1 / 8
定年退職、花束、そして異世界
「……嘘でしょう。何これ、夢なら覚めないでほしいわ」
豪華すぎる装飾が施された部屋の鏡の前。私は一人、完全に固まっていた。
流石に公爵令嬢の自室だけあって、その広さは日本人の一般的な感覚からすれば「美術館か何かかしら?」と首を傾げたくなるレベルだ。配置された家具はどれも職人の魂が籠もったような優美な曲線を描き、金や宝石の装飾がこれでもかと施されている。二間続きの奥には、大人四人が大の字になっても余りそうなキングサイズのベッドがあり、私はついさっきまでそこに横たわっていた。
「まずい。このままでは鼻血が出て、この素晴らしい絨毯を汚してしまうわ……」
自分で呟きながら、あまりの衝撃に膝が震える。
一体全体、どうしてこういう事になったのか。
つい数時間前まで、私は六十二歳の「高平美佳だった。
四十年間、高校教師として教壇に立ち続け、今日というめでたい定年退職の日を迎えたはずだったのだ。同僚と生徒たちから贈られた大きな花束を抱え、「明日からはゆっくりしてね」と送り出され、駅の階段を下りていた。
――はずだった。
そこで眩暈に襲われ、真っ逆さまに落ちた――そこまでは覚えている。
暗闇の中で出会ったのは、一人の美しい少女だ。
彼女は「エスメラルダ」と名乗り、絶望した顔で私にこう言ったのだ。
『私の人生、全部あげる。その代わり、私が台無しにした人生の、後始末をして」
(……『人生の宿題』ね。四十年も教師をやってきて、最後がコレ?)
教師の悲しい性か、「はい、わかりました。先生に任せなさい」と二つ返事で引き受けてしまったのが運の尽き。
目が覚めたら、この豪華絢爛な部屋にいたというわけだ。
「……それにしても、これ。本当に私?」
鏡に映る自分を指差してみる。鏡の中の絶世の美少女も、同じように指を動かした。
艶やかな金髪は陽の光を浴びてキラキラと輝き、白髪の一本も見当たらない。
瞳は抜けるような青。老眼とは無縁のクリアな視界。重たかった私の奥二重とはおさらば、パッチリとした二重まぶたがそこにある。
何より驚いたのは、そのスタイルだ。
いわゆる「ボン・キュッ・ボーン」を具現化したようなナイスバディ。重力に逆らいきれなかった私の体とは違い、どこもかしこもピチピチと弾力に満ちている。関節痛も、腰痛もない。
六十二年の人生で一度も経験したことのない「超絶美女」の称号がココにある。
(これなら毎日、白Tシャツにデニムでも注目の的よ! 海に行くならビキニ一択、露出狂一歩手前まで自分を誇示して歩きたいわ!)
なんて、不謹慎な喜びが脳内を駆け巡る。
だが、喜んでばかりもいられない。
この「エスメラルダ」という美少女が残していった「後始末」の内容が、先ほどから断片的に脳内に流れ込んできているのだ。
エスメラルダ・ミッテラン。十六歳。
この国の筆頭公爵家の令嬢でありながら、中身は高慢、我儘、選民意識の塊。
気に食わない令嬢がいれば「粛清」と称して退学に追い込み、婚約者である王太子エドワード殿下を執拗に追い回しては、彼の浮気相手を片っ端から潰してきたという。
……何ということだ。性格の悪さが「特級クラス」ではないか。
さらに嫌な予感は的中した。
先ほど、メイド服の女性が悲鳴を上げて飛び出していった後、部屋に駆け込んできたのは「父」を名乗る男性だった。
三十七歳だという彼は、金髪碧眼、左目の下に泣きぼくろのある、いかにも『大人の男の魅力』が溢れんばかりの超絶『イケおじ』だったのだ。
六十二歳の私ですら、思わず「あら、いい男じゃない」と指導教諭にあるまじき熱い視線を送ってしまうほどの破壊力だ。
「エスメラルダ。具合が悪いと聞いたが……大丈夫かい?」
その低く響く良い声に、思わず「あら、好みだわ」と頬を染めそうになったが、教師の理性がそれを止めた。
彼の後ろには、これまた姉にしか見えない美魔女な「母」と、モデル体型の「兄」まで控えている。
この家族、全員が「勝ち組」のビジュアルをしている。
だが、彼らの瞳の奥には、私への隠しきれない「恐怖」と「諦め」が混ざっていた。……そう。私は今、全方位から嫌われ、恐れられている「悪役令嬢」の中にいるようだ。
……けれど。この素晴らしすぎる美貌と、ナイスバディに浮かれる余裕は、一瞬で霧散した。
王太子からは嫌われ、周囲からも蛇蝎のごとく忌み嫌われ、婚約破棄の足音がすぐそこまで聞こえている。
私は大きくため息をついた。
「……さて。まずはこの『最悪の評判』という名の、荒れに荒れた公爵家の立て直しから始めましょうか」
四十年の教育者人生。まさか定年を迎えた直後に、他人の「更生」という最大にして難解な問題に取り組むことになるとは。しかも、異世界という名の未知の現場で。
……けれど、本音を言えば。
この滑らかな白い肌、どこまでも高い鼻筋、そして重力に逆らう完璧なナイスバディ。
六十二年生きてきて、「自分へのご褒美」がこれほど豪華でいいのかしら? 神様、ちょっと大盤振る舞いが過ぎるわ。でも、遠慮なくこの恩恵は享受させてもらうわね。
「いいわ、任せてちょうだい、エスメラルダ」
しなやかな指先で、若さ弾ける頬をそっとなぞる。
「あなたが投げ出したこの人生。教師の意地にかけて、誰もが憧れる最高の女性に磨き上げてあげるから!」
_____________
エール📣いいね❤️お気に入り⭐️応援よろしくお願いします🙇♀️
豪華すぎる装飾が施された部屋の鏡の前。私は一人、完全に固まっていた。
流石に公爵令嬢の自室だけあって、その広さは日本人の一般的な感覚からすれば「美術館か何かかしら?」と首を傾げたくなるレベルだ。配置された家具はどれも職人の魂が籠もったような優美な曲線を描き、金や宝石の装飾がこれでもかと施されている。二間続きの奥には、大人四人が大の字になっても余りそうなキングサイズのベッドがあり、私はついさっきまでそこに横たわっていた。
「まずい。このままでは鼻血が出て、この素晴らしい絨毯を汚してしまうわ……」
自分で呟きながら、あまりの衝撃に膝が震える。
一体全体、どうしてこういう事になったのか。
つい数時間前まで、私は六十二歳の「高平美佳だった。
四十年間、高校教師として教壇に立ち続け、今日というめでたい定年退職の日を迎えたはずだったのだ。同僚と生徒たちから贈られた大きな花束を抱え、「明日からはゆっくりしてね」と送り出され、駅の階段を下りていた。
――はずだった。
そこで眩暈に襲われ、真っ逆さまに落ちた――そこまでは覚えている。
暗闇の中で出会ったのは、一人の美しい少女だ。
彼女は「エスメラルダ」と名乗り、絶望した顔で私にこう言ったのだ。
『私の人生、全部あげる。その代わり、私が台無しにした人生の、後始末をして」
(……『人生の宿題』ね。四十年も教師をやってきて、最後がコレ?)
教師の悲しい性か、「はい、わかりました。先生に任せなさい」と二つ返事で引き受けてしまったのが運の尽き。
目が覚めたら、この豪華絢爛な部屋にいたというわけだ。
「……それにしても、これ。本当に私?」
鏡に映る自分を指差してみる。鏡の中の絶世の美少女も、同じように指を動かした。
艶やかな金髪は陽の光を浴びてキラキラと輝き、白髪の一本も見当たらない。
瞳は抜けるような青。老眼とは無縁のクリアな視界。重たかった私の奥二重とはおさらば、パッチリとした二重まぶたがそこにある。
何より驚いたのは、そのスタイルだ。
いわゆる「ボン・キュッ・ボーン」を具現化したようなナイスバディ。重力に逆らいきれなかった私の体とは違い、どこもかしこもピチピチと弾力に満ちている。関節痛も、腰痛もない。
六十二年の人生で一度も経験したことのない「超絶美女」の称号がココにある。
(これなら毎日、白Tシャツにデニムでも注目の的よ! 海に行くならビキニ一択、露出狂一歩手前まで自分を誇示して歩きたいわ!)
なんて、不謹慎な喜びが脳内を駆け巡る。
だが、喜んでばかりもいられない。
この「エスメラルダ」という美少女が残していった「後始末」の内容が、先ほどから断片的に脳内に流れ込んできているのだ。
エスメラルダ・ミッテラン。十六歳。
この国の筆頭公爵家の令嬢でありながら、中身は高慢、我儘、選民意識の塊。
気に食わない令嬢がいれば「粛清」と称して退学に追い込み、婚約者である王太子エドワード殿下を執拗に追い回しては、彼の浮気相手を片っ端から潰してきたという。
……何ということだ。性格の悪さが「特級クラス」ではないか。
さらに嫌な予感は的中した。
先ほど、メイド服の女性が悲鳴を上げて飛び出していった後、部屋に駆け込んできたのは「父」を名乗る男性だった。
三十七歳だという彼は、金髪碧眼、左目の下に泣きぼくろのある、いかにも『大人の男の魅力』が溢れんばかりの超絶『イケおじ』だったのだ。
六十二歳の私ですら、思わず「あら、いい男じゃない」と指導教諭にあるまじき熱い視線を送ってしまうほどの破壊力だ。
「エスメラルダ。具合が悪いと聞いたが……大丈夫かい?」
その低く響く良い声に、思わず「あら、好みだわ」と頬を染めそうになったが、教師の理性がそれを止めた。
彼の後ろには、これまた姉にしか見えない美魔女な「母」と、モデル体型の「兄」まで控えている。
この家族、全員が「勝ち組」のビジュアルをしている。
だが、彼らの瞳の奥には、私への隠しきれない「恐怖」と「諦め」が混ざっていた。……そう。私は今、全方位から嫌われ、恐れられている「悪役令嬢」の中にいるようだ。
……けれど。この素晴らしすぎる美貌と、ナイスバディに浮かれる余裕は、一瞬で霧散した。
王太子からは嫌われ、周囲からも蛇蝎のごとく忌み嫌われ、婚約破棄の足音がすぐそこまで聞こえている。
私は大きくため息をついた。
「……さて。まずはこの『最悪の評判』という名の、荒れに荒れた公爵家の立て直しから始めましょうか」
四十年の教育者人生。まさか定年を迎えた直後に、他人の「更生」という最大にして難解な問題に取り組むことになるとは。しかも、異世界という名の未知の現場で。
……けれど、本音を言えば。
この滑らかな白い肌、どこまでも高い鼻筋、そして重力に逆らう完璧なナイスバディ。
六十二年生きてきて、「自分へのご褒美」がこれほど豪華でいいのかしら? 神様、ちょっと大盤振る舞いが過ぎるわ。でも、遠慮なくこの恩恵は享受させてもらうわね。
「いいわ、任せてちょうだい、エスメラルダ」
しなやかな指先で、若さ弾ける頬をそっとなぞる。
「あなたが投げ出したこの人生。教師の意地にかけて、誰もが憧れる最高の女性に磨き上げてあげるから!」
_____________
エール📣いいね❤️お気に入り⭐️応援よろしくお願いします🙇♀️
あなたにおすすめの小説
とある侯爵家の騒動未満~邪魔な異母妹はお父様と一緒に叩き出します
中崎実
ファンタジー
妻が死んだ直後に、愛人とその娘を引っ張り込もうとする父。
葬儀が終わったばかりで騒ぎを起こした男だが、嫡子である娘も準備は怠っていなかった。
お父さまと呼ぶ気にもならない父よ、あなたは叩き出します。
「許してやりなさい」と言われ続けた令嬢が、許した回数を数えていた——千二百回
歩人
ファンタジー
「許してやりなさい」
侯爵令嬢リーリエは、この言葉を千二百回聞いた。
婚約者が夜会で他の令嬢と踊ったとき。義母に「出来損ない」と言われたとき。父が「お前さえ我慢すれば丸く収まる」と目を逸らしたとき。
リーリエは毎晩、帳面に書いた。日付。許した内容。許した理由——その欄はいつも空白だった。
千二百回目の「許してやりなさい」を聞いた日、リーリエは帳面を閉じた。
「お父様。千二百回、許しました。千二百一回目は、ございません」
帳面が社交界に渡ったとき、「許してやりなさい」と言っていた全員の顔から血の気が引いた。我慢の記録は、どの告発よりも雄弁だった。
繰り返しのその先は
みなせ
ファンタジー
婚約者がある女性をそばに置くようになってから、
私は悪女と呼ばれるようになった。
私が声を上げると、彼女は涙を流す。
そのたびに私の居場所はなくなっていく。
そして、とうとう命を落とした。
そう、死んでしまったはずだった。
なのに死んだと思ったのに、目を覚ます。
婚約が決まったあの日の朝に。
乙女ゲームの世界だと、いつから思い込んでいた?
シナココ
ファンタジー
母親違いの妹をいじめたというふわふわした冤罪で婚約破棄された上に、最北の辺境地に流された公爵令嬢ハイデマリー。勝ち誇る妹・ゲルダは転生者。この世界のヒロインだと豪語し、王太子妃に成り上がる。乙女ゲームのハッピーエンドの確定だ。
……乙女ゲームが終わったら、戦争ストラテジーゲームが始まるのだ。
平手打ちされたので、婚約破棄宣言に拳でお答えしました
Megumi
恋愛
婚約破棄を告げられ、婚約者に平手打ちされた——その瞬間。
伯爵令嬢イヴの拳が炸裂した。
理不尽に耐える淑女の時代は、もう終わり。
これは“我慢しない令嬢”が、これまでの常識を覆す話。
10回目の婚約破棄。もう飽きたので、今回は断罪される前に自分で自分を追放します。二度と探さないでください(フリではありません)
放浪人
恋愛
「もう、疲れました。貴方の顔も見たくありません」
公爵令嬢リーゼロッテは、婚約者である王太子アレクセイに処刑される人生を9回繰り返してきた。 迎えた10回目の人生。もう努力も愛想笑いも無駄だと悟った彼女は、断罪イベントの一ヶ月前に自ら姿を消すことを決意する。 王城の宝物庫から慰謝料(国宝)を頂き、書き置きを残して国外逃亡! 目指せ、安眠と自由のスローライフ!
――のはずだったのだが。
「『顔も見たくない』だと? つまり、直視できないほど私が好きだという照れ隠しか!」 「『探さないで』? 地の果てまで追いかけて抱きしめてほしいというフリだな!」
実は1周目からリーゼロッテを溺愛していた(が、コミュ障すぎて伝わっていなかった)アレクセイ王子は、彼女の拒絶を「愛の試練(かくれんぼ)」と超ポジティブに誤解! 国家権力と軍隊、そしてS級ダンジョンすら踏破するチート能力を総動員して、全力で追いかけてきた!?
物理で逃げる最強令嬢VS愛が重すぎる勘違い王子。 聖女もドラゴンも帝国も巻き込んだ、史上最大規模の「国境なき痴話喧嘩」が今、始まる!
※表紙はNano Bananaで作成しています
ただ、本を読んでいただけなのに~持参金を失った没落令嬢ですが、物語を読み上げたら全てを手に入れました~
みねバイヤーン
恋愛
父が投資に失敗し、デビュタント準備金も将来の持参金もなくなった少女サラ。上級メイド、コンパニオンとして伯爵夫人に仕えることになった。ところが、好きな本を朗読しただけなのに、あれよあれよと事態が急転し──。これは、好きな本を読んだら全てを手に入れる少女の成長物語──。