悪役令嬢の中身は、定年退職した元教師でした 〜絶世の美女に転生したので、悪評を更生指導で一掃します〜

恋せよ恋

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定年退職、花束、そして異世界

「……嘘でしょう。何これ、夢ならわ」

 豪華すぎる装飾が施された部屋の鏡の前。私は一人、完全に固まっていた。

 流石に公爵令嬢の自室だけあって、その広さは日本人の一般的な感覚からすれば「美術館か何かかしら?」と首を傾げたくなるレベルだ。配置された家具はどれも職人の魂が籠もったような優美な曲線を描き、金や宝石の装飾がこれでもかと施されている。二間続きの奥には、大人四人が大の字になっても余りそうなキングサイズのベッドがあり、私はついさっきまでそこに横たわっていた。

「まずい。このままでは鼻血が出て、この素晴らしい絨毯を汚してしまうわ……」

 自分で呟きながら、あまりの衝撃に膝が震える。

 一体全体、どうしてこういう事になったのか。
 つい数時間前まで、私は六十二歳の「高平美佳たかひら みかだった。
 四十年間、高校教師として教壇に立ち続け、今日というめでたい定年退職の日を迎えたはずだったのだ。同僚と生徒たちから贈られた大きな花束を抱え、「明日からはゆっくりしてね」と送り出され、駅の階段を下りていた。

 ――はずだった。

 そこで眩暈に襲われ、真っ逆さまに落ちた――そこまでは覚えている。
 
 暗闇の中で出会ったのは、一人の美しい少女だ。
 彼女は「エスメラルダ」と名乗り、絶望した顔で私にこう言ったのだ。

『私の人生、全部あげる。その代わり、私が台無しにした人生の、後始末をして」

(……『人生の宿題』ね。四十年も教師をやってきて、最後がコレ?)

 教師の悲しい性か、「はい、わかりました。先生に任せなさい」と二つ返事で引き受けてしまったのが運の尽き。
 目が覚めたら、この豪華絢爛な部屋にいたというわけだ。

「……それにしても、これ。本当に私?」

 鏡に映る自分を指差してみる。鏡の中の絶世の美少女も、同じように指を動かした。
 艶やかな金髪は陽の光を浴びてキラキラと輝き、白髪の一本も見当たらない。
 瞳は抜けるような青。老眼とは無縁のクリアな視界。重たかった私の奥二重とはおさらば、パッチリとした二重まぶたがそこにある。

 何より驚いたのは、そのスタイルだ。
 いわゆる「ボン・キュッ・ボーン」を具現化したようなナイスバディ。重力に逆らいきれなかった私の体とは違い、どこもかしこもピチピチと弾力に満ちている。関節痛も、腰痛もない。

 六十二年の人生で一度も経験したことのない「超絶美女」の称号がココにある。

(これなら毎日、白Tシャツにデニムでも注目の的よ! 海に行くならビキニ一択、露出狂一歩手前まで自分を誇示して歩きたいわ!)

 なんて、不謹慎な喜びが脳内を駆け巡る。

 だが、喜んでばかりもいられない。
 この「エスメラルダ」という美少女が残していった「後始末」の内容が、先ほどから断片的に脳内に流れ込んできているのだ。

 エスメラルダ・ミッテラン。十六歳。

 この国の筆頭公爵家の令嬢でありながら、中身は高慢、我儘、選民意識の塊。
 気に食わない令嬢がいれば「粛清」と称して退学に追い込み、婚約者である王太子エドワード殿下を執拗に追い回しては、彼の浮気相手を片っ端から潰してきたという。

 ……何ということだ。性格の悪さが「特級クラス」ではないか。

 さらに嫌な予感は的中した。
 先ほど、メイド服の女性が悲鳴を上げて飛び出していった後、部屋に駆け込んできたのは「父」を名乗る男性だった。

 三十七歳だという彼は、金髪碧眼、左目の下に泣きぼくろのある、いかにも『大人の男の魅力』が溢れんばかりの超絶『イケおじ』だったのだ。
 六十二歳の私ですら、思わず「あら、いい男じゃない」と指導教諭にあるまじき熱い視線を送ってしまうほどの破壊力だ。

「エスメラルダ。具合が悪いと聞いたが……大丈夫かい?」

 その低く響く良い声に、思わず「あら、好みだわ」と頬を染めそうになったが、教師の理性がそれを止めた。
 彼の後ろには、これまた姉にしか見えない美魔女な「母」と、モデル体型の「兄」まで控えている。

 この家族、全員が「勝ち組」のビジュアルをしている。
 だが、彼らの瞳の奥には、私への隠しきれない「恐怖」と「諦め」が混ざっていた。……そう。私は今、全方位から嫌われ、恐れられている「悪役令嬢」の中にいるようだ。
 
 ……けれど。この素晴らしすぎる美貌と、ナイスバディに浮かれる余裕は、一瞬で霧散した。
 王太子からは嫌われ、周囲からも蛇蝎のごとく忌み嫌われ、婚約破棄の足音がすぐそこまで聞こえている。

 私は大きくため息をついた。

「……さて。まずはこの『最悪の評判』という名の、荒れに荒れた公爵家の立て直しから始めましょうか」

 四十年の教育者人生。まさか定年を迎えた直後に、他人の「更生」という最大にして難解な問題に取り組むことになるとは。しかも、異世界という名の未知の現場で。

……けれど、本音を言えば。

 この滑らかな白い肌、どこまでも高い鼻筋、そして重力に逆らう完璧なナイスバディ。
 六十二年生きてきて、「自分へのご褒美」がこれほど豪華でいいのかしら? 神様、ちょっと大盤振る舞いが過ぎるわ。でも、遠慮なくこの恩恵は享受させてもらうわね。

「いいわ、任せてちょうだい、エスメラルダ」

 しなやかな指先で、若さ弾ける頬をそっとなぞる。

「あなたが投げ出したこの人生。教師の意地にかけて、誰もが憧れる最高の女性に磨き上げてあげるから!」
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