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前編

「いつもありがとう。城之内君」

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「そっかぁ……感覚共有ができて、でも動きは制御できないんだ……ふーん、そういうことかぁ……」

 何故かりんがニヤニヤし始めた。なんだか良からぬことを考えていそうだ。

「どうした、りん?」

「えっ? えーと……あのさ、いつもアタシも琴ちゃんも、ナオにはお世話になってるわけじゃん?」

「りんはそうかもしれんが、花宮はそうじゃないだろ?」

「いーや、お世話になってるの!」

「なにキレてんだよ」

「だからちょっとぐらいは、お礼を言わないといけないよね」

 りんが……いや、りんが憑依した花宮が……横すわりしたまま、俺の方ににじり寄ってくる。

「りん?」

 りんはあっという間に俺との距離を縮めた。気がつくと、俺とりんの顔の距離は20センチ。

「りん……何を」

 りんは俺のシャツの胸元を軽く掴み、ゆっくりと俺の顔を見上げる。りんの……いや、花宮の……長くて綺麗なまつ毛、スッとした鼻筋、プルンとした柔らかそうな唇、瞳は潤々と揺らいでいた。俺は呼吸が止まりそうになる。目を閉じられたらどうしよう……そんな思いが、一瞬脳裏をかすめる。

「いつもありがとう。城之内君・・・・

 りんは俺の顔を上目遣いに見上げてそう言うと、俺の胸元にコテンと頭をつけた。俺は数秒間、固まったままだった。

 りんが「城之内君」とか言うから……俺の脳内がバグってしまっている。俺の胸に頭をつけているのは……花宮なのか?

 数秒後、りんの悪戯だとすぐに思い直した俺は、りんに気を飛ばして花宮の体から追い出そうと思ったのだが……俺の胸に頭をつけたりんの……いや、花宮の両方の頬と耳が消防車のボディーよりも赤くなっている。頭全体が沸騰寸前のようだった。

 するとりんが、すぐに花宮の体から離脱した。

「ご、ごめん! 自分からやってはみたけど、思ってた100倍以上恥ずかしくって……耐えられなかったよ」

 りんが勝手なことを言っている。俺の胸で顔を赤くしたままの花宮は、まだ下を向いたままだ。

「花宮、大丈夫か?」

 すると花宮はゆっくりと顔をあげ、うつろな目で俺を見上げる。口が少し開いていて……なんだこれ、めっちゃエロ可愛い!

 そして花宮の視線の焦点が合うと、「あっ……」と小さく言葉を発して俺からパッと離れた。顔は真っ赤に染まったままだ。

「も、もう! りんちゃん、なんでそういうことするかな」顔を赤くしたままの花宮は焦りまくりながら訴えている。

『ご、ごめん琴ちゃん。アタシもここまで恥ずかしくなるとは思ってなかったよ』

「まったく……りん、なにしてんだよ? もう花宮に憑依するの禁止な」

『えーー!』「えっ……」

「えーー!じゃねえよ。それに花宮もなんで『えっ……』なんだよ」

「えっと……でも私、嫌じゃ……なかったよ?」

 花宮は蚊の鳴くような小さな声でそう言った。花宮もりんも顔を真赤にしたまま、下を向いてなんだかモジモジしている。なんなんだよ、これ……俺は嘆息するしかなかった。

 そのあと花宮を落ち着かせるため、飲み物を用意した。俺はコーヒー、花宮には紅茶だ。それを飲み終わるときには、花宮は少しは落ち着いたようだった。



 しばらくすると、もう外は薄暗くなる時間になってしまったので、俺は花宮を家まで送っていくことにした。りんは悪戯をした罰としてお留守番……というのは表向きで、俺は花宮がりんに憑依されて、体調や精神的に大丈夫かどうかを確認したかった。そのためにはりんがいない方が都合がいい。

「うん、全然大丈夫。なんかね、りんちゃんが物凄く近くに感じたよ。それに念話が凄くよく聞こえた」

 完永寺へ向かう電車の中、花宮は明るく話してくれた。

「そうか。何も問題なければいいんだ。よかったよ」

「でもりんちゃん、最後にあんな悪戯するとは思ってなかったけどね」

「本当にそうだよな。あいつ、ちょっと悪戯が過ぎるところがあるんだよ」

 花宮はそう言いながらも、ちょっと楽しそうだ。俺たちは電車を降り、完永寺に向かって歩いていく。

「ねえ城之内君……あの時、ドキッとした?」

 花宮は突然、笑いながら照れくさそうに訊いてきた。

「ああ、めちゃめちゃドキドキしたよ」

「私とりんちゃんと……どっちに言われてる気がした?」

「えっ……」

 俺はあの時のことを、もう一度脳内再生してみる。

 俺はあの時、マジで脳内がバグった。「いつもありがとう。城之内君」……りんはあの時、わざわざそう言ったからだ。

「あの時りんが『城之内君』とか言うから……俺は一瞬どっちが言ってるんだって、わからなくなった」

「ふーん……そうなんだね」花宮は柔らかい笑みを浮かべる。

「でもあの時、俺……」

「うん」

「やっぱいいや」

「えっ? 何? 気になるなー」

「恥ずかしいから言いたくない」

「余計に気になるじゃない! なになに?」

「じゃあ言うけど」

「うん」

「あの時の花宮……めちゃめちゃ可愛かった」

「えっ……」

「……やっぱ言わなきゃよかった」

「うん……聞かなきゃよかったかも。恥ずかしいよ……」

 俺は花宮の顔をしばらく直視できなかった。おそらく二人とも、顔が真っ赤だっただろう。あたりが薄暗くて、ちょうどよかった。

「でもやっぱりさ」

 しばらくして、ようやく花宮が口を開いた。

「やっぱり……りんちゃん、城之内君のこと好きだと思うな」

「そうか?」

「うん。今日りんちゃんに憑依されて、なんだか余計にそう思っちゃった」

「俺には……そうは思えないけどな」

「もー……女心がわかってないなぁ、城之内君は」

 まあそこが城之内君らしいんだけどね、と言って花宮は微笑んだ。それから二人とも交わす言葉は少なくなっていった。それでも二人の間に満ち足りた空気が流れているように感じていたのは、俺だけだったのだろうか。
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