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序章 鈍牛
七
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「すまんな、千勢」
刀を正眼に構えたまま、藤五郎から目を離さず秋川はゆっくりと漏らす。
「これは武士の落としどころなのだ。悪意はないとはいえ、ただの町人が我が娘をとらまえて策に落とし込み、公方様の御家人たる自らを愚弄したとなれば、その名にかけて『はいすいません』というわけにはいかぬのだ」
確かに、この先、どうあっても秋川の浮かぶ瀬はない。
いや、もちろん三つ葉葵の横槍を待つという手もあるのだろう。しかし、秋川の瞳にそんな色は微塵もなく、ただ、武士の本分を全うしようという男の赤い心が見えていた。
なれば、先に待つのは獄門台。その前に、恥をすすぐとなれば。
「すまんな千勢、わしは藤五郎を斬るぞ」
藤五郎を斬るというのがわかりすい始末のつけ方になる。
ただ、いかんせん、藤五郎に全くひるむ様子はない。
「あっしはぜんぜんかまいませんぜ」
「そうであろうさ、腕は立つと聞いておる。よって手加減はかなわぬゆえ、勘弁いたせ」
「へぇ」
そう言葉を交わすと、藤五郎はのっそりと十手を手に取り、そのまま少しだけ腰を浮かした。
「よいのか」
「おたくの流派じゃ、斬り込む前に断るんで?」
「ぬかせ!」
そう叫んだ次の瞬間、秋川は一足の元に藤五郎に迫まると、裂帛の勢いで刀を頭上に持ち上げた。
と、その姿にはじめに反応して動いたのは、危うくのけ者になりかかっていた押入れの五平だ。
こいつは、いけねぇ!
たとえ大人のごとく肝が座っているとはいえ、こんな場面、小娘に見せるわけにはいかない。と、五平が命がけで押し入れから飛び出してきたのだ。
「ひぃぃぃ」
情けない声を上げて、藤五郎と秋川の間に躍り出る五平。しかし、やることはきちんとやる男で、そのまま千勢の着物をつかむと一気呵成にその体を引き寄せて抱え込んだ。
目を塞ぎ、自らの背を刀の方に向けて、だ。
「感謝するぞ、五平」
秋川は、そんな五平に一言漏らすと「きえぇぇっ」という怪鳥声と共に刀を振り下ろす。
「おめえは良い手下だぜ、五平」
と同時に、藤五郎もまた同じく五平に声をかけると、秋川の運足よりもさらに早く、火皿に火種を落とした後の鉄砲玉の如く影も残さずに秋川めがけて飛び出した。
「なっ」
秋川は、そのあり得ない動きに声を上げた。
と、次の瞬間、秋川の刀は振り下ろすその途中でピタリと静止し中空に遊んだ。
「ぐぅぅぅ」
秋川がくぐもった声を漏らす。
みれば、頭の上に低く掲げた藤五郎の十手が、秋川のみぞおちあたりを深く突き刺しているではないか。
「が、かは、じ、十手で受けずに……つ、突き込むとは……」
秋川の言う通り、十手は本来、刀を受けて絡め取る道具。そこで秋川は、藤五郎の十手をそのまま押し切るべく渾身の力を込めての上段を打ち下ろしたのだ、が。
「受ける気なんざござんせんよ」
藤五郎にとっての十手は、受けの道具では、ない。
「旦那はあっしの通り名を何だと思っておいでで」
そう言うと藤五郎は、十手にめり込む秋川の身体を床にたたきつけてから、ギロリと見下ろした。
「あっしは、牛ですぜ」
「合点……いった、わ」
そう言うと秋川は、ガクリと力を失い完全に沈黙した。
「お、親分、やっちまったんで?」
「馬鹿野郎、殺しちまったんじゃ鈍牛の名が泣くぜ」
鈍牛の藤五郎。
ものを知らない町衆は、その、自ら動くことなくじっと座ったまま事件を解いてしまう手腕をほめてそういうが、実際はそれが鈍牛の由来ではない。
鈍牛の名は、その凄まじき十手術にあるのだ。
十手を頭の上に角のごとく掲げ、猛牛のごとき速さで一流の剣客の懐にさえ一気に飛び込みその角で串刺しにするその戦法の凄まじさ。くわえて、殺さずの捕縛を貫く絶妙の手加減で決して相手を殺さないその神がかりの鈍さ。
その二つをもって、藤五郎は鈍牛と二つ名されているのである。
鈍牛の角は決して敵を逃がさない、しかし、決して殺さない。
それこそが、士分たる同心ですらこの偏屈な町人でしかない藤五郎に一目置く、その理由である。
浅草の大親分たる所以である。
「お見事」
「やかましい、さっさとふん縛っちまいな」
「へい」
「さてと、で、千勢、本当にいいんだな」
と、まるで、何事もなかったかのように、藤五郎は傍らで呆然と倒れた父を見つめる千勢に問う。
それに、千勢は一度ぶるっと頭を振るって、藤五郎を見つめて答えた。
「はい、お金、いるんですよね」
「まあ、そうよな五十両でギリギリってぇ所だ」
それを聞いて、千勢はその場にしゃんと座り直すと、両手をしっかりとついてきれいに頭を下げた。
「それでは藤五郎親分、あとのことはよろしくお頼み申し上げます」
「頼まれた。八角楼の主とは懇意でな。あそこであれば間違いはなかろうさ」
この会話で、五平はそのすべてを察した。だから口を挟まない。
ただ一つ聞きたいことがあった。
「この流れ、話を書いたのは親分ですかい、それとも……」
それを聞いて、藤五郎はここ数日で初めてというくらい満面の笑みを浮かべた。
「捕物に関してはオレに決まってらぁな、ただそのあとの身売りの筋書きは」
そう言うと神妙な面持ちの千勢の頭を、藤五郎は愛し気に撫でた。
「このガキ、いや、この女の筋書きだよ」
なるほどね。
「じゃぁ、風呂屋にでも行きますか」
「風呂?」
藤五郎は突然の五平の申し出に頭をひねる。
まったく、こういうことに関しては本当に疎いお方だ。
「廓に売るんだ、商品を洗わねぇと買いたたかれますぜ」
「ああ、そうよな」
すると、そんな二人の会話に千勢が口をとがらせて文句をたれた。
「失礼なことお言いじゃないよ、磨かなくたって五十両くらいわけないさ」
そんな口ぶりに、秋川を縛り上げ始めた五平の目に、廓の内につながれた後の千勢の繁盛ぶりが浮かぶ。
「こりゃ今のうちに仲良くなっておいた方がいいですかね」
すると藤五郎が嬉しそうに答えた。
「馬鹿野郎、今日から銭をためておかねぇと無理だよ」
「ちげぇねえ」
五平の言葉に、三人がそろって笑った。
刀を正眼に構えたまま、藤五郎から目を離さず秋川はゆっくりと漏らす。
「これは武士の落としどころなのだ。悪意はないとはいえ、ただの町人が我が娘をとらまえて策に落とし込み、公方様の御家人たる自らを愚弄したとなれば、その名にかけて『はいすいません』というわけにはいかぬのだ」
確かに、この先、どうあっても秋川の浮かぶ瀬はない。
いや、もちろん三つ葉葵の横槍を待つという手もあるのだろう。しかし、秋川の瞳にそんな色は微塵もなく、ただ、武士の本分を全うしようという男の赤い心が見えていた。
なれば、先に待つのは獄門台。その前に、恥をすすぐとなれば。
「すまんな千勢、わしは藤五郎を斬るぞ」
藤五郎を斬るというのがわかりすい始末のつけ方になる。
ただ、いかんせん、藤五郎に全くひるむ様子はない。
「あっしはぜんぜんかまいませんぜ」
「そうであろうさ、腕は立つと聞いておる。よって手加減はかなわぬゆえ、勘弁いたせ」
「へぇ」
そう言葉を交わすと、藤五郎はのっそりと十手を手に取り、そのまま少しだけ腰を浮かした。
「よいのか」
「おたくの流派じゃ、斬り込む前に断るんで?」
「ぬかせ!」
そう叫んだ次の瞬間、秋川は一足の元に藤五郎に迫まると、裂帛の勢いで刀を頭上に持ち上げた。
と、その姿にはじめに反応して動いたのは、危うくのけ者になりかかっていた押入れの五平だ。
こいつは、いけねぇ!
たとえ大人のごとく肝が座っているとはいえ、こんな場面、小娘に見せるわけにはいかない。と、五平が命がけで押し入れから飛び出してきたのだ。
「ひぃぃぃ」
情けない声を上げて、藤五郎と秋川の間に躍り出る五平。しかし、やることはきちんとやる男で、そのまま千勢の着物をつかむと一気呵成にその体を引き寄せて抱え込んだ。
目を塞ぎ、自らの背を刀の方に向けて、だ。
「感謝するぞ、五平」
秋川は、そんな五平に一言漏らすと「きえぇぇっ」という怪鳥声と共に刀を振り下ろす。
「おめえは良い手下だぜ、五平」
と同時に、藤五郎もまた同じく五平に声をかけると、秋川の運足よりもさらに早く、火皿に火種を落とした後の鉄砲玉の如く影も残さずに秋川めがけて飛び出した。
「なっ」
秋川は、そのあり得ない動きに声を上げた。
と、次の瞬間、秋川の刀は振り下ろすその途中でピタリと静止し中空に遊んだ。
「ぐぅぅぅ」
秋川がくぐもった声を漏らす。
みれば、頭の上に低く掲げた藤五郎の十手が、秋川のみぞおちあたりを深く突き刺しているではないか。
「が、かは、じ、十手で受けずに……つ、突き込むとは……」
秋川の言う通り、十手は本来、刀を受けて絡め取る道具。そこで秋川は、藤五郎の十手をそのまま押し切るべく渾身の力を込めての上段を打ち下ろしたのだ、が。
「受ける気なんざござんせんよ」
藤五郎にとっての十手は、受けの道具では、ない。
「旦那はあっしの通り名を何だと思っておいでで」
そう言うと藤五郎は、十手にめり込む秋川の身体を床にたたきつけてから、ギロリと見下ろした。
「あっしは、牛ですぜ」
「合点……いった、わ」
そう言うと秋川は、ガクリと力を失い完全に沈黙した。
「お、親分、やっちまったんで?」
「馬鹿野郎、殺しちまったんじゃ鈍牛の名が泣くぜ」
鈍牛の藤五郎。
ものを知らない町衆は、その、自ら動くことなくじっと座ったまま事件を解いてしまう手腕をほめてそういうが、実際はそれが鈍牛の由来ではない。
鈍牛の名は、その凄まじき十手術にあるのだ。
十手を頭の上に角のごとく掲げ、猛牛のごとき速さで一流の剣客の懐にさえ一気に飛び込みその角で串刺しにするその戦法の凄まじさ。くわえて、殺さずの捕縛を貫く絶妙の手加減で決して相手を殺さないその神がかりの鈍さ。
その二つをもって、藤五郎は鈍牛と二つ名されているのである。
鈍牛の角は決して敵を逃がさない、しかし、決して殺さない。
それこそが、士分たる同心ですらこの偏屈な町人でしかない藤五郎に一目置く、その理由である。
浅草の大親分たる所以である。
「お見事」
「やかましい、さっさとふん縛っちまいな」
「へい」
「さてと、で、千勢、本当にいいんだな」
と、まるで、何事もなかったかのように、藤五郎は傍らで呆然と倒れた父を見つめる千勢に問う。
それに、千勢は一度ぶるっと頭を振るって、藤五郎を見つめて答えた。
「はい、お金、いるんですよね」
「まあ、そうよな五十両でギリギリってぇ所だ」
それを聞いて、千勢はその場にしゃんと座り直すと、両手をしっかりとついてきれいに頭を下げた。
「それでは藤五郎親分、あとのことはよろしくお頼み申し上げます」
「頼まれた。八角楼の主とは懇意でな。あそこであれば間違いはなかろうさ」
この会話で、五平はそのすべてを察した。だから口を挟まない。
ただ一つ聞きたいことがあった。
「この流れ、話を書いたのは親分ですかい、それとも……」
それを聞いて、藤五郎はここ数日で初めてというくらい満面の笑みを浮かべた。
「捕物に関してはオレに決まってらぁな、ただそのあとの身売りの筋書きは」
そう言うと神妙な面持ちの千勢の頭を、藤五郎は愛し気に撫でた。
「このガキ、いや、この女の筋書きだよ」
なるほどね。
「じゃぁ、風呂屋にでも行きますか」
「風呂?」
藤五郎は突然の五平の申し出に頭をひねる。
まったく、こういうことに関しては本当に疎いお方だ。
「廓に売るんだ、商品を洗わねぇと買いたたかれますぜ」
「ああ、そうよな」
すると、そんな二人の会話に千勢が口をとがらせて文句をたれた。
「失礼なことお言いじゃないよ、磨かなくたって五十両くらいわけないさ」
そんな口ぶりに、秋川を縛り上げ始めた五平の目に、廓の内につながれた後の千勢の繁盛ぶりが浮かぶ。
「こりゃ今のうちに仲良くなっておいた方がいいですかね」
すると藤五郎が嬉しそうに答えた。
「馬鹿野郎、今日から銭をためておかねぇと無理だよ」
「ちげぇねえ」
五平の言葉に、三人がそろって笑った。
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