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静かな脅迫
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「あの小娘め、許さん。……あの女がいては、ロクサーヌを王太子妃にする望みが叶わん!」
____ダンッ! 机の上のグラスが倒れ、水が広がって書類を濡らす。
「少しばかり、脅してやるか。でしゃばりすぎると怪我をする――それを教えてやるのも、年長者の務めだからな……ふふふ」
クラーク・カークランド公爵の顔にランプの影が差し、ほの暗い笑みが浮かんでいた。
◇◇◇
「ベイドン伯爵家から、お茶会の招待ですの?」
アナスタシアは、届けられた招待状を手に取り、怪訝そうに眉をひそめた。
先日、急遽執り行われた王太子妃選定の儀――そこでの自身の振る舞いを思えば、ベイドン伯爵家が今さら親交を深めようと考えるとは、とても思えない。
(どう考えても、裏があるわね……。できることなら、関わりたくないけれど……)
ヴェルデン公爵家当主である兄・サミュエルと相談のうえ、返書は「欠席」として送らせた。
(さて……次は、どんな手で来るのかしら? カークランド公爵……)
静かに微笑みながら、アナスタシアは胸の内でそう呟いた。
◇◇◇
「なに……? 『欠席』の返事だと……。ふん、小賢しい小娘め。こちらを警戒したか」
カークランド公爵は、しばし目を閉じ、指先で机を軽く叩いた。
何かを計るような沈黙ののち――ゆっくりと目を開く。
「……構わん」
次の瞬間、低い声で命じた。
「おい。ケビンを呼べ。少し、頼みたいことがある」
ランプの明かりに照らされ、クラークの口元に陰鬱な笑みが浮かぶ。
それは、拒まれた程度では決して引き下がらぬ男の、それだった。
◇◇◇
兄サミュエルの書斎に呼ばれたアナスタシアは、机の上に置かれた一通の報告書に目を落とし、眉をひそめた。
「街で、妙な噂が出始めている」
「噂、ですか?」
「ああ。王都周辺で、貴族の令嬢を狙った“不審な接触”があったそうだ。怪我人は出ていないが……相手は名乗らず、警告めいた言葉だけを残して去ったらしい」
アナスタシアは、そっと指先を握りしめた。
(……脅し、ですわね)
「念のため、不要な外出はしばらく控えなさい」
「……承知しました」
そう答えながらも、胸の奥には冷たい予感が沈んでいく。
(直接手を出せば問題になる。だから――“怖がらせる”)
静かに息を吸い、背筋を伸ばす。
(でも……脅しで引くと思われるほど、わたくしは甘くないわ)
翌日から、アナスタシアの周囲には、目に見えて護衛が増えた。
廊下、サロン、庭園――どこへ行くにも、常に数名の護衛騎士が距離を保って付き従う。
「少々、大げさではありませんこと?」
そう言いながらも、彼女は拒まなかった。危険を軽んじるつもりは、最初からない。
昼下がり。王宮付属の礼拝堂へ向かうため、正面玄関から馬車へ乗り込もうとしたときのことだった。
「……?」
護衛の配置が、いつもと違う。
正面に二名、左右に一名ずつ。背後が、一瞬だけ、薄い。
訓練された者でなければ気づかないほどの、わずかな空白。
(……故意に、中央へ誘導されているわね)
アナスタシアは足を止めなかった。あくまで、何も気づいていない“守られるだけの令嬢”を演じる。
馬車の扉が開く。
その瞬間―― ゴトンッ! 足元に、何かが転がった。
小さな革袋。拾い上げるより早く、護衛の一人が顔色を変える。
「お下がりください!」
袋の中身は、白い粉末だった。香料か、薬か――判別はつかない。だが、“害意がある”と示すには十分すぎる。
周囲が一気に騒然となる。
「どこからだ!」
「誰か見ていなかったのか!?」
その喧騒の中で、アナスタシアは静かに思った。
(……なるほどね )
これは、ただの“警告”――『いつでも、手は出せる』という意思表示。
(次は……もっと分かりやすい形で来る)
どこかで、誰かが笑ったような気配がした。
◇◇◇
その夜。アナスタシアは、サロンの窓辺で、灯りを落としたまま庭を見下ろしていた。彼女は、ゆっくりと振り返った。
「お兄様。ひとつ、お願いがございます」
本を読んでいたサミュエルが顔を上げる。
「なんだい?……嫌な予感がするが、いちおう聞こうか」
「護衛の配置、あえて固定してください。交代時間も、動線も」
「わざとか?」
「ええ。“隙がある”と、思わせるために」
サミュエルは、短く息を吐いた。
「……相手を、誘う気だな」
「逃げ回るだけでは、終わりませんもの」
アナスタシアは、静かに微笑んだ。
「“監視されている”なら――こちらも、利用しますわ」
窓の外で、夜風が再び枝を揺らす。
サミュエルが、先日の”白い粉の入った革袋“について判明した事実を告げる。
「皮袋の中身は、礼拝堂で使われる清めの粉だったよ。つまり、”害はない“からこそ厄介で、告発もしづらい。『本気で危害は加えない』そう“理解させるため”の警告だな」
だが、その”見えない敵“を見つめるアナスタシアの瞳に、怯えはなかった。
(脅しは通じないと、きちんと教えて差し上げますわ)
次に仕掛けるのは、相手か。それとも――こちらか。
静かな夜は、すでに嵐の前触れに変わっていた。
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クラーク・カークランド公爵の顔にランプの影が差し、ほの暗い笑みが浮かんでいた。
◇◇◇
「ベイドン伯爵家から、お茶会の招待ですの?」
アナスタシアは、届けられた招待状を手に取り、怪訝そうに眉をひそめた。
先日、急遽執り行われた王太子妃選定の儀――そこでの自身の振る舞いを思えば、ベイドン伯爵家が今さら親交を深めようと考えるとは、とても思えない。
(どう考えても、裏があるわね……。できることなら、関わりたくないけれど……)
ヴェルデン公爵家当主である兄・サミュエルと相談のうえ、返書は「欠席」として送らせた。
(さて……次は、どんな手で来るのかしら? カークランド公爵……)
静かに微笑みながら、アナスタシアは胸の内でそう呟いた。
◇◇◇
「なに……? 『欠席』の返事だと……。ふん、小賢しい小娘め。こちらを警戒したか」
カークランド公爵は、しばし目を閉じ、指先で机を軽く叩いた。
何かを計るような沈黙ののち――ゆっくりと目を開く。
「……構わん」
次の瞬間、低い声で命じた。
「おい。ケビンを呼べ。少し、頼みたいことがある」
ランプの明かりに照らされ、クラークの口元に陰鬱な笑みが浮かぶ。
それは、拒まれた程度では決して引き下がらぬ男の、それだった。
◇◇◇
兄サミュエルの書斎に呼ばれたアナスタシアは、机の上に置かれた一通の報告書に目を落とし、眉をひそめた。
「街で、妙な噂が出始めている」
「噂、ですか?」
「ああ。王都周辺で、貴族の令嬢を狙った“不審な接触”があったそうだ。怪我人は出ていないが……相手は名乗らず、警告めいた言葉だけを残して去ったらしい」
アナスタシアは、そっと指先を握りしめた。
(……脅し、ですわね)
「念のため、不要な外出はしばらく控えなさい」
「……承知しました」
そう答えながらも、胸の奥には冷たい予感が沈んでいく。
(直接手を出せば問題になる。だから――“怖がらせる”)
静かに息を吸い、背筋を伸ばす。
(でも……脅しで引くと思われるほど、わたくしは甘くないわ)
翌日から、アナスタシアの周囲には、目に見えて護衛が増えた。
廊下、サロン、庭園――どこへ行くにも、常に数名の護衛騎士が距離を保って付き従う。
「少々、大げさではありませんこと?」
そう言いながらも、彼女は拒まなかった。危険を軽んじるつもりは、最初からない。
昼下がり。王宮付属の礼拝堂へ向かうため、正面玄関から馬車へ乗り込もうとしたときのことだった。
「……?」
護衛の配置が、いつもと違う。
正面に二名、左右に一名ずつ。背後が、一瞬だけ、薄い。
訓練された者でなければ気づかないほどの、わずかな空白。
(……故意に、中央へ誘導されているわね)
アナスタシアは足を止めなかった。あくまで、何も気づいていない“守られるだけの令嬢”を演じる。
馬車の扉が開く。
その瞬間―― ゴトンッ! 足元に、何かが転がった。
小さな革袋。拾い上げるより早く、護衛の一人が顔色を変える。
「お下がりください!」
袋の中身は、白い粉末だった。香料か、薬か――判別はつかない。だが、“害意がある”と示すには十分すぎる。
周囲が一気に騒然となる。
「どこからだ!」
「誰か見ていなかったのか!?」
その喧騒の中で、アナスタシアは静かに思った。
(……なるほどね )
これは、ただの“警告”――『いつでも、手は出せる』という意思表示。
(次は……もっと分かりやすい形で来る)
どこかで、誰かが笑ったような気配がした。
◇◇◇
その夜。アナスタシアは、サロンの窓辺で、灯りを落としたまま庭を見下ろしていた。彼女は、ゆっくりと振り返った。
「お兄様。ひとつ、お願いがございます」
本を読んでいたサミュエルが顔を上げる。
「なんだい?……嫌な予感がするが、いちおう聞こうか」
「護衛の配置、あえて固定してください。交代時間も、動線も」
「わざとか?」
「ええ。“隙がある”と、思わせるために」
サミュエルは、短く息を吐いた。
「……相手を、誘う気だな」
「逃げ回るだけでは、終わりませんもの」
アナスタシアは、静かに微笑んだ。
「“監視されている”なら――こちらも、利用しますわ」
窓の外で、夜風が再び枝を揺らす。
サミュエルが、先日の”白い粉の入った革袋“について判明した事実を告げる。
「皮袋の中身は、礼拝堂で使われる清めの粉だったよ。つまり、”害はない“からこそ厄介で、告発もしづらい。『本気で危害は加えない』そう“理解させるため”の警告だな」
だが、その”見えない敵“を見つめるアナスタシアの瞳に、怯えはなかった。
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