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雪に閉ざされた誓い
本国の冬は、例年になく厳しかった。
庭の噴水は凍りつき、窓の外には銀世界の静寂が広がっている。オッティ子爵邸の維持管理、領地の冬支度、そして幼い子供たちの健康管理。主人が不在の屋敷において、そのすべてがメラニアの細い肩にのしかかっていた。
「お母たま、お外、まっ白ね!」
膝の上で、ようやく風邪から回復した三歳のジェニファーが愛らしく首を傾げる。メラニアは娘の柔らかな濃い茶色の髪を優しく撫で、微笑んだ。
「ええ、そうね。お父様がいる隣国も、きっと同じように雪が降っているわ」
家令や侍女たちは「奥様、少しはお休みください」と口々に言うが、メラニアは立ち止まらなかった。ジュリアンが帰ってきたとき、「君に任せて正解だった」とあの涼やかな瞳で笑ってほしい。その一心で、彼女は冷え切った書斎で帳簿をつけ、領民への見舞い品を手配した。
深夜、子供たちが寝静まった後の静寂が、メラニアにとって一番過酷な時間だった。
かつては、隣でジュリアンの穏やかな寝息が聞こえていた。難産の夜、死の淵から自分を繋ぎ止めてくれた彼の温かな手の感触。
『君を二度と危険に晒さない』
その誓いを思い出すたび、メラニアは自分を納得させる。
(夜の営みがないのは、私を大切に想ってくださっているから。今、独りきりで震えているのも、彼が私たちの未来のために公務に励んでいるから……)
そう。すべては「愛」ゆえの耐え忍びなのだと……。
そんなある日、待ちわびていた隣国からの便りが届いた。
だが、その封筒を受け取った瞬間、メラニアの指先がわずかに震えた。
「……これは?」
いつもなら、封筒の表書きにはジュリアンの整った自筆がある。しかし、今回届いたものは、まるで公的な書類のように無機質で、整然とした活字が並んでいた。
急いで封を切ると、中から出てきたのは、手書きの温もりが一切排除された「タイプライター」の書面だった。
『親愛なるメラニア。
驚かせてすまない。実は公務の無理がたたり、右手の筋を少し痛めてしまったんだ。医師から筆記を控えるよう言われ、やむなく最新の事務機械を導入することにした。無機質な活字の並びになってしまうが、僕の想いに変わりはない――』
「右手を……」
メラニアは、手紙の内容よりも先に、夫の体を案じて胸を締め付けられた。
不慣れな異国で、チャーチル様を支えるためにどれほど心身を削っているのだろうか。筆記もままならないほどに手を傷め、それでも自分への便りを欠かさない彼の誠実さに、メラニアは目頭を熱くした。
手紙を読み進めると、そこには以前よりもいっそう、情緒的で熱烈な愛の言葉が並んでいた。
『君は僕の魂の片割れだ。雪の降る夜は、君のあの柔らかな髪の香りが、この部屋に満ちているような錯覚に陥る。僕の帰る場所は、世界でただ一つ、君の傍らだけだ』
「ジュリアン……」
メラニアは、冷たい活字の羅列を愛おしそうに撫でた。
筆跡がなくても、ここには彼の心が宿っている。そう信じることで、孤独な冬の夜を乗り越えられる気がした。
しかし、彼女は気づかない。
そのタイプライターのキーを叩いていたのが、夫の隣で赤毛を揺らし、勝ち誇ったような笑みを浮かべるマルタという娘であったことに。
そして、その無機質な活字の裏側に、メラニアの記憶を少しずつ塗り替え、彼女を「幸せな箱庭」の中に閉じ込めておくための、緻密な罠が仕掛けられ始めていることに。
数日後、セシリアが再びオッティ邸を訪れた。
メラニアが嬉しそうに「ジュリアンが右手を痛めたので、これからはタイプライターで手紙をくれるそうなの。でも、『ブルネット』と、『ブロンド』を打ち間違ったりしていたから、慣れないのでしょうね」と報告したとき、セシリアの鋭いヘーゼルアイが、微かに細められた。
「『右手を痛めた』……ですって?」
「ええ。公務がそれほどお忙しいのでしょうね。ジュリアンは責任感が強いから」
「そう……。それは心配ね、メラニア」
セシリアは、親友の無垢な笑顔を見つめながら、心の内で冷たい怒りを燃やしていた。
セシリアの元に届く夫チャーチルからの手紙には、そんな報告は一言もなかった。むしろ、『ジュリアンは最近、現地の酒や娯楽にも随分と詳しくなったようだ』という、不穏な一節すらあったのだ。
冬の終わりの気配が漂う中、メラニアの「献身」とジュリアンの「裏切り」は、タイプライターという名の機械を介して、より一層その深みを増していく。
孤独な日常を、愛という幻想で塗りつぶすメラニア。
その幻想が、一文字の間違いから崩れ去る日は、もうすぐそこまで迫っていた。
__________
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📢新作スタート【「君は強いから一人で大丈夫だ」と『二度』私を捨てた貴方。ええ、私は強いので侯爵家の全権を奪うことにいたします】
庭の噴水は凍りつき、窓の外には銀世界の静寂が広がっている。オッティ子爵邸の維持管理、領地の冬支度、そして幼い子供たちの健康管理。主人が不在の屋敷において、そのすべてがメラニアの細い肩にのしかかっていた。
「お母たま、お外、まっ白ね!」
膝の上で、ようやく風邪から回復した三歳のジェニファーが愛らしく首を傾げる。メラニアは娘の柔らかな濃い茶色の髪を優しく撫で、微笑んだ。
「ええ、そうね。お父様がいる隣国も、きっと同じように雪が降っているわ」
家令や侍女たちは「奥様、少しはお休みください」と口々に言うが、メラニアは立ち止まらなかった。ジュリアンが帰ってきたとき、「君に任せて正解だった」とあの涼やかな瞳で笑ってほしい。その一心で、彼女は冷え切った書斎で帳簿をつけ、領民への見舞い品を手配した。
深夜、子供たちが寝静まった後の静寂が、メラニアにとって一番過酷な時間だった。
かつては、隣でジュリアンの穏やかな寝息が聞こえていた。難産の夜、死の淵から自分を繋ぎ止めてくれた彼の温かな手の感触。
『君を二度と危険に晒さない』
その誓いを思い出すたび、メラニアは自分を納得させる。
(夜の営みがないのは、私を大切に想ってくださっているから。今、独りきりで震えているのも、彼が私たちの未来のために公務に励んでいるから……)
そう。すべては「愛」ゆえの耐え忍びなのだと……。
そんなある日、待ちわびていた隣国からの便りが届いた。
だが、その封筒を受け取った瞬間、メラニアの指先がわずかに震えた。
「……これは?」
いつもなら、封筒の表書きにはジュリアンの整った自筆がある。しかし、今回届いたものは、まるで公的な書類のように無機質で、整然とした活字が並んでいた。
急いで封を切ると、中から出てきたのは、手書きの温もりが一切排除された「タイプライター」の書面だった。
『親愛なるメラニア。
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手紙を読み進めると、そこには以前よりもいっそう、情緒的で熱烈な愛の言葉が並んでいた。
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メラニアは、冷たい活字の羅列を愛おしそうに撫でた。
筆跡がなくても、ここには彼の心が宿っている。そう信じることで、孤独な冬の夜を乗り越えられる気がした。
しかし、彼女は気づかない。
そのタイプライターのキーを叩いていたのが、夫の隣で赤毛を揺らし、勝ち誇ったような笑みを浮かべるマルタという娘であったことに。
そして、その無機質な活字の裏側に、メラニアの記憶を少しずつ塗り替え、彼女を「幸せな箱庭」の中に閉じ込めておくための、緻密な罠が仕掛けられ始めていることに。
数日後、セシリアが再びオッティ邸を訪れた。
メラニアが嬉しそうに「ジュリアンが右手を痛めたので、これからはタイプライターで手紙をくれるそうなの。でも、『ブルネット』と、『ブロンド』を打ち間違ったりしていたから、慣れないのでしょうね」と報告したとき、セシリアの鋭いヘーゼルアイが、微かに細められた。
「『右手を痛めた』……ですって?」
「ええ。公務がそれほどお忙しいのでしょうね。ジュリアンは責任感が強いから」
「そう……。それは心配ね、メラニア」
セシリアは、親友の無垢な笑顔を見つめながら、心の内で冷たい怒りを燃やしていた。
セシリアの元に届く夫チャーチルからの手紙には、そんな報告は一言もなかった。むしろ、『ジュリアンは最近、現地の酒や娯楽にも随分と詳しくなったようだ』という、不穏な一節すらあったのだ。
冬の終わりの気配が漂う中、メラニアの「献身」とジュリアンの「裏切り」は、タイプライターという名の機械を介して、より一層その深みを増していく。
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