うちの神様はうまく泣けない ~金平糖とかささぎの夏~

有沢楓花

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第3話 和カフェ「夜見」と祖母の残り香

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「二見さん?」

 一瞬意味を取りあぐねたが、リピーター歓迎という意味だろうと納得して引き戸を開けた。

 流れ出す程よい冷気の中に足を踏み入れれば、灰色の石が敷かれた土間の右手にレジ台があり、左手によく手入れされた飴色のカウンターと椅子が幾つか、手前の壁際にテーブルの二人席が二セット用意されている。
 十人も入れば満員になってしまうが、カウンター脇の上がりかまちから奥の座敷に続いているようだ。

 額縁のような窓枠には赤紫の紫陽花が古びた花瓶に咲き、隣の一輪挿しには、熊笹の枝が一本。
 落ち着いた内装の中に、どこか神社と同じ清廉な空気が香る。

 そしてそれは主に、カウンターに立つ藍の着物に襷姿の男性から漂っていた。
 年齢は判然としない。二十代前半か、それとも三十過ぎにも見える。年齢不詳の原因のひとつは、毛穴もなさそうな滑らかで白い肌をしていたからだろう。
 さらさらの黒髪が耳の上で切り揃られ、柳眉と長い睫毛、鼻梁が控えめに美しく配置されていた。右目の下に泣きぼくろがひとつ。
 ちょうど、染付の焼き物のような佇まいだ。

 彼は器を拭いていた手を止めると、その黒くどこか藍色を重ねたような瞳を客である和に向けて静かに微笑んだ。

「いらっしゃいませ、お一人様ですね。お好きな席へどうぞ」

 耳に心地良い、涼やかで落ち着いた声の案内――それが、一つめの小さな違和感。
 ですか、ではなく、ですね。
 断定に引っかかるものを感じつつ窓辺の席に向かえば、上がり框の奥からパタパタと軽い足音がした。かと思うと、高校生くらいの可愛らしい女の子が顔を出した。

「いらっしゃいませー! って、あ、聡子ちゃん!?」

 ――一つめよりずっと大きい、二つめの違和感。
 和の顔を見て丸い目を見開いた彼女は、臙脂色の矢絣の着物と袴の上からフリフリのエプロン、という大正時代のカフェーの女給を思わせる姿をしていた。
 そのまま低い位置で結んだポニーテールと、エプロンの紐が泳ぐように旋回して、彼女は青年と、框の奥に溌剌とした声を掛ける。

「ねえねえ、早瀬さん、澄くん! 聡子ちゃんだよ」
「ちょっと声が大きいよ。あのね茜ちゃん、今は令和で――」

 少女を追うように薄茶の髪ふわりと揺らして現れた少年は、薄青と襷の着物姿。こちらも優しげな声に甘い顔立ちの美少年だ。

 彼は声を低めて控えめに和を一瞥すると、意外なものを見るように一瞬、色素の薄い目を瞬いた。それから少女の手にある木のトレイとメニュー表に視線を移す。
 彼の様子が、二つめの違和感を強化する。

「――人違いだよ。まずはお客様をご案内しよう?」
「そ、そうだった。……済みませんお客様、お席へどうぞ!」

 和が窓際の席に腰を下ろすと、ぺこりとお辞儀をした彼女は慣れた様子で、丁寧にメニュー表と、水の入ったグラスをことりと置いた。
 にこにこと待っている彼女に、和は注文の前にと、口を開く。

「あの……」
「はいっ」
「聡子は、……稲葉聡子のことでしたら、私の祖母です。実はここも祖母の紹介で来ました」
「お孫さん! お話には聞いてました。見間違えてごめんなさい……聡子ちゃんはお元気ですか?」

 茜という少女は人懐こい笑みを浮かべた。
 祖母と和の年齢差で人違いするだろうか。笑顔にむしろ募る違和感に、和は若い頃の写真を見たのかもと正常化バイアスをあえて働かせ、遠回しに尋ねた。

「祖母はこちらの常連か、年の離れたお友達だったんでしょうか」

 そして決定的な、違和感。
 カウンターの奥の早瀬と呼ばれた青年が応えて、静かに口にした言葉。

「店主の早瀬です。お祖母様のこと、心よりお悔やみ申し上げます」

*** 

「初めまして。稲葉聡子の孫、稲葉和です」

 和は席に座ったまま、軽く頭を下げた。
 顔を上げれば目尻に涙を浮かべる茜、気まずそうにしている澄。そして落ち着き払っている早瀬が目に入る。
 どうやら早瀬は何かしら知っているようだが、いかにも純粋そうな茜には話していなかったらしい。
 
「祖母はこの店と親しかったのでしょうか」

 祖母は他界する前、長く病床にいた。几帳面にまとめられた連絡先は和も一通り確認したが、この店の名はなかった。自分がもらったあのメモにだけだ。

「失礼ですが、お祖母様からは、どこまでお聞きになっていますか?」
「それは……何かあったら行くように、というくらいで」
「そうですか……」

 一瞬考えるような顔をしてから、彼は続けた。

「では、メニューの最後をご覧ください」

 和は答えない早瀬に更に疑問を深めつつ、促されるまま墨黒の表紙を開いた。

 内側には日替わりメニューやお茶、デザートが並んでいる。
 いわゆる食事は日替わり定食のみ。肉か魚のメインの料理に味噌汁か豚汁が付き、日替わりのデリの中から三品を選ぶ方式だ。今日はほうれん草のごま和え、きんぴらごぼう、だし巻き卵、ごま豆腐、エビマヨ、肉団子の甘酢あん。
 添えられた写真はどれも美味しそうで不審な点はない。
 デザートのページを過ぎ、煎茶やほうじ茶、和紅茶といった飲み物のストレートティーと、黒糖ラテなどのアレンジメニューをめくると、最後に現れたのは奇妙な文章だった。

 ――次回ご来店時、思い出のレシピをお作りいたします。

 次回という奇妙な言葉。しかもリピーターを増やすにしては手間がかかりすぎるのではないか。
 ふつう思い出のメニューと言えば、老舗店の定番・名物料理か、以前来たときに何か記念すべきことがあったか、だ。
 この文面では「二見さん」にその実家の肉じゃがでも提供するように読める。

 和が訝しんで顔を上げれば、早瀬と自然に視線が合った。じっと見られても上司と違って不快感がないのは、佇まいが静かすぎるからだろうか。
 空気や水のようだなと、和は思った。

「お祖母様が初めて来店されたのは、学生さんの時でした」

 何十年前のことだろうか、まるで見てきたように早瀬は語る。

「それからも度々いらっしゃって、入院前にはお電話をいただきました」
「それは、数年前のことですよね……?」
「ええ。いつか同じように孫が来るだろうから、その時には料理を作ってあげて欲しいと」

 和の中の違和感はこれで三、いや四つになった。
 注文の多い料理店ならぬ、疑問が多いカフェ。いつもなら席を立っただろうが、彼らの穏やかな声や態度から下心は感じられない。
 祖母が勧めた店だ、きっと理由がある――いやこれは言い訳で、単に疲労と空腹のせいかもしれない。
 それから祖母の秘密を知っている店への、好奇心が勝った。

「では、こちらをお願いします」

 素直に頷けば、茜は顔をぱっと明るくして席を離れる。
 早瀬が手を洗う水飛沫の音が耳を濯ぎ、静かな室内に響く包丁と木のまな板がぶつかるトントンというリズム、ことことと鍋の煮える音に、和の肩から次第に力が抜けていく。
 無防備に音に身を任せていると、やがてことり、と目の前で音がした。

「お待たせいたしました、豆乳のお粥・あり合わせ風です」

 茜の声にいつしか閉じかけていた瞼を開く。
 やや小さめのどんぶりの中で湯気を立てているのは、軟らかく煮た白い粥だ。野菜やシメジの浮かぶ中心にこんもりとしらすが盛られ、小葱の緑が彩りを添えている。
 添えられたスプーンでひと匙掬えば、乳白色に崩れる米の中に押し麦が姿を現した。
 ひと口、運ぶ。

「……同じ味……」

 暖かい米粒がほろりと口の中でほどけ、滋味深い味が広がる。
 柔らかい中にシメジの歯ごたえ。しらすの塩気と小葱の香りがアクセントになっていた。
 驚いたのは何より「同じ」だったことだ。味だけでなく薄く切った大根も、シメジのちょっと荒い房のちぎり方も。豆乳のまろやかさと鰹出汁の奥にある、知らない隠し味も。
 あり合わせなのは、親と喧嘩をして避難した時に、祖母が冷蔵庫の残り物で作ってくれたからだ。成長につれ食べる機会も減って、思い出す機会も用事に紛れてしまって、遂にレシピを聞くことはなかった。

 祖母の声が、眼差しが、古い畳の匂いが、おやつにくれた金平糖の瓶が。テレビから聞こえるニュースが塊となって、ぶわりと脳裏に蘇る。
 一人の心細さも、否定された悔しさも、嘘をつかずに話せた安心感も。

 和は幼い頃、神社や郊外の茂みの合間に、小さな人間のような存在を何度か見かけたことがあった。ちょうど童話で小人の話を読んだばかりだったので、実在したのだと、母親や友達に大喜びで話して回った。
 今から考えれば当然のことだが、友達には嘘つきだと囃し立てられ、母親には二度と話すな、ときつく戒められた。
 和は家出を決行して祖母に泣きついた。祖母が時折、庭で彼女の言う「小さなひと」に声をかける姿と優しい眼差しを覚えていたから。

 ――お母さんがね、目に見えないものの話なんてするなって言うの。友達がいなくなっちゃうよって。お祖母ちゃんには見えるんでしょう? お祖母ちゃんは嘘つきじゃないよね?

 ――あの子は和が意地悪されるんじゃないかって、心配なだけなのよ。

 あれから和は、祖母以外には小さなひとの話はやめた。成長するにつれ見かけることもなくなった。けれど今でも何となく、彼らや人でないものの気配を感じることがある。
 だから、取材先の神社を。供えられた果物の近くに漂う小さな善良そうな気配たちを、祟りや怨霊だと書きたくなかった。

 ひと匙、もうひと匙。懐かしさを味わうように口に運べば温かさが染みていく。
 半分以上食べたところで手を止め顔を上げると、カウンターの中の早瀬と目が合う。変わらず静かな眼差しだ。

「聡子さんは時々庭や窓際で絵本を描かれたり、娘さんをお連れになってお団子を召し上がったりしていました」
「……母も」

 彼は手を拭うと波紋模様が入ったガラス戸棚から一冊のファイルと、絵本を取り出した。
 ファイルはレシピ帳のようだが、絵本の柔らかい水彩画の表紙は知っている。絵本作家だった祖母が人里で暮らす「小さなひとたち」を描いたシリーズの一作目だ。もしおどろおどろしく書かれていたなら、和は外出を怯えるようになっていただろう。

「祖母は保育園や学校帰りに迎えに来てくれて、昔話や絵本の話を良くしてくれたんです」

 自身にも思いがけず、しまっていた思い出はするりと言葉になった。和も祖母のように、見えないものがあることを残すために、現在と未来にいる誰かと話すために保存し、書く道を選んだ――日頃のあれこれに、忘れそうになっていた。

「絵本の中に川が描かれているでしょう?」
「ええ。あの世に続く坂と川の途中、林に囲まれた廃屋。小さな神々が暮らしているそこには、時々生きている者が訪れ――」

 まさか。ページを繰れば、先ほど目にしたばかりの、藍色屋根の日本家屋が描かれている。まるで蕎麦屋のような。
 和は言葉を切って、早瀬を見上げる。変わらぬ微笑の藍色の瞳が深い水底のように、一瞬見えた。

「そうです。この店は、現世と常世とこよの境にあります。そして常世に紛れ込もうとする人々に、『死者のレシピ』をお渡しする場所です」
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