「君はありのままでいい」と言われたのでうきうき嫁いだ先の辺境伯様がありのまま過ぎて困る

有沢楓花

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第4話 妻、夫の攻略本(いくじにっき)を入手する

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 シュネーがノックの音にこわごわ振り向けば、息を呑む気配がした。

「君は何をして……」
「防寒とヴェルク様……の体を直視しない為ですわ」

 シュネーは俯きがちに答えた。
 ベッドの上で夫を待つ彼女の肩は、毛皮のマントの上から毛布にすっぽり包まれていて、膝には湯たんぽを抱えている。
 三角錐の姿はかまくらか、東洋の妖怪・雪ん子だ。

 さらに、毛皮の帽子を目深に被っていた。これで半目になればヴェルクの上半身はブロックできる。当然ヴェルクの顔が見えないが、仕方ない。

「寒いのなら、暖炉に火を入れて構わない。いや、わたしがしよう」

 ヴェルクの大きな手が閃けば、用意されていた薪がたちまち燃え始めた。
 端から見て異様な姿だろうに、言及しないどころか火を入れてくれた優しさにシュネーは胸が暖かくなる。

「ヴェルク様は熱くありません?」
「君が自分の氷で寒くないように、自身の火はあまり熱く感じない」
「では、早速冷やしますわね。……先に飲み物を? お酒は召しあがられます?」
「酒は血の巡りが良くなるので、普段は飲まないな。大抵水を飲んでいるよ」
「……そうでしたか。私はいつも温かいお茶ですね。お酒はたまにたしなむくらいです」

 シュネーは手元の本をサイドテーブルに置こうとして、ヴェルクに近づかれて身を固くした。ベッドサイドに立たれると元からの身長差がより鮮明に感じられる。

「それは?」
「お義母様にヴェルク様の育児日記をお借りしてきました。好きにしていいと仰られてましたが、許可を取ってから読もうと思いましたの」

 計画を立ててからの行動は早かった。辞してきたばかりの義母のところに押しかけて頼めば、快く出してくれたのだ。その後、引き止められそうになるのを無理やり逃げ出してはきたが。

「育児日記……そうか、そんなものが残っていたのだな」

 暖炉の火によって伸びた影が、すっと表紙に落ちかかる。
 つい仰いだシュネーは、そこに秀麗な顔を見てしまって顔をリンゴのように赤くした。

「……だ、旦那様……」
「寒かったり、暑くはないか」
「はい。……ええと……そう、それでヒントになるかと思いましたの。だって私は生まれたときからひどい寒がりだったそうです。
 ヴェルク様のことも、昔からどんな体質だったのかを知っておく必要がありますわ」
「ありがとう、君は真面目なんだな。わたしも見てもいいだろうか」

 伸びた手が表紙をめくる。しなやかな腕が目の前にあるのが恥ずかしくて、ページに視線を落とした。
 そこには乳母や母親に見守られながら育つヴェルクの様子が記されていたが、相当大変だったのだろう、まとまった文章でなく走り書きやメモ書きが多かった。

 起床時間や睡眠時間、飲食や便の色や量。
 体内の熱をコントロールできず、頻繁に高熱を出して苦しんだり。
 つい火を指から出しておもちゃを燃やしてしまって大泣きしたり、部屋が火事になりかけたり。水の入った桶に突進したり。

 対策として水に堪能な魔術師を集めるためにグレッチャー家にも依頼をし、1歳になる前から魔術師だけでなく医師や哲学者、心理学者まで呼んで魔力や感情を抑える訓練もした。
 
「……ヴェルク様もお義母さまも大変だったのですね」
「他人に怪我をさせなかったのが奇跡だな。それでも人と距離を取らざるを得ない時もあった」

 ぎしり、とベッドが軋んだ。隣に腰掛けられたからだ。少し温まったような空気を感じ、シュネーは緊張に喉を鳴らすと、会話を続ける。

「それは大変でしたわね」
「そうでもないが……一番堪えたのは弟たちに雪だるま禁止令を出されたことだ」
「雪だるま?」

 シュネーが思わず見上げると、炎のような瞳は彼女でも日記でもなく、暖炉の火を――そのもう少し遠くを見ている。
 普段は常に現実を見据えているような瞳の彼の、見慣れない表情にシュネーは目を瞬いた。

「わたしが触れるとどうしても溶かしてしまうんだ。兄として弟たちを手伝えないし、弟たち――三人のうち一番下はまだ生まれていなかったが――はわんわん泣くしで困ってしまったな。
 まあ、代わりに弟が誇らしげに指揮を始めたのを見ることができたよ」
「弟さんがたとは年齢が離れていらっしゃいますわよね?」
「三人いる上の弟は5歳違いの22で、真ん中は20。一番下はさらに離れて15歳だ。……立派に育ったな」

 式で見た姿を思い出しているのだろう。感慨深げなのは、年齢が離れているからだろうか。式の前後に挨拶した時も、半ば父のような接し方だったと思い出す。

「……将に対する馬が多いですわね……」
「うん、何だろうか?」
「何でもありませんわ。私も、弟さん達と、それからお城で働く方々とも、早くヴェルク様や領地についてお話したいですわ」
「……まあ、それは嬉しいが、無理はしてないだろうか」
「してませんわ。……それと雪だるまですけど」

 雪だるまなら、シュネーは兄姉たちと一緒に何度も作ったことがある。冬は滅多に外出しないが、雪遊びについては一家言いっかげんあるくらいだ。

「……明日にでも、雪だるまを一緒に作りません? 私、ヴェルク様のためならいくらでも雪を出しますわ。ちょっとした熱なんてものともいたしません……くしゅん」

 つい、間が悪く小さいくしゃみをしてしまうと、本を支える手のひらに一回り大きなそれが重ねられた。
 シュネーはすべすべの感触に身を固めながら、血色の良い手の甲も滑らかで、爪まで美しいのだなと変なところに感心してしまう。両親の前で会ったときは大抵手袋をしていたから。

「寒いなら少しこうしているか」
「ええ、温かいですわ。……旦那様は暑くありませんか」
「正直に言えば……少しは」
「では私も……失礼して。お約束でしたのに遅くなって申し訳ありませんわ」

 ――これはただの、魔術師としての務めですわ。

 シュネーは何故か高鳴る自身の胸に言い聞かせると、もう片方の手に冷気を集めて身体を捻り、その白い手を首筋に当てた。
 首から下を見ないよう薄眼を開けているシュネーと対照的に、ヴェルクがびくりと体を震わせ、目を見開く。

「……冷たすぎました?」
「いや、大丈夫だ」
「血管が太いところを冷やすといいですわ。脇の下ではくすぐったいですものね」
「君は邪気がなさすぎるな……」

 唇から零れた呟きに何か呆れたものが混じっているような、そんな気がした。シュネーは意味をとらえきれず、問い返す。
 邪気というか下心ならさっき表したばかりだ。

「子供っぽいということですの?」
「そうではない。そうではなくやはりこれ以上の接触は――ああ、もう大丈夫だ。ありがとう。
 早速、雪だるまづくりの予定を決めてしまおう。明日の昼食後でどうだろうか」

 まだ冷やし終えていない気がするのに身を引いて、立ち上がるヴェルクは距離を取る。
 シュネーはあからさまな話題転換を疑問に思ったものの、大人しく頷いた。
 何にせよ彼女は不興を買わないようにしたいし、都合が付きやすい方が合わせた方がいいと思ったのだ。

「ええ、楽しみにしておりますわ」


***


「奥様、旦那様とのお約束の時間ですが……」

 シュネーは衣装室のクローゼットを呆然と見つめる。
 休暇を取ったイルゼの代わりに来てくれた侍女の声が、寄木細工の床に無情に響く。

「……」
「奥様?」
「……ありませんわ。私の……毛皮……」

 弱々しい声を上げながら振り返る顔は雪より白い。
 身の回りを管理してくれているイルゼは、休暇に買い物と視察を兼ねて、朝早くから城下町に出掛けてしまっている。

「今日はとても天気がよろしいので、洗濯室に出しております」

 無慈悲な宣告。裁判官から判決を告げられる被告の気分だ。

(よりによって、雪遊びは中庭ですのに……!)

 辺境伯の城に入場してから数日、屋外に出たのは温室に招待されたあの日だけだ。
 彼女もシュネーが寒がりなのは聞いていても流石に毛皮は想定外だったのかもしれない。外は日に日に暖かくなり、長袖をまくったり、日中は半袖で作業する下働きもちらほら見るようになってきた。

(細かく伝えておかなかった自分が悪いのですけれど……)

 特に今日は、自分で狩った白大イタチの毛皮を着るつもりだった。
 これから襲い掛かってくる寒さに指先が冷えていくような気がして、思わず手を握り込む。

「どうされましたか」
「……な、何でもありませんわっ」

 不安からつい文句や泣き言を言いたくなるが、口を噤んだ。
 もし咎めれば彼女が「仕事がなってない」と不利益を受けるかもしれず、そうなれば横暴な妻だと要らない評判まで立ってしまうかもしれない。味方が殆どいない自分には致命傷だ。
 今までだって、領地外では体質について丁寧に説明してもなかなか理解してもらえなかった。

 それに、旦那様と親しくなるためなら、最終的に寝室で一人何とかしなければならないことは分かっていた。

 シュネーはぎこちなくだが笑みを作ると、ありったけのウールの下着を着込んでショールを重ね、頬当てのある毛糸の帽子を頭からかぶった。
 急いで中庭に降りて、侍女に案内されながら指定された人目に付かない物置小屋の側へ向かう。
 中庭と言っても王都とは違い辺境伯領まで来る貴族の客は多くないので、薔薇などで整えられている場所は一部。籠城や飢饉に備えて野菜畑もちらほらあるし、騎士の練習場もある。

「シュネー、毛皮は良かったのか?」

 先に来ていたヴェルクに開口一番尋ねられる。やっぱり半裸だが、首より下を見ないことにはだいぶ慣れてきた。

「ええ、今日は暖かそうでしたので……へ、平気ですわ!」

 シュネーは強がると、ざっと周囲の草地を見渡して手を伸ばした。指先から巻き起こった冷気が小さな雲を作り出し、そこから振る雪が見る間に積もっていく。
 零れ種が咲かせた、初夏の色とりどりの花とのコントラストが美しい。
 同時に、素足で触れてみたいと思って散歩をしたり、水遊びをした次の日に決まって熱を出した子供の頃を思い出した。

「……ひとまずこれくらいでいいでしょうか」

 10メートル四方、50センチほど降り積もった雪を見下ろして腰に自慢げに手を当てる。
 できたての新雪に、ヴェルクは屈んで早速触れた。体温が他人より高いのか、触れるそばからするする溶けてしまう。

「もう少し雪を足しますわね。溶ける速さより積もる速さが早ければ、消えませんわ」
「……はは、想像していたより力技だな」
「人体に冷気をまとわせる方法もありますけれど、ヴェルク様に効果的かは分かりませんわ」

 同じ方法は既に試されていて効果がなかった、と育児日記にあった。自分ならあるいはと思ったが安全策を取り、雪をヴェルクの足元に降り積もらせていく。

「寒いのは苦手でも、雪は嫌いではないのだな」
「それは勿論。だって私の遊び相手で、武器でもありますもの」

 故郷で思うままに遊んだ頃を思い出して、自然と笑みがこぼれる。指先から直接、雪や氷の結晶で空に軌跡を描くと陽光にキラキラと反射した。
 シュネーはかじかむ足を踏み出し、慣れたステップを踏むように雪を降らせる。体の中の寒さはなかなか消えないが、外に放出すれば和らぎ、何故か守られるような気がするから不思議だ。

「舞踏会は嫌いですけど、こうやって踊るのは好きですわ。自分の力を恨まなくて済みますもの」
「……やはり君は、そうやって戯れているのが似合う」
「え?」

 そんな姿を見せたことはなかったのに、とヴェルクに目をやれば、彼は腰の高さまで転がして作った雪だるまの下半身に、頭を乗せたところだった。

「……ああ、初めて自分で最後まで作れた。ありがとうシュネー」

 振り向いたヴェルクの微笑みに、心臓が跳ねた。
 少年のような笑み。
 普段から年齢よりもずっと落ち着いた態度で、そこは変わっていないのに、それはまるで初めて見た本心からの笑顔のようで――見とれてしまって、疑問など頭から吹き飛んでしまう。

 何故か熱くなる頬に手をやれば肌の表面に氷が張っていき、ヴェルクが慌てて手を取って離れさせた。

「危ないのではないか? どうしたのだ?」
「……あの……あまりにも素敵でしたから?」
「何故疑問形なんだ――」

 シュネーが見上げれば、ヴェルクは照れたように視線を逸らした。

「君も、そんな顔を男に見せるものじゃない。誤解されるぞ」

 どんな顔ですの、とシュネーが尋ねようとした時、遠くからバタバタと複数の軽い足音が響いてきたかと思うと、わっと子供たちの歓声があがった。
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