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冷えた残り香
夜の静寂が降り積もる夜だった。
学園の卒業を祝うプロムナード。煌びやかなシャンデリアが放つ光は、今のオードリーにとっては、ただ網膜を刺すだけの鋭い礫に等しかった。
人混みを避け、冷たい石造りの回廊を一人で歩く。
冬の終わりの湿った風が、オードリーの茶色の髪を乱暴に撫でて通り過ぎていった。
「……あ、……」
石柱の影に、見慣れた金色の髪を見つけて、足が止まる。
ヘーゼルアイの瞳を細め、甘く微笑んでいるのは、オードリーが人生で初めて好きになった人。伯爵家の嫡男、レオナード・ヨークだ。
彼の腕の中には、今夜のパートナーではない、華やかなドレスを纏った令嬢がいた。
「レオナード様……そんな、あの方に申し訳ないですわ」
令嬢が、上目遣いにレオナードを覗き込む。その「あの方」が、今この柱の陰に隠れている自分を指しているのだと、オードリーは痛いほど理解していた。
レオナードは、令嬢の頬を軽く指先で撫で、事もなげに言った。
「君は、可愛いね。彼女のことは気にしなくても大丈夫だよ。僕に何も言わない。文句一つ言わない、大人しい女性なんだから」
その声は、驚くほど澄んでいた。
冷たく突き放すわけでもなく、ただ、今日食べた昼食の感想を述べるような、あまりにも「軽い」物言い。
彼にとって、オードリーという存在は、その程度の重みしかないのだ。
石柱に背を預け、オードリーはそっと目を閉じた。
心臓が、冷たい泥の中に沈んでいくような感覚。
(ああ、やっぱり……そうなのね、レオナード様)
二年生の春、記念受験のつもりで告白したあの日。
「僕でいいの? いいよ、付き合おうか」と、彼はやはり軽い調子で頷いた。
奇跡が起きたのだと信じたかった。けれど現実は、ただ彼にとって「扱いやすいカード」が増えただけに過ぎなかったのだ。
茶色の髪に、茶色の大きな目。華やかさとは無縁の自分を、彼は「文句を言わない便利な女」として側に置いている。
やがて、二人の衣擦れの音と忍び笑いが遠ざかっていく。
オードリーは目を開け、新月近い細い月を見上げた。雪雲に覆われた空は暗く、光はどこにも届かない。
(いつか、捨てられる。もともと、釣り合っていないもの)
自分に自信など、最初からなかった。
実家のジャッカス家は、ワインの貿易で王室をも支える裕福な商家だ。父は陛下の学園時代の友人であり、家格以上に力を持っている。
けれど、そんな背景も、レオナードにとっては「自分を甘やかしてくれる便利な財布」の一部に過ぎないのかもしれない。
夜会会場へ戻る気力は、もう残っていなかった。
近くにいた給仕を呼び止め、レオナード様へ「気分が優れないので先に失礼する」との言伝を託す。彼がその言葉をどれほど真剣に受け止めるか、あるいは聞き流すかは、今のオードリーにはどうでもよかった。
一人、夜の闇に沈む車寄せで子爵家の馬車を呼び、揺られるままに屋敷へと戻る。車窓に映る自分の顔は、月の光に照らされて、驚くほど青白く透けていた。
屋敷に帰り、寝間着に着替えても、心の震えは止まらない。
裸足のまま床に足を着ければ、その冷たさにいっぺんで眠気が覚めた。ぱたぱたと窓辺に駆け、窓を開ける。しんしんと降り積もる雪の匂いがした。
「……もう、いいわ」
それは、自分自身にかけた呪いであり、同時に救いでもあった。
期待するから、傷つくのだ。彼の一番になろうとするから、苦しいのだ。どうせ、いつかは終わる関係。ならば、その「終わりの日」を、私は笑って迎えられるように準備をしよう。
翌朝。オードリーは、まだ暗いうちに寝台を抜け出した。
丁寧に身支度を整え、鏡の中の自分を見つめる。昨日までの、縋るような瞳はもういない。
彼女はまっすぐ、父マイケルの執務室へと向かった。
扉を叩く音は、かつてないほど高く、鋭く響いた。
「お父様。……ジャッカス商会の仕事を、私に教えてください。隣国との貿易、そのすべてを、学びたいのです」
驚いて顔を上げた父の瞳に、オードリーは静かな微笑みを返した。
冷え切った夜は、ようやく明けようとしていた。
レオナードの知らないところで、彼女の物語は、別の色に染まり始めていた。
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学園の卒業を祝うプロムナード。煌びやかなシャンデリアが放つ光は、今のオードリーにとっては、ただ網膜を刺すだけの鋭い礫に等しかった。
人混みを避け、冷たい石造りの回廊を一人で歩く。
冬の終わりの湿った風が、オードリーの茶色の髪を乱暴に撫でて通り過ぎていった。
「……あ、……」
石柱の影に、見慣れた金色の髪を見つけて、足が止まる。
ヘーゼルアイの瞳を細め、甘く微笑んでいるのは、オードリーが人生で初めて好きになった人。伯爵家の嫡男、レオナード・ヨークだ。
彼の腕の中には、今夜のパートナーではない、華やかなドレスを纏った令嬢がいた。
「レオナード様……そんな、あの方に申し訳ないですわ」
令嬢が、上目遣いにレオナードを覗き込む。その「あの方」が、今この柱の陰に隠れている自分を指しているのだと、オードリーは痛いほど理解していた。
レオナードは、令嬢の頬を軽く指先で撫で、事もなげに言った。
「君は、可愛いね。彼女のことは気にしなくても大丈夫だよ。僕に何も言わない。文句一つ言わない、大人しい女性なんだから」
その声は、驚くほど澄んでいた。
冷たく突き放すわけでもなく、ただ、今日食べた昼食の感想を述べるような、あまりにも「軽い」物言い。
彼にとって、オードリーという存在は、その程度の重みしかないのだ。
石柱に背を預け、オードリーはそっと目を閉じた。
心臓が、冷たい泥の中に沈んでいくような感覚。
(ああ、やっぱり……そうなのね、レオナード様)
二年生の春、記念受験のつもりで告白したあの日。
「僕でいいの? いいよ、付き合おうか」と、彼はやはり軽い調子で頷いた。
奇跡が起きたのだと信じたかった。けれど現実は、ただ彼にとって「扱いやすいカード」が増えただけに過ぎなかったのだ。
茶色の髪に、茶色の大きな目。華やかさとは無縁の自分を、彼は「文句を言わない便利な女」として側に置いている。
やがて、二人の衣擦れの音と忍び笑いが遠ざかっていく。
オードリーは目を開け、新月近い細い月を見上げた。雪雲に覆われた空は暗く、光はどこにも届かない。
(いつか、捨てられる。もともと、釣り合っていないもの)
自分に自信など、最初からなかった。
実家のジャッカス家は、ワインの貿易で王室をも支える裕福な商家だ。父は陛下の学園時代の友人であり、家格以上に力を持っている。
けれど、そんな背景も、レオナードにとっては「自分を甘やかしてくれる便利な財布」の一部に過ぎないのかもしれない。
夜会会場へ戻る気力は、もう残っていなかった。
近くにいた給仕を呼び止め、レオナード様へ「気分が優れないので先に失礼する」との言伝を託す。彼がその言葉をどれほど真剣に受け止めるか、あるいは聞き流すかは、今のオードリーにはどうでもよかった。
一人、夜の闇に沈む車寄せで子爵家の馬車を呼び、揺られるままに屋敷へと戻る。車窓に映る自分の顔は、月の光に照らされて、驚くほど青白く透けていた。
屋敷に帰り、寝間着に着替えても、心の震えは止まらない。
裸足のまま床に足を着ければ、その冷たさにいっぺんで眠気が覚めた。ぱたぱたと窓辺に駆け、窓を開ける。しんしんと降り積もる雪の匂いがした。
「……もう、いいわ」
それは、自分自身にかけた呪いであり、同時に救いでもあった。
期待するから、傷つくのだ。彼の一番になろうとするから、苦しいのだ。どうせ、いつかは終わる関係。ならば、その「終わりの日」を、私は笑って迎えられるように準備をしよう。
翌朝。オードリーは、まだ暗いうちに寝台を抜け出した。
丁寧に身支度を整え、鏡の中の自分を見つめる。昨日までの、縋るような瞳はもういない。
彼女はまっすぐ、父マイケルの執務室へと向かった。
扉を叩く音は、かつてないほど高く、鋭く響いた。
「お父様。……ジャッカス商会の仕事を、私に教えてください。隣国との貿易、そのすべてを、学びたいのです」
驚いて顔を上げた父の瞳に、オードリーは静かな微笑みを返した。
冷え切った夜は、ようやく明けようとしていた。
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