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たった一つの星
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シリルとエステルを連れて会場を出たラウルは、迷うことなく王宮内の廊下を進む。彼のエスコート受けながら、エステルは先ほどシリルが口走ったことを考えていた。レヴィ卿という名もそうだが、彼女の事を『麗しの星様』と彼は言った。
(あれは……どういう意味なのかしら……?)
星と呼びかけるのは、娼婦への口説き文句だと思っていた。けれど、こんなにも誠実に接しているラウルが、婚約者のことを娼婦と同じ扱いをするのだろうか。
ラウルにいつか裏切られる可能性があっても信じると決めたエステルだったが、それでも『星』という言葉について聞けなかったのは、怖かったからだが。
話は個室についてからとばかりに、ラウルはずっと黙ったままだ。彼は途中ですれ違ったメイドを呼び止めて何ごとかを確認すると、再び歩き出して王宮の奥の方へとエステルたちを誘導する。それは先日、エステルが王に呼び出された部屋に続く道であり、すなわち許可のない者が勝手に入ってはいけないエリアである。先日のように謁見が決まっていればいいのだろうが、今日はそんな予定もなかったはずだ。
進むにつれ、人気が全くなくなってしまったのに、不安にかられてラウルを見つめたところで、彼が一つのドアの前で立ち止まる。鍵穴のついたその部屋は、明らかに王室の管理の一室であるが、ラウルは懐から取り出した鍵を差し込んで、当然のように解錠した。部屋に入ろうという段になって、それまで黙っていたシリルが小さく声をあげる。
少し離れた部屋から、メイドでない女性がちょうど出てきたところだった。女性は目をみはったかと思えば、すぐに微笑んで、こちらへとやって来る。
「あら。お揃いね」
声を掛けてきたのは、首元まできっちりと詰まったドレスに身を包んだ女性だ。メイクも髪型も地味だが、よく見ればその美貌が際立っているのがわかる。髪の色が暗いブラウンになっているから判りにくいが、彼女はエステルの知っている人だった。
「貴女は……」
「レディ・オルコック。貴女も来ていたのか」
エステルが話しかけたのを遮って、ラウルが親し気に言葉を交わす。
(この人と、知り合いなの……?)
「ここでその名前を呼ばないでくださる?」
ふう、と吐く息ですら妖艶に感じられる彼女は、以前ダミアンが連れていた娼婦だった。
「わたくしは手がけたことの結果を見にきただけよ。もう帰るわ。あなたたちは?」
「ね、姐さん」
焦ったようなシリルが、エステルを目線で示す。それを見て、女性――レディ・オルコックは嘆息した。
「……お嬢さんに会うのは二度目ね。いい機会だから、ほんの少しだけ……お話してもいいかしら?」
(私に?)
「構わない」
エステルが返事をする前に、ラウルが答えてドアを開けると部屋へと誘う。それにエステルは驚いたが、彼も何ごとか考えこんでいる風で、彼女の様子にラウルは気付いていないようだった。
彼女は娼婦だ。エステルには充分親し気に映るそのやり取りに、あらぬ想像をしてしまう。レディ・オルコックは、ラウルも相手をしているのではないかと。
(……変なことばかり考えてしまうわ)
きゅ、と唇を引き結んで、エステルは考えを捨てる。今からきっと、ラウルが説明してくれるのだから、説明される前から考えても仕方ない。
入った部屋の中にはベッドに書棚、そして小さなテーブルがある。あまり生活の匂いはしないが、誰かの寝室のようである。
「あら、この部屋……ヴァロワ様、ここはわたくしが入るべき部屋では……ううん。いいわ、手短に済ませましょう」
やれやれと首を振ると、ドアを閉めてレディ・オルコックはエステルに向き合った。
「改めて挨拶するわ。わたくしはレディ・オルコック。ご存知の通り、娼婦よ。お嬢さん……いいえ、エステル嬢、あの時は……ダミアンと一緒に出会った時は不快だったでしょう。仕事だったとはいえ、ごめんなさいね」
礼を取って、女性――レディ・オルコックは困ったよな表情を浮かべる。
「仕事、ですか……?」
「グランジェ家を探るために、ダミアンに取り入るのが、陛下に任されたわたくしの仕事だったの」
「姐さん、その話は」
シリルが慌てたように声をかけたが、その口をつん、と人差し指で押さえてレディ・オルコックは彼の言葉を止める。
「陛下もご存知よ。エステル嬢に伝えることは」
「そんな話をしに来たのか?」
呆れたようなラウルが横やりを入れると、レディ・オルコックは首を振る。
「もっと大事なことよ」
真剣な眼差しで、レディ・オルコックはエステルの手を取る。
「わたくしの話は、『俺の星』っていう口説き文句のことよ。本当にごめんなさい」
「……え?」
「なんのことだ?」
怪訝そうなラウルが眉間に皺を寄せる。途端にシリルが「あっ」と声をあげて、そろりと後ずさる。
「あー、俺、その、ちょっと用事を……」
「お待ちになって?」
「はい」
ドアノブに手をかけて今にも逃げ出しそうだったシリルに、レディ・オルコックの甘ったるい声が呼び止める。
「本当はね、星というのは、娼婦の口説文句じゃなくってよ。ねえ、デュナン様?」
「どういうことだ、シリル卿」
「ねえ、デュナン様? ヴァロワ様はもう何年も娼館とご縁がないのだから、ご存知ないのよ。きちんと貴方の口から教えて差し上げて?」
(ラウル様が、娼館に行ってらっしゃらない? じゃあ……)
口を挟む間もなく、エステルは会話に耳を傾ける。三人の注目を受けたシリルは、冷や汗を流してどう説明したものかと口ごもっていたが、やがてばっと頭を下げた。
「すみませんっす! ヴァロワ卿がよく言ってた『俺の星』って言葉、ロマンチックだと思っていいなと思ったんで娼館のお姉様口説くのに、使わせてもらいました! そのせいで口説き文句として流行っちゃって……すみません!」
「わたくしを口説くのに、でしょう? 全く。ろくでもない方だわ。他の殿方が最愛の方に捧げた愛称を、よりにもよって娼婦への口説き文句に使うなんて。しかもそれを流行らせてしまうだなんて。何て酷い方なのかしら」
シリルを蔑みの目で見やり、深い深い溜め息を吐いてから、レディ・オルコックは再びエステルに向き直る。
「貴女を呼ぶための大切な愛称を、わたくしのせいで娼婦の口説き文句になんて貶めてしまってごめんなさい。許して欲しいなんて言わないけれど、それで貴女が気分を害したのは確かでしょうから……」
レディ・オルコックは真面目に話しているが、エステルには訳が判らなかった。彼女が『俺の星』という言葉が娼婦に使われる言葉ではないと言いたいのは何となくわかるが、ラウルとエステルが出会って数カ月も経っていない。何年も前に出来た言葉に対して謝られる意味が判らなかった。
戸惑い顔でなんと答えたらいいか判っていないエステルの顔をまじまじと見つめて、レディ・オルコックは「あら」と声を上げる。
「ヴァロワ卿、この話は……」
呆れたような顔つきになったレディ・オルコックがラウルに問いかければ、彼は首を振った。
「これから話すところだ」
「……貴方たち、婚約して一緒に住んで、もう一カ月以上経ってるって聞いたのだけど……これだから殿方は……」
天を仰いで、レディ・オルコックはまた深い溜め息を吐く。けれど、もう一度背筋を伸ばすと、エステルの顔を見て、妖艶に笑む。
「あの……」
「何度も悪いわね。詳しい話は、エステル嬢の婚約者様が、詳しく話してくださるわ」
エステルの言葉を遮ると、レディ・オルコックはするりとシリルの腕に絡みつく。
「では、大事な大事な婚約者様とお話をするのに、シリルはお邪魔よね? ヴァロワ様、構いませんでしょう?」
「ああ、貴女が回収してくれるなら助かる」
「姐さん」
まだ話すことがありそうなシリルが困ったような声を出したが、レディ・オルコックはそんな彼を上目遣いで見上げた。
「あら、わたくしと一緒は嫌?」
つーっと指先でシリルの胸をなぞると、こてん、と彼の肩に頭を預ける。娼婦らしく慣れた様子だ。
「俺が姐さんを断れるわけないじゃないッスか……」
レディ・オルコックの刺激で黙らせられたシリルは、酒のせいではなく頬を染めている。何年も前に、彼女に口説き文句を使っていたというから、古馴染みな上、逆らえない関係なのだろう。そんな彼の様子に満足したようにレディ・オルコックは目を細めてから、エステルに再び話しかける。
「エステル嬢……デュナン様と、わたくしの事は許さなくていいの。それだけ覚えておいて。大事な話の前にお邪魔してごめんなさいね。失礼するわ」
そう告げてから、レディ・オルコックはシリルを伴って部屋の外に出て行く。本当に長居をせず、彼女は言いたいことだけを言って、去って行ってしまった。
「……まずは座ってくれ」
ずっとエスコートの手を握ったままの姿勢だったラウルは、そのままエステルの手を引いて、ベッドに座らせた。椅子がないから仕方がない。
「あの、ラウル様」
混乱の整理がつかないエステルだが、彼女が質問をする前にラウルが跪いて両手を取った。
「先に聞いておきたいんだが、もしかして貴女は『俺の星』という言葉を、娼婦に向けて使う口説き文句だと、知っていたのか?」
「……ええと……はい。その、グランジェ……卿が、使っていた、ので……」
身分をはく奪されたダミアンは、もう『卿』とつけるべきではないのかもしれないが、それ以外に呼びようがない。エステルの答えに、ぎゅうっと眉間に皺を寄せたラウルは、彼女の手を握りこんだ力を強くして、溜め息を吐く。
「エステル」
滅多に呼ばない名前を呼んで、ラウルは赤い瞳でエステルの顔を見つめる。
「俺は貴女によく、『俺の星』と言っていたと思うが、あれは当然、娼婦への口説き文句なんかじゃない。俺は、あの言葉がそんな風に使われているなんて知らなかったし、そもそも、貴女に出会ってから娼館に行ったこともない」
「そう、なのですか……」
恐ろしく真剣なラウルは、エステルの戸惑った様子のエステルに続けて話す。
「貴女は、初めてあった時からずっと、俺のたった一人の星だ」
「エトワール……」
その言葉は、初恋のあの日に、彼にたった一度だけ呼ばれた名前だ。驚きにエメラルドの瞳を見開き、喘ぐように呟いたエステルに対して、ラウルはしっかりと頷いた。
(あれは……どういう意味なのかしら……?)
星と呼びかけるのは、娼婦への口説き文句だと思っていた。けれど、こんなにも誠実に接しているラウルが、婚約者のことを娼婦と同じ扱いをするのだろうか。
ラウルにいつか裏切られる可能性があっても信じると決めたエステルだったが、それでも『星』という言葉について聞けなかったのは、怖かったからだが。
話は個室についてからとばかりに、ラウルはずっと黙ったままだ。彼は途中ですれ違ったメイドを呼び止めて何ごとかを確認すると、再び歩き出して王宮の奥の方へとエステルたちを誘導する。それは先日、エステルが王に呼び出された部屋に続く道であり、すなわち許可のない者が勝手に入ってはいけないエリアである。先日のように謁見が決まっていればいいのだろうが、今日はそんな予定もなかったはずだ。
進むにつれ、人気が全くなくなってしまったのに、不安にかられてラウルを見つめたところで、彼が一つのドアの前で立ち止まる。鍵穴のついたその部屋は、明らかに王室の管理の一室であるが、ラウルは懐から取り出した鍵を差し込んで、当然のように解錠した。部屋に入ろうという段になって、それまで黙っていたシリルが小さく声をあげる。
少し離れた部屋から、メイドでない女性がちょうど出てきたところだった。女性は目をみはったかと思えば、すぐに微笑んで、こちらへとやって来る。
「あら。お揃いね」
声を掛けてきたのは、首元まできっちりと詰まったドレスに身を包んだ女性だ。メイクも髪型も地味だが、よく見ればその美貌が際立っているのがわかる。髪の色が暗いブラウンになっているから判りにくいが、彼女はエステルの知っている人だった。
「貴女は……」
「レディ・オルコック。貴女も来ていたのか」
エステルが話しかけたのを遮って、ラウルが親し気に言葉を交わす。
(この人と、知り合いなの……?)
「ここでその名前を呼ばないでくださる?」
ふう、と吐く息ですら妖艶に感じられる彼女は、以前ダミアンが連れていた娼婦だった。
「わたくしは手がけたことの結果を見にきただけよ。もう帰るわ。あなたたちは?」
「ね、姐さん」
焦ったようなシリルが、エステルを目線で示す。それを見て、女性――レディ・オルコックは嘆息した。
「……お嬢さんに会うのは二度目ね。いい機会だから、ほんの少しだけ……お話してもいいかしら?」
(私に?)
「構わない」
エステルが返事をする前に、ラウルが答えてドアを開けると部屋へと誘う。それにエステルは驚いたが、彼も何ごとか考えこんでいる風で、彼女の様子にラウルは気付いていないようだった。
彼女は娼婦だ。エステルには充分親し気に映るそのやり取りに、あらぬ想像をしてしまう。レディ・オルコックは、ラウルも相手をしているのではないかと。
(……変なことばかり考えてしまうわ)
きゅ、と唇を引き結んで、エステルは考えを捨てる。今からきっと、ラウルが説明してくれるのだから、説明される前から考えても仕方ない。
入った部屋の中にはベッドに書棚、そして小さなテーブルがある。あまり生活の匂いはしないが、誰かの寝室のようである。
「あら、この部屋……ヴァロワ様、ここはわたくしが入るべき部屋では……ううん。いいわ、手短に済ませましょう」
やれやれと首を振ると、ドアを閉めてレディ・オルコックはエステルに向き合った。
「改めて挨拶するわ。わたくしはレディ・オルコック。ご存知の通り、娼婦よ。お嬢さん……いいえ、エステル嬢、あの時は……ダミアンと一緒に出会った時は不快だったでしょう。仕事だったとはいえ、ごめんなさいね」
礼を取って、女性――レディ・オルコックは困ったよな表情を浮かべる。
「仕事、ですか……?」
「グランジェ家を探るために、ダミアンに取り入るのが、陛下に任されたわたくしの仕事だったの」
「姐さん、その話は」
シリルが慌てたように声をかけたが、その口をつん、と人差し指で押さえてレディ・オルコックは彼の言葉を止める。
「陛下もご存知よ。エステル嬢に伝えることは」
「そんな話をしに来たのか?」
呆れたようなラウルが横やりを入れると、レディ・オルコックは首を振る。
「もっと大事なことよ」
真剣な眼差しで、レディ・オルコックはエステルの手を取る。
「わたくしの話は、『俺の星』っていう口説き文句のことよ。本当にごめんなさい」
「……え?」
「なんのことだ?」
怪訝そうなラウルが眉間に皺を寄せる。途端にシリルが「あっ」と声をあげて、そろりと後ずさる。
「あー、俺、その、ちょっと用事を……」
「お待ちになって?」
「はい」
ドアノブに手をかけて今にも逃げ出しそうだったシリルに、レディ・オルコックの甘ったるい声が呼び止める。
「本当はね、星というのは、娼婦の口説文句じゃなくってよ。ねえ、デュナン様?」
「どういうことだ、シリル卿」
「ねえ、デュナン様? ヴァロワ様はもう何年も娼館とご縁がないのだから、ご存知ないのよ。きちんと貴方の口から教えて差し上げて?」
(ラウル様が、娼館に行ってらっしゃらない? じゃあ……)
口を挟む間もなく、エステルは会話に耳を傾ける。三人の注目を受けたシリルは、冷や汗を流してどう説明したものかと口ごもっていたが、やがてばっと頭を下げた。
「すみませんっす! ヴァロワ卿がよく言ってた『俺の星』って言葉、ロマンチックだと思っていいなと思ったんで娼館のお姉様口説くのに、使わせてもらいました! そのせいで口説き文句として流行っちゃって……すみません!」
「わたくしを口説くのに、でしょう? 全く。ろくでもない方だわ。他の殿方が最愛の方に捧げた愛称を、よりにもよって娼婦への口説き文句に使うなんて。しかもそれを流行らせてしまうだなんて。何て酷い方なのかしら」
シリルを蔑みの目で見やり、深い深い溜め息を吐いてから、レディ・オルコックは再びエステルに向き直る。
「貴女を呼ぶための大切な愛称を、わたくしのせいで娼婦の口説き文句になんて貶めてしまってごめんなさい。許して欲しいなんて言わないけれど、それで貴女が気分を害したのは確かでしょうから……」
レディ・オルコックは真面目に話しているが、エステルには訳が判らなかった。彼女が『俺の星』という言葉が娼婦に使われる言葉ではないと言いたいのは何となくわかるが、ラウルとエステルが出会って数カ月も経っていない。何年も前に出来た言葉に対して謝られる意味が判らなかった。
戸惑い顔でなんと答えたらいいか判っていないエステルの顔をまじまじと見つめて、レディ・オルコックは「あら」と声を上げる。
「ヴァロワ卿、この話は……」
呆れたような顔つきになったレディ・オルコックがラウルに問いかければ、彼は首を振った。
「これから話すところだ」
「……貴方たち、婚約して一緒に住んで、もう一カ月以上経ってるって聞いたのだけど……これだから殿方は……」
天を仰いで、レディ・オルコックはまた深い溜め息を吐く。けれど、もう一度背筋を伸ばすと、エステルの顔を見て、妖艶に笑む。
「あの……」
「何度も悪いわね。詳しい話は、エステル嬢の婚約者様が、詳しく話してくださるわ」
エステルの言葉を遮ると、レディ・オルコックはするりとシリルの腕に絡みつく。
「では、大事な大事な婚約者様とお話をするのに、シリルはお邪魔よね? ヴァロワ様、構いませんでしょう?」
「ああ、貴女が回収してくれるなら助かる」
「姐さん」
まだ話すことがありそうなシリルが困ったような声を出したが、レディ・オルコックはそんな彼を上目遣いで見上げた。
「あら、わたくしと一緒は嫌?」
つーっと指先でシリルの胸をなぞると、こてん、と彼の肩に頭を預ける。娼婦らしく慣れた様子だ。
「俺が姐さんを断れるわけないじゃないッスか……」
レディ・オルコックの刺激で黙らせられたシリルは、酒のせいではなく頬を染めている。何年も前に、彼女に口説き文句を使っていたというから、古馴染みな上、逆らえない関係なのだろう。そんな彼の様子に満足したようにレディ・オルコックは目を細めてから、エステルに再び話しかける。
「エステル嬢……デュナン様と、わたくしの事は許さなくていいの。それだけ覚えておいて。大事な話の前にお邪魔してごめんなさいね。失礼するわ」
そう告げてから、レディ・オルコックはシリルを伴って部屋の外に出て行く。本当に長居をせず、彼女は言いたいことだけを言って、去って行ってしまった。
「……まずは座ってくれ」
ずっとエスコートの手を握ったままの姿勢だったラウルは、そのままエステルの手を引いて、ベッドに座らせた。椅子がないから仕方がない。
「あの、ラウル様」
混乱の整理がつかないエステルだが、彼女が質問をする前にラウルが跪いて両手を取った。
「先に聞いておきたいんだが、もしかして貴女は『俺の星』という言葉を、娼婦に向けて使う口説き文句だと、知っていたのか?」
「……ええと……はい。その、グランジェ……卿が、使っていた、ので……」
身分をはく奪されたダミアンは、もう『卿』とつけるべきではないのかもしれないが、それ以外に呼びようがない。エステルの答えに、ぎゅうっと眉間に皺を寄せたラウルは、彼女の手を握りこんだ力を強くして、溜め息を吐く。
「エステル」
滅多に呼ばない名前を呼んで、ラウルは赤い瞳でエステルの顔を見つめる。
「俺は貴女によく、『俺の星』と言っていたと思うが、あれは当然、娼婦への口説き文句なんかじゃない。俺は、あの言葉がそんな風に使われているなんて知らなかったし、そもそも、貴女に出会ってから娼館に行ったこともない」
「そう、なのですか……」
恐ろしく真剣なラウルは、エステルの戸惑った様子のエステルに続けて話す。
「貴女は、初めてあった時からずっと、俺のたった一人の星だ」
「エトワール……」
その言葉は、初恋のあの日に、彼にたった一度だけ呼ばれた名前だ。驚きにエメラルドの瞳を見開き、喘ぐように呟いたエステルに対して、ラウルはしっかりと頷いた。
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