負け犬REVOLUTION 【S】

葦空 翼

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第一章 希望と欲望の街、シャングリラ 前編

第01話02 人外の街

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 昨夜から降り続いた小雨はいつの間にか止んでいた。
 雲の切れ間から光が差し、少しずつ世界が明るくなってゆく。
 サイモンは日光を跳ね返し煌めくブロンドを靡かせて
 石造りの街を歩いた。

 様々なヒトがいる。
 すぐそこの道端に座り込んでいるのは猿の獣人ショージョー。
 人間ノーマンよりいくらか小さい体をしており、
 眉毛がなくせりだした眉間。
 のっそりと長い手足。毛に覆われた身体。
 彼らは粗末な服を着て座りこみ、手には共通語で

『ショージョーは“人間”です』
『我らにもっと権利を』

 と書かれた木札を持って、厳めしい顔をしている。
 いやいや、お前らはどうせ猿だよ。
 人間にゃなれないって。
 飽きもせず何度も座り込み啓蒙活動をしている彼らに、
 サイモンはひっそりとため息をつく。

 その横を狼の獣人、ワーウルフの男と
 牛の獣人、ミノタウロスの男が連れ立って歩いていく。
 彼らは冒険者でもやっているのだろうか、
 厳つい甲冑を身にまとい、重そうな長剣を腰から下げていた。
 得意げに持ち上げられた二人の尾が左右に揺れている。
 あの顔は一仕事終えて酒を飲みにでもいくのだろうか。

 さらに視線を脇に逸らせば、酷く身長の低い女性が
 買い物袋を下げて小走りに去っていく。
 彼女は人間ノーマンの子供じゃない。
 あれで乳房も尻も膨らんでいる。
 「人間ノーマンの半分」
 という意味でハーフリングと名付けられた種族の成人女性だ。

 正確には半分よりはずっと大きいが、
 そう呼びたくなる気持ちもわかる。
 大きな丸い耳、くりくりとした瞳。
 おおよそ「成熟した大人の」といった雰囲気ではない。

 ヒトであって人間ノーマンではない種族たち。
 亜人、獣人と呼ばれる人種がこの街にはたくさん住んでいる。

 青い肌と鱗を纏った快活な魚人アプカルル
 道行く人々の腰までしか背丈がなく、
 ガリガリの浅黒い身体に大きな禿げ頭が目立つのはゴブリン。
 どこかの召使いだろうな。
 すぐ前を半人半馬のケンタウロスが窮屈そうに歩いている。
 その横にはたっぷりしたヒゲをたくわえ、
 背は低いがムキムキの体を揺らすドワーフ…
 辺りを見回すだけで人外の人種はきりがない。

 ただ、そんな中にも稀にきちんと「人間ノーマン」がいる。
 それは十中八九決まった職業だ。

 ドンッ!

「いて、」
「まぁ、すみません…!」

 サイモンがなんとなく辺りを見ながら歩いていたら、
 知らない人間とぶつかってしまった。
 視線を向けるとそれは若い女だ。

 長く艷やかに伸ばされた銀糸の髪は丁寧に櫛を入れられ、
 綺麗に結い上げられている。
 大きな花飾り。
 足首まで贅沢に届くスカートのドレープが揺れている。
 その表面はしっとりして艷やかで。

(うわっ、全身シルク…!)

 見るからに金持ちの女だ。
 その隣には、そうやっぱり。
 大事そうに長剣を下げた男が立っている。
 王国お抱え北方国境守護部隊の人間。
 つまり王国軍の兵士だ。

「…危ない。前をよく見ろ」
「すみません、人が多くて」

 女が少しよろめいたように見えた。
 わざわざ歩きにくいハイヒールの履物でこの街を闊歩している。
 隣の武人の男は「こちらの身分」をよくわかっている。
 呆然とするサイモンを汚い物を見るような目で一瞥した。

(こ汚ぇ貧民が俺の女に触ってんじゃねぇよ。)

 そう目で言われた気がしてむかっ腹が立った。

(うわぁあああ、国軍兵士!むかつく!
 儲かってますねええいいですねえええ!!!!)

 仲睦まじく去っていく二人の指には揃いの指輪。
 恐らく夫婦だ。

 この街の住人の何割か、限られた数しかいない人間ノーマン
 そのほとんどは彼らのような
 王室直属軍の遠方駐屯兵団所属兵士とその家族縁者だ。
 一方、サイモンのように軍人ではなくこの街にいる人間ノーマンは、
 ほぼ100%が他の街で仕事を見つけられず流れ着いた“負け犬”。
 オールシルクで贅沢に布を使ったドレスを妻に贈るような
 勝ち組人生を送る人種とは、天地の差があった。

(ああ、ああ、そうですよ!
 この年になっても妻どころか恋人もない!仕事もない!
 家もギリギリ!食事もギリギリ!!
 そんな、俺とお前らは違うんですよ!!!)

 人間ノーマンの成人年齢は16歳。
 故郷の同年代の友人たちは既に伴侶を捕まえ、
 そろそろ子供を作ろうか育てようかというところ。

『誰かいい人いないの?』

 お決まりの両親のせっつきももううんざりだった。
 元は王都の近くの生まれ、
 どちらかというとシティボーイのサイモンだったが、
 就職が上手くいかなかったのを機にここまで逃げてきた。

(…昔は良かったな、本読んで勉強するだけで
 周りから褒められたのに…)

 今でもありありと思い出せる。

 一つ年上の幼馴染の男が同年代と外を駆け回るのを尻目に、
 サイモンはいつも本を読んでいた。
 幼い彼が知る由もない、まだ見ぬ国々の文化。
 歴史。言語。最先端の天文学。占星術。数学。古の文学。神話。
 魔法学。薬学。植物学。戦術学。
 枚挙にいとまがない。あらゆる本を読み漁って楽しんだ。

『将来は学者さん?それとも官僚かしら』

 時々近所の人が嬉しそうに頭を撫でてくれた。
 彼自身その言葉を疑ったことはない。
 いつか学者か官僚か…そのつもりでいたのに。
 いざ王都でそういう仕事を探しても、一向に就職出来なかった。

『すまないね、君レベルの人ならわりとたくさんいるんだよ…』

 面接してくれた誰かのその言葉のあとを、彼はあまり覚えていない。
 半年ほど粘っただろうか。
 何度も何度も何度も何度もそれっぽい場所の扉を叩いたが、
 どこも彼を受け入れてくれなかった。

(………………)

 ふと我に返る。
 視線を落とした先、水溜りに自分の姿が映っている。
 きちんと整えられないまま伸びた、埃っぽい金糸の髪。
 クマが出来て落ち窪んだ目元。
 薄緑の瞳は自信を失って茫洋としている。
 見栄を張ってなんとか長さこそ確保したものの、
 安布ゆえ却って貧相に感じさせる衣服。
 身長はあるが痩せた身体。
 千切れて穴が空きそうな革のブーツ。

 何もかも。惨めだった。


 ああ、もう全部捨てて消えてしまいたい。


 空腹を満たしてなんとか奮い立たせた気持ちが、
 どうにか今日を生き抜こうという気持ちが、
 もう萎んでしまいそうだった。
 あんなに美しいドレスを着て明日の憂いもなく生きていく軍人夫人は、
 どれだけ幸せだろう。満ち足りているんだろう。
 俺も、俺もああなりたかった。

 這い上がりたい。

「クソ、クソクソクソッ…!!」

 顔を上げる。今日の仕事を探そう。
 どこかで何かさせてもらえないか声をかけて回ろう。
 自分にはこれしかない。
 悔しくても、みっともなくても、
 這いつくばって泥水をすするような生活を送るしかないんだ。

(よし、まずはあそこだ…!)

 馴染みの獣人がいる酒場を目指す。
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