君に打つ楔

ツヅミツヅ

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8、流星群

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 食事を摂った二人は、再び車に乗り込んで高速を走り出した。
 色々と話をしながら車を走らせて、夜も更けた頃、高速を降りた。
「ここからまた少しあるんだよね。美優ちゃん山道大丈夫? 酔わない?」
「大丈夫だと思う。学校の遠足のバスも酔った事ないから」
 こんな風に車に長い時間乗っていた事は少ないので未知数だが、修学旅行の時に乗ったフェリーで初めてフワフワした感じの船酔いを経験しただけで、自分が乗り物に極端に弱いという印象はない。
「そっか。極力振らない様にゆっくり走るけど、酔いそうになったら早めに言って? 休憩入れるから」
「うん、わかった。ありがとう」
 市街地を走っていた車はどんどん山の方へ入っていく。
 そして曲がりくねる山道を壱弥は苦も無くハンドルを切って車を走らせる。
「ホントに山の方なんだね。辺り真っ暗」
「うん、でももう少しで着くよ」
 しばらく山道を走った車は山の中腹にある、小さなパーキングに入っていく。
「ここが湖と星が見渡せる、絶景スポット」
 駐車して車を降りると、目の前には湖が広がっていた。
「わぁ! 綺麗!」
 月明りが水面を照り出して、湖面がゆらゆらと揺れているのがわかる。
 キラキラと鏡面の様に月明りを反射させ美しい光景が広がっている。
「うん、綺麗だよね」
 美優の隣に並んだ壱弥はさり気なく美優の手を握って繋ぐ。
 そして美優に微笑みかけて、空いた右手で空を指さした。
「うえ。見てごらん?」
 それに従って空を見上げたら、零れそうな満天の星が空を覆っている。
「わあぁ……!」
「……これで一個は叶えてあげられたかな。満天の星空」
「うんっ! 凄く綺麗だよ! ずっと見たかったの……」
 しばらく二人黙って空を見上げていた。
 静寂の合間に山からの生き物の息吹が小さく音を立てるけれど、それすらも景色の一部だ。
 繋がれた指に力が入っている事にも気が付かず、美優はずっとその景色に見惚れていた。
 家にあった壱弥と見たその図鑑は、美優が小学校を卒業したのと同時に地域の児童館に寄付してしまった。
 なので、細かく書かれていた事は忘れてしまったけれど、世界にはこんな星空がただ優しく存在してるのだという事に胸がときめいた。
 今その星空を見ているのだと思うと感動もひとしおだった。
「……、美優ちゃん? そろそろ冷えるから車に入ろ?」
 壱弥のその声にハッとして、声のした左側を見てみると、優しい微笑みを浮かべて壱弥が自分を見つめていた。
 そして自分が壱弥の手をぎゅっと握っていた事に気が付いた。
「あ、ごめんなさいっ! 強く握っちゃって……」
「ううん。こんなに喜んで貰えてホントに嬉しい」
 せっかく美優が手を緩めたのに、次は壱弥がぎゅっと美優の手を握った。
「さ、入ろっか」
「うん」
 二人はトランクから簡易の羽毛のブランケットを二つ取り出してから車に乗り込んでバックレストを倒して寝転ぶ様な形になった。
 そしてブランケットを被ってサンブラインドを開いて星空を見上げる。
「なんかね、流れ星、結構色んな方向から出て来るらしいからあんまり方角関係ないんだって」
「そうなんだ。こうやって見てたら見える?」
「うん、見えるよ。前はいっぱい流れて来た」
「そうなんだ……。あ! 今あった!」
「うん、来たね」
 間をおいて、流れ星は不規則にその尾を引いた。
「わぁ……。こんなにいっぱい流れて来るんだ……。凄い……」
「うん、そうだね」
 満天の星空をずっと眺めていたら星々はどこかに急ぐ様に自分の視界をかすめていく。
 その様を見てると生き急いだ様にこの世を去った両親を思い出してしまった。
「……流れ星早すぎて、願い事、聞いて貰えそうにないね……」
 美優はぽそりと無意識に呟いていた。
 星空を見ていると何か心が洗われて、クリアな自分になるのがわかった。
 そしてそれは自分の弱った心を詳らかにした。
 自分の願いはただ一つだ。
 両親が帰って来てくれる事。
 お母さんは笑いながら孫が見たいと言ってた。
 お父さんは自分のお眼鏡に適った男しか認めないと息巻いていた。
 それを相手もいないし成人もしてないのに気が早いなと呆れて見ていた。
 そんな思い出がありありと頭の中で駆け巡った。
 その願いは流れ星でも叶えられない事を知っているから、美優は何かを願う気にはなれなかった。
 ただただ、走り急ぐ様な流れ星達を静かに見送った。
 それを眺めていたら、ふと右の目尻に何かが触れる。
「泣いてる」
 その言葉に反射的に右側を見ると、壱弥が真剣な顔つきで美優を見ていた。
 そして美優の右目の涙を指先で拭う。
「あ、ごめん! 違うの、これは……」
「……うん」
 その壱弥のあまりにも真剣な眼差しに、美優はそれ以上何も言えなくなった。
 そんな美優の右手をぎゅっと握って壱弥は再び黙って空を見上げた。
 美優もそれに倣ってまた空を眺める。

 少しだけ冷えていた指先が暖かく包まれて、弱った心にその暖かさが染み入って来るのを感じた。

 二人は長い時間、そうして手を繋いで星空を眺めていた。
 握られていた手にきゅっと力が篭められて、壱弥が沈黙を静かな落とす様な声で破った。
「……そろそろ行こうか」
 その声に壱弥の方を見ると、壱弥はいつもの様に優しく微笑んでいた。
「……うん」
「……ねえ、美優ちゃん?」
「なあに?」
「俺はずっと美優ちゃんの傍にいるから」
「……うん……」
 今は素直にその言葉が嬉しかった。
 一人大海に小さな舟で突然放り出された様な気持ちでいた美優にとって、その言葉は心強かった。
 例え付き合わないとしても、こんな風に思ってくれた人がいたというだけで、きっと強く生きていけるだろう。
 そう思っていると、ポンと壱弥の手の平が頭に乗った。
 そしてよしよしと撫でられると、その手は離れた。
 壱弥の方を見ると、優しい笑顔を向けてくれている。
「バックレスト、戻し方わかる?」
「うん、わかると思う」
 エンジンをかけてバックレストを元の位置に戻して、暖房が効いてきた頃ダウンブランケットを袋に仕舞う。
 それを後部座席に置いて、車は帰路に就く為走り出す。
 ハンドルを握りながら壱弥は言った。
「高速の最初のサービスエリアの駐車場広いから、そこで停まってちょっと寝させてくれる?」
「うん、もちろん。私も眠くなっちゃったから、その方が助かるよ」
「じゃあ、悪いけどそうさせてもらうね」
「うん」
 宣言通り最初のサービスエリアに入る。
 広いパーキングに白い車を停めて後部座席のダウンブランケットを再び取り出して二人はそれを被ってバックレストをまた倒した。
「おやすみ、美優ちゃん」
「おやすみなさい」
 外の音が少し聞こえてくる。それでももう明け方になろうかという時間近くだったので、美優はすぐに眠ってしまった。
 すやすやと小さく美優の寝息が聞こえて来た頃、壱弥はそっと寝返りを打って美優の方を見た。
 片腕に頭を乗せて横を向く。
 そして美優の寝顔をじっと見つめる。
「……可愛いな……」
 小さく小さく呟いた。
 そっと美優の頬に手の甲で触れ、
「……美優ちゃん、早く俺に決めてよ……」
 また小さく、美優の遠い遠い意識に囁きかけた。

 壱弥はそのままずっと、美優を見つめる。
 次第に空は白み始め、やがて朝焼けのピンク色に染まっても壱弥はずっと美優を見つめていた。
 朝日が地平線から登って来て、車内にもその朝日が差し込んできて眩しさに美優は目が覚める。
「……ん……」
「おはよう、美優ちゃん」
 その声に反応して右側を向くと壱弥が自分を見つめて微笑んでいた。
 美優は慌てて目を擦る。
「お、おはよう」
「どうする? 顔洗いに行く?」
「うん、行く」
「タオルトランクに積んであるよ?」
「大丈夫だよ。持ってきてるから」
「そっか。じゃ、行こ」
 歯ブラシとタオルを持ってトイレに行って、洗面所で手短に顔を洗い、歯磨きをした。
 トイレを出ると壱弥が既に待っていた。
「車で待っててくれてよかったのに。寒いでしょ? ごめんね」
「美優ちゃんは可愛いから、誰かにナンパされちゃうかもしれないし。ちゃんとついてないと心配でしょ?」
 壱弥はにっこりと笑って美優の空いた手を繋いだ。
「そんな事ないよ。ナンパなんてされた事ないし」
「ホントに? こんなに可愛いのに?」
「うん、彼氏も中学の時に一回だけ出来た事があったけどすぐに別れちゃったし」
「美優ちゃん、彼氏いた事あるんだね」
「うん。壱弥君は?」
「俺は女の子と付き合った事はないよ?」
「え、ホントに?」
「うん、ホント。さ、車着いた」
 トランクを開けて不要な荷物を鞄の中に仕舞って、また車に乗り込む。
「さて、じゃあ、帰ろうか。出発していい?」
「うん、大丈夫」
 美優がそう返事をすると壱弥はギアをパーキングからドライブに入れて、サイドブレーキを戻した。
 車は動き出してパーキングを出て、高速に乗る。
 二人の間には沈黙が降る。
 車内にはサックスの音色が響いていた。
 しばらく走って、美優がその沈黙を破った。
「……ねえ、壱弥君?」
「ん? なあに?」
「……連れて来てくれて本当にありがとう。凄く嬉しかった」
「うん」
「あのね、私、何かお礼出来ないかな? 何か私に出来る事ない?」
「……じゃあ、またお願い一個聞いてくれる?」
 車は高速の長い直進をひた走る。
 美優は壱弥の横顔を見つめて言った。
「うん、私に出来る事なら何でも言って欲しい」
「実はさ、20日俺の誕生日なんだよね」
「え、そうなの?!」
「うん。だからさ、一緒にいたいな、美優ちゃんと。ダメ?」
「ううん、20日はバイト無いから学校終わったら会えるよ」
「平日だから言おうか迷ったんだけど……」
「ううん。私でよかったらお祝いさせて欲しいよ」
「ホント? やった」
 壱弥の横顔に喜色が浮かぶ。
 美優は少し考える。
「あのね? もしよかったら、私のお家でパーティする?」
「……いいの?」
「うん。いつもご馳走になったりしてるし……」
「どうしよう俺、今、超浮かれてる。事故りそう」
「え?!」
 焦った美優に壱弥は可笑しそうに笑った。
「冗談だよ」
「あのね? でも、そんな大した事出来ないと思うけど……。それでもいいのなら」
「ううん、美優ちゃんが一緒にいてくれるだけでも充分なのに、お祝いまでしてくれるなんてご褒美が過ぎる」
 壱弥の大げさな喜び様に美優も何か可笑しくなって笑う。
「大げさだなぁ、壱弥君は」
「いや、ホント半端なく嬉しいよ? 俺」

 その後壱弥は本当にご機嫌らしくサックスに合わせて鼻歌を歌いながらハンドルを握る。
 そんな壱弥の横顔を美優は微笑ましく見守った。
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