3 / 4
狂信の父、凍てつく心
しおりを挟む
その日の午後は、冬の訪れを予感させるような冷たい風が吹いていた。
オードリーは、自室の窓辺で震えていた。昨夜目撃した義母ジャニスと婚約者レオンの密事、そして先ほど庭園で見たバネッサとレオンの密着。
脳裏に焼き付いた淫らな光景が、毒のように全身を駆け巡る。
(お父様に、お伝えしなくては……)
その一心で、オードリーは父カイルの執務室へと向かった。
父は、母キャサリンが生きていた頃は、娘を「私の小さな宝物だ」と言って慈しんでくれた人だ。今の彼はジャニスに夢中だが、それでも目の前の不貞を、娘の婚約者が妻を汚しているという事実を知れば、正気に戻ってくれるはず。そんな淡い期待が、彼女の足を動かしていた。
執務室の前に立つと、中から楽しげな笑い声が聞こえてきた。
「ふふ、カイル様。そんなに見つめられると、私、恥ずかしいわ」
「何を言うんだ、ジャニス。君の瞳はいつ見ても吸い込まれそうなほど美しい。君がこの屋敷に来てくれてから、私はようやく孤独から救われたのだよ」
オードリーは扉を叩こうとした手を止め、唇を噛み締めた。
孤独? 母を亡くした悲しみは、娘である自分と共に分かち合うものではなかったのか。母を愛していた記憶すら、ジャニスの妖艶な微笑みに上書きされてしまったというのか。
意を決して、オードリーは扉をノックした。
「……お父様、オードリーです。お話ししたいことがございます」
部屋に入ると、カイルはジャニスを膝に乗せんばかりの距離で座っていた。ジャニスはオードリーを見ると、勝ち誇ったような、それでいてどこか冷ややかな視線を一瞬だけ投げ、すぐに「しおらしい義母」の顔を作った。
「あら、オードリー。顔色が悪いけれど、まだ具合が良くないの?」
「……ジャニス様、席を外していただけませんか。お父様と二人でお話ししたいのです」
カイルが不機嫌そうに眉を寄せた。
「オードリー、礼儀を失してはいけない。ジャニスは私の妻であり、お前の母なのだぞ。隠し事など必要ない」
「ですが……!」
「言いなさい。何があった」
オードリーは、震える拳を握りしめ、父の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「昨夜、見てしまったのです。……サロンで、レオン様とジャニス様がご一緒のところを。そして、お二人が、あろうことか男女の仲にあることを……っ!」
室内が、凍りついたような静寂に包まれた。
カイルの表情が、驚愕から、次第に険しいものへと変わっていく。
隣でジャニスが「あら……」と小さく声を上げ、ハンカチを口元に当てた。
「お父様、信じてください。それだけではありません。レオン様は今日、庭園でバネッサとも……! 彼は、ダグラス伯爵家に婿入りする身でありながら、お二人を……」
「黙れ!!」
カイルが机を叩いた。凄まじい音に、オードリーの肩が跳ねる。
「……お父様?」
「オードリー、お前がそこまで嫉妬深く、卑劣な娘だとは思わなかったぞ。ジャニスが、レオン君と? 何を馬鹿なことを。彼は、学園でも品行方正で知られるチャーチル侯爵家の次男だ。そしてジャニスは、私を心から愛してくれている」
カイルの瞳には、怒りと軽蔑が混じっていた。
「レオン様は、君との将来のために、ジャニスに『義母としての心得』を相談していただけだと聞いている。夜更けになったのは、熱心に話し込んでしまったからだろう。それを、不貞だなどと……。自分の不出来を棚に上げて、義母と婚約者を貶めるとは!」
「違います、私は、確かにこの目で……」
「見間違いだろう! あるいは、継母であるジャニスを追い出したいがための作り話か」
カイルの言葉は、オードリーの心を鋭く切り裂いた。
隣で、ジャニスがすすり泣くふりをする。
「カイル様、責めないでくださいな。私の努力が足りないのですわ。オードリーさんに、まだ新しい母として認めていただけていないのだわ……。ああ、悲しい……」
「ジャニス、君が謝ることはない。……オードリー、今すぐジャニスに謝罪し、自室で反省しなさい。しばらく外出は禁じる。レオン君との結婚を控え、情緒が不安定になっているようだが、これ以上家名を汚すような真似は許さん」
オードリーの視界が、涙で歪んだ。
何を言っても無駄だ。父は、ジャニスが放つ魔力のような魅力に完全に支配されている。真実よりも、彼女が囁く甘い嘘を信じている。
「……失礼いたします」
オードリーは、絞り出すようにそれだけ言うと、逃げるように部屋を飛び出した。
廊下を走りながら、胸の奥から込み上げる不快感に、何度も吐き気を催した。
自分の家なのに、居場所がない。愛していたはずの父は、別の生き物になってしまった。信じていた婚約者は、醜い獣だった。
自室へ戻る途中、階段の踊り場で、誰かが壁に寄りかかって待っていた。
レオンだった。彼はオードリーが泣いているのを見て、冷笑を浮かべた。
「おや、オードリー。伯爵に泣きついたのかい? 困った人だ。僕たちはみんな、君のために最善を尽くしているというのに」
「……レオン様、よくもそんな白々しいことが言えますわね。ジャニス様とも、バネッサとも……汚らわしい」
レオンは、オードリーの顎を強引に掴み、顔を近づけた。緑の瞳が、冷酷な光を放つ。
「汚らわしい? 貴族の男が遊びを知るのが、そんなに罪かい? 僕は君と結婚して、ダグラス家を支えてあげるんだよ。ジャニスは経験豊富な素晴らしい教師だし、バネッサは若くて刺激的だ。……君も、もう少し物分かりが良くなれば、愛してあげなくもないけれど?」
オードリーは、その手を力一杯振り払った。もはや、ここには希望など欠片もない。
「……覚えていなさい、レオン。私は、貴方を決して許さない」
強気な言葉とは裏腹に、彼女の心は孤独と絶望で、今にも砕けそうだった。
その時、オードリーの脳裏に、優しく微笑む一人の青年が浮かんだ。
従兄のパトリック・アイゼル。
(アイゼルに……母様の実家に、助けを求めることはできないかしら……)
閉ざされた伯爵邸の中で、オードリーは密かに、外の世界への救いを求め始めた。
______________
エール📣いいね❤️お気に入り⭐️応援よろしくお願いします🙇♀️
📢💐 新作告知 【幼馴染が義兄になった日から、彼の愛が怖すぎる~逃げたい義妹と、逃がさない義兄~】
オードリーは、自室の窓辺で震えていた。昨夜目撃した義母ジャニスと婚約者レオンの密事、そして先ほど庭園で見たバネッサとレオンの密着。
脳裏に焼き付いた淫らな光景が、毒のように全身を駆け巡る。
(お父様に、お伝えしなくては……)
その一心で、オードリーは父カイルの執務室へと向かった。
父は、母キャサリンが生きていた頃は、娘を「私の小さな宝物だ」と言って慈しんでくれた人だ。今の彼はジャニスに夢中だが、それでも目の前の不貞を、娘の婚約者が妻を汚しているという事実を知れば、正気に戻ってくれるはず。そんな淡い期待が、彼女の足を動かしていた。
執務室の前に立つと、中から楽しげな笑い声が聞こえてきた。
「ふふ、カイル様。そんなに見つめられると、私、恥ずかしいわ」
「何を言うんだ、ジャニス。君の瞳はいつ見ても吸い込まれそうなほど美しい。君がこの屋敷に来てくれてから、私はようやく孤独から救われたのだよ」
オードリーは扉を叩こうとした手を止め、唇を噛み締めた。
孤独? 母を亡くした悲しみは、娘である自分と共に分かち合うものではなかったのか。母を愛していた記憶すら、ジャニスの妖艶な微笑みに上書きされてしまったというのか。
意を決して、オードリーは扉をノックした。
「……お父様、オードリーです。お話ししたいことがございます」
部屋に入ると、カイルはジャニスを膝に乗せんばかりの距離で座っていた。ジャニスはオードリーを見ると、勝ち誇ったような、それでいてどこか冷ややかな視線を一瞬だけ投げ、すぐに「しおらしい義母」の顔を作った。
「あら、オードリー。顔色が悪いけれど、まだ具合が良くないの?」
「……ジャニス様、席を外していただけませんか。お父様と二人でお話ししたいのです」
カイルが不機嫌そうに眉を寄せた。
「オードリー、礼儀を失してはいけない。ジャニスは私の妻であり、お前の母なのだぞ。隠し事など必要ない」
「ですが……!」
「言いなさい。何があった」
オードリーは、震える拳を握りしめ、父の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「昨夜、見てしまったのです。……サロンで、レオン様とジャニス様がご一緒のところを。そして、お二人が、あろうことか男女の仲にあることを……っ!」
室内が、凍りついたような静寂に包まれた。
カイルの表情が、驚愕から、次第に険しいものへと変わっていく。
隣でジャニスが「あら……」と小さく声を上げ、ハンカチを口元に当てた。
「お父様、信じてください。それだけではありません。レオン様は今日、庭園でバネッサとも……! 彼は、ダグラス伯爵家に婿入りする身でありながら、お二人を……」
「黙れ!!」
カイルが机を叩いた。凄まじい音に、オードリーの肩が跳ねる。
「……お父様?」
「オードリー、お前がそこまで嫉妬深く、卑劣な娘だとは思わなかったぞ。ジャニスが、レオン君と? 何を馬鹿なことを。彼は、学園でも品行方正で知られるチャーチル侯爵家の次男だ。そしてジャニスは、私を心から愛してくれている」
カイルの瞳には、怒りと軽蔑が混じっていた。
「レオン様は、君との将来のために、ジャニスに『義母としての心得』を相談していただけだと聞いている。夜更けになったのは、熱心に話し込んでしまったからだろう。それを、不貞だなどと……。自分の不出来を棚に上げて、義母と婚約者を貶めるとは!」
「違います、私は、確かにこの目で……」
「見間違いだろう! あるいは、継母であるジャニスを追い出したいがための作り話か」
カイルの言葉は、オードリーの心を鋭く切り裂いた。
隣で、ジャニスがすすり泣くふりをする。
「カイル様、責めないでくださいな。私の努力が足りないのですわ。オードリーさんに、まだ新しい母として認めていただけていないのだわ……。ああ、悲しい……」
「ジャニス、君が謝ることはない。……オードリー、今すぐジャニスに謝罪し、自室で反省しなさい。しばらく外出は禁じる。レオン君との結婚を控え、情緒が不安定になっているようだが、これ以上家名を汚すような真似は許さん」
オードリーの視界が、涙で歪んだ。
何を言っても無駄だ。父は、ジャニスが放つ魔力のような魅力に完全に支配されている。真実よりも、彼女が囁く甘い嘘を信じている。
「……失礼いたします」
オードリーは、絞り出すようにそれだけ言うと、逃げるように部屋を飛び出した。
廊下を走りながら、胸の奥から込み上げる不快感に、何度も吐き気を催した。
自分の家なのに、居場所がない。愛していたはずの父は、別の生き物になってしまった。信じていた婚約者は、醜い獣だった。
自室へ戻る途中、階段の踊り場で、誰かが壁に寄りかかって待っていた。
レオンだった。彼はオードリーが泣いているのを見て、冷笑を浮かべた。
「おや、オードリー。伯爵に泣きついたのかい? 困った人だ。僕たちはみんな、君のために最善を尽くしているというのに」
「……レオン様、よくもそんな白々しいことが言えますわね。ジャニス様とも、バネッサとも……汚らわしい」
レオンは、オードリーの顎を強引に掴み、顔を近づけた。緑の瞳が、冷酷な光を放つ。
「汚らわしい? 貴族の男が遊びを知るのが、そんなに罪かい? 僕は君と結婚して、ダグラス家を支えてあげるんだよ。ジャニスは経験豊富な素晴らしい教師だし、バネッサは若くて刺激的だ。……君も、もう少し物分かりが良くなれば、愛してあげなくもないけれど?」
オードリーは、その手を力一杯振り払った。もはや、ここには希望など欠片もない。
「……覚えていなさい、レオン。私は、貴方を決して許さない」
強気な言葉とは裏腹に、彼女の心は孤独と絶望で、今にも砕けそうだった。
その時、オードリーの脳裏に、優しく微笑む一人の青年が浮かんだ。
従兄のパトリック・アイゼル。
(アイゼルに……母様の実家に、助けを求めることはできないかしら……)
閉ざされた伯爵邸の中で、オードリーは密かに、外の世界への救いを求め始めた。
______________
エール📣いいね❤️お気に入り⭐️応援よろしくお願いします🙇♀️
📢💐 新作告知 【幼馴染が義兄になった日から、彼の愛が怖すぎる~逃げたい義妹と、逃がさない義兄~】
58
あなたにおすすめの小説
最後に一つだけ。あなたの未来を壊す方法を教えてあげる
椿谷あずる
恋愛
婚約者カインの口から、一方的に別れを告げられたルーミア。
その隣では、彼が庇う女、アメリが怯える素振りを見せながら、こっそりと勝者の微笑みを浮かべていた。
──ああ、なるほど。私は、最初から負ける役だったのね。
全てを悟ったルーミアは、静かに微笑み、淡々と婚約破棄を受け入れる。
だが、その背中を向ける間際、彼女はふと立ち止まり、振り返った。
「……ねえ、最後に一つだけ。教えてあげるわ」
その一言が、すべての運命を覆すとも知らずに。
裏切られた彼女は、微笑みながらすべてを奪い返す──これは、華麗なる逆転劇の始まり。
婚約破棄されたので、あなたの国に関税50%かけます~最終的には9割越えの悪魔~
常野夏子
恋愛
隣国カリオストの第一王子であり婚約者であったアルヴェルトに、突如国益を理由に婚約破棄されるリュシエンナ。
彼女は怒り狂い、国をも揺るがす復讐の一手を打った。
『本日より、カリオスト王国の全ての輸入品に対し、関税を現行の5倍とする』
どう見ても貴方はもう一人の幼馴染が好きなので別れてください
ルイス
恋愛
レレイとアルカは伯爵令嬢であり幼馴染だった。同じく伯爵令息のクローヴィスも幼馴染だ。
やがてレレイとクローヴィスが婚約し幸せを手に入れるはずだったが……
クローヴィスは理想の婚約者に憧れを抱いており、何かともう一人の幼馴染のアルカと、婚約者になったはずのレレイを比べるのだった。
さらにはアルカの方を優先していくなど、明らかにおかしな事態になっていく。
どう見てもクローヴィスはアルカの方が好きになっている……そう感じたレレイは、彼との婚約解消を申し出た。
婚約解消は無事に果たされ悲しみを持ちながらもレレイは前へ進んでいくことを決心した。
その後、国一番の美男子で性格、剣術も最高とされる公爵令息に求婚されることになり……彼女は別の幸せの一歩を刻んでいく。
しかし、クローヴィスが急にレレイを溺愛してくるのだった。アルカとの仲も上手く行かなかったようで、真実の愛とか言っているけれど……怪しさ満点だ。ひたすらに女々しいクローヴィス……レレイは冷たい視線を送るのだった。
「あなたとはもう終わったんですよ? いつまでも、キスが出来ると思っていませんか?」
わたくし、残念ながらその書類にはサインしておりませんの。
朝霧心惺
恋愛
「リリーシア・ソフィア・リーラー。冷酷卑劣な守銭奴女め、今この瞬間を持って俺は、貴様との婚約を破棄する!!」
テオドール・ライリッヒ・クロイツ侯爵令息に高らかと告げられた言葉に、リリーシアは純白の髪を靡かせ高圧的に微笑みながら首を傾げる。
「誰と誰の婚約ですって?」
「俺と!お前のだよ!!」
怒り心頭のテオドールに向け、リリーシアは真実を告げる。
「わたくし、残念ながらその書類にはサインしておりませんの」
君を幸せにする、そんな言葉を信じた私が馬鹿だった
白羽天使
恋愛
学園生活も残りわずかとなったある日、アリスは婚約者のフロイドに中庭へと呼び出される。そこで彼が告げたのは、「君に愛はないんだ」という残酷な一言だった。幼いころから将来を約束されていた二人。家同士の結びつきの中で育まれたその関係は、アリスにとって大切な生きる希望だった。フロイドもまた、「君を幸せにする」と繰り返し口にしてくれていたはずだったのに――。
「貴女じゃ彼に不釣りあいだから別れて」と言われたので別れたのですが、呪われた上に子供まで出来てて一大事です!?
綾織季蝶
恋愛
「貴女じゃ彼に不釣りあいだから別れて」そう告げられたのは孤児から魔法省の自然管理科の大臣にまで上り詰めたカナリア・スタインベック。
相手はとある貴族のご令嬢。
確かに公爵の彼とは釣り合うだろう、そう諦めきった心で承諾してしまう。
別れる際に大臣も辞め、実家の誰も寄り付かない禁断の森に身を潜めたが…。
何故か呪われた上に子供まで出来てしまった事が発覚して…!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる