっと力を込めると、そのまま自分の方へと引き寄せた。

「わっ、英、手、離せ……っ」
「嫌だ」

英は駈へと真正面から向き合いながら、その手を強く握り続けている。
いくら歩行者の目が無いとはいえ……言い逃れのできない体勢に、駈は流石に平静を保ってなどいられなかった。
しかも、触れ合わせているそこがぬるぬると汗で湿ってきて、駈は慌てて振りほどこうとしたのだが……これもまた、無駄な抵抗で終わっただけだった。

そう一人で焦っている駈とは対照的に、英はしげしげと僅かな光を集めて輝くプラチナを見つめていた。

「駈、いつもそれ、付けてくれているんだね」

指の間をくすぐるようにして指輪に触れてくる英に、駈は暗闇の中でかあっと頬を火照らせる。
「いいや、これは今日、たまたま……」
駈はどうにかその目から逃れ、顔を背けようとしたが……英はそんな駈の様子に、意地悪そうにニヤリと口角を引き上げた。

「へぇ……いつも職場に付けてきているらしいのに、それでも『たまたま』なんだ?」
「……っ!」

(山潟……あいつ……!!)
頭の中で男を罵りながら一層顔を赤らめていた駈だったが、ふと弱まった手の力に俯けていた顔を上げる。
動き始めた車列に、英は名残惜しげに絡めた指をほどいた。

とはいえ未だ渋滞は解消されず、車は進んでは止まり、止まっては進み……を繰り返している。

英はどさりとシートに背中を凭れさせると、その左手を目の前へと翳した。

「俺もさ……付けたいよ、指輪」

節くれだった大きな手を見ながら、英はぽつりとそう零す。

「というか……ずっと付けっぱなしにしておきたいよ」

「……」
駈は開きかけた口を、そのまま言葉を紡がずに閉じる。
英は首を竦めると、「うん、分かってる」と目を瞑った。

「マネージャーにも言われたんだ。そういうものは、今は止めてくれ、ってね」
「……ごめん」

結局口をついて出てしまったそれに、英は「だから、謝らないでってば」と困ったように笑った。

「さっきも言ったけどさ……俺はアイドルでも俳優でもないからさ。だから、この関係が誰に知れたって構わないし、それで離れる人がいるなら、それまでだって思ってる」

力強く言い切った彼の姿に、駈の胸はじんと熱くなる。
そこには、以前英が口にしていたような、無意識に他人の求める姿を演じてしまう彼はいなかった。

英は無機質なテールランプの灯りをぼんやりと眺めている。
その横顔を見つめる駈に、英は小さく「でもね」と呟いた。

「自分のやりたいことだけをやらせてもらうには、俺はまだ全然、力不足でさ。だから……こういう人気にだって頼らざるを得ないんだよなぁ」

情けないよなと力なく笑いながら、ぎり、とハンドルに爪が食い込む。
対向車線を行く車のライトが、英の横顔を白く浮かび上がらせる。
冷ややかなその造形には、どうしようもないやりきれなさが滲んでいるようだった。

駈はさっき英の熱に包まれた二つの手を、腹の上でしっかりと組む。
そして、顔を俯けたまま、ゆっくりとその口を開いた。

「それを言うなら……俺もだよ」


「俺、お前を見てると……ときどき、無性に怖くなるんだ」

駈の独白のようなそれが、エアコンの音だけが響く車の中にぽつりと落ちる。

「怖いって、俺が……?」
ショックを受けている英に、駈は笑いながら首を振る。
「いや、お前そのものが怖いってわけじゃない」
「じゃあ、」
続きを急かす英に、駈はもう一度、強く手を握り合わせた。

「お前は本当に、たくさんの人たちに囲まれてる。そして、自分から手を伸ばさなくたって、お前を欲しがる人もまた、たくさんいる。お前は今、俺と一緒にいてくれるけど……そもそもお前はノンケな訳だしな。そのうち、目が醒めてしまうんじゃないか、って……」
「そんなこと……っ」
咄嗟に否定する英に、駈は宥めるような視線を向けた。

「俺だってもちろん分かってる。これは英の問題じゃない。俺の……俺自身の問題なんだ」
「……」
噛み締めるようにそう呟く駈を、英はそれ以上何も言わず、ただ黙って見つめていた。

「だからせめて、自分に自信を持てるようにって……逆に、それを励みにして仕事、頑張ったりもしてさ」
単純だろ? と駈は照れ隠しに笑った。

「でも、そうやってその気持ちに上手く付き合っているつもりでも、時々、どうしても負けちゃいそうな時があって……そんなとき、この指輪を思い出すんだ」

駈はそう言いながら組んでいた手をほどく。
そして、その左手へとそっと視線を落とした。

「これを見てるとさ……遠い所にいるお前が、俺の隣にいるお前なんだって、そう信じることができる。お前の気持ちは、間違いなく『ここ』にあるんだ、って……。でも、それだって相当、情けない話じゃないか?」

駈は眉を下げて笑うと、ちらりと光ったそれを右手でゆっくりとさすった。

「早く、これに頼らなくたっていいようになりたいけど……悔しいけど、俺もまだまだ、精進が足りないってことだな」

「……駈」

ずっと口を閉ざしていた英が、静かに名前を呼ぶ。
彼へと振り返ると、英はまた、駈の左手へと手を伸ばしてきた。しかしそこにさっきのような強引さはなく、いっそ恭しいほどの手つきだったが……どこか、隠し切れない緊張感も漂っているようだった。

英の手に逆らわず、シートから身体を起こす。
彼もまた同様に、こちらへ正面を向けていた。

英は駈の左手を優しく持ち上げると、そこに顔を近寄せていく。
そして……薬指の付け根に、少しカサついた、柔らかい感触。
キスされた――そう気づいたのは、英がすっかり顔を起こし、駈へと微笑みかけたときだった。

「だっ、だから……っ、そういうのは……!」

いつの間にか止めてしまっていたらしい息を激しく吸い込むと、駈はそう声を荒げる。
その頬や耳が赤くなっていることは、たとえよく見えなくたって分かり切ったことだった。

英はそんな駈へとニヤリと笑いかける。
そして、ゆっくりと下ろした手の、その指輪をすり、とくすぐった。

「大丈夫。だって、皆それどころじゃないからね」
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