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Ⅰ 旅立ち
5 男爵の館・・・女神の名前
しおりを挟むマナ人の意味合いが異なれば、御先祖様が書き遺した本の持つ価値の意味合いが変わって来る。
カイはカーナの訳文の束をバックから取出し、食堂のテーブルの上に広げて恐々と読んでみる。
本の中身は勿論マナ鳥の飼い方などではなく、カイの睨んだとおり御先祖様が子孫の為に書き残した魔法の解説書だった。
逸る心を押さえて最初のページを捲ると、そこには王国が滅びた無念さと、王国として積み上げて来た魔法が野に埋もれてしまう悲しみが綴られていた。
そして、次のページには、不思議な事が書かれていた。
最初にすべきことは、ケルスを感じること。
フーガのケルスを肌に感じたならば、フーガのケルスのハリスを感じなさい。
コグのケルスを掌に受け、コグのケルスの温もりを感じたならば、コグのケルスのハリスを感じなさい。
ヤムスのケルスを聞いたなら、ヤムスのケルスのハリスを感じなさい。
これらが成せたと思うならば、目の前に広がるケルスの中に、ハリスの形を捜しなさい。
全てのハリスは太鼓の様にヤムスを抱いています。
ヤムスを身体で感じ、ヤムスを捜してハリスを追い求めなさい。
この世はヤムスに満ち溢れ、ヤムスの混沌の海の中に私達は漂っています。
溺れぬ様にファスの鎖を現世に渡し、現世の水面を捜しなさい。
混沌の海に浸る自分を感じ、自在に泳げる様になったら、次のページを捲りなさい。
そして、カーナの訳文の後には本の原文がきちんと複写されており、一番最後にカーナの注釈が書かれていた。
”カイへ、
現在の言葉で無理に置き換えてある部分もあります。古代カナン文字の文章では、魔法に関する記述を書き残す時には、文字に魔の力が宿ると信じられており、魔除けとして女神の名前が文中に多用されています。女神の名は概念を示すもので、その概念から派生する様々な言葉に置き換えられます。だからちゃんと自分で原文を読んで、言葉の魂を確認してください。
・ケルスとは虚無の双子の女神の妹で、冬を司る女神と言われています。秋から厳冬に変わる時期を姉のケルサが司り、厳冬から春に変わる時期を妹のケルスが司ると言われています。
・フーガとは風魔法の女神です。
・ハリスとは取引きを司る女神です。
・コグとは太陽の女神です。
・ヤムスとは音楽を司る女神です。
・ファスは勉学と正義と創造を司る女神です。
追:絶対に文字の勉強を怠けない様に、怠けたら怒るわよ”
原文を見ても、カイには落ち葉が並んで体操しているようにしか見えない。
何となく判るのが、フーガの字が風に揺れる落ち葉の様で、コグの字が陽の光を受ける若葉の様な感じだというくらいだった。
取り敢えず、ケルスを初春、フーガを風、コグを光、ヤムスを音と解釈してみることにした。
カイは、春の風、春の光、春の音を感じる為に、庭に面したベランダへと出てみることにした。
カイは子供の頃から、牧場の真ん中に立って、周囲の気配を感じるのが好きだった。
風を感じ、陽の光を感じ、草の息吹、草を食む牛の気配を感じ、牧畜犬と戯れるミロとミラの気配を探った。
カイは、最初の段落の意味合いを、周囲の気配を探る訓練をすることだと解釈した。
目を閉じて目の前に広がる庭園の気配を感じてみた。
風が梢を吹き抜け、陽光が優しく若葉を撫でている。
竪琴の音が遠くから微かに聞こえて来る。
呟く様な旋律に併せて、少女の歌が風に乗って微かに聞こえて来る。
牧場の時と同じように周囲の気配を全身で感じ、気配が風の様に通り過ぎて行く。
栗鼠と木鼠が枝の上を走り回っている、木鼬の気配が木に登って来たので、警戒しているのだろう。
春告げ鳥の鳴き声が、鋭く短いものに変って行く。
だが、書いてあったハリスは勿論のこと、ヒントになる様な物も何も見つからなかった。
春の陽光が暖かい、ベランダの手摺に身体を預け、カイは転寝を始めた。
カイは夢の中で女神達とお茶を飲んでいた、フーガがベルーサ、コグがベネッサ、ヤムスがベレットの姿をしていた。
テーブルの上には、ケルスとハリスとフェスの席を示す札が乗せてある。
「あのー、ケルス様とハリス様とフェス様はどちらに」
「ケルスならばそこに居る」
フーガが空いている椅子を指差した。
「俺には何も見えないんですが」
「何馬鹿なことを、ケルスは見えんからケルスなのじゃ。ケルスは見えんがそこに居る」
「それじゃ、ハリス様もフェス様も見えないお方なんですか」
「なんじゃお主、ハリスとフェスも判らんのか。それで良く魔法が使えると思えたのう」
コグが侮蔑の表情を浮かべた。
「仕方が無いのう、ハリスもフェスも判らん男に魔法の力はやれん。貴様の天職は剥奪じゃ、男爵に土下座で詫びを入れて国で牛飼いに戻れ」
「ほほほほ、ヤムスよ。こやつ公爵と伯爵の詫び状を受け取っておるぞ」
「おー、そうじゃったな、分不相応なことを。ならば斬首じゃな。コグよ、そこの斧を取っておくれ。フーガよ、そこのテーブルに素奴を抑え付けておくれ」
フーガの手が巨大化して迫って来る。
「うわー!」
必死に夢から覚めて飛び起きたカイの目の前に、ベルーサが立っていた。
「うわー!助けて」
「えっ!何、酷い」
「えっ、あっ、ごめん。夢を見てたんだ」
「もう、どんな夢なんですか。カイ様、昼のお食事の時間ですよ」
夢の余韻で、食事中カイは不自然にキョドってしまった。
不審に思ったのか、食後ベレットの部屋へ引っ張って行かれ、カイは赤面しながら夢の話をする羽目になった。
「あはははは、それであんなに驚いていたんだ。あはははは」
ベルーサは笑い転げている、スカートから白い太腿が覗いており、カイには眩しかった。
「こら、ベルーサ。はしたないですよ」
「だって姉様、あははは」
「カイ様、私達を女神様の様に思って頂けるのはありがたいですが、私が斧で首を切り落とそうとした所は、余り頂けませんね」
「ごめんなさい」
「あはははは」
ベネッサは暫く考え込んでいたが、ベレットと目を交わして小さく頷くと、カイの目を見据えて話始めた。
「面白いお話ですわ、カイ様。そのお名前がすべて古代カナンの女神様のお名前なのはご存じなのですよね。実は私共も古代カナン語を学んでおりますの。これは我が家に代々伝わる伝統で、まだ我が家がコクリ王家だった時代の遥か前からの受け継がれている伝統なんですよ」
ベレットが小さく頷いて、ベネッサの話を引き継いだ。
「コクリ王国はノルトノス王国に併合されて消滅してしまいましたけど、我が家は昔王家だったと言うのが、私達の密かな自慢なんです。マナ人を多く輩出する家として有名だったそうなんですが、併合後は無理矢理一族間の婚姻が制限されて血が薄められてしまったそうなんです。それでこの二百年、我が家には魔法の上位三職を授かる者が生まれて来ておりません。しかも、我が家が当初頂いていた伯爵家の地位も、百年程前、ファルナ人を身内に持つ他の伯爵家との間でトラブルが発生して、男爵の身分に落されてしまったんです。形式上は大総会の裁定に委ねられた形だったのですが、根回しの時に、身内に魔法の上位三職の人間が居れば絶対に負けなかったと、曾御爺様は死ぬ間際まで言われたいたそうです」
ベレットはカイの反応を確認する様に、お茶のカップに口を寄せて間を置いた。
「母様凄く真剣だったでしょ、それ以来魔力を強化して伯爵家に帰り咲くのが我が家の悲願なんですよ。私達の誰かがカイ様の伴侶となって、カイ様の血を引くお子様を我が家で養子としてお預かりする。それで再びマナ人を排出する名家、元王家の名を復活させたいのでしょうね」
ベレットは再びカイの目の中を覗き込み、お茶のカップに口を寄せた。
「カイ様、古代カナン文明は、海に沈んで消えたと言われている裏大陸で栄えた文明なのですよ。裏大陸から氷海を渡って逃れて来た人々が移り住んで国を作り、優れたカナン文明を伝えたと言われています。コクリ国もそんな国の一つで、ここの町中にもカナン様式の建物が結構残っているんですよ。それと、これは秘密のお話なのですが、マナ人の天職は、カナンの民の血を引く者のみに授けられると言われているんです」
「マナ人の天職を授かる方は、たいてい山国に住まわれていますのよ。裏大陸から逃げて来た人々は、大地が海に没するのを恐れて山奥に移り住んだと言われているんです。カイ様、都人は私達を山の民と馬鹿にしますが、私共は誇り高きカナンの民なのですよ。私共が古代カナン語を代々学ぶのは、私共がカナンの民であることを忘れないためでもあるんですよ、マナ人様。我々はカナンの血を引く民なのです」
カナンの民と突然言われても、カイにその自覚も誇りも全くない。
このままずるずると蟻地獄の様に、カナン繋がりで婚姻の話に持って行かれそうな気がしたので、カイは別の話題に話を振ってみた。
「古代カナン語のケルスって、春という意味で良いんですか」
「早春の女神様のお名前なんですが、私達の思っているよりは冬神様の性格が強いんです。ふっ、ふっ、ふっ、カイ様の夢の通りで、魔法文書の記述では、虚とか虚空とか存在しないことを表す使い方が多いでしょうか。ケルサが本当に何も無い状態でケルスは存在があるけど見えたり触れない状態を表す表現として使い分けられていますわね」
「ハリスは取引の女神様ですよね」
「ええ、取引や契約、商売の意味で使われる事が多いですけど、手に天秤を下げていらっしゃるので、重さや長さなどの物の単位を表す場合や物の存在を表す使い方もされますわ」
「フェスは勉強と正義と創造の女神様ですが、この三つってあんまり関連が無いような気がするんですが」
「意思の力を司る女神様なのですよ。だから、勉強と正義と創造を司っていらっしゃる。魔法を司るフォルス様の妹神でもいらっしゃった筈ですよ。カイ様は何方にカナン語を教わられたのですか」
「まだ勉強を始めたばかりです。姉が古代文字に興味がありまして、先祖の残してくれた本を少し訳してくれたんです」
「まあ、それは素晴らしいし貴重なことですわ。我が家の古代カナン文字で書かれた記録は併合された時にすべて焼却されてしまいましたの。御先祖様は魔法技術の現王家への流出を恐れたんでしょうね」
「姉様、女神様の一覧表をカイ様に差し上げては如何でしょうか」
「うーん、お母様の了解が得られるかどうか・・・。そうですわ、一覧表を差し上げる代わりに私達三人を入学式へ招待して下さい。それならばお母様の了解が得られると思います」
「ええ、構わないですけど」
「約束ですよ。わー、楽しみですわ。母様にお話しして新しいドレスを仕立てて貰いましょう」
夕食時、男爵も男爵夫人も何故か上機嫌だった。
カイはベレットとベネッサの間に座らされ、二人の甲斐甲斐しい世話を受ける羽目になった。
夕食前に親子で何らかの相談があったらしく、二人の密着度は朝や昼の二割増しになったようにカイは感じた。
夕食後、カイは部屋の浴室ではなく、広い屋敷の浴室を使わせてもらった。
部屋で大量のお湯を一人で使うのが、悪い事の様に思えたのだ。
途中メイドさん達が身体洗いの手伝いと言って数人入って来たが、丁重にお断りした。
部屋に戻り、カイはもう一度ベレットから聞いた知識を参考にしてカーナの訳文に目を通してみた。
最初にすべきことは、見えない物を感じること。
見えない風を肌に感じたならば、見えない風が存在することを感じなさい。
見えない光を掌に受け、見えない光の温もりを感じたならば、見えない光の存在を感じなさい。
見えない音を聞いたなら、見えない音の存在を感じなさい。
多少カイにも理解できる内容になった。
五感以外での感覚で、目に見えない物を感じる訓練であるとカイは理解した。
窓を開け、部屋に風を通して横になり、布団の中から風の気配を探ってみた。
ベランダの手摺を通り抜けた風がカーテンを優しく揺らしている。
窓の外から庭園の樹木の息吹が感じられる。
梢を抜ける風が木々の若葉を揺らして屋敷の橙瓦を登って行く。
栗鼠の気配が枝を駆け抜け、梟の気配が野鼠を狩ろうと降下して行く。
心を庭に飛ばしてみると、庭は生き物の気配で満ちていた。
意識が現実と夢の境を漂い、心が微睡みの中に沈み始めたとき、遠くから闇の刻を知らせる時告げ神殿の鐘の音が聞こえて来た。
そして突然カイは、頬に沿って流れて行く音の存在を感じた。
それは気配などという曖昧な感覚などではなく、肌を擦られる様なはっきりとしたリアルな感触だった。
そしてカイはそのまま眠りに落ちてしまった。
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