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初恋の婚約者は蜘蛛の巣の中
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「リリア、喜んでくれ! ついに僕の才能が認められたんだ!」
王都の寄宿制学院、その中庭の片隅で、婚約者であるカイルは、頬を紅潮させ、私の両手を強く握りしめた。
幼馴染でもある彼の、見たこともないほど高揚した表情。けれど、その瞳に映っているのは私ではなく、自らの輝かしい未来だけのように見えた。
「……おめでとう、カイル様。侯爵家の侍従に選ばれたというのは、本当だったのね」
私は精一杯の祝辞を口にする。
カイルは、我が家が代々仕える主家——アルヴィス侯爵家の長女、エレナ様の「学院内侍従」兼「護衛」に抜擢されたのだ。
それは騎士の家系である彼の家にとって、この上ない名誉のはずだった。
「ああ、エレナ様直々のご指名なんだ。『あなたの剣筋は、誰よりも情熱的で素敵ね』と仰ってくださって……。リリア、これで僕が侯爵家へ婿入りする道も、夢ではなくなったかもしれない!」
「……え?」
私の手が、ぴくりと震えた。
私たちは親同士が決めた婚約者だ。カイルの家も私の家も、侯爵家に連なる下位貴族。身分相応に寄り添い、支え合っていくものだと疑ったことはなかった。
なのに、彼は今、平然と言い放った。「侯爵家への婿入り」と。
「カイル様、何を仰っているの? 私たちは婚約しているのですよ。それに、エレナ様にはすでに、名門伯爵家のアルベルト様という立派な婚約者が……」
「分かっているさ、政略結婚だろう? あんな冷徹な男、情熱的なエレナ様にはお似合いじゃない。彼女はもっと、自分を強く守ってくれる存在を求めているんだ」
カイルの声は熱を帯び、どこか夢遊病者のようだった。彼の脳内では、自分が高貴な姫君に見初められた騎士にでもなっているのだろう。
その時だった。
「あら、そこにいたの? 私の、可愛い子犬さん」
鈴を転がすような、けれど背筋が凍るほど甘い声。
振り返ると、そこには金糸の髪をなびかせた、圧倒的な美貌の令嬢が立っていた。この学園の女王であり、私たちの主君の娘、エレナ・アルヴィス侯爵令嬢。
「エレナ様!」
カイルが弾かれたように私の手を放し、彼女の前で跪く。その動作には、私に向けたことのないような、陶酔しきった献身がこもっていた。
「お呼びでしょうか、我が主」
「ええ。喉が渇いたわ。……あら、そちらはリリアね? 仲睦まじいことで」
エレナ様が、扇の隙間から私を値踏みするように見た。彼女の瞳に宿るのは、慈しみではない。——それは、子供が他人の持っている玩具を欲しがる時の、残酷な好奇心だった。
「リリア、あなたに感謝しなくてはね。こんなに『使い勝手のいい男』を、今日まで大切に育てておいてくれて」
「……エレナ様、それはどういう……」
「言葉通りの意味よ。ねえ、カイル? あなたはもう、私のものよね?」
エレナ様が細い指先でカイルの顎を掬い上げる。
カイルは頬を赤らめ、うっとりと目を細めた。私の存在など、もう彼の視界には入っていない。
「もちろんです、エレナ様。私の剣も、この心も、すべて貴女に捧げると誓いました」
幼い頃、私を守ると言ってくれた初恋の人の面影は、そこにはなかった。目の前にいるのは、美しい毒婦に魂を売り渡した、ただの「色香に骨抜きにされた男」だった。
エレナ様が、勝ち誇ったような笑みを浮かべて私を見る。
「ふふ、ごめんなさいね、リリア。私が魅力的なせいで、あなたのカイルを独り占めしてしまって。だって、素敵じゃない……あなたのような真面目な子が、必死に守っているものは」
彼女はカイルの腕をとり、密着するようにして歩き出した。
カイルは一度も振り返ることなく、まるで魔法にかけられたかのように彼女の後に続く。
残された私は、西日に伸びる自分の影を見つめることしかできなかった。胃の奥がせり上がるような不快感と、冷めていく心。
この時、私の中で「初恋」という名の輝きが、音を立てて崩れ去った。
(……カイル様。貴方は気づいていないのね。彼女が求めているのは貴方の愛ではなく、奪う快感だけだということに)
そして、この光景を校舎の窓から静かに見つめる、鋭い双眸があることにも、私はまだ気づいていなかった。
______________
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王都の寄宿制学院、その中庭の片隅で、婚約者であるカイルは、頬を紅潮させ、私の両手を強く握りしめた。
幼馴染でもある彼の、見たこともないほど高揚した表情。けれど、その瞳に映っているのは私ではなく、自らの輝かしい未来だけのように見えた。
「……おめでとう、カイル様。侯爵家の侍従に選ばれたというのは、本当だったのね」
私は精一杯の祝辞を口にする。
カイルは、我が家が代々仕える主家——アルヴィス侯爵家の長女、エレナ様の「学院内侍従」兼「護衛」に抜擢されたのだ。
それは騎士の家系である彼の家にとって、この上ない名誉のはずだった。
「ああ、エレナ様直々のご指名なんだ。『あなたの剣筋は、誰よりも情熱的で素敵ね』と仰ってくださって……。リリア、これで僕が侯爵家へ婿入りする道も、夢ではなくなったかもしれない!」
「……え?」
私の手が、ぴくりと震えた。
私たちは親同士が決めた婚約者だ。カイルの家も私の家も、侯爵家に連なる下位貴族。身分相応に寄り添い、支え合っていくものだと疑ったことはなかった。
なのに、彼は今、平然と言い放った。「侯爵家への婿入り」と。
「カイル様、何を仰っているの? 私たちは婚約しているのですよ。それに、エレナ様にはすでに、名門伯爵家のアルベルト様という立派な婚約者が……」
「分かっているさ、政略結婚だろう? あんな冷徹な男、情熱的なエレナ様にはお似合いじゃない。彼女はもっと、自分を強く守ってくれる存在を求めているんだ」
カイルの声は熱を帯び、どこか夢遊病者のようだった。彼の脳内では、自分が高貴な姫君に見初められた騎士にでもなっているのだろう。
その時だった。
「あら、そこにいたの? 私の、可愛い子犬さん」
鈴を転がすような、けれど背筋が凍るほど甘い声。
振り返ると、そこには金糸の髪をなびかせた、圧倒的な美貌の令嬢が立っていた。この学園の女王であり、私たちの主君の娘、エレナ・アルヴィス侯爵令嬢。
「エレナ様!」
カイルが弾かれたように私の手を放し、彼女の前で跪く。その動作には、私に向けたことのないような、陶酔しきった献身がこもっていた。
「お呼びでしょうか、我が主」
「ええ。喉が渇いたわ。……あら、そちらはリリアね? 仲睦まじいことで」
エレナ様が、扇の隙間から私を値踏みするように見た。彼女の瞳に宿るのは、慈しみではない。——それは、子供が他人の持っている玩具を欲しがる時の、残酷な好奇心だった。
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「……エレナ様、それはどういう……」
「言葉通りの意味よ。ねえ、カイル? あなたはもう、私のものよね?」
エレナ様が細い指先でカイルの顎を掬い上げる。
カイルは頬を赤らめ、うっとりと目を細めた。私の存在など、もう彼の視界には入っていない。
「もちろんです、エレナ様。私の剣も、この心も、すべて貴女に捧げると誓いました」
幼い頃、私を守ると言ってくれた初恋の人の面影は、そこにはなかった。目の前にいるのは、美しい毒婦に魂を売り渡した、ただの「色香に骨抜きにされた男」だった。
エレナ様が、勝ち誇ったような笑みを浮かべて私を見る。
「ふふ、ごめんなさいね、リリア。私が魅力的なせいで、あなたのカイルを独り占めしてしまって。だって、素敵じゃない……あなたのような真面目な子が、必死に守っているものは」
彼女はカイルの腕をとり、密着するようにして歩き出した。
カイルは一度も振り返ることなく、まるで魔法にかけられたかのように彼女の後に続く。
残された私は、西日に伸びる自分の影を見つめることしかできなかった。胃の奥がせり上がるような不快感と、冷めていく心。
この時、私の中で「初恋」という名の輝きが、音を立てて崩れ去った。
(……カイル様。貴方は気づいていないのね。彼女が求めているのは貴方の愛ではなく、奪う快感だけだということに)
そして、この光景を校舎の窓から静かに見つめる、鋭い双眸があることにも、私はまだ気づいていなかった。
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