幼馴染が義兄になった日から、彼の愛は行き場を失った

恋せよ恋

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沈黙の誓いと、歪な契約

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 父様を亡くしてから、リンガー子爵邸の空気は、どこか時が止まったように静まり返っていた。

 葡萄畑は変わらず美しい実をつけるけれど、それを見るお父様の穏やかな眼差しはもうどこにもない。母のアマンダは、悲しみを押し隠すように、幼い弟クロフォードの教育と領地の差配に没頭していた。

 そんな私たちを支えてくれたのは、やはり隣領のローデン伯爵家だった。

 当主のオリビエ伯爵は、自らも愛妻パメラ様を失った失意の中にありながら、頻繁に我が家を訪れては、実務的な助言や人手の工面を申し出てくれた。

「アマンダ殿、一人で抱え込むことはない。ヘンリーが生きていれば、私にそう言ったはずだ」

 オリビエ伯爵の言葉に、お母様が少しずつ笑顔を取り戻していくのを見て、私は安堵していた。けれど、その傍らに立つシモンの視線が、以前とは明らかに変わっていることに、当時の私はまだ無頓着だった。

 私たちが十三歳になった、ある春の日。

 邸の応接間に、両家の面々が集められた。
「メルローズ、シモン。よく聞いてほしい。……私たちは、再婚することにした」

 オリビエ様が静かに告げたその言葉は、部屋の空気を一変させた。

 母様は少し頬を染め、俯いている。反対する理由など、どこにもなかった。隣接する領地、共通の事業、そして何より幼い子供たちの未来。周囲の貴族たちも、この縁談をとして祝福するだろう。

 けれど、その言葉を聞いた瞬間。
 私の隣にいたシモンの体から、氷のような冷気が放たれたのを私は感じた。

「……再婚? 本気で言っているのか、父上」
 シモンの声は低く、ひどく抑揚が欠けていた。

「シモン、お前の戸惑いはわかる。だが、これは両家を、そしてお前たちを守るための最善策なんだ」

「守る? 冗談じゃない。再婚すれば、メルローズは俺の『妹』になるということだろう。冗談じゃない、そんなこと、俺が許すと思っているのか!」
 シモンが椅子を蹴るようにして立ち上がった。その瞳には、父への怒りというよりも、何かを奪われることへの剥き出しの恐怖が宿っていた。

「シモン、落ち着いて……!」
 私が彼の袖を掴もうと手を伸ばしたが、シモンはその手を激しく振り払った。そして、私を一瞥もせず、そのまま部屋を飛び出していった。

 その日の夜。私は不安に押しつぶされそうになりながら、庭園の端にある、二人だけの秘密の場所へと向かった。そこには、案の定、月明かりの下で葡萄の棚を見上げるシモンの背中があった。

「シモン……」

「……メルローズか。…… お前は、平気なのか。俺たちが『兄妹』になることが」
 振り返った彼の顔は、影になってよく見えない。

「私は……オリビエ伯爵なら安心だし、お母様も幸せそうだから……それに、シモンと一緒にいられるのなら、それは……」
「俺は、嫌だ!」
 シモンが私の言葉を遮り、一歩、また一歩と距離を詰めてくる。

「兄妹になれば、お前を愛することは許されなくなる。お前を誰かに譲らなきゃならなくなる。……そんな地獄、俺は耐えられない」

 彼の言葉の端々に、十三歳とは思えないほどの、昏い情熱が混じっていた。

「シモン……?」
「心配するな。俺が、なんとかする。……お前を、絶対に誰にも渡さない」


 翌日、シモンは自らオリビエ伯爵の執務室を訪ねたという。
 そこで交わされたのは、親子というよりも、二人のとしての過酷な密約だった。

 後に知ることになるその内容は、あまりにもシモンらしい、独占欲に満ちたものだった。

『再婚は認める。だが、条件がある。……メルローズを、絶対にローデン伯爵家の籍に入れないこと。彼女を、俺の義理の妹にしないことだ』

 オリビエ様は当然、困惑したという。再婚すれば通常、連れ子は再婚先の養子となる。そうでなければ、後継ぎ問題や社交界での立場が危うくなるからだ。

 だが、シモンは一歩も引かなかった。

『彼女は、母方の実家であるアマンド伯爵家に籍を置く形にしてくれ。成人するまではリンガー子爵邸とローデン伯爵邸を行き来すればいい。……その代わり、将来、俺が彼女を娶ることを、今ここで約束してくれ。俺がローデンを継いだ時、メルローズを伯爵夫人として迎え入れる。それができないなら、俺はこの家を出る』

 弱冠十三歳にして、彼は自らの将来と領地の安定を秤にかけ、父親を脅迫に近い形で承諾させたのだ。

 アマンド伯爵家の当主、つまり私の伯父であるケビン伯爵も、もともと「リンガー家の後継ぎであるクロフォードが成人するまで、メルローズの身元を預かるのは悪くない」と考えていたため、このいびつな契約は成立してしまった。

 数ヶ月後、再婚の手続きが完了した。私とシモンは、形式上は「親同士が再婚した、血の繋がらない同居人」となった。

 表面上は、一つ屋根の下で暮らす仲の良い幼馴染。けれど、その実態は、シモンという名の狩人が、私という獲物を囲いの中に閉じ込めるための準備期間に過ぎなかった。

「今日から、同じ屋根の下だな。メルローズ」
 引っ越しを終えた夜、邸の長い廊下で、シモンは私を待ち伏せていた。彼は私の手を取り、指先にそっと唇を寄せた。

「……シモン。あの、ちょっと近すぎるわ」

「いいだろう? 家族じゃないんだ。……俺たちは、他人だ」

 そう言って微笑んだ彼の瞳は、かつてのキラキラとした少年のものではなかった。飢えた獣のような、それでいて冷徹な熱を帯びた、得体の知れない輝き。

 十四歳の春。私たちの同居生活は、どこか狂った歯車が回り始めたような、奇妙な高揚感と恐怖と共に幕を開けた。
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