【完結】王太子が「恋がしたい」と言い出したので、公爵令嬢は捨て身の復讐を始めます──みなさままとめて地獄へどうぞ

恋せよ恋

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脱出への第一歩

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 拉致犯はゆっくりと部屋の中を歩き、アナスタシアの周囲を一周するように動いた。その足取りは軽く、けれど確実で、武器らしきものが手元にあることを忘れさせない。

「さて、少しは落ち着いたかしら?」
 声が静かに迫る。
「ふん、強気ね。嫌いじゃないわ、あなたみたいな子」

 部屋の奥で、拉致犯がゆっくりと座り、アナスタシアをじっと見据えた。
「座りなさい。体を休める必要はあるわ、少なくとも、精神を保つためにはね」

 アナスタシアは恐る恐る床に膝をつき、視線を下げる。
(ここで怯めば、相手の思うつぼ……わたしは……負けられない)

「さあ……あなたの判断力を、少し試させてもらうわね」

 拉致犯は細長い箱を取り上げ、ゆっくりと床に置いた。蓋が開くと、中には小さな鍵束と、一枚の紙切れが収められている。

「これを取るかどうか。慌てて手を伸ばすか、それとも状況を読んで考えるか……それだけで、あなたの判断力と冷静さは分かるの」

 一拍置いて、彼女は小さく肩をすくめた。

「……もっとも、今回ばかりは、私の方が興味を持ってしまったけれど」

 暗がりの中で、低い声が続く。

「妙なのよ。裏ギルドにね、あなたを攫え、という依頼が――三件も同時に来たの。こんなこと、初めてだわ」

 アナスタシアの反応を確かめるように、視線だけが向けられる。

「一つは、ローゼンタール。隣国からよ。依頼主の名は伏せられているけれど、金と手際は一流。……残り二つは、ローザリア国内。こちらは、少し匂いが違うわね」

 ふっと、嘲るような笑みが混じる。

「個人的な恨みか、政治的な思惑か……その両方かもしれない。でもね、どれも共通しているの。“消せ”とは言ってこなかった。攫うだけでいい、と」

 彼女は鼻で笑った。

「要するに――貴族令嬢に“傷”をつけたいのよ。自由を奪って、管理下に置いて。……本当に、クズの発想よね。まあ、それを請け負う私が言える立場じゃないけれど」

 短い沈黙。

 そして、どこか楽しげな声音で。
「それで、思ったの。――あなた、何者なの? 見たところ、美しい貴族令嬢。でも、風格と気品が、どう考えても只者じゃない」

 アナスタシアが静かに問い返す。
「……そのような内情を、わたくしに話してよろしいのですか?」

 一瞬、意外そうに目を細め、それから低く笑った。

「ふっ……本当に冷静ね。感心するわ。こんな状況じゃなければ、普通に出会ってみたかった。きっと、気が合ったでしょうに。……残念」
 拉致犯は一歩下がり、影に身を溶かす。

「だから、気が変わったわ。あなたを拉致する気はない。試すことにするわ」
 低く、はっきりと告げる。

「逃げられるなら、逃げてみなさい。知恵と胆力と、自分の足で。私は、追い詰めはする。でも――自分の力で脱出するのなら……その結果までは、否定しない」

 最後に、愉快そうな声が落ちた。
「仕方ないでしょう? それも、あなたの“選択”なんだから」

 拉致犯は、細長い箱を手に取り、静かに床に置く。中には小さな鍵束と、紙切れ。

「これを取るかどうかで、あなたの判断力と冷静さが分かる。慌てて手を伸ばすか……慎重に考えるか」

 アナスタシアはゆっくり呼吸を整え、手元の箱を観察する。
( なに? 焦れば負ける……目先のことだけに囚われてはいけない……)

 そして、落ち着いた手つきで鍵束を取り上げ、紙に目をやった。そこには、自分の居場所と、移動先の簡単な情報が書かれているだけだった。

「ふふ……予想以上に、冷静ね」
 拉致犯は微笑む。
「でも、これからが本番よ。ここであなたが動揺すれば、全てが終わる」

 アナスタシアは視線を上げ、静かに言った。
「わたくしは……どんな状況でも、自分を失いません」

 その瞬間、拉致犯は立ち上がり、部屋を一周する。
「あなたの意思の強さは分かったわ。でも、それだけでは世界を渡れない。判断力、柔軟性、そして……恐怖を制する力――それを試すの」

 アナスタシアの心臓は高鳴る。

( なぜかは わからない……でも、相手は私を、試しているのだ……)

 拉致犯はゆっくりと灯りに手をかざし、わずかに室内を明るくした。
「さて、次は“ゲーム”の時間よ」

 紙には、二つの道が示されていた。
 一つは安全そうに見えるが、脱出の糸口はほとんどないルート。
 もう一つは危険だが、脱出の可能性があるルート。

 アナスタシアは深く息を吸い、思考を巡らせる。紙に示された二つの道を見比べた。

 一つは安全に見えるが、部屋を出てもすぐに監視が厳しく、逃げ道はほとんどない。
 もう一つは危険だ。暗く不安定な階段、廊下を通らねばならず、転落や障害物の危険がある。しかし、外へ抜ける可能性が残されている。

「……わたくしは、自分の判断で行動します」
 小さく声に出して言うと、目の前の危険なルートを選ぶことを決めた。

 拉致犯はそれを見て、冷たい微笑を浮かべる。
「ふふ……予想通りね。でも、覚悟はできているの?」
 その声は静かだが、部屋中に緊張を張り巡らせるような力を持っていた。

 アナスタシアは何も答えず、ゆっくりと立ち上がる。足元の暗闇に注意を払いながら、危険な階段に向かって歩き始めた。

 手元の壁や柱に触れながら、音を立てずに進む。木の軋む音や自分の呼吸の音が、暗闇に妙に響く。心臓は高鳴るが、恐怖に支配されることはなかった。

(……どういうことなの……脱出できる? それとも、罠?)

 階段を慎重に下りると、薄暗い廊下に出た。先の見えない道だが、彼女の中には決意があった。
「……行くわ」
 囁くように言い、足を一歩前に出す。

 暗がりの廊下を進むアナスタシアの背後、拉致犯は足音を立てずに距離を保ち、声も出さずにその動きを観察していた。

「……やるじゃない」

 微かに、低い声が響く。暗闇に溶けるように、誰からも聞こえないはずの声。しかし、アナスタシアは振り返ることはできなかった。その声が、自分に届いているのを肌で感じるだけだ。

(……何をさせたいの……?)

 拉致犯は、あえて距離を詰めず、アナスタシアの恐怖心と好奇心を交互に刺激する。階段の角を曲がるたび、遠くから軽く物音を立て、彼女に「自分は見られている」と思わせる。

「慎重すぎても、臆病すぎても、見ていてつまらないのよ」

 その言葉の響きには、冷たい知性とわずかな嘲りが混じる。アナスタシアは足を止め、思考を巡らせる。彼女の小さな足音は、拉致犯にとっての観察対象であり、同時に彼女の意志の強さを映す証となっていた。

 アナスタシアは廊下を慎重に進みながら、背後の気配を感じ取る。拉致犯は音を立てずに距離を保ち、彼女の行動を注意深く見守っている。

(……焦ったら、すぐに捕まってしまう。冷静に……裏をかくのよ)

 彼女は床のわずかな軋み、影の動き、そして空気の流れを意識し、壁伝いにゆっくりと進む。途中で小さな物音を意図的に立て、あえて別方向へ誘導する。

「カツ……カツ……」
 その足音に、背後の拉致犯が一瞬反応する。

「……少し動きが怪しいわね」
 冷たい声が微かに響く。しかしアナスタシアは、そこに狙いがあることを見抜いていた。

( 誘導に乗ったふりをして……別の出口へ)

 曲がり角の陰に身を潜め、壁に沿って静かに回り込む。気配を消すため、息を殺し、手を壁に沿わせながら靴を脱いで足音を最小限に抑える。

 廊下の奥に、かすかに開いた窓の隙間が見えた。外は夜の闇。雨上がりの湿った空気が漏れ、冷たい風が差し込む。

( ここなら……)

 アナスタシアは一瞬迷ったが、着ていた上質のドレスを脱ぎ捨て、動きやすさを優先した。迷いを振り切るように窓に手をかけ、そっと外へ身を乗り出した。石畳の屋根に着地する瞬間、床板の軋みを利用した巧妙なタイミングで、背後の拉致犯の注意を逸らす。

「少し自由にさせてあげたけど、逃げ切れると思っているの?」
 薄暗い窓の中で、低く冷たい声が響くが、足を滑らせず、アナスタシアは屋根伝いに次の建物へ跳んだ。

 外の夜風が顔に触れ、自由を取り戻した感覚が一瞬心を満たす。心臓は高鳴るが、恐怖は冷静さに変わった。

(……罠かもしれない……でも、もしかしたら、脱出できる可能性もある)

 屋根伝いに影の中を進み、裏庭の生垣までたどり着いたアナスタシアは、息を殺しつつ生垣をくぐり抜ける。背後で、誰かが窓に手をかける音が聞こえるが、もう振り返らない。

 闇に溶け込むように、裸足で走る彼女の小さな足音が、自由への始まりを告げていた。
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