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序章 鈍牛
六
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「もうやめなよ、父ちゃん」
千勢の声が、狭い長屋に響く。
その一言に押入れの中で、さすがの五平も思わず声を漏らした
「な、なんだって」
その声に、藤五郎は「あの阿呆が」と小さく呟いて頭を掻き、秋川は正眼に構えた刀をゆっくりと下ろし口の端に笑みを浮かべた。
「大した手下だな藤五郎」
「面目次第もねぇ」
「で、貴様は知ってたのか?」
「まあ、なんとなくですがね」
五平の失態で緩んだ空気の中、二人は気安くそう言葉をかわす。
しかし、そんな空気を、千勢が発した鋭くもよく通る声がまたしてもキュッと引き締める。
「いい加減におしよ!!」
そう言うと千勢はその場にちょこなんと正座をし、背筋をしゃんと伸ばして秋川を見上げた。
「確かに、人さらいなんぞにかどわかされちまったのはあたいのしくじりさ。父ちゃんが、そんなあたいのために、忠兵衛の後を追って必死で探してくれたことには感謝はする。それこそ、あたいをかどわかして酷い目に合わせたうえで売り飛ばそうとした忠兵衛を始末してくれたこともありがたいさ、ありがたいんだけどね」
なんと、そういうことだったのか。と、押し入れの五平は得心が言って膝を打ったのだが、どうやらこの場でそれを知らぬのは五平ひとりであるらしいことは確かのようだ。
証拠に、誰も驚いた様子は、ない。
そして、そんな五平の心中を知る由もなく、千勢は冷ややかな声で続けた。
「とはいえ、やっていいことと悪いことがあるだろ」
そう言うと千勢はギリッという音でも聞こえそうなほど秋川を睨んだ。
「父ちゃんは、お江戸の御政道を守るお役人じゃないか、いくら血を分けた娘のためだからって、夜盗のまねごとをするなんてどういう了見だい、そんなざまで、お天道様に恥ずかしくはないのかい!」
小さな千勢の啖呵に、押し入れの中に縮こまっている五平は「うへぇ」とため息を漏らす。
秋川様のお相手は、確か常磐津の師匠で朝菊って姐さんだったはず。噂にゃ、かなり威勢のいい姐さんだとは聞いてはいたが、十やそこらの娘がこんなに育っちまうんだ、こりゃ相当に勇ましい姐さんに違いない。
一度会ってみてぇや。
と、押入れに隠れていることは先刻バレてしまってはいるものの、ばつが悪くて出ていけない五平がのんきにそんなことを考えているとはつゆ知らず、千勢の啖呵は続く。
「初めは父ちゃんの仕業とは思えなかった。変り者と噂されてはいても、十手持ちの父ちゃんが御政道に背いて押し込みを働くなんて思えなかったからね。でも、忠兵衛の野郎が燕の仁助はおめぇの親父に違いないってこぼしやがってね。それで、なんとか忠兵衛の隙をついてあたいは逃げ出した」
千勢は、ぎゅっと瞳を閉じる。
「殺されるかと思った、でも逃げなきゃいけなかった」
その裏に、忘れたい何かを押し込めてそのまま潰してしまうように。そして、フーっと長い息を吐くと再び目を見開いて秋川を睨んだ。
「父ちゃんだけは、あたいがなんとしても止めなきゃいけないから」
千勢の声は、どこまでも涼やかで伸びやかだった。それだけに、居合わせる男どもの心にすっと入ってきて、直接そこに触ってくるような不思議な力があった。これが男女の睦言ならば、ずっと聞いていたいような、そんな神がかりな魅力がそこにはあった。
が、ここで、千勢の啖呵を秋川が奪う。
「もうよい。で、そんなお前がなぜ家に戻らず藤五郎といる」
声が少し震えていた。
「父を……売ったか」
それは、いかにも恐ろしげな声だった。しかし、千勢ははーっと大げさにため息を付くと、秋川の眼力にひるむことなく言い切った。
「情けないことお言いじゃないよ。もし、もしもだよ、あたいがそのまま家に帰っちまったら、父ちゃんは今回の一件にケリをつけようって、きっと腹を切るだろう?」
そこまで言うと、千勢は立膝になって床をどんと一蹴りした
「父ちゃんは、あたいを父親殺しの畜生にしようってのかい!」
なるほど、こりゃ役者が違う。
五平は納得して感心する。
きっと自分の前ではだんまりだったのは、藤五郎の言いつけで普段はあまりしゃべるなと言われていたのだろう。親分はしゃべる女が (つまりはまあ女が)大嫌いだから、それを見て黙っていたに違いない。
しかしその本性はどうだ、ありゃ間違いない浅草の女だ。
証拠に、場の空気がしんと静まり返って、いっそ清々しいほどだ。
「このガキは、嘘はいっちゃいませんぜ」
そんな空気を裂くように、少し微笑みつつ千勢を見ながら、藤五郎がゆっくりと口を開いた。
「忠兵衛の所を出てから、しばらくは橋の下で寝起きしてたそうなんですがね。ほとぼりを覚まそうにも、どうにも悪い予感が押さえられずにこの鈍牛の名を頼りにここに来たんだそうでさ」
薄汚れた姿で藤五郎の元を訪れた千勢は、ただ「燕ってやつは、あたしのために忠兵衛を斬ったんだ」と、藤五郎の目をしっかりと見据えてそう言ったらしい。
藤五郎は、その目に真摯な何かを感じ、それで自らの懐に引き入れることにしたのだが。
「あっしが察しただけで、そのガキはあんたのことは何一つ言わなかった」
言いながら、藤五郎は千勢ごしに秋川を睨みつける。
「で、どうします、ガキは筋を通しましたぜ、旦那」
藤五郎はそう言うと、秋川の顔をしっかりと見据えた。
秋川は「そうか、そうであるか」といっそ清々しいような声をあげて納得すると、「とはいえ、行き着く先は獄門台、ならば」とつぶやいていっそ憑き物の落ちたかのような顔で刀を正眼に構え直す。
「父ちゃん、まだ罪を重ねる気かい!」
「黙れ千勢、そこまでだ」
そう怒鳴った千勢を、秋川は一蹴する。
ここからは、いくら娘と言っても入ることの叶わぬ領分。
そして、さすがは武家の娘と言うべきか、千背はその一言ですべてを察しギリリと音が出るほどに歯を食いしばりながら、すっと後ろに下がった。
そうここからは。
にらみ合う二人の男意外、入ることの叶わぬ、場所であるのだ。
千勢の声が、狭い長屋に響く。
その一言に押入れの中で、さすがの五平も思わず声を漏らした
「な、なんだって」
その声に、藤五郎は「あの阿呆が」と小さく呟いて頭を掻き、秋川は正眼に構えた刀をゆっくりと下ろし口の端に笑みを浮かべた。
「大した手下だな藤五郎」
「面目次第もねぇ」
「で、貴様は知ってたのか?」
「まあ、なんとなくですがね」
五平の失態で緩んだ空気の中、二人は気安くそう言葉をかわす。
しかし、そんな空気を、千勢が発した鋭くもよく通る声がまたしてもキュッと引き締める。
「いい加減におしよ!!」
そう言うと千勢はその場にちょこなんと正座をし、背筋をしゃんと伸ばして秋川を見上げた。
「確かに、人さらいなんぞにかどわかされちまったのはあたいのしくじりさ。父ちゃんが、そんなあたいのために、忠兵衛の後を追って必死で探してくれたことには感謝はする。それこそ、あたいをかどわかして酷い目に合わせたうえで売り飛ばそうとした忠兵衛を始末してくれたこともありがたいさ、ありがたいんだけどね」
なんと、そういうことだったのか。と、押し入れの五平は得心が言って膝を打ったのだが、どうやらこの場でそれを知らぬのは五平ひとりであるらしいことは確かのようだ。
証拠に、誰も驚いた様子は、ない。
そして、そんな五平の心中を知る由もなく、千勢は冷ややかな声で続けた。
「とはいえ、やっていいことと悪いことがあるだろ」
そう言うと千勢はギリッという音でも聞こえそうなほど秋川を睨んだ。
「父ちゃんは、お江戸の御政道を守るお役人じゃないか、いくら血を分けた娘のためだからって、夜盗のまねごとをするなんてどういう了見だい、そんなざまで、お天道様に恥ずかしくはないのかい!」
小さな千勢の啖呵に、押し入れの中に縮こまっている五平は「うへぇ」とため息を漏らす。
秋川様のお相手は、確か常磐津の師匠で朝菊って姐さんだったはず。噂にゃ、かなり威勢のいい姐さんだとは聞いてはいたが、十やそこらの娘がこんなに育っちまうんだ、こりゃ相当に勇ましい姐さんに違いない。
一度会ってみてぇや。
と、押入れに隠れていることは先刻バレてしまってはいるものの、ばつが悪くて出ていけない五平がのんきにそんなことを考えているとはつゆ知らず、千勢の啖呵は続く。
「初めは父ちゃんの仕業とは思えなかった。変り者と噂されてはいても、十手持ちの父ちゃんが御政道に背いて押し込みを働くなんて思えなかったからね。でも、忠兵衛の野郎が燕の仁助はおめぇの親父に違いないってこぼしやがってね。それで、なんとか忠兵衛の隙をついてあたいは逃げ出した」
千勢は、ぎゅっと瞳を閉じる。
「殺されるかと思った、でも逃げなきゃいけなかった」
その裏に、忘れたい何かを押し込めてそのまま潰してしまうように。そして、フーっと長い息を吐くと再び目を見開いて秋川を睨んだ。
「父ちゃんだけは、あたいがなんとしても止めなきゃいけないから」
千勢の声は、どこまでも涼やかで伸びやかだった。それだけに、居合わせる男どもの心にすっと入ってきて、直接そこに触ってくるような不思議な力があった。これが男女の睦言ならば、ずっと聞いていたいような、そんな神がかりな魅力がそこにはあった。
が、ここで、千勢の啖呵を秋川が奪う。
「もうよい。で、そんなお前がなぜ家に戻らず藤五郎といる」
声が少し震えていた。
「父を……売ったか」
それは、いかにも恐ろしげな声だった。しかし、千勢ははーっと大げさにため息を付くと、秋川の眼力にひるむことなく言い切った。
「情けないことお言いじゃないよ。もし、もしもだよ、あたいがそのまま家に帰っちまったら、父ちゃんは今回の一件にケリをつけようって、きっと腹を切るだろう?」
そこまで言うと、千勢は立膝になって床をどんと一蹴りした
「父ちゃんは、あたいを父親殺しの畜生にしようってのかい!」
なるほど、こりゃ役者が違う。
五平は納得して感心する。
きっと自分の前ではだんまりだったのは、藤五郎の言いつけで普段はあまりしゃべるなと言われていたのだろう。親分はしゃべる女が (つまりはまあ女が)大嫌いだから、それを見て黙っていたに違いない。
しかしその本性はどうだ、ありゃ間違いない浅草の女だ。
証拠に、場の空気がしんと静まり返って、いっそ清々しいほどだ。
「このガキは、嘘はいっちゃいませんぜ」
そんな空気を裂くように、少し微笑みつつ千勢を見ながら、藤五郎がゆっくりと口を開いた。
「忠兵衛の所を出てから、しばらくは橋の下で寝起きしてたそうなんですがね。ほとぼりを覚まそうにも、どうにも悪い予感が押さえられずにこの鈍牛の名を頼りにここに来たんだそうでさ」
薄汚れた姿で藤五郎の元を訪れた千勢は、ただ「燕ってやつは、あたしのために忠兵衛を斬ったんだ」と、藤五郎の目をしっかりと見据えてそう言ったらしい。
藤五郎は、その目に真摯な何かを感じ、それで自らの懐に引き入れることにしたのだが。
「あっしが察しただけで、そのガキはあんたのことは何一つ言わなかった」
言いながら、藤五郎は千勢ごしに秋川を睨みつける。
「で、どうします、ガキは筋を通しましたぜ、旦那」
藤五郎はそう言うと、秋川の顔をしっかりと見据えた。
秋川は「そうか、そうであるか」といっそ清々しいような声をあげて納得すると、「とはいえ、行き着く先は獄門台、ならば」とつぶやいていっそ憑き物の落ちたかのような顔で刀を正眼に構え直す。
「父ちゃん、まだ罪を重ねる気かい!」
「黙れ千勢、そこまでだ」
そう怒鳴った千勢を、秋川は一蹴する。
ここからは、いくら娘と言っても入ることの叶わぬ領分。
そして、さすがは武家の娘と言うべきか、千背はその一言ですべてを察しギリリと音が出るほどに歯を食いしばりながら、すっと後ろに下がった。
そうここからは。
にらみ合う二人の男意外、入ることの叶わぬ、場所であるのだ。
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