『妻は飾り、義母は遊び、義妹は暇つぶし』──そう言った男を、北方の獅子が許すはずもなく

恋せよ恋

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蛇の毒と、北からの風

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 父カイルに突き放され、レオンの傲慢な正体に触れたオードリーは、自室のベッドで声を殺して泣き続けた。

 かつては陽光が降り注ぐ温かな場所だったこの屋敷が、今は底なしの沼のように彼女の足を搦め取っている。

 コンコン、と扉を叩く音がした。

 侍女のアンナだろうか。彼女だけは、亡き母の代から仕えてくれている忠実な味方だ。

 しかし、入ってきたのは、ふわりと甘ったるい香りを纏った義妹のバネッサだった。

「お姉様、まだ泣いていらっしゃるの? 目が腫れて、せっかくの金髪が台無しですわ」

 バネッサは十五歳とは思えない手慣れた所作で、オードリーの鏡台の前に座り、勝手に紅を指先にとった。黒髪を弄びながら、鏡越しに義姉を嘲笑う。

「……バネッサ。私の部屋に勝手に入らないで」

「あら、お父様が仰っていましたわ。『オードリーは心が病んでいるようだから、妹のお前が元気づけてやれ』って。本当にお可哀想。あんなに熱心に浮気を訴えて、誰にも信じてもらえないなんて」

 バネッサは立ち上がり、ゆっくりとオードリーの枕元へ歩み寄った。そして、耳元で毒を吐くように囁いた。

「レオン様、凄かったわ。あの方は、お姉様の前では決して見せないような顔を、私には見せてくださるの。……お母様とも、仲良くしていらっしゃるみたいだし。お姉様って、本当に『外れ者』なのね」

「……っ、恥を知りなさい! あなたはまだ十五なのよ!」

 オードリーが叫ぶと、バネッサは鈴を転がすような声で笑った。

「恥? そんなものでお腹は膨れませんわ。私はお母様から教わったの。欲しいものは、奪い取るものだって。……お姉様の婚約者も、このお屋敷も、いつか全部私たちのものになるのよ」

 バネッサは、わざとらしくオードリーの指先にある婚約指輪を眺め、「ふふっ」と鼻で笑って部屋を出て行った。

 オードリーは、その場に崩れ落ちた。怒りよりも、この屋敷に満ちている異常さに、身震いが止まらなかった。

 ――翌朝。

 憔悴しきったオードリーのもとに、一通の手紙が届いた。差出人は、母の実家であるアイゼル公爵家。

 それを見ただけで、オードリーの目から熱いものが溢れ出した。

----------------------------

 愛しい姪、オードリーへ。

 季節の変わり目だが、変わりはないだろうか。
 近々、パトリックが近くまで行く用事がある。
もし良ければ、茶会でもいかがかな。君の好きなレモンパイを用意させよう。

 エドワード・アイゼル

----------------------------

 伯父であるエドワード公爵からの、温かな誘い。

 アイゼル家は、北方を治める勇猛な公爵家だ。現在は、エドワードの弟の息子であるパトリックを養子に迎え、次期当主として厳しくも慈しみを持って育てている。

(行きたい……。ここではないどこかへ。私を信じてくれる人のところへ……)

 だが、今の彼女には「外出禁止」の命が下っている。

 オードリーは震える手で返信を書いた。今の窮状をすべて書くわけにはいかないが、せめて、助けを求める信号を――。

「オードリー、その手紙は何だい?」

 背後からかかった声に、心臓が止まるかと思った。

 いつの間にか、レオンが部屋の入り口に立っていた。彼は音もなく近づき、オードリーの手から無理やり手紙を奪い取った。

「……アイゼル公爵家か。相変わらず、過保護な親戚だ」

「返して、レオン様! それは私の個人的な……」

「ダメだよ。君は今、謹慎中だろう? 勝手な真似をされては、僕の婚約者としての面目が立たない」

 レオンは手紙を無造作にポケットにねじ込むと、オードリーの肩を強く抱き寄せた。

「いいかい、オードリー。君を救えるのは僕だけだ。アイゼル公爵家も、いずれは僕の親戚になる。……無駄な足掻きはやめて、大人しく僕の言うことを聞いていればいいんだよ。そうすれば、結婚した後に、好きなだけアイゼルへ遊びに行かせてあげるから」

 レオンの緑の瞳が、爬虫類のような冷たさで光る。

 その時、階下から大きな声が響いた。

「――失礼する! ダグラス伯爵はおられるか!」

 それは、若々しく、しかし芯の通った凛烈な声だった。

 オードリーは弾かれたように顔を上げた。その声に聞き覚えがあった。

(パトリック様……?)

 招待状への返事を待たず、アイゼルの獅子が、泥沼の邸へと踏み込んできたのだ。
______________

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