元騎士は旧友の甘い執着に堕ちて

かべうち右近

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元騎士は旧友の甘い執着に堕ちて

2.思い知らされて

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 いやな予定ほどすぐに期日が来てしまうものである。

(……いやだな)

 そう心の中で愚痴ったジェイミーは、約束の夜会に来ているところだ。

 今夜の彼女はいつにも増して美しい。夜会のために髪を結い上げたおかげで、彼女の白く細いうなじが露わになっている。そこにかかるおくれ毛が、なんとも艶めかしい。肩からデコルテを大胆に開き、コルセットでキュッと腰を引き締めた流行のデザインのドレスは、彼女の女性らしいボディーラインを強調し、豊かな谷間を見せつけるようにしてる。どこから見ても完璧な淑女であるその姿が、ジェイミーにはいやだった。

(こんな、女らしい身体……)

 普段はコルセットのないドレスを着ているのは、できるだけ自分の女らしい身体を見ないためでもあるのだ。膨らんだ両の胸を強調する夜会のドレスは、大嫌いだった。だからと言って、父の頼みを断るわけにもいかない。だから大人しく乳母が選んだドレスに身を包み、夜会に足を運んでいるわけだが。

(早くクリフォードに会いたいな。あいつと一緒なら少しは気がまぎれるだろう)

「お疲れですか?」

 小さく息を吐いたジェイミーに対し、穏やかな声でそう問いかけたのは、優しそうな男性である。筋肉質でもない細い身体に、長身というほどでもない平均的な身長に、整った顔。貴族らしい貴族のこの男は、きっとそこらの令嬢ならば、うっとりして見つめるであろう。

「すみません、ブライトン様。人に少し酔ったみたいです」

 愛想笑いを浮かべたジェイミーは、男――ブライトンを見上げる。彼が、今日紹介されたブライトン家の子息だった。

(……この身長の男でも、今の私は見上げるのか)

 その事実に、また自身の女の身体をつきつけられる。転生前の男の身体のときのジェイミーは、背が高かった。きっと、このブライトンなど見下ろすほうだったろうに。

「それはいけない」

「ですから」

 もう失礼します、と言いかけた言葉は、遮られる。

「では、テラスで少し休みましょう。……父上、少し歩いてきても?」

「ああ、かまわない」

「では行きましょう」

 鮮やかな手つきでブライトンはジェイミーを父たちから引き離し、エスコートして人波から外れ、外へと続くドアへと向かう。

「ブライトン様、わたくし一人だけで……」

「いいえ、こんなに美しい貴女を一人になどできません」

 それは一人にすればたちまち別の男に囲まれることを懸念しての発言だろう。確かに、過去に経験のあることだ。だからそれ以上の抵抗を言えずに、ただ小さく頷いた。

 明るい夜会の会場に比べ、ランプの一つもないテラスは薄暗い。柵で囲われたすぐその先にあるはずの見事な庭園も、今はほとんど見通すことができなかった。ジェイミーは柵に手をついて、後ろを振り返り、会場内で楽しそうに会話を交わす人たちを見て内心で小さく息を吐く。

(またすぐに、会場に戻らねばならないが……憂鬱だな)

「ジェイミー嬢」

 柵に手を置いた彼女の手に、ブライトンの手が重なりそうになる。その瞬間に、彼女はさっと手を下ろした。

「貴女は美しいだけでなく、とても奥ゆかしい。以前から話しかける機会をうかがっていましたが、やはり紹介していただいてよかった」

 熱烈な言葉と共に、ブライトンは一歩、ジェイミーに近寄る。

(ここは会場から丸見えなのに、何を言っているこいつは!? だめだ、見えるところなら大丈夫だろうと思った私が馬鹿だった!)

 声も会場内までは届かないだろう。ブライトンから離れるように一歩後退りして、ジェイミーはそれでも愛想笑いを浮かべた。機械的に作っただけのその表情が、他人から見たらこの上なく美しいのだから始末に負えない。

「もったいないお言葉です。……ではわたくしは気分がよくなったので、そろそろ」

「待ってください」

 踵を返して会場に戻ろうとしたジェイミーの手を、とうとうブライトンがつかまえた。

(まずい)

「……お離しください」

 周りから丸見えの場所で、騒ぎ立てて注目を浴びるわけにはいかない。それは家門の恥だ。だから飽くまで静かな声でジェイミーは拒絶する。

「聞いていますよね。わたしが貴女に求婚したいのだと。……好きです。わたしの妻に」

「っやめてください」

 振りほどこうとした手が、離れない。細い腕に見えるその拘束は、ジェイミーが力をこめてもぴくりとも動かなかった。だが、彼女は思い通りに動かせずとも、ブライトンは思うがままだ。彼はさらにもう一歩距離を詰め、ジェイミーの手を引っ張って身体を引き寄せ、抱き締められる。

(いやだ)

 香水の香りが鼻について、気持ちが悪い。ブライトンの腕は無遠慮に背中に回され、腰へと滑り落ちて、力がこもった。背筋をくすぐったさではない嫌悪が這って、ジェイミーが耐えられたのはそこまでだった。

「やめろ!」

 思わず口をついて出た拒絶の声に、ブライトンはくすくすと耳元で笑いを漏らした。

「そう照れなくても大丈夫です。わかっていますよ」

「ちが……いやだ! この勘違い野郎!」

 なんとか身体の間に腕を差し込んで、抵抗を試みる。だが、先ほど振り払えなかった腕同様に、どうあがいてもブライトンから逃げられない。

(こんな男に……こんな奴にさえ、敵わないなんて……!)

 細く見えるブライトンの腕よりも、普段から鍛えているジェイミーの腕は細い。その事実がどうしようもなくジェイミーを苛んで、気持ち悪さと情けなさにじわりと涙が浮かぶ。

「ああ、お転婆な貴女も可愛らしい。愛しい人、口づけをしても?」

 ぐっと顎をつかまれ、ジェイミーは強制的に顔を上向かされる。

(いやだ)

 ただ不快としか思えない顔が、近づいてくる。避けることすら叶わない状況に、ぎゅうっと目を閉じたジェイミーの目尻から涙が零れた。

「これはどういうことかな?」

 怒気の孕んだ、低い声が響く。その声音に圧されて、ジェイミーを拘束していた腕がびくんと震えた。

(この声は……!)

 ぱっと視線をやった先には、琥珀の瞳に静かな炎をたたえたクリフォードが立っている。

「っ助けて! クリフォード!」

「ウィルズ卿、これは……っ」

 ブライトンの慌てたような声と、ジェイミーの叫び声は、同時だった。

「っ!」

 どっ、と地面を蹴る音が聞こえたかと思えば、会場の入り口から一足飛びに距離を詰めたクリフォードが迫る。その勢いに怯んだブライトンの腕が緩んだが、それでもなお拘束から逃げ出すことはできなかった。

「離していただこう」

 ブライトンの手首をとらえたクリフォードが、低い声で言う。突然身体を触れるのは平時なら無礼だが、礼儀を言い始めたら彼女を助けられないだろう。

「これは単なる痴話げんかで」

「離して、くださいますね?」

「……っ」

 クリフォードが握る手に力をこめ、その痛みにブライトンが声にならない叫びをあげる。それでさらに緩んだ隙にジェイミーはブライトンの身体を押してとっさに逃げ出す。そうしてクリフォードに抱き着いた。その身体を支えるように、クリフォードの片腕がジェイミーの腰に回されてぐっと抱き寄せられる。

「……ただの痴話げんかです」

「そうなのか?」

 クリフォードはブライトンを睨んだままにジェイミーに尋ねたが、今の彼女は声を発するどころではない。震えながら首を横に振り、クリフォードにしがみついた手の力を強くする。

「……だそうだ」

「わ、わたしは……ぐ」

 反論しようとしたブライトンの手首に、クリフォードがさらに力を籠めて黙らせる。

「まだ言うか……貴殿は今日紹介されたばかりの身だろうが。それを痴話げんかなどと勘違いも甚だしい。……婦女暴行などという下劣なレッテルを貼られたくなくば、さっさと立ち去れ、若造」

「……っ離せ」

 ブライトンが手を振れば、あっけなくクリフォードはその腕を解放する。痛みに手をさすりながらも、ブライトンは去勢でクリフォードを睨み返す。

「たかだか男爵風情が。後で覚えていろ」

 そう吐き捨てて、ブライトンは足早に去っていった。

「負け犬の遠吠えだな、ありゃ」

 呆れた声で呟きながらブライトンの背を見送る。幸い、夜会の会場の人々は彼らのやり取りに気づいている者はいないようで、注目も集まってない。それを確認したあとでクリフォードは未だ腕の中で震えるジェイミーを見た。

「ジェイミー」

 ぽんぽん、と背中を叩いて、クリフォードが声をかける。だが、彼女は答えられなかった。

(情けない……私は、情けない……!)

 その腕の中で、ジェイミーの目からは涙がとめどなく溢れる。今クリフォードに返事をすれば、鼻声で泣いているのがバレてしまう。きっと、クリフォードはすでに察しているのだろうが、ジェイミーは泣き顔を見られたくない一心でただクリフォードにしがみついていた。

 先ほどの恐慌状態に比べたら幾分かは落ち着いたが、それでもまだジェイミーは悔しさで胸がいっぱいだった。

(あんな男にすら、抗えないなんて……!)

「……うん。怖かったな?」

「怖くなんて……!」

 ばっと顔をあげて反論しかかったが、その頬に伝う涙が彼女の気持ちを代弁している。

「恥じることはない。お前は精一杯拒絶していただろう。すぐに駆けつけたつもりだったが、遅くなって悪かったな」

 先ほどブライトンに向けていた殺気の籠った声をうってかわって、穏やかな声音にまたジェイミーは新たな涙が溢れる。それを見られたくなくて、ジェイミーはまたクリフォードの身体に顔を埋めて隠す。ジェイミー比べて、クリフォードの背は余りに高い。胸元に顔を隠すように俯いてしまえば、彼からはジェイミーの髪しか見えなかった。

「あ、あなたが助けてくれなければ……」

 ジェイミーは唇を奪われていただろう。それに、人から見える場所でそんなことをしていれば、嫌でも婚約を結ばされていたかもしれない。まさにブライトンはそれが狙いで無理やり口づけを迫ったのだろうが、もしそうなっていたらと思うと震えがくる。

(怖かった、んだ。そうだ。私は……)

 情けないが、認めざるを得ない。そして、クリフォードに助けられたことは間違いない。

「……ありがとう」

「ん。大したことはしてない。だけどいいのか? 俺にこんな抱き着いたりして。人に見られたら勘違いされるだろう」

 再びぽんぽんと背中を叩かれて、ジョイミーはそこでようやく気づいた。

「あ……」

 力強く抱き寄せられて、今も腕の中なのに、ジェイミーは全くそれを意識していなかった。そもそもほとんど身長の変わらないブライトンですらその身長差に苛立ちを感じていたのというのに、クリフォード相手にはそれがないのだ。

(……全く、私というやつは)

 やっとのことでこの状況に思い至ったジェイミーは、ゆるゆると力を抜きながら笑った。

「私は、あなたと一緒だと、どうにも気が抜けて仕方ないようです」

 クリフォードを見上げて微笑んだジェイミーの頬に、新しい涙がこぼれる。

「……」

 驚いたように目をみはったクリフォードは、やがて大きくため息を吐いて、呆れたような笑みを浮かべる。

「オジョウサマよ、そりゃ告白にしか聞こえないな。婚約者を探すべき立場の若い娘が、誤解を招くようなことを言うんじゃねえよ」

(誤解、か……)

 はたから見れば、男女が抱き合っているようにしか見えない。たとえジェイミーの心が男のままでも。それを知っている人間はどこにもいないのだから。

 そっと身体を離しながら、それでもクリフォードの身体に添えた手はそのままにジェイミーは苦笑した。

「……いっそのこと、ウィルズ卿とずっといられたらいいのに」

 ぽつりと漏れた本音に、ジェイミーは自分で驚いた。
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