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番外編
長男リチャード-遺伝する執着、あるいは小さな暴君の宣戦布告
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ローデン伯爵邸の庭園は、今日も平和そのものだった。秋の陽光が、収穫を間近に控えた葡萄の葉を黄金色に染め、風に乗って甘い香りが漂ってくる。
だが、僕――リチャード・シモン・ローデンの心は、少しも平和ではなかった。
「リチャード様、見てください! 蝶々が、あんなに綺麗に飛んでいますわ!」
僕の目の前で、ふわふわとした白いドレスの裾を揺らして笑う少女がいる。隣領のアマンド伯爵家から遊びに来ている、セシリア。僕の従兄であるノーマン伯父様の愛娘であり、僕にとっては一応「はとこ」にあたる。
彼女の透き通るような銀色の髪と、空を映したような碧い瞳。それを見ているだけで、僕の胸の奥は、まるで熱い葡萄の果汁を煮詰めたような、ドロリとした何かに支配される。
「……セシリア。あっちへ行こう。ここは日差しが強すぎる」
僕は彼女の細い手首を掴んだ。
父上――シモン・ローデンが母上に対してそうするように。なるべく優しく、けれど絶対に逃げ出せない強さで。
「あら、でも、向こうには従兄のレオン様たちが……」
「ダメだ。レオンは騒がしい。あいつと一緒にいると、君が疲れてしまうよ」
嘘だ。レオンはただ、セシリアに対して馴れ馴れしいだけだ。あいつが彼女の髪に触れたり、笑いかけたりするのを見るだけで、僕はあいつを領地の果ての荒野にでも追放したくなる。
僕は知っている。
父上の書斎の奥、秘密の引き出しに、母上の幼い頃の髪飾りや、一度だけ使われたレースのハンカチが大切に保管されていることを。
僕は知っている。
父上が、夜会で母上に視線を送る他の貴族たちを、どれほど冷徹な、殺気すらこもった瞳で威圧しているかを。
幼い頃、僕はそんな父上を「少し変わっている」と思っていた。
けれど、セシリアが僕の前に現れたあの日から、僕は悟ったのだ。ローデンの血に流れているのは、ただの貴族の誇りではない。それは「これ」と決めた唯一無二の存在を、世界のすべてから隔絶して守り抜きたいという、狂気にも似た独占欲なのだと。
「リチャード様、どうかなさいました? お顔が怖いですわ」
セシリアが僕の顔を覗き込んでくる。
その無防備な仕草に、僕の理性が微かに軋んだ。
「……なんでもないよ。セシリア、君は僕以外の男と、二人きりで庭を歩いてはいけないよ。分かっているね?」
「まあ。どうしてですの?」
「……汚れるからだ」
父上の口癖が、自然と僕の口からも漏れた。
セシリアは不思議そうに小首を傾げたが、僕の手が彼女を離さないのを見て、少しだけ頬を染めて微笑んだ。
「リチャード様は、シモン叔父様にそっくりですのね」
「父上に……? 嫌だな、あんなに甘ったるい男と一緒にしないでくれ」
「ふふ、でも、私には分かりますわ。今の貴方の瞳、とっても熱くて……お父様が仰っていた『ローデンの猛毒』にそっくりですもの」
ノーマン伯父様、貴方はなんて余計なことを娘に吹き込んでいるんだ。
僕は内心で毒づきながら、セシリアを東屋へと導いた。そこは周囲が蔓で囲まれ、外からは僕たちの姿が見えにくい。
「リチャード、そこにいたのか」
低い声がして、僕は反射的にセシリアを背中に隠した。
現れたのは、父上だった。その隣には、相変わらず、その腕に抱かれるようにして歩く母上の姿がある。
「父上。セシリアと話をしていただけです」
「ほう。……その手の握り方。少し力が入りすぎではないか? 淑女にはもっと優しく接しろと言ったはずだ」
父上が、意地の悪い笑みを浮かべて僕を見た。
「貴方にだけは言われたくありません、父上。貴方こそ、母上の腰をそんなに強く抱いて、母上が苦しそうですよ」
「……メルローズが苦しいはずがない。これは愛の重みだ。そうだろう、メルローズ?」
父上が母上の首筋に顔を寄せ、人目も憚らずに甘い声を出す。
「もう、シモン。リチャードの前でやめてちょうだい。……リチャード、セシリアちゃんを困らせてはダメよ?」
母上が優しく微笑む。その笑顔は、父上の毒をすべて浄化してしまうほどに清らかだ。
けれど、僕が求めているのは、浄化ではない。セシリアの清らかさを、僕だけの色で染め上げることだ。
父上は僕の瞳を見て、ふっと満足そうに口角を上げた。
「……いい目だ、リチャード。その渇きを忘れるな。だが、あまり性急に動いて彼女に逃げられるなよ。俺のように、遠回りをしたくなければな」
「……忠告、痛み入ります」
父上たちが去った後、東屋には再び僕とセシリアだけが残された。
セシリアは、父上と母上の仲睦まじい様子を憧れの瞳で見送っていた。
「いいですわね。シモン様とメルローズ様。あんなふうに、一生誰かに想われ続けるなんて」
「……君もそうなるよ、セシリア」
僕は彼女の耳元で、父上の仕草を真似て囁いた。
「僕が、君をそうさせる。君が他の誰かを振り返る余裕なんてなくなるほど、僕が君を愛して、縛り付けてあげるから」
セシリアは驚いたように目を見開いたが、逃げようとはしなかった。
ローデンの血が呼ぶ執着は、時として、向けられた側をも狂わせる甘い罠になる。彼女が僕の毒に染まるまで、あとどれくらいの時間が必要だろうか。
窓の外、葡萄の若木が風に揺れている。
数年後、この領地にまた新しい、そしてさらに濃厚な物語が生まれることを。僕は父上そっくりの冷徹な笑みを浮かべながら、確信していた。
「さあ、行こう。セシリア。君に似合う、最高級のアメジストの指輪を用意させたんだ。……それを嵌めたら、もう君は僕だけのものだ」
ローデンの家の伝統は、こうして次世代へと、より歪に、より甘美に受け継がれていく。葡萄の香る檻は、永遠に閉じることはないのだ。
ハッピーエンド
______________
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だが、僕――リチャード・シモン・ローデンの心は、少しも平和ではなかった。
「リチャード様、見てください! 蝶々が、あんなに綺麗に飛んでいますわ!」
僕の目の前で、ふわふわとした白いドレスの裾を揺らして笑う少女がいる。隣領のアマンド伯爵家から遊びに来ている、セシリア。僕の従兄であるノーマン伯父様の愛娘であり、僕にとっては一応「はとこ」にあたる。
彼女の透き通るような銀色の髪と、空を映したような碧い瞳。それを見ているだけで、僕の胸の奥は、まるで熱い葡萄の果汁を煮詰めたような、ドロリとした何かに支配される。
「……セシリア。あっちへ行こう。ここは日差しが強すぎる」
僕は彼女の細い手首を掴んだ。
父上――シモン・ローデンが母上に対してそうするように。なるべく優しく、けれど絶対に逃げ出せない強さで。
「あら、でも、向こうには従兄のレオン様たちが……」
「ダメだ。レオンは騒がしい。あいつと一緒にいると、君が疲れてしまうよ」
嘘だ。レオンはただ、セシリアに対して馴れ馴れしいだけだ。あいつが彼女の髪に触れたり、笑いかけたりするのを見るだけで、僕はあいつを領地の果ての荒野にでも追放したくなる。
僕は知っている。
父上の書斎の奥、秘密の引き出しに、母上の幼い頃の髪飾りや、一度だけ使われたレースのハンカチが大切に保管されていることを。
僕は知っている。
父上が、夜会で母上に視線を送る他の貴族たちを、どれほど冷徹な、殺気すらこもった瞳で威圧しているかを。
幼い頃、僕はそんな父上を「少し変わっている」と思っていた。
けれど、セシリアが僕の前に現れたあの日から、僕は悟ったのだ。ローデンの血に流れているのは、ただの貴族の誇りではない。それは「これ」と決めた唯一無二の存在を、世界のすべてから隔絶して守り抜きたいという、狂気にも似た独占欲なのだと。
「リチャード様、どうかなさいました? お顔が怖いですわ」
セシリアが僕の顔を覗き込んでくる。
その無防備な仕草に、僕の理性が微かに軋んだ。
「……なんでもないよ。セシリア、君は僕以外の男と、二人きりで庭を歩いてはいけないよ。分かっているね?」
「まあ。どうしてですの?」
「……汚れるからだ」
父上の口癖が、自然と僕の口からも漏れた。
セシリアは不思議そうに小首を傾げたが、僕の手が彼女を離さないのを見て、少しだけ頬を染めて微笑んだ。
「リチャード様は、シモン叔父様にそっくりですのね」
「父上に……? 嫌だな、あんなに甘ったるい男と一緒にしないでくれ」
「ふふ、でも、私には分かりますわ。今の貴方の瞳、とっても熱くて……お父様が仰っていた『ローデンの猛毒』にそっくりですもの」
ノーマン伯父様、貴方はなんて余計なことを娘に吹き込んでいるんだ。
僕は内心で毒づきながら、セシリアを東屋へと導いた。そこは周囲が蔓で囲まれ、外からは僕たちの姿が見えにくい。
「リチャード、そこにいたのか」
低い声がして、僕は反射的にセシリアを背中に隠した。
現れたのは、父上だった。その隣には、相変わらず、その腕に抱かれるようにして歩く母上の姿がある。
「父上。セシリアと話をしていただけです」
「ほう。……その手の握り方。少し力が入りすぎではないか? 淑女にはもっと優しく接しろと言ったはずだ」
父上が、意地の悪い笑みを浮かべて僕を見た。
「貴方にだけは言われたくありません、父上。貴方こそ、母上の腰をそんなに強く抱いて、母上が苦しそうですよ」
「……メルローズが苦しいはずがない。これは愛の重みだ。そうだろう、メルローズ?」
父上が母上の首筋に顔を寄せ、人目も憚らずに甘い声を出す。
「もう、シモン。リチャードの前でやめてちょうだい。……リチャード、セシリアちゃんを困らせてはダメよ?」
母上が優しく微笑む。その笑顔は、父上の毒をすべて浄化してしまうほどに清らかだ。
けれど、僕が求めているのは、浄化ではない。セシリアの清らかさを、僕だけの色で染め上げることだ。
父上は僕の瞳を見て、ふっと満足そうに口角を上げた。
「……いい目だ、リチャード。その渇きを忘れるな。だが、あまり性急に動いて彼女に逃げられるなよ。俺のように、遠回りをしたくなければな」
「……忠告、痛み入ります」
父上たちが去った後、東屋には再び僕とセシリアだけが残された。
セシリアは、父上と母上の仲睦まじい様子を憧れの瞳で見送っていた。
「いいですわね。シモン様とメルローズ様。あんなふうに、一生誰かに想われ続けるなんて」
「……君もそうなるよ、セシリア」
僕は彼女の耳元で、父上の仕草を真似て囁いた。
「僕が、君をそうさせる。君が他の誰かを振り返る余裕なんてなくなるほど、僕が君を愛して、縛り付けてあげるから」
セシリアは驚いたように目を見開いたが、逃げようとはしなかった。
ローデンの血が呼ぶ執着は、時として、向けられた側をも狂わせる甘い罠になる。彼女が僕の毒に染まるまで、あとどれくらいの時間が必要だろうか。
窓の外、葡萄の若木が風に揺れている。
数年後、この領地にまた新しい、そしてさらに濃厚な物語が生まれることを。僕は父上そっくりの冷徹な笑みを浮かべながら、確信していた。
「さあ、行こう。セシリア。君に似合う、最高級のアメジストの指輪を用意させたんだ。……それを嵌めたら、もう君は僕だけのものだ」
ローデンの家の伝統は、こうして次世代へと、より歪に、より甘美に受け継がれていく。葡萄の香る檻は、永遠に閉じることはないのだ。
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