13 / 93
王妃の転落
しおりを挟む
「マグノリア! お前は……なんてことをしてくれたんだ!」
王宮の奥深くまで、陛下の怒声が響き渡った。
普段は温厚なフィリップとは思えない、荒々しい怒気──。その迫力に、王妃は身をすくませ、怯えるしかなかった。
「お前は、この国を潰したいのか! ……いや、もう、ダメかもしれん……もう。」
蒼白になったフィリップの顔。血走った瞳。
そこに、ローザリア王国の王としての威厳は一欠片もない。
あるのはただ──大国ローゼンタール王国の怒りに震え上がる、ひとりの小物の姿。
「陛下! わ、わたくしは……! ただ、社交の場で王妃であるこの私に恥をかかせたアナスタシアを、少し嗜めたかっただけで!」
マグノリアは、プライドも体面もかなぐり捨て、フィリップの足にすがりつき、必死に許しを乞う。
「ええい、うるさい! お前は離宮で謹慎していろ! 公務はすべてセザンヌが代理で行う……。
──本来、あるべき姿に戻るだけだ。」
その最後の呟きこそが、王妃マグノリアの胸を深く切り裂いた。
これまでも陰で何を言われているか、知っていた。
能力もないくせに、公爵令嬢セザンヌを差し置いて王妃になった無能。
王をたぶらかして子を孕んだ、したたかな女狐──。
それでも。
フィリップを愛した想いだけは、嘘ではなかった。
誰に何を言われようと、その想いは宝石のようにきらめいていたのに。
◇◇◇
「大丈夫かい、アナスタシア?……毒を盛られたわりには……まあ、えっと……平気そう、だね?」
兄サミュエルは、面会に来るなり怪訝そうに眉をひそめた。
「ふふふ。ええ、おかげさまで。“毒を盛られた”わりには元気ですわ。」
顔色こそ蒼白だが、目の光も表情も、いつものアナスタシアそのものだった。
「伯父上から王家に書簡が届いたらしいね。今ごろフィリップ陛下は青ざめているんじゃないかな。ははは。」
サミュエルは、あえて軽い調子で愉快そうに言う。アナスタシアの体調を思っての配慮だろう。
「そうですわね。フィリップ陛下も、マグノリア王妃を粛正せざるを得ないでしょうね。」
アナスタシアの返答に、サミュエルは静かに頷いた。
「シャルロット嬢は、ショックで体調を崩されたそうだ。エドワード王太子が付き添っているらしい。……あの二人の間に、愛情はあったのだな。」
その言葉は、アナスタシアの胸に小さな痛みを落とす。
エドワードとシャルロット――二人の間に恋心が通っていたという事実が、どうしようもなく悲しかった。
そのとき、扉を叩く音が響いた。
「失礼いたします。ローゼンタール王国より使者がお越しです。お連れしてもよろしいでしょうか?」
家令のうかがう声だ。
「ええ、お通ししてちょうだい。」
本来なら、公爵家の令嬢の寝室に使者が通されるはずもない。だがアナスタシアにもサミュエルにも、誰が来訪したのかは分かっていた。
――コンコン。
「失礼いたします。お連れいたしました。」
「失礼。……アナスタシア、大丈夫か?」
入室したのは、黒髪に漆黒の瞳を持つ美丈夫だった。逞しい体つきに高潔な気品をまとい、その表情には深い心配と、そして確かな安堵が入り混じっていた。
「お前、また無茶をしたのだろう? 自分を大切にしろよ!」
気安い口ぶりと、その柔らかな眼差しは、彼とアナスタシアの親密さを自然と示していた。
「ふふふ、ごめん。ライナス、わざわざありがとう。こんな機会だけれど……幼馴染のあなたに会えて嬉しいわ。」
青白い顔に浮かんだ微笑みは、十七歳の少女らしいあどけなさを帯びていた。
サミュエルは、目を細めて幼馴染の二人を見つめる。その視線には、安堵と、どこか兄らしい温かい期待が滲んでいた。
翌日、まだ“王太子”の肩書きを持つエドワードから、アナスタシアへの面会の伺いが届いた。
「……会いたくないのなら、断ってもいい。お前が傷つく必要はない。」
サミュエルは、妹の心が再び痛むことを恐れ、そっと言葉を添えた。
しかしアナスタシアは、長い沈黙ののち静かに首を振った。
「いいえ、お兄様。エドワード王太子殿下と……どうしても一度だけお話ししたく存じます。──たぶん、これが最後になりますから。」
エドワードの未来が決まってしまう前に。“かつて婚約者だった人”と、きちんと終わりを告げたかった。
胸の奥に残る痛みを抱えたまま、アナスタシアは面会を受ける覚悟を決めたのだった。
つづく
__________________________
「いいね」すると作者が小躍りして喜びます💃
王宮の奥深くまで、陛下の怒声が響き渡った。
普段は温厚なフィリップとは思えない、荒々しい怒気──。その迫力に、王妃は身をすくませ、怯えるしかなかった。
「お前は、この国を潰したいのか! ……いや、もう、ダメかもしれん……もう。」
蒼白になったフィリップの顔。血走った瞳。
そこに、ローザリア王国の王としての威厳は一欠片もない。
あるのはただ──大国ローゼンタール王国の怒りに震え上がる、ひとりの小物の姿。
「陛下! わ、わたくしは……! ただ、社交の場で王妃であるこの私に恥をかかせたアナスタシアを、少し嗜めたかっただけで!」
マグノリアは、プライドも体面もかなぐり捨て、フィリップの足にすがりつき、必死に許しを乞う。
「ええい、うるさい! お前は離宮で謹慎していろ! 公務はすべてセザンヌが代理で行う……。
──本来、あるべき姿に戻るだけだ。」
その最後の呟きこそが、王妃マグノリアの胸を深く切り裂いた。
これまでも陰で何を言われているか、知っていた。
能力もないくせに、公爵令嬢セザンヌを差し置いて王妃になった無能。
王をたぶらかして子を孕んだ、したたかな女狐──。
それでも。
フィリップを愛した想いだけは、嘘ではなかった。
誰に何を言われようと、その想いは宝石のようにきらめいていたのに。
◇◇◇
「大丈夫かい、アナスタシア?……毒を盛られたわりには……まあ、えっと……平気そう、だね?」
兄サミュエルは、面会に来るなり怪訝そうに眉をひそめた。
「ふふふ。ええ、おかげさまで。“毒を盛られた”わりには元気ですわ。」
顔色こそ蒼白だが、目の光も表情も、いつものアナスタシアそのものだった。
「伯父上から王家に書簡が届いたらしいね。今ごろフィリップ陛下は青ざめているんじゃないかな。ははは。」
サミュエルは、あえて軽い調子で愉快そうに言う。アナスタシアの体調を思っての配慮だろう。
「そうですわね。フィリップ陛下も、マグノリア王妃を粛正せざるを得ないでしょうね。」
アナスタシアの返答に、サミュエルは静かに頷いた。
「シャルロット嬢は、ショックで体調を崩されたそうだ。エドワード王太子が付き添っているらしい。……あの二人の間に、愛情はあったのだな。」
その言葉は、アナスタシアの胸に小さな痛みを落とす。
エドワードとシャルロット――二人の間に恋心が通っていたという事実が、どうしようもなく悲しかった。
そのとき、扉を叩く音が響いた。
「失礼いたします。ローゼンタール王国より使者がお越しです。お連れしてもよろしいでしょうか?」
家令のうかがう声だ。
「ええ、お通ししてちょうだい。」
本来なら、公爵家の令嬢の寝室に使者が通されるはずもない。だがアナスタシアにもサミュエルにも、誰が来訪したのかは分かっていた。
――コンコン。
「失礼いたします。お連れいたしました。」
「失礼。……アナスタシア、大丈夫か?」
入室したのは、黒髪に漆黒の瞳を持つ美丈夫だった。逞しい体つきに高潔な気品をまとい、その表情には深い心配と、そして確かな安堵が入り混じっていた。
「お前、また無茶をしたのだろう? 自分を大切にしろよ!」
気安い口ぶりと、その柔らかな眼差しは、彼とアナスタシアの親密さを自然と示していた。
「ふふふ、ごめん。ライナス、わざわざありがとう。こんな機会だけれど……幼馴染のあなたに会えて嬉しいわ。」
青白い顔に浮かんだ微笑みは、十七歳の少女らしいあどけなさを帯びていた。
サミュエルは、目を細めて幼馴染の二人を見つめる。その視線には、安堵と、どこか兄らしい温かい期待が滲んでいた。
翌日、まだ“王太子”の肩書きを持つエドワードから、アナスタシアへの面会の伺いが届いた。
「……会いたくないのなら、断ってもいい。お前が傷つく必要はない。」
サミュエルは、妹の心が再び痛むことを恐れ、そっと言葉を添えた。
しかしアナスタシアは、長い沈黙ののち静かに首を振った。
「いいえ、お兄様。エドワード王太子殿下と……どうしても一度だけお話ししたく存じます。──たぶん、これが最後になりますから。」
エドワードの未来が決まってしまう前に。“かつて婚約者だった人”と、きちんと終わりを告げたかった。
胸の奥に残る痛みを抱えたまま、アナスタシアは面会を受ける覚悟を決めたのだった。
つづく
__________________________
「いいね」すると作者が小躍りして喜びます💃
2,467
あなたにおすすめの小説
言いたいことはそれだけですか。では始めましょう
井藤 美樹
恋愛
常々、社交を苦手としていましたが、今回ばかりは仕方なく出席しておりましたの。婚約者と一緒にね。
その席で、突然始まった婚約破棄という名の茶番劇。
頭がお花畑の方々の発言が続きます。
すると、なぜが、私の名前が……
もちろん、火の粉はその場で消しましたよ。
ついでに、独立宣言もしちゃいました。
主人公、めちゃくちゃ口悪いです。
成り立てホヤホヤのミネリア王女殿下の溺愛&奮闘記。ちょっとだけ、冒険譚もあります。
婚約破棄されたので、前世の知識で無双しますね?
ほーみ
恋愛
「……よって、君との婚約は破棄させてもらう!」
華やかな舞踏会の最中、婚約者である王太子アルベルト様が高らかに宣言した。
目の前には、涙ぐみながら私を見つめる金髪碧眼の美しい令嬢。確か侯爵家の三女、リリア・フォン・クラウゼルだったかしら。
──あら、デジャヴ?
「……なるほど」
病めるときも健やかなるときも、お前だけは絶対許さないからなマジで
あだち
恋愛
ペルラ伯爵家の跡取り娘・フェリータの婚約者が、王女様に横取りされた。どうやら、伯爵家の天敵たるカヴァリエリ家の当主にして王女の側近・ロレンツィオが、裏で糸を引いたという。
怒り狂うフェリータは、大事な婚約者を取り返したい一心で、祝祭の日に捨て身の行動に出た。
……それが結果的に、にっくきロレンツィオ本人と結婚することに結びつくとも知らず。
***
『……いやホントに許せん。今更言えるか、実は前から好きだったなんて』
前世の旦那様、貴方とだけは結婚しません。
真咲
恋愛
全21話。他サイトでも掲載しています。
一度目の人生、愛した夫には他に想い人がいた。
侯爵令嬢リリア・エンダロインは幼い頃両親同士の取り決めで、幼馴染の公爵家の嫡男であるエスター・カンザスと婚約した。彼は学園時代のクラスメイトに恋をしていたけれど、リリアを優先し、リリアだけを大切にしてくれた。
二度目の人生。
リリアは、再びリリア・エンダロインとして生まれ変わっていた。
「次は、私がエスターを幸せにする」
自分が彼に幸せにしてもらったように。そのために、何がなんでも、エスターとだけは結婚しないと決めた。
王命により、婚約破棄されました。
緋田鞠
恋愛
魔王誕生に対抗するため、異界から聖女が召喚された。アストリッドは結婚を翌月に控えていたが、婚約者のオリヴェルが、聖女の指名により独身男性のみが所属する魔王討伐隊の一員に選ばれてしまった。その結果、王命によって二人の婚約が破棄される。運命として受け入れ、世界の安寧を祈るため、修道院に身を寄せて二年。久しぶりに再会したオリヴェルは、以前と変わらず、アストリッドに微笑みかけた。「私は、長年の約束を違えるつもりはないよ」。
わたしを捨てた騎士様の末路
夜桜
恋愛
令嬢エレナは、騎士フレンと婚約を交わしていた。
ある日、フレンはエレナに婚約破棄を言い渡す。その意外な理由にエレナは冷静に対処した。フレンの行動は全て筒抜けだったのだ。
※連載
セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。
【完結】私が誰だか、分かってますか?
美麗
恋愛
アスターテ皇国
時の皇太子は、皇太子妃とその侍女を妾妃とし他の妃を娶ることはなかった
出産時の出血により一時病床にあったもののゆっくり回復した。
皇太子は皇帝となり、皇太子妃は皇后となった。
そして、皇后との間に産まれた男児を皇太子とした。
以降の子は妾妃との娘のみであった。
表向きは皇帝と皇后の仲は睦まじく、皇后は妾妃を受け入れていた。
ただ、皇帝と皇后より、皇后と妾妃の仲はより睦まじくあったとの話もあるようだ。
残念ながら、この妾妃は産まれも育ちも定かではなかった。
また、後ろ盾も何もないために何故皇后の侍女となったかも不明であった。
そして、この妾妃の娘マリアーナははたしてどのような娘なのか…
17話完結予定です。
完結まで書き終わっております。
よろしくお願いいたします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる