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失われた記憶 ~響&奏~
しおりを挟む「かなちゃん、こえー」
ぱちゃぱちゃと駆け寄る男の子に、波打ち際でしゃがんでいた女の子が立ち上がった。
淡い光を浮かべる黒髪と真ん丸な漆黒の瞳。背に垂らした髪が風をはらんで揺れている。
「きれー。まっくろで、きれーね?」
祖母がハーフなため色素の薄い響には、例えようもなく羨ましい。
艶々で柔らかな奏の髪をいじくり、いつも溜め息をつく響に、奏は屈託なく笑う。
祖母の讃える日本人形とは、まさに奏のことだろう。
.....ぼくも、こんなかみだったら。おばあさまは、よろこんでくれたのかな。
思わず落ち込む響だが、そんな彼の髪を優しく掻きまぜ、奏が淡く笑った。
「ひーちゃんのかみも、きれー。かなのとちがうけど、きらきらして、きれー」
幼心にもコンプレックスな髪を誉められ、面映ゆそうに微笑む響。
そんな響の脳裏に、けたたましい罵声が鳴り響いた。
『きったない髪してっ! これが孫かと思うと、うんざりするわっ!!』
知らず身震いしてしまう響。
響の祖母は日本とフランスのハーフで、父親の祖国である日本に憧れ、やってきた。
その旅先で響の祖父と出逢った彼女は、しばらく交際したあと国際結婚に踏み切ったのだが、生まれた子供らに黒髪がいないことをとても悔しがっていた。
だから、さらに先の孫への期待が凄かったらしい。黒髪黒目の日本人形みたいな孫が欲しいと、常日頃から口癖のように言っていたとか。
しかし、そこに生まれたのが響である。
ハーフな自分よりも薄い色素の孫に、祖母は酷く落胆し、その憤りを響にぶつけた。
出来損ないだと。白人の血は八分の一なのに、どうして黒髪に生まれなかったのかと。
.....どうしても何も、それは祖母のせいである。生粋の日本人でない彼女の血が引かれているから、響の色素が薄いのだ。
それも俗にいう先祖返り。激しく自己主張する隔世遺伝が、さらに響の色素を薄くした。
そのような説明を両親が祖母にしたものの、彼女は納得せず、長く響を虐げ、罵ってきた。
おかげで響は、すっかり内向的で臆病な子供に育ってしまう。
自分は出来損ないなのだと。祖母に呪詛のごとく毒を注がれ、彼は、己が見るにたえない醜い生き物のように刷り込まれてしまったのだ。
『.....ぼくはみにくくてきたない。だから、おばあさまにきらわれてるんだ』
自らを袋小路に追い込み、小さく丸まる幼い響。
だが、そんな響を救ってくれたのが奏だった。
仲の良い父親同士がよく遊びに連れ出してくれ、二人は兄妹のように育つ。
心ない祖母の言葉で傷つくたびに、その逆の言葉をくれた奏。
油断すると心の檻に閉じ籠りそうな響を、陽の光の下に引っ張り出してくれた奏。
ひーちゃん、すきぃー。
ひーちゃんと、あそぶー。
ひーちゃんと、おそろいー。
無邪気に笑って、彼女はいつも一緒にいてくれた。時が経つにつれ、響にとってその存在はどんどん大きくなっていく。
両親だって守ってくれたし、響を愛してくれたが、それは親だからという妙な理屈が響の中に燻る。
親だから無条件に響を可愛がってくれるのだ。どんなに響が醜くても見捨てたりしない。親だから..... 親だから..... と、斜めった子供らしくない思考。
これも祖母に刷り込まれた毒の一つだった。
『そりゃあ親は我が子が可愛いに決まってるでしょう? バカなの? アンタ。もし親じゃなかったら、アンタみたいな醜い子供を大切にするわけないじゃない』
当たり前のごとく孫を罵る祖母の罵詈雑言。幼かった響は、その全てを信じてしまう。
そんな彼に寄り添い、無条件で受け入れてくれた奏。彼女は家族じゃない。余所の家の子だ。全くの他人がくれた肯定。
それが響のよすがとなる。
ここに居ても良いのだと。ありのままな自分で良いのだと。醜くても好いてくれる人がいる。祖母の大嫌いな髪も奏は綺麗だと言ってくれた。
泣けるほど幸せに浸り、響は奏に傾倒していく。
たまにしか会えない彼女が長く滞在してくれる夏の避暑。それを響はいつも心待ちにしていた。
『お父さん、かなちゃんはまだ?』
『明日には着くんじゃないか? ほんとに響は、かなちゃんが好きだなあ』
『うん、大きくなったら、けっこんしたい』
『.....真顔で言うな。怖いよ、お前』
大人達がドン引くほどの真剣さ。
べったり引っ付いて甘々だった二人の関係。奏も嫌がるでなく、いつも困ったように顔を赤らめていた。
『かなちゃんは、ぼくのヨメっ!』
むんっとサムズアップしていた幼い響。
それが突然の凶行で壊された時。
.....響も粉々に壊れた。
唯一のよすがを失い、言葉もなく項垂れ、彼は奈落の底に落ちていく。
言語に尽くせぬ喪失感。己の半身を引き裂かれたような痛みが全身を支配し、呼吸も出来ない。
.....どうして? なんで?
そんな疑問ばかりが脳裏を駆け巡り、何も考えられなかった。寝食も忘れ、ただただひたすら涙した。
拓真や阿月の献身がなくば、とうに嘆き死んでいたかもしれない。
苦々しい後悔の残滓。
益体もない過去の感傷を振り払い、つと顔をあげた響は、再び見えた最愛を見つめる。
記憶の中の奏は、百香と名前を変えて響の人生に現れた。
.....二度と失わない。
何が起きてこうなったのか知らないが、響にとっては奇跡にも近い邂逅。
『かなちゃんは、ぼくのヨメっ!』
幼いころの誓いを再度心に刻み、響は初志貫徹すべく動き出す。
ふわりと笑った彼の眼窟奥に光る澱んだ光。どろりと狂気をはらむソレに、全く気づかない暢気な百香だった。
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