【完結】王太子が「恋がしたい」と言い出したので、公爵令嬢は捨て身の復讐を始めます──みなさままとめて地獄へどうぞ

恋せよ恋

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その物差しを、お貸しなさい

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「ジュリエット! この役立たずが!」

――――バシンッ! ドンッ!

 怒号とともに、父フランソワはジュリエットの頬を打った。その反動で、彼女の身体は壁に叩きつけられ、床に崩れ落ちる。

「何のためにお前を引き取ったと思っている! こんなことなら、わざわざ養女になどするのではなかったわ! ああ、忌々しい!」

 顔を怒りで紅潮させ、口角泡を飛ばしながら、フランソワはジュリエットを罵倒する。鬼のような形相で吐き捨てる言葉は、止まることがなかった。

 そこへ、家令が慌てて駆け込んできた。

「だ、旦那様……ヴェルデン公爵令嬢アナスタシア様が、ご訪問に――」

「は? なんだと!? なぜ、あの小娘が我が家へ来る!? 断れ! 会う気はない!」

「そ、それが……宰相閣下もご一緒でして……すでに、こちらへ――!」

 家令の声に被さるように、廊下から二人分の足音が近づいてくる。

「失礼いたします。突然の訪問、ご容赦くださいませね」

 入室と同時に、アナスタシアの余裕ある声音が部屋に響いた。

「アデル侯爵、邪魔をするよ。事前の知らせも出せぬほど、急を要する用件でね」

 ローレンス宰相は、穏やかな笑顔のまま、確かな威圧を放っている。

「なっ……なんなのですか!? いくら宰相とはいえ、あまりに失礼ではありませんか!」

 フランソワの怒声が、二人に向けられる。普段であれば考えられないほど、アデル侯爵の感情は荒れていた。

「ジュリエット様……大丈夫ですか?」

 アナスタシアは床に倒れるジュリエットのそばへ屈み込み、静かに声をかける。

「ア、アナスタシア様……どうして、こちらに……?」

 張られた頬は赤く腫れ、涙に濡れたジュリエットの姿は、あまりにも痛々しい。

「あなた様のご様子が、どうにも気がかりでしたの。先ほど……足を引きずっていらしたでしょう? もしかして、その怪我も、どなたかからの暴力によるものではありませんか?」

「……淑女教育が未熟だと、先生から“躾”を受けております。なかなか上達しない私が……悪いのだと思います」

 ジュリエットは伏目がちに、すべてを諦めたかのような表情で、か細く答えた。

「……わたくしが見る限り、ジュリエット様は、とても優秀でいらっしゃるわ。あなたのガヴァネスは、どなたか伺ってもよろしいかしら?」

「はい……ベネロープ・スピッツ子爵夫人です」

(ベネロープ子爵夫人……奔放で名高いご夫人。淑女教育を任せるには、あまりにも皮肉な人選ですこと……)

「……そう。その夫人は、今日もこちらにいらっしゃるのかしら?」

 アナスタシアの問いかけに、ジュリエットは小さく頷いた。

 その脇から、アデル侯爵が慌てて割って入る。

「ベネロープは関係ない! それに、もう淑女教育は中止だ! 王太子妃に選ばれなかった不出来な者に、これ以上の教育は必要ない!」

(……ガヴァネスに対して、呼び捨て。随分と肩を持つのね。――個人的な関係でも?)

「では、一度、そのガヴァネスのご指導を見学させていただきましょう。わたくしにも、何か学びがあるかもしれませんもの」

 アナスタシアの余裕ある微笑みと、同席する宰相ローレンスの無言の威圧に、フランソワはそれを受け入れるしかなかった。




 午後になり、ジュリエットの淑女教育のため、ベネロープ・スピッツ子爵夫人が姿を現した。

「ジュリエット様、本日はカーテシーの復習をいたしましょう。不出来で庶子のあなたには、何度も繰り返すことでしか学びは得られませんわ。左頬が腫れているよう……フランソワにでも叩かれたのかしら?まあ、あなたが悪いのでしょうけれど。」

 手にした物差しを威圧するように、パン、パンと掌に打ちつけながら、醜悪な笑みを浮かべるベネロープ。その姿は、到底“優秀なガヴァネス”とは呼べるものではなかった。

「さあ、始めますわ。カーテシーを」

 ジュリエットは素直に、美しい所作でカーテシーを行う。

「もっと腰を落としなさい! 頭が高いわ! 本当に、何度言えばわかるのかしら。下賎な暮らしをしていたあなたには、何度教えても無駄なのかもしれませんわね」

 ベネロープは大げさな溜息をつき、物差しを強く鳴らした。

「後ろを向いて、足を出しなさい!」

 慣れているのだろう。ジュリエットは黙って背を向け、ドレスの裾を持ち上げる。露わになったふくらはぎには、赤黒いみみず腫れが幾重にも走っていた。

「これはすべて、あなたが不出来だからです。あなたのために、罰を与えているのですよ!」

 独りよがりな言葉を並べ立てた直後、物差しが容赦なく振り下ろされる。

____パンッ パンッ

「そこまでです!!!」

 部屋に、悲壮な叫びが響き渡った。

 扉が開き、アナスタシアを先頭に、宰相ローレンス、そしてアデル侯爵が入室する。

 合図を受けた侍女たちがすぐに駆け寄り、ジュリエットの傷の手当てを始め、ソファへと導いた。

「ベネロープ・スピッツ子爵夫人。ごきげんよう。アナスタシア・ヴェルデンですわ」

 静かな声で名乗ったアナスタシアは、冷ややかな視線を向ける。

「あなたの淑女教育を拝見しましたが……ひどいものですわね」

 そして、アデル侯爵をまっすぐに見据えた。

「ジュリエット様の教育の進捗を、きちんと確認されたことはおありですか? わたくしの目には、十六歳として十分に整ったカーテシーに見えましたけれど」

 アデル侯爵は言葉を失い、表情を強張らせる。

「……つまり、関心がなかったということですわね。努力を強いるのであれば、成果を見る責任も負うべきでした」

 小さく息を吐き、アナスタシアは続ける。

「それに、なぜベネロープ子爵夫人がガヴァネスに選ばれたのか、その経緯を伺っても?」

「そ、それは……優秀だと、紹介されて……」

 不自然なほど慌てて答えるアデル侯爵。

「……そうですか。わたくしの知る評価とは、あまりにも食い違っているようですわね。では皆さま、その“優秀な礼儀作法”を、わたくしが確認いたしましょう」

 アナスタシアは背筋を伸ばし、艶やかながらも冷たい笑みを浮かべる。

「その物差しをお借りしますわ。未熟ながら、わたくしが裁定いたします」

 周囲が固唾を呑む中、ベネロープ子爵夫人の顔色は蒼白になり、身体が小刻みに震え始める。

「どうぞ。ベネロープ・スピッツ子爵夫人」

 促され、不承不承カーテシーをするベネロープ。

「あらあら……まあまあ……これが、ガヴァネスのカーテシーですの?」

 小首を傾げ、アナスタシアは淡々と告げる。

「ジュリエット様の方が、よほど美しかったですわ。皆さまも、そうお思いでは?」

 確かに美しい所作ではあるが、ジュリエットのものと大差はなかった。

「これは……罰が必要ですわね」

 アナスタシアの声が冷え切る。

「十六歳の令嬢と同等でありながら、彼女には罰を与えていたのですもの。さあ、後ろを向いて、足をお出しなさい」

「ま、待ってください! 人妻であるわたくしが、宰相閣下や侯爵の前で足を晒すなど……!」

 ベネロープは抗議するが、アナスタシアは微笑んだまま言い切る。

「あら? アデル侯爵には、すでにすべてをお見せになっているのではなくて?」

 その場が凍りつく。

「わたくし、てっきり“そういうご関係”だと思っておりましたけれど……違いまして?」

「無礼だ! 根も葉もない中傷だ!正式に抗議を申し立てるぞ!いいのか!」

「ええ、構いませんわ。もし事実でしたら、こちらも正式に処罰いたしますから」

 余裕の冷笑に、二人の顔色は白く変わった。

「さあ、スピッツ子爵夫人。あなた自身の指導法を、実践して差し上げますわ。……あなたのためですのよ」

 渋々、ベネロープは背を向け、足を差し出す。

____ピシッ ピシッ ピシッ

「ひっ……痛い!やめて……!」

「あら? ジュリエット様の脚は、二、三度の罰で済む状態ではありませんでしたわ」

 物差しが再び振り下ろされる。

____ピシッ ピシッ ピシッ

 やがてベネロープは泣き崩れ、床に座り込んだ。

「未婚の令嬢の柔肌に傷をつけるなど、ガヴァネスのすることではありませんわ」

 冷ややかに告げる。

「無能な小者が、わたくしは何より嫌いですの」

 その言葉を最後に、ベネロープは気を失った。

 アデル侯爵には、令嬢への虐待を容認した咎により、宰相から厳重注意という処分が言い渡された。




「ジュリエット様、大丈夫ですか?」

 アナスタシアの声には、心からの心配が滲んでいた。

「はい……私のために……ありがとうございます」

 ジュリエットの瞳から、静かに涙がこぼれる。

「これから、どうなさいますの?」

「……許されるなら、母のもとへ戻り、市井で静かに暮らしたいです」

「貴族の身分を捨てても?」

「はい。貴族令嬢になって、幸せだと感じたことは、一度もありませんでした」

 儚げに笑うその表情に、アナスタシアはそっと手を伸ばした。

「でしたら……わたくしがお力になりますわ。あなたも、お母様も、幸せにならなくてはいけませんもの」

 ジュリエットは堪えきれず、アナスタシアに抱きつき、声を上げて泣いた。

 アナスタシアはその温もりを抱き留めながら、心に誓う。

――この少女の未来を、必ず守る、と。
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