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選ばれる者、選ばれなかった者
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王宮の広間には、シリル王太子の婚約者候補とされる三名の令嬢が集められていた。
グローリー公爵令嬢コーデリア、十五歳。
アデル侯爵令嬢ジュリエット、十六歳。
ヴェルデン公爵令嬢アナスタシア、十七歳。
そしてその場で、ベイドン伯爵令嬢ロクサーヌの婚約者候補辞退が、正式に発表された。
「三名の令嬢方には、王太子妃教育を受けていただくことになる。もっとも、アナスタシア嬢はすでに修了しているがな。ジュリエット嬢、コーデリア嬢は、後日、王宮での講習日程を確認してもらいたい」
宰相の説明を受け、アナスタシアが静かに声を上げた。
「恐れながら、よろしいでしょうか?」
宰相が頷き、発言を許可するのを確認してから、彼女は続ける。
「十代後半の令嬢を三人も、王太子の婚約者候補として拘束する――それは、いかなるお考えによるものでしょうか。
もし婚約者に選ばれず、王太子妃とならなかった場合、わたくしどもの将来については、どのようにお考えですの?」
鋭い問いかけに、宰相はあらかじめ用意していた答えを口にした。
「……その点については、王家としても考慮している。シリル殿下の側近である令息二名の、婚約者としてお迎えする準備を進めている」
「そうですか……。そこに、わたくしたち自身の意見や感情は、汲んではいただけないのですね。残念ですわ」
淡々としたアナスタシアの声は、宰相や居並ぶ官僚たちの胸に、静かな痛みを残した。
「可能な限り善処し、皆が納得できる形で収めるつもりだ。どうか了承してほしい」
――結局、令嬢の気持ちは二の次。それが、現実だった。
「それでしたら、わたくしは、この場でご辞退――」
アナスタシアが言葉を継ごうとした、その瞬間だった。
――ギィ……。
重厚な扉が、静寂を切り裂くように開く。
誰もが息を呑み、音のした方を振り返った。
そこに立っていたのは、シリル王太子だった。
予定外の来訪。
しかも、儀礼の進行を待つこともなく、彼はまっすぐに歩み出る。
広間の空気が、わずか一歩ごとに塗り替えられていく。
シリルは、まず宰相を見た。
視線だけで、場の主導権を奪う。
「ローレンス。この場で婚約者を決定する」
それは、相談でも提案でもない。
決定事項の宣告だった。
「……いいな?」
宰相は一瞬だけ目を伏せ、それから小さく息を吐いて苦笑する。
幼い頃から彼を見てきた者にしか見せない、諦観と親愛の混じった表情だった。
「……承知いたしました、殿下」
その瞬間、場の構図が変わった。
コーデリア・グローリー公爵令嬢は、思わず指先を握りしめる。
胸の奥が、ひくりと痛んだ。
(……決まって、しまうの?)
覚悟はしていた。
それでも、言葉にされる前の“可能性”が、音もなく閉じていく感覚に、呼吸が浅くなる。
ジュリエット・アデル侯爵令嬢は、わずかに肩を震わせ、視線を伏せた。
(……お父様は、きっと激怒なさるわ)
王太子妃になれなかった。
その事実だけで、どれほどの叱責が待っているか――考えずともわかる。
(折檻、でしょうね……)
背筋をなぞる冷たい感覚に、唇を噛みしめる。
ここで涙を見せるわけにはいかなかった。泣けば、それは「弱さ」として咎められる。
だからこそ、ジュリエットはただ静かに、頭を下げ続けた。
それが、彼女に許された唯一の“耐え方”だった。
そんな二人の感情を置き去りにしたまま、シリルは一歩、前へ出る。
「わたしは――」
その声が、広間に静かに、しかし確実に響いた。
「アナスタシア・ヴェルデン公爵令嬢を、婚約者として指名する」
空気が、ぴたりと止まった。
「受けてくれるね、アナスタシア」
威厳ある声音。
だが、その瞳だけが、答えを待つように、かすかに揺れていた。
「返事は、すぐでなくていい。後日、ヴェルデン公爵家へ正式な書簡を送る。サミュエル殿とも、よく話し合ってほしい」
その言葉を受け、アナスタシアは静かにカーテシーで応えた。
「コーデリア嬢、ジュリエット嬢。本日は、わざわざ呼び立ててしまい、すまなかった。後日、そちらにも書簡を送る。
グローリー公爵夫妻、アデル侯爵夫妻にも、よろしく伝えてくれたまえ」
二人の令嬢は、揃ってカーテシーで了承を示す。
その様子を見て、ほんの一瞬、アナスタシアの眉がひそめられた。
(……ジュリエット様、足を痛めていらっしゃるのかしら)
こうしてその場はいったん解散となり、それぞれが帰路についた。
◇◇◇
「アナスタシア。『やっぱり』というべきか……結局、王太子妃に逆戻りだったね。ははは」
公爵家に戻り、兄サミュエルに一通りの顛末を報告したあとの、最初の一言だった。
「……お兄様、笑い事ではありませんわ。面倒ごとが舞い戻ってきた、という心境ですの」
アナスタシアの表情には、わずかに疲れが滲んでいたが、悲壮感はなかった。
「どうだい? 正直なところ、シリル殿下とは……うまくやっていけそうかい?」
「……わかりませんわ。誠実で、真っ直ぐな方だとは思いますけれど。エドワード殿下も……最初は、そうでしたもの」
サミュエルは、妹アナスタシアの心の奥底に、いまだエドワードに裏切られた傷が、じくじくと血を流し続けていることを悟り、胸の内でため息をついた。
「君が、どうしても嫌だというなら――ローゼンタール王国へ逃げる手もある。きっと、ライナスが大手を振って迎えてくれるさ」
冗談めかした兄の口調に、アナスタシアは思わず、自然な笑みを浮かべた。
(現実を受け入れて、シリル殿下と共に歩んでいく……もう一度だけ、信じてみようかしら)
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グローリー公爵令嬢コーデリア、十五歳。
アデル侯爵令嬢ジュリエット、十六歳。
ヴェルデン公爵令嬢アナスタシア、十七歳。
そしてその場で、ベイドン伯爵令嬢ロクサーヌの婚約者候補辞退が、正式に発表された。
「三名の令嬢方には、王太子妃教育を受けていただくことになる。もっとも、アナスタシア嬢はすでに修了しているがな。ジュリエット嬢、コーデリア嬢は、後日、王宮での講習日程を確認してもらいたい」
宰相の説明を受け、アナスタシアが静かに声を上げた。
「恐れながら、よろしいでしょうか?」
宰相が頷き、発言を許可するのを確認してから、彼女は続ける。
「十代後半の令嬢を三人も、王太子の婚約者候補として拘束する――それは、いかなるお考えによるものでしょうか。
もし婚約者に選ばれず、王太子妃とならなかった場合、わたくしどもの将来については、どのようにお考えですの?」
鋭い問いかけに、宰相はあらかじめ用意していた答えを口にした。
「……その点については、王家としても考慮している。シリル殿下の側近である令息二名の、婚約者としてお迎えする準備を進めている」
「そうですか……。そこに、わたくしたち自身の意見や感情は、汲んではいただけないのですね。残念ですわ」
淡々としたアナスタシアの声は、宰相や居並ぶ官僚たちの胸に、静かな痛みを残した。
「可能な限り善処し、皆が納得できる形で収めるつもりだ。どうか了承してほしい」
――結局、令嬢の気持ちは二の次。それが、現実だった。
「それでしたら、わたくしは、この場でご辞退――」
アナスタシアが言葉を継ごうとした、その瞬間だった。
――ギィ……。
重厚な扉が、静寂を切り裂くように開く。
誰もが息を呑み、音のした方を振り返った。
そこに立っていたのは、シリル王太子だった。
予定外の来訪。
しかも、儀礼の進行を待つこともなく、彼はまっすぐに歩み出る。
広間の空気が、わずか一歩ごとに塗り替えられていく。
シリルは、まず宰相を見た。
視線だけで、場の主導権を奪う。
「ローレンス。この場で婚約者を決定する」
それは、相談でも提案でもない。
決定事項の宣告だった。
「……いいな?」
宰相は一瞬だけ目を伏せ、それから小さく息を吐いて苦笑する。
幼い頃から彼を見てきた者にしか見せない、諦観と親愛の混じった表情だった。
「……承知いたしました、殿下」
その瞬間、場の構図が変わった。
コーデリア・グローリー公爵令嬢は、思わず指先を握りしめる。
胸の奥が、ひくりと痛んだ。
(……決まって、しまうの?)
覚悟はしていた。
それでも、言葉にされる前の“可能性”が、音もなく閉じていく感覚に、呼吸が浅くなる。
ジュリエット・アデル侯爵令嬢は、わずかに肩を震わせ、視線を伏せた。
(……お父様は、きっと激怒なさるわ)
王太子妃になれなかった。
その事実だけで、どれほどの叱責が待っているか――考えずともわかる。
(折檻、でしょうね……)
背筋をなぞる冷たい感覚に、唇を噛みしめる。
ここで涙を見せるわけにはいかなかった。泣けば、それは「弱さ」として咎められる。
だからこそ、ジュリエットはただ静かに、頭を下げ続けた。
それが、彼女に許された唯一の“耐え方”だった。
そんな二人の感情を置き去りにしたまま、シリルは一歩、前へ出る。
「わたしは――」
その声が、広間に静かに、しかし確実に響いた。
「アナスタシア・ヴェルデン公爵令嬢を、婚約者として指名する」
空気が、ぴたりと止まった。
「受けてくれるね、アナスタシア」
威厳ある声音。
だが、その瞳だけが、答えを待つように、かすかに揺れていた。
「返事は、すぐでなくていい。後日、ヴェルデン公爵家へ正式な書簡を送る。サミュエル殿とも、よく話し合ってほしい」
その言葉を受け、アナスタシアは静かにカーテシーで応えた。
「コーデリア嬢、ジュリエット嬢。本日は、わざわざ呼び立ててしまい、すまなかった。後日、そちらにも書簡を送る。
グローリー公爵夫妻、アデル侯爵夫妻にも、よろしく伝えてくれたまえ」
二人の令嬢は、揃ってカーテシーで了承を示す。
その様子を見て、ほんの一瞬、アナスタシアの眉がひそめられた。
(……ジュリエット様、足を痛めていらっしゃるのかしら)
こうしてその場はいったん解散となり、それぞれが帰路についた。
◇◇◇
「アナスタシア。『やっぱり』というべきか……結局、王太子妃に逆戻りだったね。ははは」
公爵家に戻り、兄サミュエルに一通りの顛末を報告したあとの、最初の一言だった。
「……お兄様、笑い事ではありませんわ。面倒ごとが舞い戻ってきた、という心境ですの」
アナスタシアの表情には、わずかに疲れが滲んでいたが、悲壮感はなかった。
「どうだい? 正直なところ、シリル殿下とは……うまくやっていけそうかい?」
「……わかりませんわ。誠実で、真っ直ぐな方だとは思いますけれど。エドワード殿下も……最初は、そうでしたもの」
サミュエルは、妹アナスタシアの心の奥底に、いまだエドワードに裏切られた傷が、じくじくと血を流し続けていることを悟り、胸の内でため息をついた。
「君が、どうしても嫌だというなら――ローゼンタール王国へ逃げる手もある。きっと、ライナスが大手を振って迎えてくれるさ」
冗談めかした兄の口調に、アナスタシアは思わず、自然な笑みを浮かべた。
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