三歳年下の婚約者は、嘘を覚えた

恋せよ恋

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眩しい婚約者と焦燥

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 王都の喧騒は、静養地の穏やかな空気とは正反対だった。

 十二歳になったエドワード・フィッチモは、ついに病魔を克服し、フィッチモ公爵家の嫡男として社交界への第一歩を踏み出した。
 かつての青白かった肌には血色が宿り、金髪は陽光を浴びてより一層輝きを増している。呼吸器の不安が消えたことで、彼の背筋は以前よりもずっと伸びていた。

 だが、王都に戻った彼が真っ先に感じたのは、歓喜ではなく、絶望的なまでのフィオーラとの距離感だった。恋焦がれる彼女と会えるのは、彼女の学園が休みとなる週末のお茶会だけだ。

 十五歳になったフィオーラ・ランバートは、王立学園に入学して以来、注目の的となっていた。艶やかなブルネットをなびかせ、知的な緑の瞳で微笑む彼女は、学園内でも才女として多くの高位貴族の令息たちから熱い眼差しを向けられている。
 

「エドワード様、本当にお元気になられて。こうして向かい合ってお茶をいただける日が来るなんて、夢のようですわ」
 フィオーラは、かつて静養地で見せていた「年上の保護者」のような優しい微笑みを浮かべる。
 
 しかし、十二歳になったエドワードにとって、その微笑みは少しだけ胸をチクリと刺すものに変わりつつあった。
 十五歳のフィオーラは、すでに完成された美しさを持つ淑女だ。対して自分は、まだ声変わりもしておらず、背丈も彼女より低い。

「……フィオーラ。僕はもう、子供じゃないよ。そんな風に、笑わないでくれ」
「あら、ごめんなさい。ふふふ、つい癖で……。でも、エドワード様が元気になられたのは、本当に嬉しいことなのですよ」

 そう言って彼女は、エドワードの皿に好物の焼き菓子を切り分けてくれる。その仕草一つ一つに余裕があり、完成されている。エドワードは、自分が彼女の隣に並ぶには、まだあまりにも「幼い」ことを突きつけられるようだった。


 王都での生活が始まると、エドワードにも同年代の令息たちとの交流が生まれた。
 クラーク伯爵家の嫡男ジルバート、ラフラール侯爵家の次男ベルナール、そしてベルドン公爵家の嫡男リチャード。彼らは今後の学園や、夜会などで、将来の社交界を担う仲間たちだ。

 ある日の午後、エドワードは彼らと侯爵邸のサロンで談笑していた。話題は自然と、それぞれの婚約者のことへと流れる。

「エドワードの婚約者は、あのランバート侯爵令嬢だろう? 正直、羨ましいよ。あんな才色兼備、めったにいない」
 リチャードが感心したように言う。エドワードは誇らしさに胸を張った。

(そうだ。僕のフィオーラは、誰よりも素晴らしいんだ。彼女が僕の婚約者で本当に良かった)

 しかし、次に続いたジルバートの言葉に、エドワードの耳は疑うように跳ね上がった。

「年上っていうのも、案外いいよなあ。もリードしてくれそうだし」
「……?」
 エドワードが首を傾げると、令息たちはニヤリと悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「ああ、閨事のことさ。エドワード、お前まだ知らないのか? 三歳も年上だったら、夜の作法もいろいろ教えてもらえそうじゃないか。大人の女の余裕っていうかさ」
 ドッと上がる年頃の男の子らしい明るい笑い声。

 エドワードの頭に血が上った。
(フィオーラを、そんな卑猥な想像の対象にするなんて……!)
 激しい怒りとともに、言葉にできない不快感が彼を襲う。だが同時に、得体の知れない不安が胸を焼いた。

 彼らが言う「大人の世界」。三歳年上のフィオーラは、すでに自分よりも遥か先の世界を見ているのではないか。自分はまだ、彼女に手を引かれ、お菓子を切り分けてもらっている子供だ。
そんな自分が、彼女を「女」として抱く姿など、今はまだ想像すら及ばない。

「……不謹慎な冗談はやめてくれ。彼女は、そんな……」
 エドワードの反論は、少年特有の少し高い声で震えていた。

 友人たちは「悪い悪い」と肩を叩いたが、エドワードの心の中には、大きな不安が、暗い感情となって溜まっていく。

(早く、早く追いつかなければ。僕が彼女を守れるようにならなければ、他の『大人』の男たちに、彼女を奪われてしまう……)
 
 初恋という名の熱病は、健康を得た少年の心の中で、少しずつ「独占欲」という歪な形へと変貌し始めていた。



 二週間に一度のお茶会の後、二人は庭園を散歩するのが常だった。

「エドワード様、見て。あの薔薇、今、話題の品種ですわ」
 そう言って振り返ったフィオーラの足元が、石畳の段差にぐらりと揺れた。

「フィオーラ!」
 エドワードは反射的に手を伸ばし、彼女の細い腕を抱き寄せるようにして支えた。

 次の瞬間、エドワードの心臓が跳ね上がった。
 視線の高さは、いつの間にかほぼ同じ。腕の中に収まった彼女の身体は、驚くほどに柔らかく、そして熱かった。鼻腔をくすぐる、瑞々しい花の香りと、彼女自身の甘い体温。

「……ありがとうございます。助かりましたわ、エドワード様」
 すぐ近くで囁かれた声に、エドワードは慌てて手を離した。

「……っ。いや。怪我がなくて良かった……」
 ぶっきらぼうな口調とは裏腹に、手のひらにはまだ彼女の柔らかい感触が痺れるように残っていた。

 その夜のことだ。エドワードは、生まれて初めて、フィオーラとの艶めかしい夢から目を覚ました。
 暗闇の中、荒い呼吸を繰り返す彼の身体は、未知の熱に浮かされていた。下履きの濡れた感触を確認し、それが何であるかを理解した瞬間、エドワードは顔を覆って悶絶した。

(僕は……なんて、なんて不浄なことを……!)

 あんなに清らかで、誰よりも尊敬し、大切にすべきフィオーラに対して。彼女を「恋しい」と思う純粋な願いの裏側に、ドロドロとした暗い欲望が潜んでいたことに、十二歳の彼は激しい嫌悪と、それ以上の抗いがたい魅力を覚えるのだった。
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