負け犬REVOLUTION 【S】

葦空 翼

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第一章 希望と欲望の街、シャングリラ 前編

第12話05 “思い出の味”

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 かち、かち、かち。


 壁にかけられた時計の秒針が時を刻んでいる。
 視線を上げれば午後4時。
 そろそろ外に出るか。

『ビッグケット、ソロソロ飯食ウカ』

『あーーーーーッ食べる!!!
 疲れた腹減った!!』

 結局、ビッグケットはずっと辞書を読み込んでいた。
 時折紙とペンで何か書いて練習していたし、
 態度のわりには真面目に勉強している。
 感心感心。

『ナンカ共通語覚エタカ?』
『んーーっ…』

 あんだけ読んでれば何かは覚えたんじゃないか?
 そう思ってサイモンが話題を振ると、

「ワタシノ、ナマエハ、びっぐけっとデス」
「おおーー」

「スキナコトハ、タベルコトト、ネルコトト、
 んんん、コロスコト、デス!」
『「物騒!!!!」』

 結局酷かった。
 ただでさえ荒っぽい奴なのに、
 色々削ぎ落とすとこうなってしまうのか……。

 いや、今日辞書を読んでただけなのに
 よくここまで言えるようになった。

 ぶっちゃけ、ここ西方大陸の言語は
 文法が大体一緒だし発音の基本も似ている。
 とにかく単語と細かい発音さえクリアすれば、
 あとは一気にいけるともいえる。

『スゴイジャン、チャント聞キ取レルゾ』
『へへへ。
 この調子ならあっという間に話せるようになったりして?』

『ウン、オ前ナラ出来ルヨ』
『「ネイティブ話者の俺が付いてるからナ」』

 サイモンがパン!と背中を叩いてやると、
 ピンと伸ばされたビッグケットの尻尾が揺れた。

『よしっ、とっとと覚えて親父に会いに行くぞー!』
『アッウン……頑張ロウナ……』

 それはちょっと遠慮した……
 いや、なんでもない。
 行くと言ったら行く。
 男に二言はない!

『サテ、今日ハ……昨日ノメイド服着テクカ?』
『うーん、どうしよう。今日も裸かな』

『アッウン……着イタラ脱グノモ嫌ダナ……持ッテイクカ』
『そうだな』

 昨日観客に披露しそこねた衣装は、
 また無駄になるかもしれないので持っていくことにした。
 買い物でもらった袋を手渡し、鞄の代わりにする。
 あとは今日の飯。

『飯……ドウスルカナ……』
『今日は私が作ろうか?』

『エッ?!嬉シイケド、ドウシテ……?』
『ばあちゃんの話してたら、
 昔作ってくれた料理が食べたくなって。
 フィデウワならちゃちゃっと作れるから
 そこそこすぐ食べれるぞ』

『ナンダソレ?』
『短く折ったパスタで作るパエリア。
 シーフード、トマト、野菜のスープで麺を煮る』

『ワー、美味ソウ!オ願イシマス!』
『おっけー!』

 料理が得意な人間が一人いると、食事が豊かになる。
 思い返せば、サイモンはこの街に来てから
 ずっと一人暮らしだったため、
 まともに食事を楽しもうという気が
 なかった気がする。
 一人で作って一人で食べるのは虚しかったからだ。

 しかし今は二人。
 誰かのために作り、二人で食べることが出来る。
 なんて幸せなんだろう。
 ビッグケットは自信たっぷりの様子で腕を回し、
 キッチンの奥に立った。

『オオ、コレガ冷タクスル箱カ』
『説明書に
 過信しすぎずそこそこ早めに食べろって書いてあった』

『アー…食ベタラマタ買ワナキャナ。
 次ハオレト買イ物行コウ』
『うん!』

 入口とキッチンを仕切るように置かれた大きな箱。
 収納戸棚だと思っていたが、
 これが“冷蔵庫”らしい。

 ビッグケットが扉を開けると、
 中はひんやりと冷たい。
 魚介や野菜、卵が入っていて未知の光景だ。

『卵ッテ取ッテオケルノカ?』

『朝採りの奴なら一週間くらい保存できるって』

『ヘーーーッ、スゴイ!』

 これは端的に革命だ。
 卵って買ったら即消費する食材の代表格なのに。
 サイモンがしげしげ眺めていると、

『邪魔。どけ』

 ビッグケットに扉を閉められた。

『そこに突っ立っていられると邪魔だから
 あっちで待ってろ。
 レシピが知りたいならまた今度な』

『アア。
 ジャア今日ハオ世話ニナリマス』

『はいよ』

 仕方ない、退散しよう。
 サイモンがソファに座りリビングで待っている間、
 静かな音が部屋を満たし、
 徐々に料理が出来ていく。

 玉ねぎ、人参、トマト、エビ、大きな二枚貝。
 にんにくとオリーブオイル。
 刻む、処理する、火を通す。

 見事な手際だ。

『急いでるからパスタはテキトーに折るからな』
『エッ?』 

 ビッグケットが一言言ったと思ったら、
 パスタの束をバリバリと素手で砕いた。
 折るではなく砕く。
 ……痛くないのか……?
 この最強の黒猫には愚問か……?
 まぁ、男の首すら素手で折るような女だから大丈夫か……。

『あとは煮込むだけ。もう少しで完成だ』
『ワー楽シミ!』

 言われてみれば、
 散々ケットシーの食文化を聞かされて
 気になっていたところだ。
 人間ノーマンの見様見真似と言うわりに、
 こっちとかなり違うように思う。
 どんな味なんだろう。

 昨日食べた白身魚パン粉焼きの美味さを思い出し、
 口内に唾液が満ちてくる。
 トマトと魚介のいい匂いが、
 否が応でもサイモンの期待を膨らませた。

『さ、そろそろいいかな~』
『食ベル!!』

 しばし経った後。
 ビッグケットが蓋を取った鍋を、
 二人で覗き込む。
 中の具材はとろとろに火が通って
 実に美味そうだ。

『はい、じゃあこれを皿に盛って』
『サンキュー!』

 戸棚から皿を出し、レードル(おたま)ですくう。
 二人それぞれ自分の分を確保し、
 食卓に座って向かい合えば、
 それはなんとも幸せな光景。

『いただきまーす』
「ゼウスの恵みと女王陛下に感謝。
 いただきます!」

 ふーふー、ずずっ。

 ……、美味い!

『とまとトエビト貝……美味イ!』
『あー懐かしー。昔よく食べたよ』

 唐辛子が入っているんだろうか、
 少しスパイシーな味。
 旨味の詰まった濃厚なスープ。
 煮込まれた小さなパスタが優しい舌触りだ。

 大きなエビ!濃厚な貝!
 野菜も沢山入ってるし、
 栄養豊富ですこぶる美味いなんてすごい料理だ!

 興奮した様子で食べ進めるサイモンに対し、
 ビッグケットはこれまたよく知った味なので
 のんびり食べている。
 ……いや、眉間にシワを寄せている?

『……サイモン、どこかに白い本って売ってるかな』
『ウン?ソレハ中ガ?
 のーとノコトカ?』

『なんでもいいけど。
 保存出来て、後から読みやすいもの。
 ……ばあちゃんが教えてくれたレシピ、
 ちゃんと残したいから』

『…ジャア、本ダナ。明日買ウカ』
『ありがとう』

 改めて料理を食べ進める彼女をもう一度見ると、
 少し泣きそうな表情にも見えた。
 ……そうだよな。
 たった一人の肉親を喪った悲しみ、
 そう簡単に癒えるもんじゃないよな。

 そりゃあ血迷って
 目の前の人間から離れたくない!
 と身体も差し出すってもんだ。

(……極端すぎるけどな……)

 ちらりと朝の出来事が頭をよぎり、
 サイモンは気づかれないよう苦笑いした。
 いや、笑いごとじゃない。
 人一人の人生を抱えるっていうのは
 生半可な覚悟じゃ出来ないことだ。

(…大丈夫、大丈夫。
 ずっと一緒だから)

 ビッグケットの「思い出の味」を啜りながら、
 そんなことを思う。
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