可哀想な令嬢?いいえ、私が選ぶ側です 〜悪役令嬢で上等よ〜

恋せよ恋

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完敗のユーリは屈服する

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 かつてルクレツィアを「悪役令嬢」と蔑んだ弟ユーリは、今、人生最大の屈辱を味わっていた。

 彼が立っているのは、華やかな公爵邸の広間ではない。湯気が立ち込め、強いハーブと薬品の匂いが充満する「離れの納屋」――現在は最先端の「ルミナス・ラボ」へと変貌した研究室の隅である。

「ユーリ、手が止まっているわよ。その『魔導銀の乳鉢』の洗浄、まだ微細な不純物が残っているわ。やり直し」

 私が冷たく言い放つと、ユーリは真っ赤な顔で歯噛みした。

「さっきから十回も洗っているんだぞ! 目に見える汚れなんてどこにもないじゃないか!」

「目に見えるものしか信じないから、貴方はアリス嬢の醜悪な化けの皮も見抜けなかったのよ。この研究室では、数値と結果がすべて。その乳鉢で次に調合するのは、敏感肌用の沈静セラムよ。一ミリグラムの不純物が、使用者の肌に炎症を起こす。……貴方に、誰かの人生を背負う覚悟があるの?」

「くっ……!」
 ユーリはぐうの音も出ず、再びブラシを握りしめた。

 彼が今日一日で行ったのは、延々と続く実験器具の洗浄、魔力草の選別、そして、重い油脂の樽運びだ。

 リード商会で若旦那様と持て囃されていた頃の優雅な生活とは程遠い、泥臭い労働。

「次。その選別した『カミル草』の茎と葉を分けて。葉脈を傷つけないように。……それが終わったら、倉庫の在庫管理表と現物の照合。誤差が一グラムでもあったら、終わるまで帰さないわよ」

「……義姉上、本気で僕を殺すつもりか?」

「殺す? 心外ね。私は貴方に『責任』というものを教えているのよ。貴方がいい加減な仕事をして納品した石鹸で、騎士たちが肌を荒らし、戦場で集中力を欠いたらどうなるか。その想像力すら欠如している者に、公爵家の次期当主を名乗る資格なんてないわ」

 私は、顕微鏡から目を離さず、淡々と事実を突きつける。

 夕刻。ユーリの体力と精神力は、限界に達していた。

 高貴な身分を象徴していた真っ白な手は、洗浄剤と草の汁で荒れ、爪の間には泥が詰まっている。エドワード王子と共にアリスを囲んで笑っていた頃の余裕など、微塵も残っていない。

「もう……無理だ……。こんなこと、僕のやるべき仕事じゃない……」

 ユーリが床に座り込んだその時、ラボの扉が開いた。

 入ってきたのは、かつてユーリが「姉よりも美しい淑女」と称賛していた男爵令嬢アリスだった。

「ユーリ様ぁ! 助けて、助けてくださいまし!」

 アリスの顔は、パーティーの時よりもさらに悲惨なことになっていた。どす黒い沈着は定着し、無理に剥がそうとしたのか、肌は赤く腫れ上がり、膿んでいる箇所さえある。

「ア、アリス……? その顔は……」

「ルクレツィア様が隠し持っている『クレンジング』があれば治るって、オーウェン様が言っていたんです! ユーリ様、お義姉様に頼んでください! わたくし、このままじゃ外も歩けませんわ!」

 アリスがユーリの袖を掴む。だが、今のユーリには彼女を助ける力などない。それどころか、一日中「肌の健康」と「成分の厳密さ」について私から叩き込まれた彼の目には、アリスのその肌が、いかに自業自得の不摂生と無知の結果であるかが、残酷なまでに理解できてしまった。

「……無理だよ、アリス」

「えっ……?」

「僕には、義姉上に頼めるような立場なんてない。それに……君が使ったあの白粉は、僕が止めるべきだったんだ。君を美しく見せるためじゃなく、僕が手柄を立てるために、君に毒を塗らせたんだ……」

 ユーリの瞳から、後悔の涙が溢れ出した。

 彼はようやく、自分がアリスを愛していたのではなく、彼女を「守っている自分」に酔い、その裏で実の義姉を切り捨てた醜さを自覚したのだ。

「あら、ようやく『自分』という成分の分析が終わったようね」

 私はゆっくりと椅子から立ち上がり、アリスを一瞥した。

「アリス嬢。貴女に売る薬はありません。……ただ、人道的な配慮として、一つだけ助言してあげるわ。その顔の黒ずみを治したければ、一生、着飾ることをやめなさい。毎日、冷水で顔を洗い、贅沢な食事を断ち、土にまみれて働きなさい。そうすれば、いつか肌のターンオーバーが、貴方の罪を洗い流してくれるかもしれないわね」

「そんな……! そんなの、平民と同じではありませんか!」

 絶叫して走り去るアリスを見送った後、ユーリは力なく頭を垂れた。

「……姉上。僕は、本当に愚かでした。……家督は、貴女が継ぐべきだ。僕は……もう、公爵家を名乗る自信がありません」

「いいえ、ユーリ。貴方はエルヴァイン公爵家を継ぎなさい。……ただし、私の『傀儡』としてね」

 私は震える弟の肩に、冷たくも確かな手を置いた。

「これからは、私の指示通りに動きなさい。そうすれば、家名だけは守ってあげる。……分かったわね?」

「……はい、ルクレツィア様」

 誇りを完全にへし折られた弟は、私の足元で平伏した。
 公爵家の実権は、この日、完全に私の手に落ちた。
 
 さて、次は知略を気取って冤罪を仕組んだ、あの眼鏡の男――ギルバート・ヘイゼルの番ね。
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