「君は強いから一人で大丈夫だ」と『二度』私を捨てた貴方。ええ、私は強いので貴方はいらない。

恋せよ恋

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再婚約の申し込みと、一年の猶予期間

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 その日は、朝から重苦しい雲が空を覆い、午後には激しい雨がエール伯爵邸の石畳を叩きつけていた。
 窓の外を見つめる私の横顔を、兄のトーマスが心配そうに覗き込む。
「ロクサーヌ、無理に会う必要はないんだぞ。あんな恥知らず、門前払いにしても誰も文句は言わん」

 お兄様の言葉には、一年経っても消えない怒りが滲んでいた。
 兄は学園を卒業し、今は父の傍で領地経営を学んでいる。ウィリアム様がコリンヌに溺れ、挙句にオリバー伯爵令息に奪われて寝取られて流産までさせたという醜態を、お兄様は冷ややかな蔑みと共に私に教えてくれた。

「いいえ、お兄様。私は、ウィリアム様の口から直接、今の心境を聞きたいのです」
 私は静かに立ち上がり、応接室へと向かった。扉を開けた瞬間、部屋の中に漂う湿った土の匂いと、あまりにも無様な光景に息を呑んだ。

 そこにいたのは、かつての輝かしい侯爵家嫡男の面影を失った、一人の惨めな青年だった。
 ウィリアム様は雨に濡れたまま、執事が差し出したタオルも使わず、床に膝をついていた。高価だったはずの外套は泥に汚れ、手入れの行き届いていた金髪は額に張り付いている。

「……ロクサーヌ」
 絞り出すような声。かつて「真実の愛を見つけた」と高らかに宣言した時の尊大さは、微塵も残っていない。

「どの面を下げてここへ来た。我が家を、妹を侮辱した罪は、消えていないぞ!」
 兄の怒鳴り声が響く。だが、十八歳になったウィリアム様は兄を恐れることさえ忘れたかのように、ただ十五歳の私を見上げていた。その瞳には、救いを求めるような、卑屈な光が宿っている。

「……間違っていたんだ。僕は、どうかしていた。あんな女の言葉を信じて、君というかけがえのない宝物を投げ出すなんて。ロクサーヌ、君しかいないんだ。僕を救ってくれるのは、君だけなんだ!」
 泣きつく。まさに、その言葉通りだった。

 かつての私なら、この姿を見て胸を痛めたかもしれない。だが、今の私に去来したのは、驚くほど冷めた感情と、わずかな「情」だった。
「僕を救ってくれるのは君だけ、ですか? ……ウィリアム様。貴方はコリンヌ様に捨てられ、お義父様に廃嫡を突きつけられ、居場所がなくなったから、私の元へ戻ってきた。それだけのことでしょう?」

「違う! 違うんだ! 君と離れて、初めて君の優しさが、気高さがわかったんだ……!」
 ウィリアム様は私のドレスの裾を掴もうとした。私はそれを避けず、ただじっと見つめた。
 初恋の相手が、これほどまでに無様に崩れる姿。その弱った姿は、私の心の奥底にある「守ってあげたい」という、少女特有の危うい同情心を突き動かした。

 その時、部屋の隅で沈黙を守っていたもう一人の人物が、重い口を開いた。
 シャルボア侯爵、ジェームズ閣下だ。彼は、自分の息子を汚物でも見るような目で見つめた後、私に向かって深く、深く頭を下げた。
「……ロクサーヌ嬢。いや、エール伯爵令嬢。この馬鹿息子の醜態、万死に値する。本来ならば、二度と君の前に顔を出せる立場ではないことも、重々承知している」

「侯爵閣下、お顔を上げてください」
「いや、言わせてくれ。……シャルボア侯爵家は、今、瀬戸際にある。この愚息が撒き散らした醜聞のせいで、王家からの信頼は失墜し、領地経営にも支障が出ている。だが、君なら……君となら。君の支えと、エール伯爵家の後ろ盾があれば、シャルボアは再び立ち上がれる。どうか……どうかもう一度だけ、この愚かな男にチャンスを与えてはくれないだろうか」
 ジェームズ閣下の声は、震えていた。それは親としての情ではなく、侯爵家当主としての悲痛な叫びだった。

 お兄様が私の肩を強く掴んだ。「断れ、ロクサーヌ。こんな泥舟、乗る必要はない」と。両親も、不愉快そうに眉をひそめている。
 沈黙の中、雨音だけが激しく響く。

 私はウィリアム様の、震える肩を見た。
 このまま断ることは簡単だ。そうすれば、彼は廃嫡され、野に下り、惨めな人生を終えるだろう。それが当然の報いだ。

 ……けれど。
「ウィリアム様。お顔を上げてください」
 私は静かに告げた。
「今すぐ貴方を許し、再婚約を受け入れることはできません。貴方がおっしゃる『君しかいない』という言葉が、本当の愛なのか、それとも行き場を失った恐怖から出たものなのか、私には判断がつきませんから」

 ウィリアム様の顔に、絶望が広がる。しかし、私は続けた。
「ですから、一年間の猶予をいただきます。これから一年、私と交流を持っていただきます。その間、貴方は侯爵閣下の下で、心を入れ替えて領地経営を学んでください。私は、学園に入学し、一人の淑女として外の世界を見ます」
「ロクサーヌ……!」

「その一年の後、貴方が変わったと私が確信できれば、その時こそ正式なお返事をいたします。それまでは、婚約者候補の一人でしかありませんわ」
「ああ……! ありがとう、ロクサーヌ! 必ず、必ず君に相応しい男になってみせる!」
 ウィリアム様は子供のように声を上げて泣き、ジェームズ閣下は安堵の溜息を漏らした。

 一方で、私の家族は渋い顔だ。兄トーマスは吐き捨てるように言った。
「甘すぎるぞ、ロクサーヌ。こいつの本質は変わらん」

「わかっています、お兄様。でも、私は自分の初恋を、ただの『間違い』で終わらせたくないのです。もし彼がまた私を裏切るなら、その時は今度こそ、私の手で引導を渡しますわ」
 それは、純粋な少女の同情と、未来を見据えた女の計算が入り混じった決断だった。


 それからの一年。
 ウィリアム様は、宣言通りシャルボア領へと赴き、泥にまみれて領地経営の実務を学び始めた。月一回届く彼からの手紙には、かつての飾った言葉ではなく、不慣れな仕事に苦労する日々と、私への変わらぬ謝罪が綴られていた。

 私は私で、憧れの学園生活をスタートさせた。
 そこには、ウィリアム様という狭い世界だけでは見えなかった、輝かしい社交の場が広がっていた。そして何より、十歳のお茶会以来の親友、イザベラ公爵令嬢との交流が私を支えてくれた。

「あら、ロクサーヌ。あの『クズ』と まだ縁を切っていないの? 貴女ほどの淑女が、もったいないこと」
 イザベルはいつものように辛辣だったが、私の決断を否定はしなかった。

 交流を続けて半年、一年。
 ウィリアム様は休暇のたびに私を訪ね、その度に少しずつ、青年の幼さが消え、責任を知る男の顔立ちへと変わっていった。
 そのひたむきな姿に、私は「今度こそ大丈夫かもしれない」という希望を抱き始めていた。

 そして、一年後の春。
 私は彼からの二度目のプロポーズを受け入れた。十六歳の私と、十八歳のウィリアム様。あの雨の夜の誓いから一年。私たちは、再び婚約者という関係に戻った。

 ……この時の私は、信じていたのだ。
 人は変われる。愛は、一度壊れても再生すると。この再婚約が、幸せへの階段であると。
__________

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📢新連載✨【その口付けに、愛はありましたか?】
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