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婚約破棄、喜んで承ります
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静まり返った夜会会場。どす黒い泥のように変色した白粉を顔に滴らせ、アリスが床にへたり込んでいた。
王子エドワードは、自らが選んだ「真実の恋」の無残な姿に、言葉を失って立ち尽くしている。その視線が、対照的に神々しいまでの輝きを放つ私へと向けられた。
「ルクレツィア……。どういうことだ、これは。君が、彼女に何か細工をしたのか?」
その声には、まだ私を悪役令嬢として断罪したいという、卑怯な期待が混じっていた。
私はゆっくりと扇子を閉じ、冷ややかな視線を王子へ投げかける。
「細工、ですか。心外ですわ、殿下。私はただ、自身の研究に基づいた『正しい手入れ』をしてきただけ。彼女のその無様な姿は、貴方が信じ、彼女に与えた『低品質な粗悪品』が招いた自業自得の結果ですわ。
化学反応に、私の悪意を挟む余地などございませんもの」
「な……! 低品質だと? リード商会が用意した伝説の逸品だぞ!」
「伝説、ねえ……」
私は、震えながら後退りしようとするオーウェン・リードを逃さず、指先で示した。
「オーウェンさん。貴方が『月光石』と称して配合した粉末。あれは単なる『酸化鉛』と、魔力に反応して発熱する『黄鉄鉱』の混じった不純物です。……私の鑑定によれば、あれは肌を白く見せるためのものではなく、肌を腐食させる毒そのもの。この会場の高濃度な魔力に当てられれば、酸化して黒変するのは必然ですわ」
「そ、そんな……。私は、ただ、最高級のものをと……」
オーウェンの弁明を、私は一喝して遮った。
「黙りなさい! 美しさを商いにする者が、成分の安全性すら把握していないなど、職務怠慢にも程があるわ。貴方がドレスの供給を止めたおかげで、私は自力でこの『偏光魔導ドレス』を開発できました。おかげさまで、貴方の商会の技術がいかに旧時代的で、粗末なものであるかを証明する手間が省けましたわ」
周囲の貴族たちが、一斉にオーウェンから距離を取る。商人の命である信用が、この瞬間に粉々に砕け散った。
「さて、本題に入りましょうか。エドワード殿下」
私はドレスの裾を優雅に払い、王子の正面に立った。
「先ほど、私を『汚らわしい』とおっしゃいましたわね。ええ、聞こえておりましたわ。あの日、冤罪を信じ、私の肌を傷つけたカイル様を制止もせず、冷笑した貴方の言葉。……今の私にふさわしい言葉は、そちらの男爵令嬢にこそ似合いですわ」
「ルクレツィア、言い過ぎだ! 僕は、ただ……」
「殿下。貴方は『真実を見抜く鑑定眼がない』と申し上げたはずです。……婚約破棄、謹んでお受けいたしますわ。いえ、私の方から願い下げさせていただきます」
私は、あらかじめ用意していた封筒を、王子の足元へ放り投げた。
「これは……?」
「婚約解消の合意書、および、エルヴァイン公爵家が王家に貸し付けている、過去三代にわたる軍事費の即時返済要求書ですわ」
王子の顔が、今度は青を通り越して真っ白になった。
王家は代々、軍備のためにエルヴァイン公爵家の莫大な資金をあてにしてきた。婚約は、その借金を未来の身内として棚上げするための隠れ蓑でもあったのだ。
「そんな……! 婚約を解消すれば、公爵家としても困るはずだ!」
「困りませんわ。私は本日、王立魔道院および騎士団と、新たな物資供給の独占契約を締結いたしました。リード商会の穴を埋めるのは、私の開発する製品です。公爵家の財政は、今後私が支えます。……もう、貴方たちに頼る必要など、どこにもないのです」
王子の背後に控えていたユーリとギルバートが、驚愕で目を見開く。自分たちが「悪役令嬢」と見なしていた少女が、いつの間にか王国の経済基盤の一端を握りつぶしていたのだ。
「そんな馬鹿な……! 義姉上、いつの間にそんな真似を!」
ユーリが叫ぶ。私は彼を一瞥し、鼻で笑った。
「ユーリ、貴方はアリス嬢の涙に忙しくて、公爵家の帳簿すら見ていなかったのでしょう? 離れの納屋で私が何をしていたか……『泥遊び』だと言って笑っていたのは貴方たちよ」
私は冷徹な視線を会場全体へ向けた。
「本日、この時をもって、私ルクレツィア・エルヴァインは自由の身となります。……エドワード殿下。泥を塗られた伝説を抱いて、せいぜい惨めに愛を育んでくださいな。もっとも、そのお顔の黒ずみ……私の開発した『特殊クレンジング』なしには、一生落ちないでしょうけれど」
アリスが「えっ……」と絶望の声を上げる。
「あ、待って……! ルクレツィア様! 助けて……顔が、顔が熱いの!」
縋り付こうとするアリスの手を、私は扇子でぴしゃりと撥ね除けた。
「お生憎様。私、自分を貶めた人間に分ける慈悲は、一滴も持ち合わせておりませんの」
私は背筋を伸ばし、一度も振り返ることなく、光り輝くドレスをなびかせて会場を後にした。
背後から聞こえる、王子の怒号、アリスの泣き声、そしてオーウェンが衛兵に連行される騒音。
(……いい気味ね。中田ひより、二十九歳。これまでの社畜生活で培った『倍返し』の精神、甘く見ないでちょうだい)
外に出ると、涼やかな夜風が頬を撫でた。
馬車の側で待っていたのは、銀髪を夜風に揺らすユリウスだった。彼は氷のような青い瞳を細め、満足げに微笑んでいる。
「素晴らしいショーだったよ、ルクレツィア嬢。……いや、僕の『パートナー』」
「見ていたのね、ユリウス。……おかげさまで、素材は無駄にならなかったわ」
「ああ。これからは、もっと楽しいことが始まる。君のその知恵で、この腐った国を塗り替えてもらおうか」
私は彼の手を取り、馬車へと乗り込む。
(見ている? 本物のルクレツィア。貴方を苦しめた者たちは、今、自分の愚かさに震えているわ。……貴方の名誉は、私が必ず最高のものにしてみせる。だから、もう少しだけ、私の戦いに付き合ってね)
夜の王都を走る馬車の中で、私は次の標的――実家を食い物にする「義弟」と「毒親」への策略を練り始めた。
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王子エドワードは、自らが選んだ「真実の恋」の無残な姿に、言葉を失って立ち尽くしている。その視線が、対照的に神々しいまでの輝きを放つ私へと向けられた。
「ルクレツィア……。どういうことだ、これは。君が、彼女に何か細工をしたのか?」
その声には、まだ私を悪役令嬢として断罪したいという、卑怯な期待が混じっていた。
私はゆっくりと扇子を閉じ、冷ややかな視線を王子へ投げかける。
「細工、ですか。心外ですわ、殿下。私はただ、自身の研究に基づいた『正しい手入れ』をしてきただけ。彼女のその無様な姿は、貴方が信じ、彼女に与えた『低品質な粗悪品』が招いた自業自得の結果ですわ。
化学反応に、私の悪意を挟む余地などございませんもの」
「な……! 低品質だと? リード商会が用意した伝説の逸品だぞ!」
「伝説、ねえ……」
私は、震えながら後退りしようとするオーウェン・リードを逃さず、指先で示した。
「オーウェンさん。貴方が『月光石』と称して配合した粉末。あれは単なる『酸化鉛』と、魔力に反応して発熱する『黄鉄鉱』の混じった不純物です。……私の鑑定によれば、あれは肌を白く見せるためのものではなく、肌を腐食させる毒そのもの。この会場の高濃度な魔力に当てられれば、酸化して黒変するのは必然ですわ」
「そ、そんな……。私は、ただ、最高級のものをと……」
オーウェンの弁明を、私は一喝して遮った。
「黙りなさい! 美しさを商いにする者が、成分の安全性すら把握していないなど、職務怠慢にも程があるわ。貴方がドレスの供給を止めたおかげで、私は自力でこの『偏光魔導ドレス』を開発できました。おかげさまで、貴方の商会の技術がいかに旧時代的で、粗末なものであるかを証明する手間が省けましたわ」
周囲の貴族たちが、一斉にオーウェンから距離を取る。商人の命である信用が、この瞬間に粉々に砕け散った。
「さて、本題に入りましょうか。エドワード殿下」
私はドレスの裾を優雅に払い、王子の正面に立った。
「先ほど、私を『汚らわしい』とおっしゃいましたわね。ええ、聞こえておりましたわ。あの日、冤罪を信じ、私の肌を傷つけたカイル様を制止もせず、冷笑した貴方の言葉。……今の私にふさわしい言葉は、そちらの男爵令嬢にこそ似合いですわ」
「ルクレツィア、言い過ぎだ! 僕は、ただ……」
「殿下。貴方は『真実を見抜く鑑定眼がない』と申し上げたはずです。……婚約破棄、謹んでお受けいたしますわ。いえ、私の方から願い下げさせていただきます」
私は、あらかじめ用意していた封筒を、王子の足元へ放り投げた。
「これは……?」
「婚約解消の合意書、および、エルヴァイン公爵家が王家に貸し付けている、過去三代にわたる軍事費の即時返済要求書ですわ」
王子の顔が、今度は青を通り越して真っ白になった。
王家は代々、軍備のためにエルヴァイン公爵家の莫大な資金をあてにしてきた。婚約は、その借金を未来の身内として棚上げするための隠れ蓑でもあったのだ。
「そんな……! 婚約を解消すれば、公爵家としても困るはずだ!」
「困りませんわ。私は本日、王立魔道院および騎士団と、新たな物資供給の独占契約を締結いたしました。リード商会の穴を埋めるのは、私の開発する製品です。公爵家の財政は、今後私が支えます。……もう、貴方たちに頼る必要など、どこにもないのです」
王子の背後に控えていたユーリとギルバートが、驚愕で目を見開く。自分たちが「悪役令嬢」と見なしていた少女が、いつの間にか王国の経済基盤の一端を握りつぶしていたのだ。
「そんな馬鹿な……! 義姉上、いつの間にそんな真似を!」
ユーリが叫ぶ。私は彼を一瞥し、鼻で笑った。
「ユーリ、貴方はアリス嬢の涙に忙しくて、公爵家の帳簿すら見ていなかったのでしょう? 離れの納屋で私が何をしていたか……『泥遊び』だと言って笑っていたのは貴方たちよ」
私は冷徹な視線を会場全体へ向けた。
「本日、この時をもって、私ルクレツィア・エルヴァインは自由の身となります。……エドワード殿下。泥を塗られた伝説を抱いて、せいぜい惨めに愛を育んでくださいな。もっとも、そのお顔の黒ずみ……私の開発した『特殊クレンジング』なしには、一生落ちないでしょうけれど」
アリスが「えっ……」と絶望の声を上げる。
「あ、待って……! ルクレツィア様! 助けて……顔が、顔が熱いの!」
縋り付こうとするアリスの手を、私は扇子でぴしゃりと撥ね除けた。
「お生憎様。私、自分を貶めた人間に分ける慈悲は、一滴も持ち合わせておりませんの」
私は背筋を伸ばし、一度も振り返ることなく、光り輝くドレスをなびかせて会場を後にした。
背後から聞こえる、王子の怒号、アリスの泣き声、そしてオーウェンが衛兵に連行される騒音。
(……いい気味ね。中田ひより、二十九歳。これまでの社畜生活で培った『倍返し』の精神、甘く見ないでちょうだい)
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馬車の側で待っていたのは、銀髪を夜風に揺らすユリウスだった。彼は氷のような青い瞳を細め、満足げに微笑んでいる。
「素晴らしいショーだったよ、ルクレツィア嬢。……いや、僕の『パートナー』」
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「ああ。これからは、もっと楽しいことが始まる。君のその知恵で、この腐った国を塗り替えてもらおうか」
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(見ている? 本物のルクレツィア。貴方を苦しめた者たちは、今、自分の愚かさに震えているわ。……貴方の名誉は、私が必ず最高のものにしてみせる。だから、もう少しだけ、私の戦いに付き合ってね)
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