「君は特別だ」は嘘の告白でした〜二十歳のバレンタインに離縁します〜

恋せよ恋

文字の大きさ
18 / 20
転落したクロエ・ダグラス伯爵令嬢 〜二十歳のバレンタインに拾われて、裏通りの母になります〜

泥の中の再起 バレンタイデーの慟哭

しおりを挟む
 冷たい雨が、容赦なく王都の石畳を叩いていた。
 二月十四日。かつては甘い香りと華やかな期待に胸を躍らせたはずのその日は、今やクロエ・ダグラスにとって、自身の人生が完全に終わったことを告げる命日となっていた。

 裏路地のゴミ溜めに横たわるクロエの視界には、ぬかるんだ地面に踏みにじられた、数日前の新聞の端切れが映っていた。

『真実の愛、ここに結実。ローゼイ侯爵夫妻、辺境での輝かしい再起』
 見出しの下には、かつての親友、エレナ・ヴィリアーズ――今はエレナ・ローゼイとなった女が、慈愛に満ちた微笑みを浮かべてアルベルトの隣に立つ姿が描かれていた。

「……はは、……あはは……っ」
 喉の奥から、乾いた笑いが漏れる。
 皮肉なものだった。エレナを「置物」と蔑み、アルベルトの愛を勝ち取ったと信じていた自分は、今や泥水を啜り、誰にも看取られず死のうとしている。一方で、地味で真面目だけが取り柄だと思っていたエレナは、自らの手で運命を切り開き、国中の尊敬を集める「聖女」のような存在になっている。

 クロエが最後にアルベルトに会ったのは、一年前のバレンタインだった。

『君という女の浅ましさには反吐が出る。もう二度と、僕の前に現れないでくれ』
 氷のような眼差しで告げられたその言葉を、彼女は今でも昨日のことのように思い出す。彼を追い出された後、実家の伯爵家は彼女を「家の恥」として廃嫡し、借金まみれの老貴族へ売り飛ばそうとした。そこから逃げ出し、転落し続け、行き着いた先がこの汚泥の中だった。

「……寒い。……お腹が、すいたわ……」
 胃を掴まれるような空腹と、熱に浮かされた身体。もう、指先一つ動かす気力も残っていない。かつて自慢だった金の髪は泥にまみれて固まり、贅を尽くした指先は荒れ果てて黒ずんでいる。

(……ああ。ここで、終わるのね)
 意識が遠のき、暗闇が視界を塗り潰そうとしたその時。

 コツン、と。無骨な革靴の先が、汚泥に横たわるクロエの肩を小突いた。

「おい、女。生きてるか?」
 低く、酒と煙草の匂いが混じったような、野性的な声だった。

 クロエは重い瞼を、必死に押し上げる。
 そこには、三白眼の、ひどく人相の悪い男が立っていた。頬には古い刀傷があり、無精髭を生やした顔は「やさぐれている」という言葉がこれ以上なく似合う。だが、その立ち姿には、ただの荒事師ではない、どこか鍛え上げられた武人の名残があった。

「……ぁ……」
「返事ができるならまだマシだが、その目は死んでるな。楽になりたいか?」

 男――ザッシュは、腰に差した短刀の柄にゆっくりと手をかけた。
 それは、裏通りで野垂れ死ぬ者への、この男なりの「慈悲」の形だった。苦しまずに、一突きで終わらせてやるという無言の宣告。

 死。それを待ち望んでいたはずだった。けれど、鈍く光る刃の予感を感じた瞬間、クロエの心臓が、まるで別の生き物のように激しく鼓動を打った。

(……嫌だ)
 泥にまみれた指が、無意識に石畳を強く掻いた。

(こんなところで、あいつらに笑われたまま……。私を捨てた家族や、アルベルトや……あの完璧なエレナの噂を聞きながら死ぬなんて……!)

「……嫌。……死ぬ…なんて……絶対…に……嫌よ……っ!」
 掠れた、けれど魂を振り絞ったような叫び。

 ザッシュは短刀から手を離し、意外そうに目を細めた。
「へぇ。まだ吠える元気があったか。お前、自分が今、どんなザマか分かってるのか?」

「分かっ…てる…わよ……! 泥棒猫に、嘘つき…の裏切り…者……。みんな、私を…そう呼んだわ。でも、このまま…終わる…なんて……許さ…ない。…私は……まだ……生きたい…わ。 生きて、生きて……私は……!」

 溢れ出したのは、謝罪でも反省でもなかった。それは、生への剥き出しの執着。醜く、汚く、けれど何よりも力強い本能。

 ザッシュは鼻で笑うと、雨の中に立ち尽くしたまま、クロエをじっと見下ろした。
「……生きたいか?」
「生きたい。生きて……思い知らせてやるのよ……」

 その言葉を聞いた瞬間、ザッシュはニヒルな笑みを浮かべた。
「なら、地獄へ付き合え。……お前、いいツラになったな。学園でふんぞり返ってた時より、よっぽどマシなツラだぜ、お嬢」

 ザッシュは、まるで荷物でも扱うようにクロエの細い腕を掴むと、力任せに泥の中から引き摺り出した。

 その掌は驚くほど熱く、ゴツゴツとしていて――けれど、絶望の中にいたクロエにとっては、この世で最も確かな「生」の感触だった。

 二月十四日。雨の降る王都の片隅で、元伯爵令嬢クロエ・ダグラスは、一度死に、そして「泥の中から咲く」ための第一歩を、無様に、けれど力強く踏み出した。
______________

エール📣いいね❤️お気に入り⭐️応援よろしくお願いします🙇‍♀️
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

始まりはよくある婚約破棄のように

喜楽直人
恋愛
「ミリア・ファネス公爵令嬢! 婚約者として10年も長きに渡り傍にいたが、もう我慢ならない! 父上に何度も相談した。母上からも考え直せと言われた。しかし、僕はもう決めたんだ。ミリア、キミとの婚約は今日で終わりだ!」 学園の卒業パーティで、第二王子がその婚約者の名前を呼んで叫び、周囲は固唾を呑んでその成り行きを見守った。 ポンコツ王子から一方的な溺愛を受ける真面目令嬢が涙目になりながらも立ち向い、けれども少しずつ絆されていくお話。 第一章「婚約者編」 第二章「お見合い編(過去)」 第三章「結婚編」 第四章「出産・育児編」 第五章「ミリアの知らないオレファンの過去編」連載開始

初夜をすっぽかされた令嬢は夫を死亡扱いする

さんけい
恋愛
クズ夫の非常識を帳簿で粛々と清算!真実の愛?笑わせるわね! 全14話。予約投稿済みです。

[完結]「私が婚約者だったはずなのに」愛する人が別の人と婚約するとしたら〜恋する二人を切り裂く政略結婚の行方は〜

h.h
恋愛
王子グレンの婚約者候補であったはずのルーラ。互いに想いあう二人だったが、政略結婚によりグレンは隣国の王女と結婚することになる。そしてルーラもまた別の人と婚約することに……。「将来僕のお嫁さんになって」そんな約束を記憶の奥にしまいこんで、二人は国のために自らの心を犠牲にしようとしていた。ある日、隣国の王女に関する重大な秘密を知ってしまったルーラは、一人真実を解明するために動き出す。「国のためと言いながら、本当はグレン様を取られたくなだけなのかもしれないの」「国のためと言いながら、彼女を俺のものにしたくて抗っているみたいだ」 二人は再び手を取り合うことができるのか……。 全23話で完結(すでに完結済みで投稿しています)

お飾り王妃の愛と献身

石河 翠
恋愛
エスターは、お飾りの王妃だ。初夜どころか結婚式もない、王国存続の生贄のような結婚は、父親である宰相によって調えられた。国王は身分の低い平民に溺れ、公務を放棄している。 けれどエスターは白い結婚を隠しもせずに、王の代わりに執務を続けている。彼女にとって大切なものは国であり、夫の愛情など必要としていなかったのだ。 ところがある日、暗愚だが無害だった国王の独断により、隣国への侵攻が始まる。それをきっかけに国内では革命が起き……。 国のために恋を捨て、人生を捧げてきたヒロインと、王妃を密かに愛し、彼女を手に入れるために国を変えることを決意した一途なヒーローの恋物語。 ハッピーエンドです。 この作品は他サイトにも投稿しております。 表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID:24963620)をお借りしております。

義兄のために私ができること

しゃーりん
恋愛
姉が亡くなった。出産時の失血が原因だった。 しかも、子供は義兄の子ではないと罪の告白をして。 入り婿である義兄はどこまで知っている? 姉の子を跡継ぎにすべきか、自分が跡継ぎになるべきか、義兄を解放すべきか。 伯爵家のために、義兄のために最善の道を考え悩む令嬢のお話です。

最愛の婚約者に婚約破棄されたある侯爵令嬢はその想いを大切にするために自主的に修道院へ入ります。

ひよこ麺
恋愛
ある国で、あるひとりの侯爵令嬢ヨハンナが婚約破棄された。 ヨハンナは他の誰よりも婚約者のパーシヴァルを愛していた。だから彼女はその想いを抱えたまま修道院へ入ってしまうが、元婚約者を誑かした女は悲惨な末路を辿り、元婚約者も…… ※この作品には残酷な表現とホラーっぽい遠回しなヤンデレが多分に含まれます。苦手な方はご注意ください。 また、一応転生者も出ます。

「憎悪しか抱けない『お下がり令嬢』は、侍女の真似事でもやっていろ」と私を嫌う夫に言われましたので、素直に従った結果……

ぽんた
恋愛
「おれがおまえの姉ディアーヌといい仲だということは知っているよな?ディアーヌの離縁の決着がついた。だからやっと、彼女を妻に迎えられる。というわけで、おまえはもう用済みだ。そうだな。どうせだから、異母弟のところに行くといい。もともと、あいつはディアーヌと結婚するはずだったんだ。妹のおまえでもかまわないだろう」 この日、リン・オリヴィエは夫であるバロワン王国の第一王子マリユス・ノディエに告げられた。 選択肢のないリンは、「ひきこもり王子」と名高いクロード・ノディエのいる辺境の地へ向かう。 そこで彼女が会ったのは、噂の「ひきこもり王子」とはまったく違う気性が荒く傲慢な将軍だった。 クロードは、幼少の頃から自分や弟を守る為に「ひきこもり王子」を演じていたのである。その彼は、以前リンの姉ディアーヌに手痛い目にあったことがあった。その為、人間不信、とくに女性を敵視している。彼は、ディアーヌの妹であるリンを憎み、侍女扱いする。 しかし、あることがきっかけで二人の距離が急激に狭まる。が、それも束の間、王都が隣国のスパイの工作により、壊滅状態になっているいう報が入る。しかも、そのスパイの正体は、リンの知る人だった。 ※全三十九話。ハッピーエンドっぽく完結します。ゆるゆる設定です。ご容赦ください。

大嫌いな幼馴染の皇太子殿下と婚姻させられたので、白い結婚をお願いいたしました

柴野
恋愛
「これは白い結婚ということにいたしましょう」  結婚初夜、そうお願いしたジェシカに、夫となる人は眉を顰めて答えた。 「……ああ、お前の好きにしろ」  婚約者だった隣国の王弟に別れを切り出され嫁ぎ先を失った公爵令嬢ジェシカ・スタンナードは、幼馴染でありながら、たいへん仲の悪かった皇太子ヒューパートと王命で婚姻させられた。  ヒューパート皇太子には陰ながら想っていた令嬢がいたのに、彼女は第二王子の婚約者になってしまったので長年婚約者を作っていなかったという噂がある。それだというのに王命で大嫌いなジェシカを娶ることになったのだ。  いくら政略結婚とはいえ、ヒューパートに抱かれるのは嫌だ。子供ができないという理由があれば離縁できると考えたジェシカは白い結婚を望み、ヒューパートもそれを受け入れた。  そのはず、だったのだが……?  離縁を望みながらも徐々に絆されていく公爵令嬢と、実は彼女のことが大好きで仕方ないツンデレ皇太子によるじれじれラブストーリー。 ※こちらの作品は小説家になろうにも重複投稿しています。

処理中です...